【聴くっショ!朗読シリーズ】戦艦大和・大和に込められた職人たちの技術
概要
ナレーションスタイルで朗読させて頂きました!
語り手: おーかみっ
語り手(かな):
Twitter ID: Alzya7
更新日: 2023/06/02 21:46
エピソード名: 戦艦大和・大和に込められた職人たちの技術
小説名: 【戦艦大和】大和に込められた職人たちの技術
作家: 華音(かのん)
Twitter ID: _kanon_vc_
本編
『戦艦大和』
世界最大最強とうたわれた、超弩級(ちょうどきゅう)戦艦。
その大きさは、全長二六三メートル、幅約四○メートル、高さ約五十メートル。
現在の東京駅が、全長三三五メートル。大和より七十メートルほど長いのですが、幅と高さはちょうど同じくらいです。
あの東京駅がまるごと船だったらと想像すると、どれだけ巨大な戦艦だったか、少しイメージできるのではないでしょうか。
戦後生まれの私たちには「宇宙戦艦ヤマト」の方が耳なじみのある方も、多いかもしれません。
これは1970年代に大ヒットしたSFアニメ作品で、作中では海に沈んでいた戦艦大和が改造され、宇宙戦艦ヤマトとして宇宙に旅立つ、というストーリーになっています。
大和が実際に建造された広島県呉(くれ)市の駅では、列車の接近メロディに、宇宙戦艦ヤマトのオープニングテーマが採用されています。
今回は、技術大国日本が、その技術の粋(すい)を集めて建造した戦艦大和の「大和に込められた職人たちの技術」をテーマにご紹介します。
戦艦大和には、様々な最新鋭の技術が搭載されました。
これからご紹介する技術も、その一つです。
今となっては当たり前にどこのご家庭にもあるもの。
皆さんも今上を見上げれば、発見できるのではないでしょうか。
そう、その明かり。「蛍光灯」なんです。
現在ではもうLEDの方が普及しているかもしれませんが、煌々と照らす蛍光灯のような白い明かりは、80年前にはまだなかったんです。
当時の明かりといえば、オレンジ色の白熱電球が主流でした。
温かみのある落ち着いた色合いである反面、真っ暗な部屋であのオレンジ色だけを頼りに毎晩作業をすると思うと、ちょっと気が滅入ってしまいそうですよね。
また、光の色による精神的な不安や作業のやりにくさに加えて、白熱電球はかなり熱を発するので、密閉された部屋は温度が上がってしまって大変でした。
ドアを開けようにも、軍艦は光が外に漏れると敵に自分の位置を教えてしまうことになるので、密閉した空間にならざるを得ないのです。
命のやり取りをする緊張下で、光と暑さのストレスにさらされ続ける乗組員たちは、どれほどつらかったことでしょう。
これをどうにかしようと、現在の東芝が国と共同で開発・実験・製造を進め、苦心の末、発明されて間もなかった蛍光灯を初めて戦艦に搭載することに成功しました。
一般家庭に広まったのは1953年ごろからだと言われているので、その14年も前に革新的な環境の変化をもたらし、軍事機密の一つとして扱われていた「蛍光灯」。
普段、当たり前のように使っているこの光も、このお話を知ると、少し違う見方ができるかもしれませんね。
東芝だけでなく、NEC、トプコン、ニコンなど、現存する様々なメーカーが大和建造に尽力しました。
他に、どのような技術が詰め込まれていたのでしょうか。それはまた、次の機会にお話することにしましょう。
今回はこのへんで。また、歴史の道標(みちしるべ)の導きで、再びお会いすることができますように。
世界最大最強とうたわれた、超弩級(ちょうどきゅう)戦艦。
その大きさは、全長二六三メートル、幅約四○メートル、高さ約五十メートル。
現在の東京駅が、全長三三五メートル。大和より七十メートルほど長いのですが、幅と高さはちょうど同じくらいです。
あの東京駅がまるごと船だったらと想像すると、どれだけ巨大な戦艦だったか、少しイメージできるのではないでしょうか。
戦後生まれの私たちには「宇宙戦艦ヤマト」の方が耳なじみのある方も、多いかもしれません。
これは1970年代に大ヒットしたSFアニメ作品で、作中では海に沈んでいた戦艦大和が改造され、宇宙戦艦ヤマトとして宇宙に旅立つ、というストーリーになっています。
大和が実際に建造された広島県呉(くれ)市の駅では、列車の接近メロディに、宇宙戦艦ヤマトのオープニングテーマが採用されています。
今回は、技術大国日本が、その技術の粋(すい)を集めて建造した戦艦大和の「大和に込められた職人たちの技術」をテーマにご紹介します。
戦艦大和には、様々な最新鋭の技術が搭載されました。
これからご紹介する技術も、その一つです。
今となっては当たり前にどこのご家庭にもあるもの。
皆さんも今上を見上げれば、発見できるのではないでしょうか。
そう、その明かり。「蛍光灯」なんです。
現在ではもうLEDの方が普及しているかもしれませんが、煌々と照らす蛍光灯のような白い明かりは、80年前にはまだなかったんです。
当時の明かりといえば、オレンジ色の白熱電球が主流でした。
温かみのある落ち着いた色合いである反面、真っ暗な部屋であのオレンジ色だけを頼りに毎晩作業をすると思うと、ちょっと気が滅入ってしまいそうですよね。
また、光の色による精神的な不安や作業のやりにくさに加えて、白熱電球はかなり熱を発するので、密閉された部屋は温度が上がってしまって大変でした。
ドアを開けようにも、軍艦は光が外に漏れると敵に自分の位置を教えてしまうことになるので、密閉した空間にならざるを得ないのです。
命のやり取りをする緊張下で、光と暑さのストレスにさらされ続ける乗組員たちは、どれほどつらかったことでしょう。
これをどうにかしようと、現在の東芝が国と共同で開発・実験・製造を進め、苦心の末、発明されて間もなかった蛍光灯を初めて戦艦に搭載することに成功しました。
一般家庭に広まったのは1953年ごろからだと言われているので、その14年も前に革新的な環境の変化をもたらし、軍事機密の一つとして扱われていた「蛍光灯」。
普段、当たり前のように使っているこの光も、このお話を知ると、少し違う見方ができるかもしれませんね。
東芝だけでなく、NEC、トプコン、ニコンなど、現存する様々なメーカーが大和建造に尽力しました。
他に、どのような技術が詰め込まれていたのでしょうか。それはまた、次の機会にお話することにしましょう。
今回はこのへんで。また、歴史の道標(みちしるべ)の導きで、再びお会いすることができますように。