【朗読】貯良箱
概要
荒唐無稽な話でもたまには信じてみてもいいんじゃない?
承認いただいてからずいぶん時間がかかってしまいすみません…!
素敵な作品を読ませていただきありがとうございました!
承認いただいてからずいぶん時間がかかってしまいすみません…!
素敵な作品を読ませていただきありがとうございました!
語り手: kuro
語り手(かな): くろ
Twitter ID: shirokuromono96
更新日: 2023/06/02 21:46
エピソード名: 貯良箱
小説名: 貯良箱
作家: 井野ウエ
Twitter ID: ino_ue_
本編
大学生の一人暮らしはなかなかいいものだ。四年間仲間とわちゃわちゃ楽しんで、勉強も好きな分野をそれなりにして、バイトで程よくお金稼いで、好きなものを買って、趣味に没頭して。
誰かが大学生活を人生の夏休みと言っていたけれども、言い得て妙だ。でも、よく考えてみてほしい。その夏休みにマストで必要なものってなんだろう。お金? まあそれももちろんだけど、今回は不正解。時間? それはいくらでもある。名声? 海賊王じゃないんだから。
正解は、そう、彼女。大切な人であり、守りたい存在であり、愛する人。大学生なら彼女は絶対にほしい。映画を見て、ジェットコースターに乗って、公園を散歩する毎日を送りたい。が、おれには彼女がいない。
高校時代にはいつも一緒にいる女子が一人いたが、今では疎遠だ。当時は恋愛感情なんて全く無かったけど、今会ったら変わるのかもしれないな。
「ハッピバースデートゥーユー、ハッピバースデートゥーユー、ハッピバースデーディア河野~、ハッピバースデートゥー、ユウウ~~」
パアン、パンパアン。
「やめろよ大げさな。クラッカー多すぎ」
「いいだろいいだろ、記念すべき二〇歳の誕生日なんだから」
「そうそう、これで河野にもおつかいを頼めるな」
「いや何百回と行ってるわ」
今日はサークルの友人達が誕生会をひらいてくれている。吉田と藤原とはいつも一緒にいて新鮮味がないが、つまらない会話が妙に落ち着く。
「これ、誕プレな」
藤原がぽんと手荒に渡してきた。
え~なんだろう? とかめんどくさいことはしない。ラッピングを剥がすと、それは何の変哲もない陶器製のブタの貯金箱だった。
「いや、もうちょい選んできました感出してくれよ。ただの貯金箱じゃん」
「いやいや河野、聞いて驚くなよ」
吉田が横から入ってくる。
「これは貯金箱じゃない」
なに言ってんだこいつ。
「これは、貯良箱だ」
なに言ってんだこいつ。
「吉田がどうしてもこれがいいって聞かないから、高かったけど二人で金出し合って買ったんだ」
こいつもなに言ってんだ。
「一旦整理させてくれ、まず、これは貯金箱じゃないと?」
「そう」
「で、このただの貯金……いや貯良箱? が二人で出さなきゃ払えないほど高かったと?」
「そうそう」
「……じゃそのまま払った分現金でくれや!」
仲が良いからこそ言えるツッコミ、キマった。
「いやいや河野、こりゃいいやつだぞ」
渾身のツッコミをスルーして藤原が話し出す。
「これはな、日頃の良い行い、つまり『イイコト』を集めて、貯まったら願いを叶えてくれるんだよ」
「でたでた、お前のスピリチュアルな部分」
藤原のこの感じはたまに面白いが、大半は聞き流している。
