水没地区04-C
水没地区04-C
更新日: 2024/10/22 20:04SF
本編
秋を予感させる涼しさの宿る風が吹く頃、トウキョウ・シティから地区04-Cへ向けて一台の水上バイクが駆け抜けていた。かつては浸水地区と分類された04-Cは数日前に政府から水没認定をくだされ、とうとう人の住まうことのない廃棄都市に分類されたのであった。水面から生えるようなビル群が秋の夕陽に照らされ、黄金の寺院のような神々しさをまとっていた。バイクはその間を|縫《ぬ》うようにして住宅街へ。そこでは住宅の丁度、屋根のあたりまで水に浸かり、|橙色《だいだいいろ》に染まる水面の上に、屋根だけが点在していた。
トウゴはとある屋根の隣に水上バイクを停止させた。ソーラーパネルを|搭載《とうさい》した屋根の上に、黒い衣服の女性が立っていた。
「よう。アンドロイド。久しぶりだな。俺のこと覚えてるか」
トウゴは夕陽を受けながら遠くを見つめるアンドロイドに声をかけた。彼女は表情のない顔で彼を一瞥した。
「はい。貴方とは、この場所で三十三日前にお会いしました」
「機械的な|挨拶《あいさつ》だね。ま、それもそうか」
トウゴはエレクトロ・ウォッチを起動させるとアンドロイドの前に|電脳板《でんのうばん》を投影した。アンドロイドの視線が自然とその半透明の映像に向けられた。
「見ろよ、これ。とうとう、ここも水没認定だぜ。全く、困るね。海面上昇は」
「海面上昇は今後も続くと予想されます。国立研究所の発表によると今後数年以内に人類の居住可能なスペースの三分の一以上が水没認定を受けるものと予想されます」
「あら。ご丁寧に悲しいニュースをどうも」
トウゴは電熱ライターで煙草に火を点けトウキョウ・シティの方を眺めた。
「喫煙は健康に重大な悪影響を及ぼすと統計のもとに立証されています」
「まあまあ。細かいことは言いっこなしだ。変わらないな、お前は。そっち、行っていいか? 居住権は水没認定と同時に消失してる」
「構いません」
トウゴは水上バイクから屋根へ移ると、アンドロイドの足元に腰を下ろした。都庁に反射した夕陽が一瞬間、刺すようにトウゴの視界に入った。
「夕陽が目に染みるな。あんた。前に俺と会ってからずっとここにいたのか」
「はい」
「退屈だったろう?」
「私にはそのような感情は定義されていません」
あまりにも予想と符合していた返答に、トウゴは思わず|噴《ふ》き出した。
「いかがなさいましたか」
「いや。ちょっと、な」
アンドロイドは不思議そうな顔をするでもなく、視線をトウキョウ・シティの方へ戻した。トウゴは煙草の煙を吐きながら、同じ方を眺めていた。
「いいねえ。夕陽に輝く町ってのは。なあ。どうしてだと思う?」
「夕陽は人間にセンチメンタルな影響を与えるとされているためです」
「なるほどな。確かにそうだ。じゃあ、夕陽に照らされるトウキョウ・シティが|綺麗《きれい》なのはなんでだ?」
アンドロイドは思考する様子も見せず、即座に回答した。
「夕陽は人間の感性に直接作用する原始的な象徴です。一方で現在のトウキョウ・シティは科学の象徴ともいえる程、機械的な町です。その両者の対比構造が貴方に特別な感情を抱かせていると予想されます」
トウゴは吸殻を携帯灰皿に入れるとアンドロイドに向かって拍手した。
「いいね。そうかもしれないな。対比構造ね。言われてみればそんな気もする。なるほどな」
トウゴが二本目の煙草を吸い終わるまで、二人は動かずに町を眺めていた。
「前回来た時も思ったけどよ。お前とこういう話をするの、なんか好きだわ。お前の解説が面白い」
「|恐縮《きょうしゅく》です」
アンドロイドは丁寧にお辞儀をした。
「なあ。当てられるか? 俺が今日、何をしにここに来たか」
