聴くっしょ!作品を朗読してみた~遠土 莉古・情炎~朗読:yukisige
概要
情景が目に浮かぶような作品。
女は一言も発しませんが、女の仕草がありありと…。
朗読承認ありがとうございました!
女は一言も発しませんが、女の仕草がありありと…。
朗読承認ありがとうございました!
語り手: yukisige
語り手(かな):
Twitter ID: @yukisige13
更新日: 2024/05/08 09:30
エピソード名: 情炎
小説名: 情炎
作家: 遠土 莉古
Twitter ID: to_od_
本編
本所深川に軒を連ねる店のひとつに、ごく小さな、酒を飲ませる店がある。
やもめ暮らしの大将が一人で営むその店へ、ふらりと、一人で飲みに来た女があった。
そろそろ綿入れの一枚も要りそうな暮秋《ぼしゅう》の夜。おそらくは芸妓であろうその女は、じりりと燃える灯りの油の臭いなど掻き消すほどに、始まりから酒の香を撒き散らすが如く浴びるように飲んでいく。
そうして酒だけが時間を埋めて、ときおり女の息と酒器のぶつかる音だけが合いの手を打っていた。
他に客はない。
どれだけそこで杯を重ねただろう。酒場の一角、酔い潰れた女の指先がなおも酒杯を求め卓上を這う。
が・・・やがて引き戸を開ける音に続き二人目の客が入り込む。着流しの男だった。
さほど広くもない店のことだ、見回すまでもなく女の姿は目に入る。
そうして、男は安堵とも呆れともつかぬ息を吐くのだ。
「ああ・・・・・やっぱり、此処にいた」
店の大将へと目配せし、慣れたふうな足取りで男は女の傍らへと向かう。
男の声は聞こえているだろうに、女は振り向きもしない。ただ酒杯を求める指が、小さく震えた。
「姐《ねえ》さん」
静かに、落とした声は女に届いているだろうか。
ただそっと酒器を遠ざける男の手に、縋ることはしなかった。
「姐さん止めときな、深酒《ふかざけ》は傷に障る。それになぁ姐さん、どれだけ酒に逃げたところで、時は巻き戻りゃしないんだ」
そっと、角ばった男の手が女の肩に背に触れる。
慰めるように、優しげに。
「忘れちゃあならねえよ。あんたの心底惚れたあのイロは、焔ほのおに呑まれて逝っちまった。夏の盛りの話だよ」
そっと、そっと、大切なものを包むように、男の手は女を撫でた。
柔らかな声は滲みるように、女の吐息に重ねるようにして連なる。
「あいつは、てめえで油ァかぶって、てめえで火ィつけて、てめえで三途の川を渡っていった。・・・・・あんた、見てたんだろう?」
びくりと、女の背が跳ねた。
それを宥めるように、男は女の肩を抱く。
するり、するり、撫で擦る調子はそのままに。
「皮の爆はぜる音が次々したって、あんた、言ったじゃないか・・・・・どれだけ払ってもあの人の火が消えなかったって」
それは確認。声に咎める色はなく、ただゆっくりと言い聞かせるように、男の声は優しかった。
「二人で暮らした小さな家も、着物も帯も簪かんざしも、何もかも炎が浚さらって行っちまった」
じわりと肩を抱く力が強くなる。
滲む、入り込む、絡めとり、囚とらえて離さない、声。
「・・・弱ったあいつの手元に、届いたばかりの油があったのは・・・とんだ不運だったのかも知れねぇなあ・・・」
僅かに間の空いた男の声を追うように、堪えきれない嗚咽が女の唇から溢れた。
「ああ、姐さん、泣かなくっていいんだよ」
温かな声と共に男は女を緩く抱き寄せた。安心させるように背を擦る手はあくまでも優しい。
「さ、うちに帰ろう。このまえ頼んでおいた、新しい黒留めと玉簪《たまかんざし》が届く頃合いだ。きっとあんたによく似合う」
言いながら女の立ち上がるのに手を貸すと、己の隣で歩み出させる。男にとっては、造作もないこと。
