【ねこのおんがえし】 作:ながる 様
概要
ある晩、夜中に起こされた俺は猫からふざけた会員カードをもらう。それを持っていると、助けてほしい時に猫が呼べる、らしい。
ながる様の「ねこのおんがえし」を朗読させて頂きました。「オン」は「おん」でも「オン違い」。違えばよだつ「オン知らず」。
★ながる様、これからの季節にふさわしい、恐怖掌編をありがとうございます。夜道で気づいたら視線を感じることがあるのかもしれません。
また朗読の機会を頂ければ幸いです。これからも素敵な作品を楽しみにております。ありがとうございました。
ながる様の「ねこのおんがえし」を朗読させて頂きました。「オン」は「おん」でも「オン違い」。違えばよだつ「オン知らず」。
★ながる様、これからの季節にふさわしい、恐怖掌編をありがとうございます。夜道で気づいたら視線を感じることがあるのかもしれません。
また朗読の機会を頂ければ幸いです。これからも素敵な作品を楽しみにております。ありがとうございました。
語り手: 水乃樹 純
語り手(かな): みずのき じゅん
Twitter ID: jun_mizunoki
更新日: 2023/08/26 04:49
エピソード名: ねこのおんがえし
小説名: ねこのおんがえし
作家: ながる
Twitter ID: @nagal_narou
本編
夜中にぴたぴたと頬にぶつかるものがある。
柔らかで弾力があり、少し冷たい。
寝ぼけた頭でなんだよと手で払えば、柔らかな毛が指先に触れた。
「おきてくださーい」
能天気な調子に、まだ夢の中かと眉を顰める。枕元に何かいるのは判ったのだが、俺はスマホに手を伸ばした。
02:22。
暗いはずだ。
改めて枕元にうずくまる影に目を向ける。幽霊の類だったら殴ってやろうとこぶしを握った。
「よろしいですか? あたま、はたらいてます? だいじょうぶですね? えーと……」
ぴこっと耳を震わせて、黒っぽい猫はそこだけ白い胸元へ手をやった。
あたかもスーツの内ポケットから出すような仕草でカードを取り出している。
何度か瞬いて、目をこすって、やっぱり夢だなと思考を放棄した。
「はい。こちら、おとどけにあがりました」
名刺大のカードは、状況を把握できない俺の少し開いた口に差し込まれる。
「わたくしたち、このたび、かいしゃをつくりたいと、おもいまして。もにたーとして、おきゃくさまに、さんかしていただきたく。ええ。はい。おっしゃらなくとも、わかります。『きゃっち・あい』という、いってみれば、おんのごじょかい、みたいなものです」
恩の互助会?
ますますわからなくて首を傾げる。
「わからないのも、むりはございません。ときに、あなたさまは、せんじつ、ねこをたすけましたね?」
そういえばと思い出す。どこからか側溝に落ちて出られなくなっていた子猫を、蓋を持ち上げて出してやった。すぐに飼い主だという男が現れたので手渡すと、嬉しそうに何度もお礼を言われた。
「こころあたりがありそうで、なによりです。それで、そうしたおんを、わたくしどもが、かいとって、だいりのものが、かえしていこうという、えー、そういうかんじです」
ちょいちょいと手の先で振れたカードが唇に振動を伝える。
「これが、かいいんかーどになります。これをもっているひとは、たすけてほしいなー、ということがあるときに、ねこをよべます」
猫。
「おんのおおきさによって、よべるかいすうに、さがあります。まだおんがのこっているうちに、あらたにおんをかければ、ねこをよべるかいすうは、ふえます。よくかんがえて、うまくおつかいください」
では、と、その猫はベッドから降りて、闇へと紛れていった。
なんなんだと起き出して電気をつけてみる。手にしたカードには黒い猫の顔のシルエットに片目だけが黄色で書いてあった。右の余白には赤い字で『きゃっち(肉球マーク)あい』と子供が書いたような字で書いてある。まるで古いアニメに出てきた予告状のパチモンみたいだ。
部屋には猫の姿はない。起き出して家の中をあちこち探してみたけれど、もう気配も感じなかった。どこから入ってきたのだろう。ここはマンションの五階だというのに。
明日も仕事だ。深く考えるのをやめて、テーブルの上にカードを放ると、俺は布団に戻ったのだった。
*
なんだか変な夢を見たなと寝坊気味に起きた朝、テーブルの上にそのカードはまだあって、夢じゃなかったのかと、しばし固まる。
猫を呼んで、何がしてもらえるというのだろう?
心の中で首を傾げたまま、とりあえず財布にそれをしまって家を出た。
電車はぎゅうぎゅう、スマホは家に忘れてきた。仕事だけは途切れなくて、猫の手も借りたい。
呼ぶか?