「判断材料が不足しています」
「それもそうか。じゃあ、ヒントだな。俺は今日、休みじゃない。仕事の一環だ。そんな俺は都庁の水没対策チームの一員。そしてこの地区は三日前に水没認定を受けた。都庁の人間が水没地区を訪れる理由はそう多くないと思うぜ」
「残留品の回収でしょうか」
アンドロイドは表情を変えずに答えた。
「そう。大正解だ。俺は前回ここを回った時に、残留品をひとつだけ見つけた。お前だ。俺は、お前を回収しに来たんだ」
アンドロイドはその整った形の目をほんのわずか見開いた。その瞳に西日が差すのがトウゴの目に映った。
「残留品の回収はその持ち主から特別な|申請《しんせい》があった場合にのみ、行なわれるという習慣があります。私の元の持ち主は私を廃棄しております」
「ああ、そうだ。お前の持ち主だったやつから依頼なんかなかった。お前は今、誰のものでもないんだ」
トウゴだけが、その言葉に|寂《さび》しい響きを感じていた。彼は三本目の煙草に火を点け、口を開いた。
「俺の家はさ、そう広くもないんだが、片付けるやつがいたらいいなって思うこともあるんだ。どうだ、お前、俺のとこで働かないか」
アンドロイドはトウゴの顔を見たまま、固まった。
「私を回収し、再度、所有者登録の契約を交わす手間を考えると、新型のアンドロイドを購入した方が手軽で、結果的に経済的にも利益があると思われます」
「いいんだよ。そんなことは気にしなくて。俺はお前がいいんだ」
そう言いながら、トウゴは|何処《どこ》か、気恥ずかしさを隠せないでいた。
「私と同じ型、同じバージョンのアンドロイドは現在では新規に購入可能です。手間を考慮するとその方がメリットが大きいと思われます。自己学習によって得た多少の個体差はあれど、基本的には同じ型であれば同様のコミュニケーションが期待できます」
「違うんだ」
トウゴはゆっくりと首を振った。
「俺はな、今、俺の目の前にいるお前がいいんだ。型だとかバージョンだとか、そんなことはどうでもいいんだよ」
「理解不能です。どうしてそこまで私という個体にこだわるのですか」
より赤く色づいた西日を|遮《さえぎ》るものは周囲に何もなく、水と平面的な屋根しかない景色の中で二人だけが際立って存在していた。トウゴはアンドロイドの疑問にどう回答しようかと、しばらく思案したが、やがて観念したように息をついてから口を開いた。
「前にお前と会った時によ、水に沈む町が綺麗だって話したろ。あの後考えたんだ。何が一番綺麗だったかって。そして思いだしたのが……お前だ。水に沈んでいく地区の中、たったひとりでベランダで立ってるお前が、一番、印象に残ってた。こいつは生きてるんだって妙に確信できたよ。なんでだろうな」
「私に生死の概念はありませんが、極端に動きの少ない景色の中で、私という、人間に近い姿の存在を見たためにそのような感情が喚起されたのだと思われます」
「いいんだよ。理屈は」
水面は|凪《な》ぎ、潮の香りを乗せた、秋の垣間見える風が吹いていた。
「それにお前。死にたくないんだろ」
「私にはそのような感情は定義されていません」
「いいや。されてるね」
トウゴは食い下がった。
「もし、死んでもいいと本当に思ってたなら、お前、どうして屋根まで上がってきた? 前回会った時はベランダにいたろ。お前は誰に命令されるでもなく、自分でここまで上がってきたんだ。死にたくなかったんだろ」
アンドロイドに蓄積されている|筈《はず》の情報はトウゴの言葉を否定するに足りなかった。アンドロイドは|中枢《ちゅうすう》回路に定義されていない感情が湧き上がるのを感じていた。
「AND03-T12-SUMIRE」
「へ?」
「私の名称です。一般的にはスミレと呼ばれています」
