小説朗読『氷のマニキュア』

概要

マニキュアを塗る彼女に言った、余計な一言。
なぜ男は、言わなくていいことをわざわざ口にしてしまうのか。
(小説概要より)

作者:トガシテツヤ様
https://kikusyo.com/novels/221


ご許可いただきありがとうございました。

語り手: やちか
語り手(かな):

Twitter ID: yachikach
更新日: 2023/06/02 21:46

エピソード名: 氷のマニキュア

小説名: 氷のマニキュア
作家: トガシテツヤ
Twitter ID: Togashi_Design


本編

 椅子に座り、彼女が背中を丸めて手の爪に色を塗っている。後頭部、肩、そして背中へと続く緩やかな曲線が綺麗で、僕は思わず見とれた。
 見とれるだけにしておけばよかったのに、つい、余計なことを言う。

「なんで女の人はわざわざ爪に色を塗るんだか」

 その瞬間、彼女の動きがピタリと止まり、空気が一瞬にしてピリッと張り詰めた。「しまった……」と思った時にはもう遅い。
 女の人が爪に色を塗ることに疑問を感じる以前に、なぜ男は言わなくていいことをわざわざ口にしてしまうのか。そっちに疑問を持った方がいい。

 彼女の横顔が見る見る険しくなるのを、気づかないフリをして、僕はソファにどっかりと腰掛け、見たくもないテレビに視線を向ける。10代のようなケンカはしないが、「ゴメン」と謝るほどでもない。実は、この雰囲気が一番マズい。

 チラッと横目で彼女を見ると、彼女は僕に背中を向けた。まるで「あなたの隣には行かない」という意思表示のように。

「買い物に行って来るよ」と、逃げるように家を出ようとすると、「行ってらっしゃい」と、背中を向けたままの彼女が言う。「私も行く」なんて言葉は期待していなかったが、さすがに全く感情の入っていない「行ってらっしゃい」を聞くと、思っている以上に事態は深刻だと自覚する。

 夕食で何とかこの事態を打開しようと思っていたが、僕の料理のレパートリーなんてたかが知れている。かと言って、お惣菜や冷凍食品に頼るのは、小さなプライドが許さない。答えが出ないまま、回遊魚のようにぐるぐるとスーパーの中を回る。
 3周目に入った時、ふと、店内の隅のケーキコーナーが目に入った。

 ――この手があった!

 ようやく回遊魚から人間へ戻った僕は、ケーキコーナーへと走る。考えてみれば、彼女のケーキの好みを、僕は知らなかった。
「ダメな奴だな」、そう思いながら、彼女にメッセージを送る。

「ケーキ買うけど、何がいい?」
「甘いものを買えば、女はみんな喜ぶと思ってる?」
「思ってるよ」

 少しして、「全部」という返信が来た。

 ――何だよ、全部って……

 心の中で文句を言いながら、店員さんに「ショートケーキ、チョコレートケーキ、モンブラン、2つずつください」と言った瞬間、「ピコン」とメッセージの通知音が鳴る。

「今日の夕食、私が作るから」

 僕は慌てて「あの……レアチーズケーキも追加で!」と叫んだ。

 次からは気を付けないと。

 彼女が、氷のマニキュアを塗らないように。
2