【朗読】アドリブ完全犯罪
概要
※本作品は島田荘司先生の『占星術殺人事件』のネタバレがあります。
語り手: kuro
語り手(かな): くろ
Twitter ID: shirokuromono96
更新日: 2024/05/23 23:23
エピソード名: アドリブ完全犯罪
小説名: アドリブ完全犯罪
作家: 雪屋 梛木(ゆきやなぎ)
Twitter ID: yukiyanagi_kaku
本編
「うわあぁぁぁっ!」
うわずった叫び声を上げ、僕は尻餅をついた。
足元まで広がる血だまりの先を震える目で追う。そこには同僚である相川(あいかわ)の変わり果てた姿があった。
首に巻き付く細い紐。歪んだ表情と、紐を掻きむしったような跡が残る首筋。きっと壮絶な最期だったのだろう。
しかし一番目を引かれたのはそこではない。
なぜか相川の腰あたりがスッパリと見事なまでに横一文字で切断されているのだ。大量の出血は言わずもがな、この切断面からであろう。
非業の死を遂げてしまった同僚を前にあぜんとしていると、ふいに廊下が騒がしくなった。誰かが僕の名前を呼ぶのが聞こえる。腹式呼吸を使った最大声量の叫び声は、雪の重みで今にも潰れそうなオンボロ木造平屋宿舎の隅々まで響き渡ってしまったらしい。
バタバタと複数の足音が近づいてくる。
僕は慌てて廊下へと這い出し、大きく腕を振った。上下ではない。左右に、である。
「だ、駄目です! いま来たら」
「おい! さっきの悲鳴……」
息をのむ音が聞こえた。
駆けてきた二人は冷たい床で赤い液体を垂れ流している相川を瞳に映した数秒後──僕と同じフルシャウトを決めていた。
ああ、だから言ったのに……。
阿鼻叫喚と化した空間で、般若のように顔を真っ赤にした大柄な男が僕の胸ぐらを掴んだ。
新人研修の指導役、石川先輩だ。大学時代ラグビーをしていたという彼は力も強く、ヒョロガリ君と揶揄(ゆや)される僕を片手で持ち上げるなど造作もない。ギリギリと僕のワイシャツで首を締め上げ、マスクもせず至近距離でがなり立ててくる。
「おい、山田! お前が殺(ヤ)ったのか!?」
「ち、違います! 僕はただ相川の様子を見に来ただけで……」
「うそつけ! お前じゃないなら誰なんだ!? これで三人目だぞ!」
「先輩、落ち着いてください!」
誰かが青筋の浮かぶ筋肉質の腕に飛びついた。
石川先輩と一緒に走ってきた、僕のもうひとりの同僚。遠藤だ。ワイシャツの上に赤のウインドブレーカーを羽織り、少し長めの前髪をサイドに流すキザな格好が似合うイケメンである。正直うらやましい。が、今はそんな事を思っている場合ではない。首が、苦しい!
「こんなときに落ち着いてられるか! こいつが相川を殺したんだ!」
「まだそうだと決まったわけでは……」
「じゃあ俺たちの他に誰かいるって言うのか!?」
言葉に詰まった遠藤を睨みつけ、先輩は大きな舌打ちをこぼした。乱暴に僕のワイシャツから指を離す。
「これ以上こんなトコにいられるか! 俺は先に帰らせてもらう!」
「帰るって……まだ雪も止んでないのにどうやって」尻餅をついて咽せる僕の背中をさすりながら、遠藤が眉尻を下げた。
「知るか! 俺は殺されるなんてごめんだ!」
止める間もなく先輩は廊下へ飛び出し、大きな足音を立てて遠ざかっていく。静寂の中、かすかにドアがバタンと閉じる振動を感じて、僕は大きく息を吐いた。廊下の壁にもたれかかる。目線の先にある窓から積もった雪の断層がよく見えた。
「……ああいうセリフが死亡フラグっていうんだ。僕はミステリー小説に詳しいから知ってる」
同じく壁にもたれかかった遠藤が堪らずといった様に小さく笑い声を上げた。
「山田君は本をよく読むのかい?」
「本を読むのは好きだよ。偏ったジャンルばかりだけど」
小学生の頃、何度も何度も紙がクタクタになるまで愛読したのは『怪人二十面相』だった。海外の大御所から国内の無名の新人まで。ひととおり制覇した今は、一周回って「じっちゃんの名にかけて」という決めゼリフを放つ作品を最初から読み返したりしている。