「騙されたと思って『イイコト』をしてみろ。きっと驚くから。おれはこれを使って願いを叶えたぞ」
「なんだよ」
「大学受験さ。この大学に来られたのは貯良箱のおかげだ」
それは、そう思ってるだけで結局は自分の努力次第だろ。と思ったが、毎度のように聞き流そう。
「ちなみにおれもこれのおかげでイブニングガールズのライブ当たったわ」
いやお前もかい吉田。ここはスピリチュアルサークルか。
「藤原に引っ張られすぎだ吉田。まあいいや。プレゼントをくれたことは素直に嬉しいし、良い誕生日になったよ。これからもよろしくな」
「えらく棒読みだけど、あとでめちゃくちゃ感謝することになるぞ、河野」
そう言って吉田と藤原はサークル室から出ていった。
ただのブタの貯金箱でも、ちょっとは嬉しいもんだな。なんか懐かしいし。
おれは全く信じていないものの、友人からのプレゼントをかばんの奥に大切にしまった。
その日の帰り、電車に乗っていると、足の悪そうなおばあちゃんが途中の駅から乗ってきた。
周りの人はみなスマホをいじっている。おれも家の最寄り駅まではまだ遠かったから、寝たふりでもしてやろうかと思ったが、あまりにもおばあちゃんが辛そうだったので席を譲ることにした。
「おばあちゃん、ここどうぞ」
「おやまあ、ありがとね。お兄ちゃん」
感謝の気持ちを周りにも聞こえる形で伝えられるのは、なんだか気恥ずかしい。
おばあちゃんを眺めながら悦に浸っていると、――チャリン――と小さな音がした。
「オメデトウゴザイマス。ハツノ『イイコト』ヲカクトクデスヨ」
――なんだ!?――。
口から反射的に出そうになった言葉を必死に抑える。周りは各々自分のことに夢中で聞こえていないらしい。
ひとまず次の駅で降りトイレの個室に入る。
「オメデトウゴザイマス」
「まさか貯良箱が喋ってるのか……?」
「ソウデス。ビックリデショ」
やけに馴れ馴れしい。そしてこれほどまでに見事なロボット声があるのか。アニメでしか聞いたことがない。
貯良箱はつらつらと喋り続ける。
「ヨシダトフジワラハネガイヲカナエタヨ。コウノ、オマエモソノヨウニナル。
『イイコト』ヲタクサンタメテクレ。オレガマンパンニナッタトキ、ネガイガカナウヨ」
こんなに喋られると、貯良箱の貯金箱のような細長い穴が口にみえてくる。
「この穴が口か?」
「チガウ。ウルセエ」
口悪いな。
「コウノ、オマエノネガイハナンダ。イマキメタモノハカエラレナイヨ」
「なんだろうな。絶対に叶えてくれるんなら、彼女でも欲しいかな」
おれは何の気もなしに思っていることを適当に言った。
「イイダロウ。オマエガ『イイコト』ヲタクサンタメレバソノネガイハカナウヨ」
はあ。
ひどいため息が出る。結局自分の行動なんだろうな。良い行いをたくさんしたら周りの見る目も変わる。そうしたら彼女ができるってことだろ。
こういうものに頼ることで行動する気になるんだったらそれもまたいいか。貯良箱は自己啓発本と一緒だな。
そんなことをうだうだ考えながら、おれは家へ帰った。
次の日、少し早く起きてしまった。二限から始まる授業にはまだ時間がある。家にいても特にすることはないし、余裕を持って大学へ向かうことにした。
すると、
「ぜぇ、ぜぇ、はぁ重い。ぜぇ」
いやいや、うそだろ。こんなあからさまなおばあちゃんいるか普通。ドッキリか?