昼も食べ損ねておやつの時間、糖分が足りないのか、そんなことが頭をよぎる。頭をひとつ振って、甘い缶コーヒーを買いに立ち上がるだけの冷静さは残ってた。猫にキーボードを叩かせる勇気はない。
小銭が無くて札を入れる。じゃらじゃらと戻ってきたコインを釣銭口から取り出そうとして、何枚か落としてしまった。
「あっ……」
綺麗にカーブを描いて転がった銀色の1枚が、自販機の下に潜り込んでいく。
「うぉっ。ちょ、百円!」
床に這いつくばるようにして下を覗くも、暗くて見えない。なんで俺は三台並んだ真ん中の自販機で買ったんだ!
手前の部分にも綿ぼこりがもこもこと見えるそこに、手を突っ込む勇気が出てこない。今日はついてない。諦めるかと身体を起こした時、茶トラの子猫が、ちょこんとそこに座っているのに気が付いた。じっと俺を見上げている。
しばし見つめ合い、俺はまさかなと思いつつ、指差した。
「とってくれる?」
ゆらり、と尻尾を揺らして、子猫はみゃあと小さく鳴いた。
そのままちょこちょこと自販機に近寄ると、ずいずいと狭い隙間に潜り込んでいく。すぐに百円がはじき出された。
「お。ありが……」
礼を口に登らせる前に、百円や十円が次々と転がり出てきた。十枚まではないだろうか。しばらく呆気に取られていたけれど、子猫はもうそこから出てこなかった。覗いてみても、姿は見えない。
まあ、助かったし、と小銭を拾い集める。
側溝から出してやった恩というのは、これと同等だろうか?
余計なことを考えていて、取り出し口からコーヒーを取り忘れたのは、ご愛敬だ。
風に飛ばされた、受けた電話の内容をメモした紙。失くしたと思っていたボールペン。どこに入れたか覚えてない家の鍵。猫たちはどこからか現れ、瞬く間に探し出してくれた。
もういいかな。そう思ってた矢先、側溝の猫の飼い主が、ビニール袋にたくさん猫缶を持って公園に入って行くところを目撃した。仕事帰りで辺りは暗い。何気なく目で追っていると、茂みの辺りに猫缶を開けて置いている。
「何してるんですか?」
「わ。びっくりした。あ。あなたは……いや、妙なところを……」
少し照れたように頭を掻いて、その男性は、野良猫を保護して里親を探すボランティア団体に協力しているのだと言った。
ふぅん、と相槌を打ちながら、むくむくと欲が湧いてきた。これは、恩が稼げるのでは? と。
「手伝いますよ」
自然と口をついていた。
それから月に一回程度、野良猫を捕まえる手伝いをした。
何匹かは男自らが飼っているようなことも聞いた。男があんまり嬉しそうだから、猫たちも幸せだろうと俺も笑顔になった。
公園で子供たちが枝に引っ掛けたバドミントンの羽を取ったり、寒い夜に一緒に布団に入ったり。競馬の予想が当たった時は高級な缶詰を買って、男に土産に持たせたりもした。
カードをもらってから、半年以上は過ぎていただろうか。捕まる野良猫がいなくなって、しばらく男とも顔を合わせていないなと、缶詰の焼き鳥を肴にビールを飲みながら思い出していた。
ドラマが終わって、夜のニュースに切り替わるのを何となく眺めていて、ふと、視線を感じた。
振り返ると一匹の猫。黒い毛で、胸元だけ白い毛のある猫。
どこかで見たかなと思い出そうとして、目の端に別の猫を捉える。え、と右に左に視線を移すたび、猫が増えていく。
何だ? 呼んでない。
思わず立ち上がって、数歩後退った。
「――近所の住人の通報により、この家に住む自称団体職員、×× ××が、逮捕されました。この男の家からは、刃物で切られたような猫の死体が多数見つかっており、住む場所を移しながら犯行を繰り返していた疑いがもたれています。保護団体に預ける名目で野良猫を集め、何匹かを手元に残していたとみられ、警察は余罪を追及しています」
どこかで聞いたことがあるような話をキャスターがしている。でも、上手く頭に入ってこなかった。
「何だよ……呼んでないぞ」
「あなた、おんをかいましたね?」
「は?」
じり、と下がった分だけにじり寄る猫たちからまた下がる。家の中なのに、猫がひしめいている。白い胸毛の言うことが、よくわからない。
「ですので、とどけにまいりました」
「俺は……何もっ……!」
ほんの少し、欲は出したけれど。
背中で、かしゃんと音がする。ちらと振り返れば、器用にベランダの窓の鍵が開けられていた。猫たちが、集まって窓を開けている。少し隙間が開けば、あとはするすると全開になった。
威嚇されているわけでもないのに、冷めた瞳の数々に追い込まれていく。