二歩先の部屋で起きている惨劇から目をそらすように、僕はお気に入りの小説を語った。しかし息継ぎのために一瞬口を閉じると、耳が痛くなるほどの静寂がいや応なしに襲いかかってくる。
どうしたらいいのか分からず、嫌な汗をじんわりと感じ始めた時。
それまで黙っていた遠藤がゆっくりと口を開いた。
「自分も偏ってる。ホラー小説しか読まないんだ」
「なんだよそれ」僕は床から隣にたたずむ同僚へと視線を移した。
「誰にだって現実から逃げ出したい時があるってことだよ」
女子ウケしそうな甘いマスクの高身長がキザなセリフを吐きながら湿った前髪を額にくっつけているのに気づいて、僕は少しだけ笑った。
よし、と膝をたたいて立ち上がる。
「一度状況を整理しよう。話はそこからだ」
「立ち直ってくれて嬉しい限りだ」
僕は肩をすくめポケットからスマホを取り出した。
「電波は……まだ圏外か」
「電気と暖房器具が生きてるだけで奇跡だよ。この雪ではね」
遠藤が完全に埋もれた窓をみやり、かかとで廊下をコツコツと叩いた。
有名な温泉観光地の片隅に建てられたバブル期の遺産は劣化も激しく、年に数回しか使用されておらずいつ取り壊されてもおかしくないともっぱらの噂だった。
それが人事部の気まぐれとやらで若手社員を集めて二泊三日の研修合宿を敢行……したはずが、初日から降り続いた雪は実に百年振りの降雪記録を更新し、見事に閉じ込められたという経緯である。
例年は降っても足首まで、という地域で足首どころか頭を超えて一階の屋根まで雪に閉ざされてしまえばライフラインが瀕死になるのは当然だ。今は自家発電で暖房とわずかな灯りだけは確保出来ているが、長くはもたないだろう。
運良く施設から脱出できたとしても電車など動いているはずもなく、道路の除雪車すら通る気配がない。完全にお手上げだ。
Wi-Fiや4Gすら拾えないスマホでも、現在時刻を知りたいだけなら役に立つ。ホーム画面にでかでかと表示されているデジタル時計は午後四時を示していた。
「最初に植田教官が殺されてるのを発見してから、もう十時間か……」
思い出したくもないのに、脳裏に生首がゴロリと転がった。真っ赤に染まった虚ろな瞳が僕を見ている気がして、慌てて頭を降る。
「次に横井、相川が死んだ」遠藤がシミの滲む天井を見ながら言った。「残ってるのは石川先輩と山田君、そして自分だけだ」
僕の口から「ここから無事に帰れたら、退職するって決めてるんだ」という心の声がうっかり漏れてしまったのも致し方ないことだと思う。
こんな山奥にあるオンボロ施設での研修を強行した人事部に、怒りを通り越して殺意を抱くのはきっと人として間違ってなんかいない。そういう意味では先ほど死亡フラグを立てた石川先輩だって同じく被害者なのだろう。なんせ昨日施設に着いて玄関の鍵を開けた瞬間に「早く帰りてえなぁ」と呟いていたのを僕は知っている。
それにしても、だ。
僕にはどうしても分からない事があった。
「なあ、遠藤。犯人はどうしてこんな殺し方をしたんだと思う?」
僕の問いかけに、遠藤が首をひねった。
「どういう意味?」
「だって考えてみろよ。植田教官は首、横井は上胸、最後の相川は腰をすっぱり切られてるんだ。こんな異常な殺し方するなんてよっぽど恨みでもあったんじゃないかって思うんだ」
遠藤は顎に手を当てしばらく考えていたが、やがて「案外、動機なんてないのかもしれない」と答えた。「ちょっと胴体切ってみたかっただけ、とか?」
そんな馬鹿な。
「首、胸、腰と切断箇所が下がってきてるんだから規則性もある。きっと何か意味があるはずなんだ」
そこまで言って、ふと一冊の本が脳裏をよぎった。
「まさか」という畏怖と、「もしかしたら」という好奇心がごちゃまぜになって押し寄せてくる。僕は上目がちに同僚を覗き見た。
「遠藤は……島田荘司先生の『占星術殺人事件』という本を読んだことがあるか?」
遠藤は首を横に振った。
「聞いたこと無いな」
「有名なミステリーなんだけど」と前置きをして、僕は胸ポケットからメモ帳を取り出した。
研修中は常に持っていろ、と石川先輩に言われた時代錯誤の風習がここにきて初めて役に立った。
三つの人型を書き、それぞれ首、胸、腰に線を引いていく。
