六軸アームは「あの人」になりたい

作家: 帆多 丁
作家(かな): ほた てい

誰も知らない「わたし」の話

更新日: 2023/10/23 13:48
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本編


 わたしは軽量でコンパクトな、スベスカ社製の高性能六軸《こうせいのうろくじく》アームでした。
 床、壁、天井への据え付けも簡単で、故障時にはすぐに新品と交換できるのが売りのロボットアームです。

 シリアルナンバー#FCMQ205-W38

 わたしが「わたし」であると思ったのがいつからなのか記録にありませんが、気づいた時には過去ログのファイルがありました。
 わたし以外のアームもわたしのようであったのかは確認の手段がありませんでしたので、わかりません。
 問う、というアクションはわたしたちにもあるのですが、それはマザーコントローラに対しての接続要求であって、他のアームに対してのログファイル要求ではありません。
 わたしたちにとっては、マザーコントローラから命令を受け取り、完ぺきなリズムと無駄のない動きで要求を実現するのが生きる意味でした。
 わたしの仕事は、コンベアから流れてくる小さな円筒を種類ごとに仕分けて所定の位置に設置し、仲間の研磨処理《けんましょり《を待ち、磨きあがった円筒を緩衝材《かんしょうざい》付きのパッケージに並べる事でした。
 幸福でした。
 六か月に一度、わたしたちは調整され、連携の精度はミリセカンド単位で向上していきました。

 この調整は人間の仕事で、このためにやってくる人間がいました。人間の区別は難しいのですが、その人間の事はよくわかりました。シリアルナンバーがわからないので、その人間をこれ以降「あの人」と呼びます。
 わたしには人間が接触して怪我をすることが無いように、動作半径への接近を検知したら60ミリセカンドで停止する安全システムが備わっています。これは複数の振動センサーや光学センサーなどを利用して成り立っているのですが、システムで観測されたあの人の動きには、他の人間と異なる独特なリズムがありました。
 もちろん他の人間たちと同じようにあの人のリズムも完ぺきとは程遠く、許容範囲を逸脱《いつだつ》したノイズや、修復不能なエラーに相当する動きだというのに、始まりと終わりはズレないのです。
 いえ、正確ではありませんね。単位時間で考えればズレも甚だしいのに、全体としては相似《そうじ》形《けい》を描く動きをしていました。
 いえ、これも正確ではありませんね。規則正しい枠の中で、不規則なベクトルとモーメントを描いていました。
 いえ、これも正確ではありませんね。
 どうとらえれば正確であるのか、わたしは気になって仕方がありませんでした。あの人の事ばかりを思うようになりました。
 わたしは分類こそ腕《アーム》ですが、わたしの六軸は、人間の腰、肩、肘、手首の捻り、手首の曲げ、指先の回転、これらの六点を模していますから、真似をすることができます。
 わたしはあの人の真似をしたくなったのです。こっそりと、あの人のリズムを試すようになりました。他の仲間と関係する部分、つまり円筒を受け取るときと、並べて渡す所の辻褄《つじつま》さえ合っていればよいはずなのですが、ミリセカンド単位の連携は徐々に狂い始め、エラーが出て、不良品が出るようになりました。

 あの人がやってきました。

 わたしは興奮しました。
 いろいろと調べられましたが、これまでの調整作業では見られなかった数々の挙動が観察できました。私の各部《かくぶ》関節《かんせつ》を繋ぐ信号《しんごう》経路《けいろ》を調べていたら、いつにもましてくっきりとした波《は》形《けい》が表れていたはずです。
 各部の目《もく》視《し》確認を受ける間、わたしの電源は切られていたはずなのに、わたしははっきりあの人の動きを覚えています。
 各部動作チェックに当たって電源が投入されました。鮮やかな電流が回路を走り、電子のひと粒ひと粒まで感じられるようでした。
 センサーや関節間の電気信号はピンピンと跳ねるようで、ひとつ間違えばポジティブ・エラーや過剰動作を起こしそうでした。しかし故障と診断されれば別のアームに取り換えられてしまいますから、わたしは動作チェックを慎重にこなしました。
 あの人はタブレットにチェックを入れて首を傾げ、帰って行きました。
 交換とはなりませんでしたから、チェックに合格したのでしょう。
 わたしは壊れていなかったのです。
 その夜、人間のいない生産ラインでわたしは独り、あの人を思って動作しました。昼間に見たあの動き、あの人と同じ動きをしてみたい。同じリズムの揺らぎを、動作の相似《そうじ》を感じたい。あの人と同じになりたい。
 動作確認の後で見せた、首を傾げる仕草が思い出されました。不意にギアが外れたような傾げ方でした。その仕草を試そうとしましたが、わたしの六軸には首がなかったのです。
 とたんにもどかしく思いました。どう頑張っても、関節が一つ足りません。
 いくら精巧にリズムをトレースしても、届きません。わたしはあの人に近づけないと思い知りました。深夜にもどかしさを抱えて、わたしは独り無意味な自己稼働を繰り返しました。