「おばあちゃん、大丈夫ですか? 荷物持ちましょうか」
「え? まぁお兄ちゃん優しいのね。じゃちょっとお願いしようかしら」
「いえいえ、どうせ一緒の方向なんで」
普段だったらどうしていただろう。おれはおばあちゃんを助けていただろうか。少なくとも今日おばあちゃんに声をかけたのは、貯良箱の存在を無視できないからだ。
――チャリン――。
よしよし。昨日の出来事は夢ではなかったみたいだ。確かに『イイコト』とやらが貯まっている。
おばあちゃんにモテても仕方ないんだけどな。
そう思うおれの顔は少し満足げだ。
二限が終わり昼休みになった。吉田は大学に来ていなかったので、藤原と学食を食べる。
「どうだ? 『イイコト』貯めてるか?」
「ああ、二個ほど」
「おお、いい調子じゃん。昨日はあんなに渋い顔してたのに」
「まあ、信じてみるのもいいなと思ってね。せっかくくれたものだし」
「願いは何にしたんだ?」
「言わない。言ったら叶わない気がする」
「いやいや、貯良箱は必ず叶えてくれるから。言ってみ」
「どんだけ信用してんだよ。……彼女が欲しいと願った」
「あ、それは無理かも」
「蹴飛ばそかな」
他愛もない会話を藤原として、お盆をレーンに返した。とそのとき、
――ストン――。
なにやら落ちる音がした。それが明らかに貯良箱からであることも同時に気付いた。
「どうした河野? 変顔なんかして」
「いや普通の顔だわ。なんか貯良箱から音がした気がして」
「ほうほう。どんな音?」
「ストン、と」
「おっと、それはまずいな。『イクナイコト』をしたんだな」
「は?」
語感がふざけてるだろ。
「ほーら見てみろ。お前のお盆、口拭いたティッシュ置きっぱだ」
「だからなんだよ」
「ゴミはレーンの下のゴミ箱に入れなきゃだめだろ。だから『イクナイコト』。つまり、『イイコト』が貯良箱から抜け落ちたんだ」
「まじかい」
いやいや、そんなことでおばあちゃんの荷物を持ったことが帳消しにされるのか。たまったもんじゃない。
でも、そういうことなのかもしれないな。良い行いをするには労力がいるが、良くない行いは気付かぬうちにしているのかもしれない。
そこからおれの『イイコト』を貯めていく日々が始まった。
文化祭でのサークルの出し物では、誰も手を挙げなかった店長を自薦しみんなを取りまとめた。
――チャリン――。
大学の講義で病欠した吉田の分もノートをとってあげた。
――チャリン――。
映画館で隣の席に荷物を置いていたらそこに人が来た。
――ストン――。
毎日部屋の掃除を欠かさずした。
――チャリン――。
大学の講義をサボった藤原の分もノートをとってあげた。
――ストン――。
どうやら同じ行為でも怠惰《たいだ》を助長してはだめらしい。
SNSでは人の悪口を書かないようにした。
――チャリン――。
これで『イイコト』と捉えられるくらい世の中はひどいのか……。
離れて暮らす両親へ定期的に電話をした。
――チャリン――。
最初はお互い気恥ずかしかったが、なんやかんや両親は喜んでくれているみたいだ。家族は大切にしなきゃな。
毎週末はゴミ拾いのボランティアに参加した。
――チャリン――。
貯良箱を貯めはじめて三ヶ月と四日。
久々にあのロボット声が聞こえてきた。
「ヨクヤッテキタコウノ。『イイコト』アトヒトツデネガイガカナウヨ」
「まじか! よっしゃ!」
当初の信用していないおれはどこへやら。おれは外に出てささっと家の前の道を掃除した。
――ピカピカピカーン!――。
部屋へ戻ると、貯良箱から輝かしい音が鳴っている。
これで晴れておれにも彼女が……!
「ウッソーーーン」
は?
