「君に贈る匣」

概要

彼の言葉を、私は聴いた事がない
いつも一緒だった幼馴染がいなくなる時、
とても複雑な気分になりますね。
ちょっと切ないお話、読ませて頂きました

語り手: 道野 草太 🕯怖い話を読む人 / 語る人🕯
語り手(かな): みちのそうた こわいはなしをよむひと かたるひと

Twitter ID: MICHI_KUSA_
更新日: 2023/06/02 21:46

エピソード名: 「君に贈る匣」

小説名: 「君に贈る匣」
作家: ながる
Twitter ID: @nagal_narou


本編

 小さい頃から、あなたの周りにはネジやビスやバネや、その頃は名前も知らなかったナットや銅線、木切れに金属の板なんかが無数に転がっていた。
 そんな中、私のお気に入りは丸くて縁が凸凹した歯車で、いくつか並べて花に見立てたり、小さなものを指にはめて指輪にしてみたり、物言わぬあなたの傍で、私はひとり空想に耽っては独り言を呟いていたの。

 子供の声は良く通るものだし、夢中になるとどんどん大きくなる。うるさかったんじゃないかなぁ、と今では思うのだけれど、彼は彼で自分の世界に浸っていたので、私の声など気にする風でもなく、手元にあるものをただただ微細に分解していたのよね。私が黙り込むと反対に手を止めて窺うようにこちらを見るようになるまでに、そう時間はかからなかった。
 目が合うとにこりと笑い、また分解に戻る。私がうっかり寝てしまっているような時は、起こさぬようにそっとタオルや毛布を掛けてくれる、優しい人だった。

 彼は何でも壊す。叩きつけたり、ハンマーを使うような乱暴な感じではなく、大切な物をそっと愛でるように、外側から少しずつ解体していく。
 何種類もの大小のドライバーや特殊な形の螺子回し、ピンセットや時に磁石まで使って構造を確かめるようにバラバラにしていくのだ。
 たいていの場合、外側には興味ないようで、そういうものはさっさとゴミに出されてしまうが、時々、彫刻の綺麗な箱や細工の素晴らしい金属なんかは大事そうに仕分けられていた。

 おばさんが言うには、赤ちゃんの頃は普通に泣いてもいたし、覚え初めの頃はどんな言葉もおうむ返しで一生懸命覚えようとしていたのだと。
 彼が声を発するのをやめてしまったのは、物心つくころ、機械工だった父親の真似をして工具を玩具代わりに手にするようになってからで、物を分解することを覚えるとそれは年々度合いを増し、やがて無口を超えてしまったようだ。
 「それはそれは可愛い声でね、天使のようだったのよ」とおばさんは残念がる。

 お隣に引っ越してきて、家族3人で挨拶に来たときも、そう言えば彼は一言も発しなかった。
 色白で、陽にキラキラと輝くふわふわした金髪。透き通るようで、深い海の色のような蒼みがかった碧の瞳。玄関先に舞い降りた同い年くらいの天使に気を取られて、私には他のことは目にも耳にも入っていなかったらしい。
 声など発しなくても、彼はいっぺんで私のお気に入りになったのだ。

 私が遊びに行くと、おばさんはとても喜んでいつも手作りのお菓子やジュースを差し入れてくれた。彼は小学校《エレメンタリースクール》にもほとんど行かず、引きこもりのような生活で訪ねてくる友人もいないということを、おばさんは心配していたらしい。けれどいつ行っても自室にいて何かしらを分解している彼は、私にとって現実とは違う別世界に浸れるオアシスだったのだ。
 おばさんは時々「楽しい?」と不安げに聞いてきた。その度に私は「はい」と答える。顔色伺いでも何でもなく、物言わぬ彼と彼のいる空間が私にはとても心地良く感じられていたから。
 どれだけ空想に耽っても邪魔されもせず、けれど誰かと共有できるということがどんなに幸せか、おばさんには解らないようだった。

 そんなある日、けたたましく鳴った電話の後、おじさんが出先で怪我をしてしまったからと、私は彼とほんの数時間二人きりで留守番をすることになった。
 おばさんがいなくとも、部屋にこもりきりの私たちに特に変わりはない。いつものように空想に浸かって、ひとりでお喋りしながらその辺に転がっている木切れを積み木代わりに遊んでいた私の耳に、どこからかか細い声が聞こえてきた。それは少しずつはっきりとした音になる。
 澄んだ高音の、青い青い空に吸い込まれていくような、天に昇っていくような、美しい……歌声だった。

 思わず天井を見上げて黙り込んだ私を、いつものように彼が振り向く。いつもと違ったのは、彼の口がその歌を紡いでいるということだった。
 異国の言葉なのか、その意味はまったく解らなかったのだけれど、同じフレーズを何度も繰り返しているその曲は、幼い私にもすぐに覚えられた。
 何だか嬉しくなってにこにこしながら、何度か彼と共に短いその歌を分からないなりに一緒に歌っていたが、歌い始めと同じように彼は唐突に歌うのをやめ、それきり、二度と彼の声を聞くことはなかった。



 時は流れ、幼い時ほどではなくなったけれど、私がことあるごとに彼の部屋を訪ねて行くのは変わらなかった。
 友達と喧嘩した日、始めて失恋した夜、仕事でミスして徹夜明けの朝……
 誰とも話したくなくとも、彼の傍では言葉は溢れて流れていった。
 時を追うごとに彼の部屋のネジや歯車は増えていって、今では彼も埋もれてしまいそう。それでも通っていられたのは、私の座るスペースだけは常に確保されていたから。
 いつも一方的にまくしたてる私を邪険にする風でもなく、淡々と手元の物を分解していく彼。聞いていないわけではない。その証拠に話し終わって私が口を閉じると、彼は振り返ってそっと微笑むのだ。大きくなっても変わらず――ううん。あの頃よりももっと整った凛々しい天使のようなその顔で。

