海砂糖

作家: トガシテツヤ
作家(かな): とがしてつや

海砂糖

更新日: 2024/08/13 00:26
現代ファンタジー

本編


「海砂糖を1つください」

 僕がそう言うと、店主は眉をひそめた。

「あなた、海砂糖を一体何に使うおつもりで?」
「母に……海を見せてあげたくて。生きてるうちに……」
「ほう。何かご事情がおありのようだ」

 店主は店の奥から小さなガラスの瓶を大事そうに持って来た。中にはビー玉くらいの大きさの青い玉が1つ、入っている。店主は瓶の蓋を取り、僕の耳元に近づけた。

「あ、波の音がする……」

 海のない土地に住んでいる僕は海を見たことがなく、波の音もテレビでしか聞いたことがなかった。でも、瓶の中から聞こえてくる音が波の音だと、すぐに分かった。

「いいですか? 誰かにとっての嘘は、誰かにとっての真実です。嘘をつくなら、最後までつき通してください」

 店主はそう言って小瓶を僕に差し出した。財布を出そうとする僕を「結構です」と手で制す。

 家に帰ると、父がいた。僕が小瓶を取り出すと、父は「よし」と頷く。

「母さん、コーヒー入れたよ!」

 父がそう言いながら、窓の外をじっと見ている母の横にコーヒーを置く。僕は小瓶から青い玉を取り出し、そっとコーヒーに入れた。
 母はコーヒーをひと口飲むと、「まぁ……」と言って車椅子から立ち上がった。慌てて父が支える。

「懐かしいわねぇ」
「母さんの故郷、瀬戸内海だよ!」
「こんなところまで、遠かったでしょう? 運転、疲れなかった?」
「ちっとも。楽しいドライブだったよ」

 窓から風が吹き込んで来る。

「気持ち良いわねぇ。潮の香りがするわ」

 母は嬉しそうに目を閉じた。

「うん。いい風だね。とっても……」

 母を支える父の手が震えている。
 泣いているんだ。

 僕は黙って母と父を後ろから見ていた。僕には、いつもの庭しか見えていない。風は湿気を含んだ、お世辞にも心地いいとは言えない熱風だ。

『誰かにとっての嘘は、誰かにとっての真実です。嘘をつくなら、最後までつき通してください』

 さっきの店主の言葉を思い出す。

 僕は母の横に立ち、「綺麗だね」と言った。

 見えるはずのない、海を見ながら。
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