ベランダに出て、柵に背が当たり、それ以上下がれなくなると、猫たちは手すりに乗って、襟首や肩を咥えて引っ張り上げようとした。
どこにそんな力があるのか、体が浮いていく。
「や……やめ……」
家の中、しゃべる猫が俺の財布からあのカードを抜いているのが見えた。
こちらを向いて、金の瞳を眇める。
体が柵を越える。猫も何匹か一緒に落ちる。くるりと体勢を変えるそのしなやかさに目を奪われたのは、一瞬だった。
「|怨《おん》を、買ったんですよ」
地面に衝突する瞬間、何かが耳元でそう囁いた。
柔らかで弾力があり、少し冷たい。
寝ぼけた頭でなんだよと手で払えば、柔らかな毛が指先に触れた。
「おきてくださーい」
能天気な調子に、まだ夢の中かと眉を顰める。枕元に何かいるのは判ったのだが、俺はスマホに手を伸ばした。
02:22。
暗いはずだ。
改めて枕元にうずくまる影に目を向ける。幽霊の類だったら殴ってやろうとこぶしを握った。
「よろしいですか? あたま、はたらいてます? だいじょうぶですね? えーと……」
ぴこっと耳を震わせて、黒っぽい猫はそこだけ白い胸元へ手をやった。
あたかもスーツの内ポケットから出すような仕草でカードを取り出している。
何度か瞬いて、目をこすって、やっぱり夢だなと思考を放棄した。
「はい。こちら、おとどけにあがりました」
名刺大のカードは、状況を把握できない俺の少し開いた口に差し込まれる。
「わたくしたち、このたび、かいしゃをつくりたいと、おもいまして。もにたーとして、おきゃくさまに、さんかしていただきたく。ええ。はい。おっしゃらなくとも、わかります。『きゃっち・あい』という、いってみれば、おんのごじょかい、みたいなものです」
恩の互助会?
ますますわからなくて首を傾げる。
「わからないのも、むりはございません。ときに、あなたさまは、せんじつ、ねこをたすけましたね?」
そういえばと思い出す。どこからか側溝に落ちて出られなくなっていた子猫を、蓋を持ち上げて出してやった。すぐに飼い主だという男が現れたので手渡すと、嬉しそうに何度もお礼を言われた。
「こころあたりがありそうで、なによりです。それで、そうしたおんを、わたくしどもが、かいとって、だいりのものが、かえしていこうという、えー、そういうかんじです」
ちょいちょいと手の先で振れたカードが唇に振動を伝える。
「これが、かいいんかーどになります。これをもっているひとは、たすけてほしいなー、ということがあるときに、ねこをよべます」
猫。
「おんのおおきさによって、よべるかいすうに、さがあります。まだおんがのこっているうちに、あらたにおんをかければ、ねこをよべるかいすうは、ふえます。よくかんがえて、うまくおつかいください」
では、と、その猫はベッドから降りて、闇へと紛れていった。
なんなんだと起き出して電気をつけてみる。手にしたカードには黒い猫の顔のシルエットに片目だけが黄色で書いてあった。右の余白には赤い字で『きゃっち(肉球マーク)あい』と子供が書いたような字で書いてある。まるで古いアニメに出てきた予告状のパチモンみたいだ。
部屋には猫の姿はない。起き出して家の中をあちこち探してみたけれど、もう気配も感じなかった。どこから入ってきたのだろう。ここはマンションの五階だというのに。
明日も仕事だ。深く考えるのをやめて、テーブルの上にカードを放ると、俺は布団に戻ったのだった。
*
なんだか変な夢を見たなと寝坊気味に起きた朝、テーブルの上にそのカードはまだあって、夢じゃなかったのかと、しばし固まる。
猫を呼んで、何がしてもらえるというのだろう?
心の中で首を傾げたまま、とりあえず財布にそれをしまって家を出た。
電車はぎゅうぎゅう、スマホは家に忘れてきた。仕事だけは途切れなくて、猫の手も借りたい。
呼ぶか?
昼も食べ損ねておやつの時間、糖分が足りないのか、そんなことが頭をよぎる。頭をひとつ振って、甘い缶コーヒーを買いに立ち上がるだけの冷静さは残ってた。猫にキーボードを叩かせる勇気はない。
小銭が無くて札を入れる。じゃらじゃらと戻ってきたコインを釣銭口から取り出そうとして、何枚か落としてしまった。
「あっ……」
綺麗にカーブを描いて転がった銀色の1枚が、自販機の下に潜り込んでいく。
「うぉっ。ちょ、百円!」
床に這いつくばるようにして下を覗くも、暗くて見えない。なんで俺は三台並んだ真ん中の自販機で買ったんだ!
