「風の回廊」作/トガシテツヤ 声/開運小天
概要
「東京の夏は地獄だ」
地獄から逃げて来た大学生が出逢った、
不思議な風を呼ぶ少女。
地獄から逃げて来た大学生が出逢った、
不思議な風を呼ぶ少女。
語り手: 開運小天
語り手(かな): かいうんしょうてん
Twitter ID: Betterfortune9
更新日: 2024/06/01 12:22
エピソード名: 風の回廊
小説名: 風の回廊
作家: トガシテツヤ
Twitter ID: Togashi_Design
本編
――風が吹くよ。
堤防に腰掛けていた少女の後ろを通った瞬間、少女はすっと立ち上がり、独り言のように呟いた。僕はそれが自分にかけられた言葉なのか分からないまま、思わず少女の背中に「風?」と言葉をかける。
午後はダルい。駐車場も動きがほとんどないし、何より暑い。ただ、海が見えるのは気に入っている。すぐに無線に出られるようにしておけば、こうして堂々と海を見ていても文句を言われない。アルバイトとしては、とても幸せなことだ。
少女がいつも堤防に腰かけて海を見ているのは知っていて、最初は「まさか飛び込むつもりじゃないか」と本気で心配していた。僕が午後に海を見る来るのは、少女の「生存確認」も兼ねている。
「ここ、上がって来て」
訳が分からないまま、胸の高さほどの堤防に手を付き、「よいしょ」と少女の横に並ぶ。
――意外と背が高いんだな。
一瞬だけ少女の全身を視界に捉え、すぐに海を見た。少女は遥か遠くを見たまま微動だにしない。とりあえず僕も海の向こうの水平線を眺めた。水面は太陽の光を反射してきらきらと輝き、その眩しさに目を細める。
やがて……風がきた。
いつもの湿気と潮の香りを含んだ不快な風ではない。まるで意思を持ったように正面からぶつかってきた風は、太陽に焼かれてヒリヒリした僕の肌を撫で、すり抜けていった。一瞬の出来事だった。
――この少女が連れてきたのか。
「連れてきた」と言う表現が正しくないことは百も承知だが、なぜか今はそれがぴったり当てはまる気がした。
「お兄さん、都会の匂いがする」
「ああ、東京から、夏休みの間だけ、アルバイトでね」
「都会にも、風は吹く?」
「……夏の東京は地獄だ」
不意にそんな言葉が口から出た。東京の夏は、もはや自然の暑さではなく、人工的に作り出された暑さだ。例え風が吹いても、それは体を焼き尽くす熱風となる。
夏休みのアルバイト情報誌を見ていた時、たまたま目に映った「リゾート地でバイトしよう!」の文字と美しい海の写真。5秒後に応募の電話をかけたのは、灼熱地獄から逃れるためだ。
「そんな地獄に住んでて楽しいの?」
「全部が全部地獄じゃないよ。楽しいことだってたくさんある」
急に取り|繕《つくろ》ったのは、東京を「地獄」と言い切ったからではなく、少女が東京に対して悪いイメージを持ってしまうのを心配したためだ。それに、楽しいことがたくさんあるのは事実である。
少女は海を見ながらにっこりと微笑み、土手の上をゆっくりと歩き始めた。白いワンピースのスカートと背中まで伸びた髪が風に揺れている。僕はただ、その後姿をぼんやりと見つめていた。
名前も、どこの誰かも知らず、中学生か、高校生かも分からない。サボっていたところに偶然居合わせた、不思議な風を呼ぶ少女。謎だらけだが、なぜか詮索したいとは思わなかった。
「高橋君、高橋君どうぞ」
バイト中だということをすっかり忘れていた僕は、無線機から聞こえてくる声で我に返った。
「明日も風は吹く?」
僕は少女の後姿に向かって叫んだ。
「吹くよ! 明日も明後日も、ずーっと!」
少女は振り返り、空に向かって両手を伸ばした。すると、また風が吹いた。僕は勢いよく土手から飛び降り、走った。
風を追いかけて。
いや、風が僕の背中を押しているような気がした。
堤防に腰掛けていた少女の後ろを通った瞬間、少女はすっと立ち上がり、独り言のように呟いた。僕はそれが自分にかけられた言葉なのか分からないまま、思わず少女の背中に「風?」と言葉をかける。
午後はダルい。駐車場も動きがほとんどないし、何より暑い。ただ、海が見えるのは気に入っている。すぐに無線に出られるようにしておけば、こうして堂々と海を見ていても文句を言われない。アルバイトとしては、とても幸せなことだ。
少女がいつも堤防に腰かけて海を見ているのは知っていて、最初は「まさか飛び込むつもりじゃないか」と本気で心配していた。僕が午後に海を見る来るのは、少女の「生存確認」も兼ねている。
「ここ、上がって来て」
訳が分からないまま、胸の高さほどの堤防に手を付き、「よいしょ」と少女の横に並ぶ。
――意外と背が高いんだな。
一瞬だけ少女の全身を視界に捉え、すぐに海を見た。少女は遥か遠くを見たまま微動だにしない。とりあえず僕も海の向こうの水平線を眺めた。水面は太陽の光を反射してきらきらと輝き、その眩しさに目を細める。
やがて……風がきた。
いつもの湿気と潮の香りを含んだ不快な風ではない。まるで意思を持ったように正面からぶつかってきた風は、太陽に焼かれてヒリヒリした僕の肌を撫で、すり抜けていった。一瞬の出来事だった。
――この少女が連れてきたのか。
「連れてきた」と言う表現が正しくないことは百も承知だが、なぜか今はそれがぴったり当てはまる気がした。
「お兄さん、都会の匂いがする」
「ああ、東京から、夏休みの間だけ、アルバイトでね」
「都会にも、風は吹く?」
「……夏の東京は地獄だ」
不意にそんな言葉が口から出た。東京の夏は、もはや自然の暑さではなく、人工的に作り出された暑さだ。例え風が吹いても、それは体を焼き尽くす熱風となる。
夏休みのアルバイト情報誌を見ていた時、たまたま目に映った「リゾート地でバイトしよう!」の文字と美しい海の写真。5秒後に応募の電話をかけたのは、灼熱地獄から逃れるためだ。
「そんな地獄に住んでて楽しいの?」
「全部が全部地獄じゃないよ。楽しいことだってたくさんある」
急に取り|繕《つくろ》ったのは、東京を「地獄」と言い切ったからではなく、少女が東京に対して悪いイメージを持ってしまうのを心配したためだ。それに、楽しいことがたくさんあるのは事実である。
少女は海を見ながらにっこりと微笑み、土手の上をゆっくりと歩き始めた。白いワンピースのスカートと背中まで伸びた髪が風に揺れている。僕はただ、その後姿をぼんやりと見つめていた。
名前も、どこの誰かも知らず、中学生か、高校生かも分からない。サボっていたところに偶然居合わせた、不思議な風を呼ぶ少女。謎だらけだが、なぜか詮索したいとは思わなかった。
「高橋君、高橋君どうぞ」
バイト中だということをすっかり忘れていた僕は、無線機から聞こえてくる声で我に返った。
「明日も風は吹く?」
僕は少女の後姿に向かって叫んだ。
「吹くよ! 明日も明後日も、ずーっと!」
少女は振り返り、空に向かって両手を伸ばした。すると、また風が吹いた。僕は勢いよく土手から飛び降り、走った。
風を追いかけて。
いや、風が僕の背中を押しているような気がした。