スミレはトウゴの方を向き、深く頭を下げた。
「貴方のことはなんとお呼びすれば」
「タキザワ・トウゴ。トウゴだ。よろしくな」
「承知しました。トウゴ様ですね。所有者申請が終わった後、改めてご挨拶申し上げます」
「かたいな、お前は」
トウゴは立ちあがり水上バイクに跨った。
「さ、後ろ乗れ。気をつけろよ」
「はい」
スミレは危なげなく水上バイクに乗った。
「俺の腰に手を回して、離すなよ」
「はい」
トウゴは背中にアンドロイドの質量とかすかな温もりを感じた。
「乗ったことあるか? 水上バイクは」
「アンドロイドにそんな状況はまず、あり得ません」
「だろうな。じゃ、スミレが初めてだ。気持ちいいぞ。潮風を突っ切って走るのは。おまけに今は夕暮れだ。最高だな」
「私にはそのような感情は定義されていません」
そう言いながら、スミレは初めて笑みをみせた。
二人を乗せた水上バイクは赤く色合いを変えた空の下を、メタリックな大都市へと一直線に走っていった。
0トウゴはとある屋根の隣に水上バイクを停止させた。ソーラーパネルを|搭載《とうさい》した屋根の上に、黒い衣服の女性が立っていた。
「よう。アンドロイド。久しぶりだな。俺のこと覚えてるか」
トウゴは夕陽を受けながら遠くを見つめるアンドロイドに声をかけた。彼女は表情のない顔で彼を一瞥した。
「はい。貴方とは、この場所で三十三日前にお会いしました」
「機械的な|挨拶《あいさつ》だね。ま、それもそうか」
トウゴはエレクトロ・ウォッチを起動させるとアンドロイドの前に|電脳板《でんのうばん》を投影した。アンドロイドの視線が自然とその半透明の映像に向けられた。
「見ろよ、これ。とうとう、ここも水没認定だぜ。全く、困るね。海面上昇は」
「海面上昇は今後も続くと予想されます。国立研究所の発表によると今後数年以内に人類の居住可能なスペースの三分の一以上が水没認定を受けるものと予想されます」
「あら。ご丁寧に悲しいニュースをどうも」
トウゴは電熱ライターで煙草に火を点けトウキョウ・シティの方を眺めた。
「喫煙は健康に重大な悪影響を及ぼすと統計のもとに立証されています」
「まあまあ。細かいことは言いっこなしだ。変わらないな、お前は。そっち、行っていいか? 居住権は水没認定と同時に消失してる」
「構いません」
トウゴは水上バイクから屋根へ移ると、アンドロイドの足元に腰を下ろした。都庁に反射した夕陽が一瞬間、刺すようにトウゴの視界に入った。
「夕陽が目に染みるな。あんた。前に俺と会ってからずっとここにいたのか」
「はい」
「退屈だったろう?」
「私にはそのような感情は定義されていません」
あまりにも予想と符合していた返答に、トウゴは思わず|噴《ふ》き出した。
「いかがなさいましたか」
「いや。ちょっと、な」
アンドロイドは不思議そうな顔をするでもなく、視線をトウキョウ・シティの方へ戻した。トウゴは煙草の煙を吐きながら、同じ方を眺めていた。
「いいねえ。夕陽に輝く町ってのは。なあ。どうしてだと思う?」
「夕陽は人間にセンチメンタルな影響を与えるとされているためです」
「なるほどな。確かにそうだ。じゃあ、夕陽に照らされるトウキョウ・シティが|綺麗《きれい》なのはなんでだ?」
アンドロイドは思考する様子も見せず、即座に回答した。
「夕陽は人間の感性に直接作用する原始的な象徴です。一方で現在のトウキョウ・シティは科学の象徴ともいえる程、機械的な町です。その両者の対比構造が貴方に特別な感情を抱かせていると予想されます」
トウゴは吸殻を携帯灰皿に入れるとアンドロイドに向かって拍手した。
「いいね。そうかもしれないな。対比構造ね。言われてみればそんな気もする。なるほどな」
トウゴが二本目の煙草を吸い終わるまで、二人は動かずに町を眺めていた。