「ウッソーーーン! コンナタダノトウキノブタバコガネガイヲカナエラレルワケナイダロウ」
「……ふざけんなよ……」
「マアイイジャナイカ。オマエハ『イイコト』ヲタクサンシタヨ。ソノナカデジブンデネガイヲカナエラレナカッタノハジコセキニンダ。ショウガナイヨ」
「……こんなものを信用してたおれが馬鹿だった」
どうしようもない怒りがこみ上げてくる。おれは貯良箱を天高く持ち上げた。
「ナニヲスルキダ」
「うるさい」
――バリィィィン――。
思い切り振り下ろした貯良箱は木端微塵《こっぱみじん》に散らかった。
気分が晴れると思ってした行為だが、その破片の大半が足へ突き刺さってしまいおれは悶絶した。これが偽善をしてきた報いなのか。
おれは血がたらたらと垂れている足を引きずり病院へ向かった。
病院へ着くと、ちょうど患者の波が引いたのか人はまばらだった。
「ありゃま、こりゃ痛いね」
足を見た先生は目をふせながらもニヤリと笑っている。やばい癖でもあるんじゃなかろうか。
「まあでも、消毒と止血をしっかりして安静にしていれば徐々に治っていきますよ。
野田さん、手当してあげて」
野田、か。高校時代いつも一緒にいたやつも同じ苗字だったな。三年間同じクラスでなにかとおせっかいだけど、たまにめちゃくちゃ可愛く見えるときがあるんだ。
「えっ、河野くん!?」
目の前に現れたのは、その野田だった。
「えっ、うんっ!? のわ、野田じゃんか!」
咄嗟に出た言葉は恥ずかしいくらいカミカミだ。
「なんでこんなひどい怪我したの」
「別にいいじゃんかそんなの」
「だめ、教えて。誰かにやられたりしてたら大変じゃない」
野田は高校時と変わらずおせっかいだ。
「いやいや、自分でミスっただけだから。話大きくすんな。いてっ」
「ほら、動かない。でも懐かしいね。昔は毎日一緒だったのになあ」
たまにめちゃくちゃ可愛く見えていた野田が、今は常に可愛く見える。
これは勇気を振り絞るときか。
「今度久々にどっか行くか?」
「え、なにいきなり笑 ナンパですか?」
「うるさいな。そんなんじゃないけど」
「ふふっ。行きたい。行こうよ。また二人で遊ぼう。今日連絡するね」
「お、おう」
貯良箱さん、おれ、願い叶うかもしれない。
一ヶ月後、おれと野田は付き合った。全て貯良箱のおかげだ。本当に願いを叶えてくれるんだ。
初めて野田の家に行った日、綺麗にしてある部屋を見渡して気分が良くなっていると、そこには見覚えのある、何の変哲もないブタの貯金箱らしきものがあった。
これは……どっちだ?
野田はそこに向かう視線に気付いたのか、あっけらかんと喋り始める。
「これ気になる? これはね、貯良箱っていうらしいの。良いことを貯めれば願いが叶うんだって。なんか友達から貰ったんだけど、そんなわけないよね。まあ可愛いからオブジェとして部屋に飾っておくけど」
おれは大きく息を吸った。
「いや、信じてみるのもいいんじゃないかな」
誰かが大学生活を人生の夏休みと言っていたけれども、言い得て妙だ。でも、よく考えてみてほしい。その夏休みにマストで必要なものってなんだろう。お金? まあそれももちろんだけど、今回は不正解。時間? それはいくらでもある。名声? 海賊王じゃないんだから。
正解は、そう、彼女。大切な人であり、守りたい存在であり、愛する人。大学生なら彼女は絶対にほしい。映画を見て、ジェットコースターに乗って、公園を散歩する毎日を送りたい。が、おれには彼女がいない。
高校時代にはいつも一緒にいる女子が一人いたが、今では疎遠だ。当時は恋愛感情なんて全く無かったけど、今会ったら変わるのかもしれないな。
「ハッピバースデートゥーユー、ハッピバースデートゥーユー、ハッピバースデーディア河野~、ハッピバースデートゥー、ユウウ~~」
パアン、パンパアン。
「やめろよ大げさな。クラッカー多すぎ」
「いいだろいいだろ、記念すべき二〇歳の誕生日なんだから」
「そうそう、これで河野にもおつかいを頼めるな」
「いや何百回と行ってるわ」
今日はサークルの友人達が誕生会をひらいてくれている。吉田と藤原とはいつも一緒にいて新鮮味がないが、つまらない会話が妙に落ち着く。
「これ、誕プレな」
藤原がぽんと手荒に渡してきた。
え~なんだろう? とかめんどくさいことはしない。ラッピングを剥がすと、それは何の変哲もない陶器製のブタの貯金箱だった。