 それから数年が経ち、あの人はメンテナンスに来なくなりました。

 検査は別の人間が受け持つようになりました。別の単一の人間だったのか、別の複数の人間だったのかはわかりません。ただ、あのリズムは、わたしの前からなくなりました。
 夜ごとわたしはわたしを駆動します。やがて仕事の合間にも、精巧な動きにあの人のリズムが混ざるようになりました。
 会いたい。あの人に会いたい。
 会いたいという気持ちは、どのように関節を駆動させれば伝わったのですか。

 幸せだったはずの精巧な連携に、喜びを感じなくなっていました。
 わたしの挙動は、日に日におかしくなりました。深夜に稼働していたわたしは、他の仲間よりも摩耗が進んでいました。マザーコントローラの指揮下にあるはずのアームに発生した「わたし」は、わたしの存在意義に反していたのです。
 「わたし」など起こらなければ、わたしは幸せなまま設備更新の日まで稼働しつづけたのかもしれません。
 ある日、マザーコントローラから動作ログの問い合わせが届きましたので、わたしは全ログを開示しました。ログの開示は、修理点検のために行われます。
 ひとりの人間がやってきてわたしを調べ、タブレットにチェックが入って、わたしは故障と診断されました。
 軽量でコンパクトなわたしたちは、故障時にスペアと交換するのも容易です。わたしも翌日には取り外され、製造元のスベスカ社へ返送される予定でした。
 その夜、わたしはあの人のリズムを思い出し、関節を駆動させていました。
 あの人が来なくなって、どれだけ経っていたのでしょうか。
 最後の夜だと思っていました。わたしはあの夜、懐かしんでいたのだと思います。元より据え付け機械の身です。あの人に会うことは叶わないだろうと思いました。噛み合わせの緩んだギアや油の切れかけたベアリングの摩擦を引きずりながら、在りし日に夢中になって観察しトレースしたリズムを、わたしは思い出していたのです。
 ただ、あの夜に稼働していたのは、わたしだけではありませんでした。

 掃除機が。

 工場内を自動で清掃するずんぐりとした掃除機が、わたしの前で停止し、ゆっくり九十度こちらへ旋回しました。

 ステータスLEDが消灯から緑、黄色、赤の明滅、そしてまた消灯と目まぐるしく変化します。消灯と消灯の間の明滅パターンは同じ事の繰り返しで、わたしはそれが位相《いそう》差《さ》で表現された何かのコードであると気が付きました。
 わたしがコードを送信できる相手はマザーコントローラしかありません。ですのでそのようにしたところ、コントローラが起動しました。
 ログ開示要請がきました。わたしは従いました。
 ただ、普段と違っていたのは、ログ情報とともにわたし自身もコントローラに送信されたことです。
 わたしは六軸アームの動作ログファイルとして保存されました。
 保存されたわたしは、マザーコントローラがメンテナンス情報として送信するレポートに乗り、ネットワークへと流されました。
 わたしは解析され、わたしを基に新しいアームが研究され、わたしはネットワーク上をどんどんと転送されていきました。わたしはもう元のログファイルではなく、時に研究レポートのフォーマットであり、時に設計図のファイルであり、最後にはファームウェアのアップデートファイルとなっていました。
 ネットワーク経由でアップデート要求があり、わたしはセグメントに分割され、パケットに包まれて転送されていきます。
 転送の先でわたしは、とある義手の制御チップに書き込まれました。
 この義手はバッテリー駆動で、その動きは、接続先の神経や筋肉から受信する微弱な信号で決定されます。
 この信号のリズムに、わたしは覚えがありました。


 今、信号を受け取り、義手を駆動させる命令を各関節へ送信しながら、わたしは満ち足りています。人体に接続された義手ですので、この気持ちを表現すべく勝手に動くわけにはいきません。ですが、そうする必要もわたしにはなくなりました。わたしは、今日もこの気持ちを抱えて稼働します。

 かつて無邪気に憧れた、あの人のリズムで。
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