「今この研修所で殺された三人の切断箇所はこれなんだけど、本ではさらにあと二人被害者がいて……」
三人の横にさらに二人分人型を追加し、足の根元と膝下にそれぞれ線を引いた。
遠藤が興味深げに紙を覗き込んでくる。
「その『なんとか殺人事件』っていう本では、死体を切断したことに何か意味があるの?」
好きな本に関心を持ってくれたことが素直に嬉しくて、僕は「もちろん」と胸を張って答えた。
「五人の遺体を切り刻んで六人に見せかけるっていうトリックなんだ。こうやって一つずつずらしていくと……ほら、欠損した遺体が六人分あるように見えるだろう?」
僕は紙に矢印を書き入れた。イメージが湧かない人はぜひ電波のある場所でインターネット検索をしてみてほしい。そしてあわよくば島田荘司先生の本も読んでみて欲しい。
僕は「この紋所が目に入らぬか」と言わんばかりにメモ帳を遠藤の鼻先へと押しつけた。
「六人分の遺体があることで、実際は五人しか死んでいないのに残った一人は死んだものとして自由に動くことが可能になるんだよ」
しばらく目をしばたいていた彼は、にわかに顔をパッと明るくし「すごい! これは見事なトリックだ!」と叫んだ。
「だろう? この『占星術殺人事件』はミステリー界隈に旋風を巻き起こした素晴らしい作品なんだよ」
「自分が普段読んでいるホラー物は、殺したら殺しっぱなしで放置が多いんだ。でもさすがミステリーは殺した後の事もちゃんと考えてる。いやぁ、これは目から鱗だよ」
僕は自然と肩を後ろに引いてあごを上げていた。誇らしい気持ちで胸がはち切れそうだ。
「まだ三人だし、偶然の一致かもしれないけれど僕は模倣犯の可能性を推すかな」
「ああ、そうだ。そうだよ。今までは何となくだったけれど、これでようやく道筋が見えてきた気がするんだ」
遠藤はメモ帳を僕の手から取り、大事にポケットへと仕舞うと満面の笑みを浮かべた。
「本当にありがとう。これで堂々とあと二人殺せるよ」
その手には、いつの間にか細い紐が握られていた。
うわずった叫び声を上げ、僕は尻餅をついた。
足元まで広がる血だまりの先を震える目で追う。そこには同僚である相川(あいかわ)の変わり果てた姿があった。
首に巻き付く細い紐。歪んだ表情と、紐を掻きむしったような跡が残る首筋。きっと壮絶な最期だったのだろう。
しかし一番目を引かれたのはそこではない。
なぜか相川の腰あたりがスッパリと見事なまでに横一文字で切断されているのだ。大量の出血は言わずもがな、この切断面からであろう。
非業の死を遂げてしまった同僚を前にあぜんとしていると、ふいに廊下が騒がしくなった。誰かが僕の名前を呼ぶのが聞こえる。腹式呼吸を使った最大声量の叫び声は、雪の重みで今にも潰れそうなオンボロ木造平屋宿舎の隅々まで響き渡ってしまったらしい。
バタバタと複数の足音が近づいてくる。
僕は慌てて廊下へと這い出し、大きく腕を振った。上下ではない。左右に、である。
「だ、駄目です! いま来たら」
「おい! さっきの悲鳴……」
息をのむ音が聞こえた。
駆けてきた二人は冷たい床で赤い液体を垂れ流している相川を瞳に映した数秒後──僕と同じフルシャウトを決めていた。
ああ、だから言ったのに……。
阿鼻叫喚と化した空間で、般若のように顔を真っ赤にした大柄な男が僕の胸ぐらを掴んだ。
新人研修の指導役、石川先輩だ。大学時代ラグビーをしていたという彼は力も強く、ヒョロガリ君と揶揄(ゆや)される僕を片手で持ち上げるなど造作もない。ギリギリと僕のワイシャツで首を締め上げ、マスクもせず至近距離でがなり立ててくる。
「おい、山田! お前が殺(ヤ)ったのか!?」
「ち、違います! 僕はただ相川の様子を見に来ただけで……」
「うそつけ! お前じゃないなら誰なんだ!? これで三人目だぞ!」
「先輩、落ち着いてください!」
誰かが青筋の浮かぶ筋肉質の腕に飛びついた。
石川先輩と一緒に走ってきた、僕のもうひとりの同僚。遠藤だ。ワイシャツの上に赤のウインドブレーカーを羽織り、少し長めの前髪をサイドに流すキザな格好が似合うイケメンである。正直うらやましい。が、今はそんな事を思っている場合ではない。首が、苦しい!
