【朗読】雨を泳ぐクジラ

概要

優しく神秘的な雰囲気にやられてしまいました。
夏の大きな雲を見るのが、また楽しくなりそうです。

語り手: kuro
語り手(かな): くろ

Twitter ID: shirokuromono96
更新日: 2023/08/20 17:12

エピソード名: 雨を泳ぐクジラ

小説名: 雨を泳ぐクジラ
作家: トガシテツヤ
Twitter ID: Togashi_Design


本編

 もう1週間、雨が降り続いている。僕は自分の部屋からずっと空を見上げていた。

 こんな日は、つい探してしまうんだ。

 ――クジラを。

 あれは小学2年生の時。ある土砂降りの日、学校から帰って2階の自分の部屋で宿題をしていると、雨がゴーゴーと降る音に混じって、何か聞こえた気がした。

 ――何だろう。

 不思議に思い、窓を開けて日が沈んだ夕闇の空を見ると、突然雨が止んだ。いや、正確に言うと、雨が僕の顔の周りを|避《よ》けて降っていた。「あれ?」と思った瞬間、空からゆっくりと巨大な「何か」が降りてきた。それがクジラだと分かっても、全然驚かなかった。僕の方に近付いてきたクジラは、大きな体に似合わない小さな目で僕を見つめた。

「聞こえるー?」

 頭の中に声が響いた。僕も頭の中で答える。

「えーっと……クジラさんが喋ってるの?」
「僕は喋れないから、|思念《しねん》を送ってるんだよー」

 言っていることはよく分からないけど、とりあえず言葉が通じるのは分かった。

「クジラさんは空も飛べるの?」
「飛んでるんじゃないよー。泳いでるんだよー」

 なぜか僕は「へぇ」と納得した。あまりにも理解できない状況に、多分「考える」というスイッチが切れていたんだと思う。

「これから海へ帰るの?」
「そうだよー! あんまり雨の中を泳いでいると、風邪ひいちゃうからねー」
「ええ? 海の中の方がよっぽど冷たいと思うけどなぁ」
「海の中って意外と|温《あった》かいんだよー」

 クジラが風邪をひくなんて、人間と同じみたいでちょっと面白いと思った。

「もう行くねー」
「また会える?」
「分かんなーい」

 クジラは大きく胸ビレを羽ばたかせて、またゆっくりと空へ昇って行った。

 そのあとすぐに、雨は止んだ。

 このことは誰にも言っていない。言ったところで誰も信じないだろうし、何より、僕自身、あれは夢だったんじゃないかと思っている。きっと、絵本とかテレビで見たこととか、いろいろなものが記憶の中でごちゃ混ぜになったんだろう。

 僕は窓を閉めて、すっかり暗くなった部屋の中をしばらく見つめた。

 ――久しぶりだねー。

 頭の中に声が響いた。あの時と同じように……。

 ――待ちくたびれたよ。

 声に出して呟いた。
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