「ほら掴まってな、そのまま寄り掛かっててくれりゃあいい。あんたはなんにも心配するこたぁねえ・・・なあ、姐さん」
嗚咽を漏らしながらも女は幾度も首肯していた。後悔も、愛念も、焔の向こうに押しやって振り切るように。
やがて男は女を抱えるように連れ、引き戸を開け夜の道を歩み出す。
口の端を僅かに上げていたその様を、店主の目は映したかどうか・・・・。
やもめ暮らしの大将が一人で営むその店へ、ふらりと、一人で飲みに来た女があった。
そろそろ綿入れの一枚も要りそうな暮秋《ぼしゅう》の夜。おそらくは芸妓であろうその女は、じりりと燃える灯りの油の臭いなど掻き消すほどに、始まりから酒の香を撒き散らすが如く浴びるように飲んでいく。
そうして酒だけが時間を埋めて、ときおり女の息と酒器のぶつかる音だけが合いの手を打っていた。
他に客はない。
どれだけそこで杯を重ねただろう。酒場の一角、酔い潰れた女の指先がなおも酒杯を求め卓上を這う。
が・・・やがて引き戸を開ける音に続き二人目の客が入り込む。着流しの男だった。
さほど広くもない店のことだ、見回すまでもなく女の姿は目に入る。
そうして、男は安堵とも呆れともつかぬ息を吐くのだ。
「ああ・・・・・やっぱり、此処にいた」
店の大将へと目配せし、慣れたふうな足取りで男は女の傍らへと向かう。
男の声は聞こえているだろうに、女は振り向きもしない。ただ酒杯を求める指が、小さく震えた。
「姐《ねえ》さん」
静かに、落とした声は女に届いているだろうか。
ただそっと酒器を遠ざける男の手に、縋ることはしなかった。
「姐さん止めときな、深酒《ふかざけ》は傷に障る。それになぁ姐さん、どれだけ酒に逃げたところで、時は巻き戻りゃしないんだ」
そっと、角ばった男の手が女の肩に背に触れる。
慰めるように、優しげに。
「忘れちゃあならねえよ。あんたの心底惚れたあのイロは、焔ほのおに呑まれて逝っちまった。夏の盛りの話だよ」
そっと、そっと、大切なものを包むように、男の手は女を撫でた。
柔らかな声は滲みるように、女の吐息に重ねるようにして連なる。
「あいつは、てめえで油ァかぶって、てめえで火ィつけて、てめえで三途の川を渡っていった。・・・・・あんた、見てたんだろう?」
びくりと、女の背が跳ねた。
それを宥めるように、男は女の肩を抱く。
するり、するり、撫で擦る調子はそのままに。
「皮の爆はぜる音が次々したって、あんた、言ったじゃないか・・・・・どれだけ払ってもあの人の火が消えなかったって」
それは確認。声に咎める色はなく、ただゆっくりと言い聞かせるように、男の声は優しかった。
「二人で暮らした小さな家も、着物も帯も簪かんざしも、何もかも炎が浚さらって行っちまった」
じわりと肩を抱く力が強くなる。
滲む、入り込む、絡めとり、囚とらえて離さない、声。
「・・・弱ったあいつの手元に、届いたばかりの油があったのは・・・とんだ不運だったのかも知れねぇなあ・・・」
僅かに間の空いた男の声を追うように、堪えきれない嗚咽が女の唇から溢れた。
「ああ、姐さん、泣かなくっていいんだよ」
温かな声と共に男は女を緩く抱き寄せた。安心させるように背を擦る手はあくまでも優しい。
「さ、うちに帰ろう。このまえ頼んでおいた、新しい黒留めと玉簪《たまかんざし》が届く頃合いだ。きっとあんたによく似合う」
言いながら女の立ち上がるのに手を貸すと、己の隣で歩み出させる。男にとっては、造作もないこと。
「ほら掴まってな、そのまま寄り掛かっててくれりゃあいい。あんたはなんにも心配するこたぁねえ・・・なあ、姐さん」
嗚咽を漏らしながらも女は幾度も首肯していた。後悔も、愛念も、焔の向こうに押しやって振り切るように。
やがて男は女を抱えるように連れ、引き戸を開け夜の道を歩み出す。
口の端を僅かに上げていたその様を、店主の目は映したかどうか・・・・。