「こんなときに落ち着いてられるか! こいつが相川を殺したんだ!」
「まだそうだと決まったわけでは……」
「じゃあ俺たちの他に誰かいるって言うのか!?」
言葉に詰まった遠藤を睨みつけ、先輩は大きな舌打ちをこぼした。乱暴に僕のワイシャツから指を離す。
「これ以上こんなトコにいられるか! 俺は先に帰らせてもらう!」
「帰るって……まだ雪も止んでないのにどうやって」尻餅をついて咽せる僕の背中をさすりながら、遠藤が眉尻を下げた。
「知るか! 俺は殺されるなんてごめんだ!」
止める間もなく先輩は廊下へ飛び出し、大きな足音を立てて遠ざかっていく。静寂の中、かすかにドアがバタンと閉じる振動を感じて、僕は大きく息を吐いた。廊下の壁にもたれかかる。目線の先にある窓から積もった雪の断層がよく見えた。
「……ああいうセリフが死亡フラグっていうんだ。僕はミステリー小説に詳しいから知ってる」
同じく壁にもたれかかった遠藤が堪らずといった様に小さく笑い声を上げた。
「山田君は本をよく読むのかい?」
「本を読むのは好きだよ。偏ったジャンルばかりだけど」
小学生の頃、何度も何度も紙がクタクタになるまで愛読したのは『怪人二十面相』だった。海外の大御所から国内の無名の新人まで。ひととおり制覇した今は、一周回って「じっちゃんの名にかけて」という決めゼリフを放つ作品を最初から読み返したりしている。
二歩先の部屋で起きている惨劇から目をそらすように、僕はお気に入りの小説を語った。しかし息継ぎのために一瞬口を閉じると、耳が痛くなるほどの静寂がいや応なしに襲いかかってくる。
どうしたらいいのか分からず、嫌な汗をじんわりと感じ始めた時。
それまで黙っていた遠藤がゆっくりと口を開いた。
「自分も偏ってる。ホラー小説しか読まないんだ」
「なんだよそれ」僕は床から隣にたたずむ同僚へと視線を移した。
「誰にだって現実から逃げ出したい時があるってことだよ」
女子ウケしそうな甘いマスクの高身長がキザなセリフを吐きながら湿った前髪を額にくっつけているのに気づいて、僕は少しだけ笑った。
よし、と膝をたたいて立ち上がる。
「一度状況を整理しよう。話はそこからだ」
「立ち直ってくれて嬉しい限りだ」
僕は肩をすくめポケットからスマホを取り出した。
「電波は……まだ圏外か」
「電気と暖房器具が生きてるだけで奇跡だよ。この雪ではね」
遠藤が完全に埋もれた窓をみやり、かかとで廊下をコツコツと叩いた。
有名な温泉観光地の片隅に建てられたバブル期の遺産は劣化も激しく、年に数回しか使用されておらずいつ取り壊されてもおかしくないともっぱらの噂だった。
それが人事部の気まぐれとやらで若手社員を集めて二泊三日の研修合宿を敢行……したはずが、初日から降り続いた雪は実に百年振りの降雪記録を更新し、見事に閉じ込められたという経緯である。
例年は降っても足首まで、という地域で足首どころか頭を超えて一階の屋根まで雪に閉ざされてしまえばライフラインが瀕死になるのは当然だ。今は自家発電で暖房とわずかな灯りだけは確保出来ているが、長くはもたないだろう。
運良く施設から脱出できたとしても電車など動いているはずもなく、道路の除雪車すら通る気配がない。完全にお手上げだ。
Wi-Fiや4Gすら拾えないスマホでも、現在時刻を知りたいだけなら役に立つ。ホーム画面にでかでかと表示されているデジタル時計は午後四時を示していた。
「最初に植田教官が殺されてるのを発見してから、もう十時間か……」
思い出したくもないのに、脳裏に生首がゴロリと転がった。真っ赤に染まった虚ろな瞳が僕を見ている気がして、慌てて頭を降る。
「次に横井、相川が死んだ」遠藤がシミの滲む天井を見ながら言った。「残ってるのは石川先輩と山田君、そして自分だけだ」