 しばらく間が空いたその日、私は彼が壁掛けの鳩時計を分解するのを珍しく傍でずっと見ていた。
 お喋りな私が黙って見ているのが不思議だったのか、近くで見られるのが居心地悪かったのか、彼も時々こちらを窺いながらの作業になっていた。
 丁寧にすべて分解し終わった彼は一通り工具を机の上のケースに仕舞い、私に向き合った。いつもと違う空気を感じたのだろう。

「あのね」

 じっと見る彼の蒼を含んだ碧の瞳を焼き付ける。

「結婚が決まったの」

 彼の表情は変わらなかった。

「喧嘩した時は……来てもいい?」

 ふっと彼は淋しそうに笑い、私を反転させるとその背中を押して部屋から押し出してしまった。
 見たことのなかった彼の表情と部屋を追い出された寂しさで、その夜、私は自分のベッドで少しだけ泣いて、彼のことを考えるのをやめた。

 それからのことは、ただただ慌ただしかったとしか覚えていない。
 住むところを決め、ドレスを選び、式に呼ぶ人を吟味し、会場を予約し、招待状を作成し、引き出物を決め、旅行先を……
 やることはいっぱいで、小さなことで恋人と衝突して。
 ぐったり疲れていたのだろう。式の前日、私は夢遊病者のように彼の部屋の前に立っていた。おばさんが、ここ数日は部屋から出てもいないの、と心配そうに言っていたのは覚えてる。

 ぴたりと閉じられたドア。
 私が来るときはいつも開いていたのに。
 彼の名を呼ぶ。
 返事はない。あるわけがない。
 ぼろぼろと弱音が出てくる。
 ドアの前で不安を全部吐き出して、もういっそ、結婚なんてやめてしまおうか――ドアに額をつけ、そう、言った時、かちゃりと音がしてそっとドアが開いた。

 頬はこけ、目の下には隈が出来ている。白い肌はいっそう青白く、金髪はくすんで見えた。それでもやっぱり彼は天使で。私の、天使で。
 何か言おうとして声を詰まらせた私の手に、彼は手のひら大の丸いものを握らせると、いつものようにそっと微笑んだ。
 おそるおそるその手を開き、確かめるように視線を落とすと、それは懐中時計のようだった。竜頭を押し込み蔦のような細工が絡んだ蓋を開ける。私は小さく息を呑みこんだ。
 その文字盤は透明で、中でカチカチと動く幾つもの歯車が見えている。並んだ銀色の櫛状のものも。
 彼は九時の方向に付いている小さいもうひとつの竜頭のようなものを何度か巻き上げ、手を離すと、温かい音色がそこから飛び出した。

 忘れもしない。彼が一度だけ歌って聞かせてくれた、一緒に歌った、あの曲だった。

 驚く私の手を取り、彼は時計の蓋を閉める。曲はそこで途切れた。再び、私と重ねた手で蓋を開けると、先程の続きから曲は鳴りだした。
 嬉しさと懐かしさと淋しさでぐちゃぐちゃな気持ちを、私は彼に抱きついて全てぶつけた。涙が溢れて止まらない。
 優しく髪を撫でてくれる彼に、私はずっと「ありがとう」と呟いていた。



 最初で最後の触れ合いの後、彼は糸が切れたように倒れ込んできて、慌てて私はおばさんを呼んだ。二人がかりでなんとかベッドまで彼を運び、心配しながら様子を見守っていたのだが、彼はただただ深く眠っているだけのようだった。おばさんと顔を見合わせて笑う。
 おばさんは「今までありがとう」と少し目を潤ませて言うと、先に部屋を出て行った。
 私は見慣れた彼の部屋をゆっくりと見渡す。工具の並んだ机。足の踏み場もない床、雨漏りの染みが広がる天井、うちの庭が見える窓……
 最後にずっと嵌めていたお気に入りの指輪を外すと、彼に握らせた。ぐるりとお花が繋がったような彫金が施された指輪。ちょうど歯車が連なっているようにも見える。
 彼はいらないかもしれないけれど、私のエゴかもしれないけれど、彼の傍にも『私』を置いて行きたかった。

 結婚式は始まってしまうと滞りなく進み、ライスシャワーを潜り抜け、悪友たちとのブーケトスも盛り上がった。
 ひっそりと会場の隅で出席してくれていたおばさんに、あの曲の事を聞いてみた。
 どこかは忘れたがやはり異国の歌で、前の街にいたときにおじさんの同僚が良く歌っていたのだと。大好きな人を、いつまでも見守っている、そんな意味なのだと――
 おばさんは私がその曲を知っていることに驚き、彼が一度だけ歌ってくれたと言うと、さらに驚いた。
 私たちは抱き合って少しの間涙を流し「ありがとう」と「さようなら」を伝え合った。

 このまま私は街を出る。
 新婚旅行から戻ってくるのはこの街ではなく、少し遠くの旦那様の街だ。今までのように何かあったからといって気軽に帰って来られる距離ではない。
 快活で友人の多い彼の育ったところらしい、緑の多いさっぱりとした街で私はこれから生きていく。
 バラバラにすることしかしなかった彼が、初めて組み立てたこの『音匣《オルゴール》』と共に新しい時を刻みながら。
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