【しょっぱいおにぎり】 作:紫月音湖 様 朗読:水乃樹 純
概要
紫月音湖 様 の作品「しょっぱいおにぎり」を読ませて頂きました。
こころのフレームに残されたあざやかにもえる黄色は永遠に色あせない。
おにぎりの米寿、おそろいの白寿、雲の上の白も。恋が愛に昇華する瞬間を
感じさせて頂けました。
紫月音湖様、これからも素敵な作品を楽しみにしております。ぜひまた朗読の機会を頂ければと存じます。
ありがとうございました!
こころのフレームに残されたあざやかにもえる黄色は永遠に色あせない。
おにぎりの米寿、おそろいの白寿、雲の上の白も。恋が愛に昇華する瞬間を
感じさせて頂けました。
紫月音湖様、これからも素敵な作品を楽しみにしております。ぜひまた朗読の機会を頂ければと存じます。
ありがとうございました!
語り手: 水乃樹 純
語り手(かな): みずのき じゅん
Twitter ID: jun_mizunoki
更新日: 2023/12/02 12:34
エピソード名: しょっぱいおにぎり
小説名: しょっぱいおにぎり
作家: 紫月音湖(旧HN/月音)
Twitter ID: saigonotukikara
本編
『黄色い服を着てね、一緒にあの河原へお散歩に行きましょうよ』
そう言ってあんまりにもあどけない笑顔を向けるから、私は思わず頷いてしまったじゃないか。
昔から、君の笑顔には弱いんだ。
同じ時間だけ同じように歳を取って、すっかり腰が曲がってしまっても。
皺だらけの顔に浮かぶ笑顔は出会った時と変わらずに、あたたかくて優しいままだ。それを素直にかわいいとは言えなかったけど、何だか君にはとうの昔にバレていたような気がするよ。
『あなたのお誕生日には、ちょうど菜の花が綺麗に咲いていると思うのよ。それを眺めながら、一緒におにぎりを食べましょう。中にはもちろん、あなたの好きなしそ昆布を入れてあげますから。ピクニックみたいで、きっと楽しいわ』
少し前まで雪が降っていたというのに、季節の移ろいは早いものだ。風はもうあたたかくて、少し歩くだけで体にじわりと汗をかく。上着を一枚脱ごうかとも思ったけれど、水辺の風は思ったよりも涼しくて、土手に座る私の体をやんわりと冷やしてくれた。
本音を言えば、外に出るのが億劫だった。
けれどもそよそよと吹き抜ける風はやわらかく、晴れ渡った青空は眩しすぎるでもなく心地良い。目を閉じて深呼吸をすれば鬱々とした澱《おり》を吹き飛ばして、代わりにやさしい春の匂いだけが心の底に静かに残る。
黄色い服をひとりで着るには恥ずかしくて結局いつもの服になってしまったが、河原の土手にはいっぱいの菜の花が咲いているからそれでいいだろう。散歩の約束は果たしたのだから、きっと君も許してくれるはずだ。
しそ昆布がどこにあるか分からなくて、おにぎりもただの塩むすびになったけれど、はじめて握ったにしてはちゃんと丸くなっている。あぁ、でも君が作ってくれるおにぎりは、いつも綺麗な三角だったな……と、そんなことを思い出せば、また少しだけ心の中に澱が溜まった。
『米寿ってお米って書くでしょう? だから88歳の誕生日には、私がおにぎりでお祝いしてあげますからね。白寿の祝いには白い服を着て……って、あらやだ。それじゃあまるで死装束みたいだわ。ふふ、ごめんなさい。でも一緒に逝けるのなら、それはそれで幸せなことかもしれませんね』
そう言った本人が真っ先に約束を破ってどうするんだ。
あぁ、でも君は最期まで笑っていて……。
君の笑顔が大好きな私は、結局君を許すしかなかったんだ。
『黄色い服を着てね、一緒にあの河原へお散歩に行きましょうよ』
君のようにやさしく吹く風が、しあわせ色の菜の花をそよそよと揺らしていく。
塩はほんのちょっぴりしかつけなかったはずなのに、冷たいおにぎりはなぜかとてもしょっぱくて――。
次はちゃんと、しそ昆布を入れてこようと思った。
そう言ってあんまりにもあどけない笑顔を向けるから、私は思わず頷いてしまったじゃないか。
昔から、君の笑顔には弱いんだ。
同じ時間だけ同じように歳を取って、すっかり腰が曲がってしまっても。
皺だらけの顔に浮かぶ笑顔は出会った時と変わらずに、あたたかくて優しいままだ。それを素直にかわいいとは言えなかったけど、何だか君にはとうの昔にバレていたような気がするよ。
『あなたのお誕生日には、ちょうど菜の花が綺麗に咲いていると思うのよ。それを眺めながら、一緒におにぎりを食べましょう。中にはもちろん、あなたの好きなしそ昆布を入れてあげますから。ピクニックみたいで、きっと楽しいわ』
少し前まで雪が降っていたというのに、季節の移ろいは早いものだ。風はもうあたたかくて、少し歩くだけで体にじわりと汗をかく。上着を一枚脱ごうかとも思ったけれど、水辺の風は思ったよりも涼しくて、土手に座る私の体をやんわりと冷やしてくれた。
本音を言えば、外に出るのが億劫だった。
けれどもそよそよと吹き抜ける風はやわらかく、晴れ渡った青空は眩しすぎるでもなく心地良い。目を閉じて深呼吸をすれば鬱々とした澱《おり》を吹き飛ばして、代わりにやさしい春の匂いだけが心の底に静かに残る。
黄色い服をひとりで着るには恥ずかしくて結局いつもの服になってしまったが、河原の土手にはいっぱいの菜の花が咲いているからそれでいいだろう。散歩の約束は果たしたのだから、きっと君も許してくれるはずだ。
しそ昆布がどこにあるか分からなくて、おにぎりもただの塩むすびになったけれど、はじめて握ったにしてはちゃんと丸くなっている。あぁ、でも君が作ってくれるおにぎりは、いつも綺麗な三角だったな……と、そんなことを思い出せば、また少しだけ心の中に澱が溜まった。
『米寿ってお米って書くでしょう? だから88歳の誕生日には、私がおにぎりでお祝いしてあげますからね。白寿の祝いには白い服を着て……って、あらやだ。それじゃあまるで死装束みたいだわ。ふふ、ごめんなさい。でも一緒に逝けるのなら、それはそれで幸せなことかもしれませんね』
そう言った本人が真っ先に約束を破ってどうするんだ。
あぁ、でも君は最期まで笑っていて……。
君の笑顔が大好きな私は、結局君を許すしかなかったんだ。
『黄色い服を着てね、一緒にあの河原へお散歩に行きましょうよ』
君のようにやさしく吹く風が、しあわせ色の菜の花をそよそよと揺らしていく。
塩はほんのちょっぴりしかつけなかったはずなのに、冷たいおにぎりはなぜかとてもしょっぱくて――。
次はちゃんと、しそ昆布を入れてこようと思った。