僕の口から「ここから無事に帰れたら、退職するって決めてるんだ」という心の声がうっかり漏れてしまったのも致し方ないことだと思う。
こんな山奥にあるオンボロ施設での研修を強行した人事部に、怒りを通り越して殺意を抱くのはきっと人として間違ってなんかいない。そういう意味では先ほど死亡フラグを立てた石川先輩だって同じく被害者なのだろう。なんせ昨日施設に着いて玄関の鍵を開けた瞬間に「早く帰りてえなぁ」と呟いていたのを僕は知っている。
それにしても、だ。
僕にはどうしても分からない事があった。
「なあ、遠藤。犯人はどうしてこんな殺し方をしたんだと思う?」
僕の問いかけに、遠藤が首をひねった。
「どういう意味?」
「だって考えてみろよ。植田教官は首、横井は上胸、最後の相川は腰をすっぱり切られてるんだ。こんな異常な殺し方するなんてよっぽど恨みでもあったんじゃないかって思うんだ」
遠藤は顎に手を当てしばらく考えていたが、やがて「案外、動機なんてないのかもしれない」と答えた。「ちょっと胴体切ってみたかっただけ、とか?」
そんな馬鹿な。
「首、胸、腰と切断箇所が下がってきてるんだから規則性もある。きっと何か意味があるはずなんだ」
そこまで言って、ふと一冊の本が脳裏をよぎった。
「まさか」という畏怖と、「もしかしたら」という好奇心がごちゃまぜになって押し寄せてくる。僕は上目がちに同僚を覗き見た。
「遠藤は……島田荘司先生の『占星術殺人事件』という本を読んだことがあるか?」
遠藤は首を横に振った。
「聞いたこと無いな」
「有名なミステリーなんだけど」と前置きをして、僕は胸ポケットからメモ帳を取り出した。
研修中は常に持っていろ、と石川先輩に言われた時代錯誤の風習がここにきて初めて役に立った。
三つの人型を書き、それぞれ首、胸、腰に線を引いていく。
「今この研修所で殺された三人の切断箇所はこれなんだけど、本ではさらにあと二人被害者がいて……」
三人の横にさらに二人分人型を追加し、足の根元と膝下にそれぞれ線を引いた。
遠藤が興味深げに紙を覗き込んでくる。
「その『なんとか殺人事件』っていう本では、死体を切断したことに何か意味があるの?」
好きな本に関心を持ってくれたことが素直に嬉しくて、僕は「もちろん」と胸を張って答えた。
「五人の遺体を切り刻んで六人に見せかけるっていうトリックなんだ。こうやって一つずつずらしていくと……ほら、欠損した遺体が六人分あるように見えるだろう?」
僕は紙に矢印を書き入れた。イメージが湧かない人はぜひ電波のある場所でインターネット検索をしてみてほしい。そしてあわよくば島田荘司先生の本も読んでみて欲しい。
僕は「この紋所が目に入らぬか」と言わんばかりにメモ帳を遠藤の鼻先へと押しつけた。
「六人分の遺体があることで、実際は五人しか死んでいないのに残った一人は死んだものとして自由に動くことが可能になるんだよ」
しばらく目をしばたいていた彼は、にわかに顔をパッと明るくし「すごい! これは見事なトリックだ!」と叫んだ。
「だろう? この『占星術殺人事件』はミステリー界隈に旋風を巻き起こした素晴らしい作品なんだよ」
「自分が普段読んでいるホラー物は、殺したら殺しっぱなしで放置が多いんだ。でもさすがミステリーは殺した後の事もちゃんと考えてる。いやぁ、これは目から鱗だよ」
僕は自然と肩を後ろに引いてあごを上げていた。誇らしい気持ちで胸がはち切れそうだ。
「まだ三人だし、偶然の一致かもしれないけれど僕は模倣犯の可能性を推すかな」
「ああ、そうだ。そうだよ。今までは何となくだったけれど、これでようやく道筋が見えてきた気がするんだ」
遠藤はメモ帳を僕の手から取り、大事にポケットへと仕舞うと満面の笑みを浮かべた。
「本当にありがとう。これで堂々とあと二人殺せるよ」
その手には、いつの間にか細い紐が握られていた。