手前の部分にも綿ぼこりがもこもこと見えるそこに、手を突っ込む勇気が出てこない。今日はついてない。諦めるかと身体を起こした時、茶トラの子猫が、ちょこんとそこに座っているのに気が付いた。じっと俺を見上げている。
しばし見つめ合い、俺はまさかなと思いつつ、指差した。
「とってくれる?」
ゆらり、と尻尾を揺らして、子猫はみゃあと小さく鳴いた。
そのままちょこちょこと自販機に近寄ると、ずいずいと狭い隙間に潜り込んでいく。すぐに百円がはじき出された。
「お。ありが……」
礼を口に登らせる前に、百円や十円が次々と転がり出てきた。十枚まではないだろうか。しばらく呆気に取られていたけれど、子猫はもうそこから出てこなかった。覗いてみても、姿は見えない。
まあ、助かったし、と小銭を拾い集める。
側溝から出してやった恩というのは、これと同等だろうか?
余計なことを考えていて、取り出し口からコーヒーを取り忘れたのは、ご愛敬だ。
風に飛ばされた、受けた電話の内容をメモした紙。失くしたと思っていたボールペン。どこに入れたか覚えてない家の鍵。猫たちはどこからか現れ、瞬く間に探し出してくれた。
もういいかな。そう思ってた矢先、側溝の猫の飼い主が、ビニール袋にたくさん猫缶を持って公園に入って行くところを目撃した。仕事帰りで辺りは暗い。何気なく目で追っていると、茂みの辺りに猫缶を開けて置いている。
「何してるんですか?」
「わ。びっくりした。あ。あなたは……いや、妙なところを……」
少し照れたように頭を掻いて、その男性は、野良猫を保護して里親を探すボランティア団体に協力しているのだと言った。
ふぅん、と相槌を打ちながら、むくむくと欲が湧いてきた。これは、恩が稼げるのでは? と。
「手伝いますよ」
自然と口をついていた。
それから月に一回程度、野良猫を捕まえる手伝いをした。
何匹かは男自らが飼っているようなことも聞いた。男があんまり嬉しそうだから、猫たちも幸せだろうと俺も笑顔になった。
公園で子供たちが枝に引っ掛けたバドミントンの羽を取ったり、寒い夜に一緒に布団に入ったり。競馬の予想が当たった時は高級な缶詰を買って、男に土産に持たせたりもした。
カードをもらってから、半年以上は過ぎていただろうか。捕まる野良猫がいなくなって、しばらく男とも顔を合わせていないなと、缶詰の焼き鳥を肴にビールを飲みながら思い出していた。
ドラマが終わって、夜のニュースに切り替わるのを何となく眺めていて、ふと、視線を感じた。
振り返ると一匹の猫。黒い毛で、胸元だけ白い毛のある猫。
どこかで見たかなと思い出そうとして、目の端に別の猫を捉える。え、と右に左に視線を移すたび、猫が増えていく。
何だ? 呼んでない。
思わず立ち上がって、数歩後退った。
「――近所の住人の通報により、この家に住む自称団体職員、×× ××が、逮捕されました。この男の家からは、刃物で切られたような猫の死体が多数見つかっており、住む場所を移しながら犯行を繰り返していた疑いがもたれています。保護団体に預ける名目で野良猫を集め、何匹かを手元に残していたとみられ、警察は余罪を追及しています」
どこかで聞いたことがあるような話をキャスターがしている。でも、上手く頭に入ってこなかった。
「何だよ……呼んでないぞ」
「あなた、おんをかいましたね?」
「は?」
じり、と下がった分だけにじり寄る猫たちからまた下がる。家の中なのに、猫がひしめいている。白い胸毛の言うことが、よくわからない。
「ですので、とどけにまいりました」
「俺は……何もっ……!」
ほんの少し、欲は出したけれど。
背中で、かしゃんと音がする。ちらと振り返れば、器用にベランダの窓の鍵が開けられていた。猫たちが、集まって窓を開けている。少し隙間が開けば、あとはするすると全開になった。
威嚇されているわけでもないのに、冷めた瞳の数々に追い込まれていく。
ベランダに出て、柵に背が当たり、それ以上下がれなくなると、猫たちは手すりに乗って、襟首や肩を咥えて引っ張り上げようとした。
どこにそんな力があるのか、体が浮いていく。
「や……やめ……」
家の中、しゃべる猫が俺の財布からあのカードを抜いているのが見えた。
こちらを向いて、金の瞳を眇める。
体が柵を越える。猫も何匹か一緒に落ちる。くるりと体勢を変えるそのしなやかさに目を奪われたのは、一瞬だった。
「|怨《おん》を、買ったんですよ」
地面に衝突する瞬間、何かが耳元でそう囁いた。