「いや、もうちょい選んできました感出してくれよ。ただの貯金箱じゃん」
「いやいや河野、聞いて驚くなよ」
吉田が横から入ってくる。
「これは貯金箱じゃない」
なに言ってんだこいつ。
「これは、貯良箱だ」
なに言ってんだこいつ。
「吉田がどうしてもこれがいいって聞かないから、高かったけど二人で金出し合って買ったんだ」
こいつもなに言ってんだ。
「一旦整理させてくれ、まず、これは貯金箱じゃないと?」
「そう」
「で、このただの貯金……いや貯良箱? が二人で出さなきゃ払えないほど高かったと?」
「そうそう」
「……じゃそのまま払った分現金でくれや!」
仲が良いからこそ言えるツッコミ、キマった。
「いやいや河野、こりゃいいやつだぞ」
渾身のツッコミをスルーして藤原が話し出す。
「これはな、日頃の良い行い、つまり『イイコト』を集めて、貯まったら願いを叶えてくれるんだよ」
「でたでた、お前のスピリチュアルな部分」
藤原のこの感じはたまに面白いが、大半は聞き流している。
「騙されたと思って『イイコト』をしてみろ。きっと驚くから。おれはこれを使って願いを叶えたぞ」
「なんだよ」
「大学受験さ。この大学に来られたのは貯良箱のおかげだ」
それは、そう思ってるだけで結局は自分の努力次第だろ。と思ったが、毎度のように聞き流そう。
「ちなみにおれもこれのおかげでイブニングガールズのライブ当たったわ」
いやお前もかい吉田。ここはスピリチュアルサークルか。
「藤原に引っ張られすぎだ吉田。まあいいや。プレゼントをくれたことは素直に嬉しいし、良い誕生日になったよ。これからもよろしくな」
「えらく棒読みだけど、あとでめちゃくちゃ感謝することになるぞ、河野」
そう言って吉田と藤原はサークル室から出ていった。
ただのブタの貯金箱でも、ちょっとは嬉しいもんだな。なんか懐かしいし。
おれは全く信じていないものの、友人からのプレゼントをかばんの奥に大切にしまった。
その日の帰り、電車に乗っていると、足の悪そうなおばあちゃんが途中の駅から乗ってきた。
周りの人はみなスマホをいじっている。おれも家の最寄り駅まではまだ遠かったから、寝たふりでもしてやろうかと思ったが、あまりにもおばあちゃんが辛そうだったので席を譲ることにした。
「おばあちゃん、ここどうぞ」
「おやまあ、ありがとね。お兄ちゃん」
感謝の気持ちを周りにも聞こえる形で伝えられるのは、なんだか気恥ずかしい。
おばあちゃんを眺めながら悦に浸っていると、――チャリン――と小さな音がした。
「オメデトウゴザイマス。ハツノ『イイコト』ヲカクトクデスヨ」
――なんだ!?――。
口から反射的に出そうになった言葉を必死に抑える。周りは各々自分のことに夢中で聞こえていないらしい。
ひとまず次の駅で降りトイレの個室に入る。
「オメデトウゴザイマス」
「まさか貯良箱が喋ってるのか……?」
「ソウデス。ビックリデショ」
やけに馴れ馴れしい。そしてこれほどまでに見事なロボット声があるのか。アニメでしか聞いたことがない。
貯良箱はつらつらと喋り続ける。
「ヨシダトフジワラハネガイヲカナエタヨ。コウノ、オマエモソノヨウニナル。
『イイコト』ヲタクサンタメテクレ。オレガマンパンニナッタトキ、ネガイガカナウヨ」
こんなに喋られると、貯良箱の貯金箱のような細長い穴が口にみえてくる。
「この穴が口か?」
「チガウ。ウルセエ」
口悪いな。
「コウノ、オマエノネガイハナンダ。イマキメタモノハカエラレナイヨ」
「なんだろうな。絶対に叶えてくれるんなら、彼女でも欲しいかな」
おれは何の気もなしに思っていることを適当に言った。
「イイダロウ。オマエガ『イイコト』ヲタクサンタメレバソノネガイハカナウヨ」
はあ。
ひどいため息が出る。結局自分の行動なんだろうな。良い行いをたくさんしたら周りの見る目も変わる。そうしたら彼女ができるってことだろ。
こういうものに頼ることで行動する気になるんだったらそれもまたいいか。貯良箱は自己啓発本と一緒だな。
そんなことをうだうだ考えながら、おれは家へ帰った。
次の日、少し早く起きてしまった。二限から始まる授業にはまだ時間がある。家にいても特にすることはないし、余裕を持って大学へ向かうことにした。
すると、
「ぜぇ、ぜぇ、はぁ重い。ぜぇ」
いやいや、うそだろ。こんなあからさまなおばあちゃんいるか普通。ドッキリか?
「おばあちゃん、大丈夫ですか? 荷物持ちましょうか」
「え? まぁお兄ちゃん優しいのね。じゃちょっとお願いしようかしら」
「いえいえ、どうせ一緒の方向なんで」
普段だったらどうしていただろう。おれはおばあちゃんを助けていただろうか。少なくとも今日おばあちゃんに声をかけたのは、貯良箱の存在を無視できないからだ。
――チャリン――。
よしよし。昨日の出来事は夢ではなかったみたいだ。確かに『イイコト』とやらが貯まっている。
おばあちゃんにモテても仕方ないんだけどな。
そう思うおれの顔は少し満足げだ。
二限が終わり昼休みになった。吉田は大学に来ていなかったので、藤原と学食を食べる。
「どうだ? 『イイコト』貯めてるか?」
「ああ、二個ほど」
「おお、いい調子じゃん。昨日はあんなに渋い顔してたのに」
「まあ、信じてみるのもいいなと思ってね。せっかくくれたものだし」
「願いは何にしたんだ?」
「言わない。言ったら叶わない気がする」
「いやいや、貯良箱は必ず叶えてくれるから。言ってみ」
「どんだけ信用してんだよ。……彼女が欲しいと願った」
「あ、それは無理かも」
「蹴飛ばそかな」
他愛もない会話を藤原として、お盆をレーンに返した。とそのとき、
――ストン――。
なにやら落ちる音がした。それが明らかに貯良箱からであることも同時に気付いた。
「どうした河野? 変顔なんかして」
「いや普通の顔だわ。なんか貯良箱から音がした気がして」
「ほうほう。どんな音?」
「ストン、と」
「おっと、それはまずいな。『イクナイコト』をしたんだな」
「は?」
語感がふざけてるだろ。
「ほーら見てみろ。お前のお盆、口拭いたティッシュ置きっぱだ」
「だからなんだよ」
「ゴミはレーンの下のゴミ箱に入れなきゃだめだろ。だから『イクナイコト』。つまり、『イイコト』が貯良箱から抜け落ちたんだ」
「まじかい」
いやいや、そんなことでおばあちゃんの荷物を持ったことが帳消しにされるのか。たまったもんじゃない。
でも、そういうことなのかもしれないな。良い行いをするには労力がいるが、良くない行いは気付かぬうちにしているのかもしれない。
そこからおれの『イイコト』を貯めていく日々が始まった。
文化祭でのサークルの出し物では、誰も手を挙げなかった店長を自薦しみんなを取りまとめた。
――チャリン――。
大学の講義で病欠した吉田の分もノートをとってあげた。
――チャリン――。
映画館で隣の席に荷物を置いていたらそこに人が来た。
――ストン――。
毎日部屋の掃除を欠かさずした。
――チャリン――。
大学の講義をサボった藤原の分もノートをとってあげた。
――ストン――。
どうやら同じ行為でも怠惰《たいだ》を助長してはだめらしい。
SNSでは人の悪口を書かないようにした。
――チャリン――。
これで『イイコト』と捉えられるくらい世の中はひどいのか……。
離れて暮らす両親へ定期的に電話をした。
――チャリン――。
最初はお互い気恥ずかしかったが、なんやかんや両親は喜んでくれているみたいだ。家族は大切にしなきゃな。
毎週末はゴミ拾いのボランティアに参加した。
――チャリン――。
貯良箱を貯めはじめて三ヶ月と四日。
久々にあのロボット声が聞こえてきた。
「ヨクヤッテキタコウノ。『イイコト』アトヒトツデネガイガカナウヨ」
「まじか! よっしゃ!」
当初の信用していないおれはどこへやら。おれは外に出てささっと家の前の道を掃除した。
――ピカピカピカーン!――。
部屋へ戻ると、貯良箱から輝かしい音が鳴っている。
これで晴れておれにも彼女が……!
「ウッソーーーン」
は?
「ウッソーーーン! コンナタダノトウキノブタバコガネガイヲカナエラレルワケナイダロウ」
「……ふざけんなよ……」
「マアイイジャナイカ。オマエハ『イイコト』ヲタクサンシタヨ。ソノナカデジブンデネガイヲカナエラレナカッタノハジコセキニンダ。ショウガナイヨ」
「……こんなものを信用してたおれが馬鹿だった」
どうしようもない怒りがこみ上げてくる。おれは貯良箱を天高く持ち上げた。
「ナニヲスルキダ」
「うるさい」
――バリィィィン――。
思い切り振り下ろした貯良箱は木端微塵《こっぱみじん》に散らかった。
気分が晴れると思ってした行為だが、その破片の大半が足へ突き刺さってしまいおれは悶絶した。これが偽善をしてきた報いなのか。
おれは血がたらたらと垂れている足を引きずり病院へ向かった。
病院へ着くと、ちょうど患者の波が引いたのか人はまばらだった。
「ありゃま、こりゃ痛いね」
足を見た先生は目をふせながらもニヤリと笑っている。やばい癖でもあるんじゃなかろうか。
「まあでも、消毒と止血をしっかりして安静にしていれば徐々に治っていきますよ。
野田さん、手当してあげて」
野田、か。高校時代いつも一緒にいたやつも同じ苗字だったな。三年間同じクラスでなにかとおせっかいだけど、たまにめちゃくちゃ可愛く見えるときがあるんだ。
「えっ、河野くん!?」
目の前に現れたのは、その野田だった。
「えっ、うんっ!? のわ、野田じゃんか!」
咄嗟に出た言葉は恥ずかしいくらいカミカミだ。
「なんでこんなひどい怪我したの」
「別にいいじゃんかそんなの」
「だめ、教えて。誰かにやられたりしてたら大変じゃない」
野田は高校時と変わらずおせっかいだ。
「いやいや、自分でミスっただけだから。話大きくすんな。いてっ」
「ほら、動かない。でも懐かしいね。昔は毎日一緒だったのになあ」
たまにめちゃくちゃ可愛く見えていた野田が、今は常に可愛く見える。
これは勇気を振り絞るときか。
「今度久々にどっか行くか?」
「え、なにいきなり笑 ナンパですか?」
「うるさいな。そんなんじゃないけど」
「ふふっ。行きたい。行こうよ。また二人で遊ぼう。今日連絡するね」
「お、おう」
貯良箱さん、おれ、願い叶うかもしれない。
一ヶ月後、おれと野田は付き合った。全て貯良箱のおかげだ。本当に願いを叶えてくれるんだ。
初めて野田の家に行った日、綺麗にしてある部屋を見渡して気分が良くなっていると、そこには見覚えのある、何の変哲もないブタの貯金箱らしきものがあった。
これは……どっちだ?
野田はそこに向かう視線に気付いたのか、あっけらかんと喋り始める。
「これ気になる? これはね、貯良箱っていうらしいの。良いことを貯めれば願いが叶うんだって。なんか友達から貰ったんだけど、そんなわけないよね。まあ可愛いからオブジェとして部屋に飾っておくけど」
おれは大きく息を吸った。
「いや、信じてみるのもいいんじゃないかな」