「前回来た時も思ったけどよ。お前とこういう話をするの、なんか好きだわ。お前の解説が面白い」
「|恐縮《きょうしゅく》です」
アンドロイドは丁寧にお辞儀をした。
「なあ。当てられるか? 俺が今日、何をしにここに来たか」
「判断材料が不足しています」
「それもそうか。じゃあ、ヒントだな。俺は今日、休みじゃない。仕事の一環だ。そんな俺は都庁の水没対策チームの一員。そしてこの地区は三日前に水没認定を受けた。都庁の人間が水没地区を訪れる理由はそう多くないと思うぜ」
「残留品の回収でしょうか」
アンドロイドは表情を変えずに答えた。
「そう。大正解だ。俺は前回ここを回った時に、残留品をひとつだけ見つけた。お前だ。俺は、お前を回収しに来たんだ」
アンドロイドはその整った形の目をほんのわずか見開いた。その瞳に西日が差すのがトウゴの目に映った。
「残留品の回収はその持ち主から特別な|申請《しんせい》があった場合にのみ、行なわれるという習慣があります。私の元の持ち主は私を廃棄しております」
「ああ、そうだ。お前の持ち主だったやつから依頼なんかなかった。お前は今、誰のものでもないんだ」
トウゴだけが、その言葉に|寂《さび》しい響きを感じていた。彼は三本目の煙草に火を点け、口を開いた。
「俺の家はさ、そう広くもないんだが、片付けるやつがいたらいいなって思うこともあるんだ。どうだ、お前、俺のとこで働かないか」
アンドロイドはトウゴの顔を見たまま、固まった。
「私を回収し、再度、所有者登録の契約を交わす手間を考えると、新型のアンドロイドを購入した方が手軽で、結果的に経済的にも利益があると思われます」
「いいんだよ。そんなことは気にしなくて。俺はお前がいいんだ」
そう言いながら、トウゴは|何処《どこ》か、気恥ずかしさを隠せないでいた。
「私と同じ型、同じバージョンのアンドロイドは現在では新規に購入可能です。手間を考慮するとその方がメリットが大きいと思われます。自己学習によって得た多少の個体差はあれど、基本的には同じ型であれば同様のコミュニケーションが期待できます」
「違うんだ」
トウゴはゆっくりと首を振った。
「俺はな、今、俺の目の前にいるお前がいいんだ。型だとかバージョンだとか、そんなことはどうでもいいんだよ」
「理解不能です。どうしてそこまで私という個体にこだわるのですか」
より赤く色づいた西日を|遮《さえぎ》るものは周囲に何もなく、水と平面的な屋根しかない景色の中で二人だけが際立って存在していた。トウゴはアンドロイドの疑問にどう回答しようかと、しばらく思案したが、やがて観念したように息をついてから口を開いた。
「前にお前と会った時によ、水に沈む町が綺麗だって話したろ。あの後考えたんだ。何が一番綺麗だったかって。そして思いだしたのが……お前だ。水に沈んでいく地区の中、たったひとりでベランダで立ってるお前が、一番、印象に残ってた。こいつは生きてるんだって妙に確信できたよ。なんでだろうな」
「私に生死の概念はありませんが、極端に動きの少ない景色の中で、私という、人間に近い姿の存在を見たためにそのような感情が喚起されたのだと思われます」
「いいんだよ。理屈は」
水面は|凪《な》ぎ、潮の香りを乗せた、秋の垣間見える風が吹いていた。
「それにお前。死にたくないんだろ」
「私にはそのような感情は定義されていません」
「いいや。されてるね」
トウゴは食い下がった。
「もし、死んでもいいと本当に思ってたなら、お前、どうして屋根まで上がってきた? 前回会った時はベランダにいたろ。お前は誰に命令されるでもなく、自分でここまで上がってきたんだ。死にたくなかったんだろ」
アンドロイドに蓄積されている|筈《はず》の情報はトウゴの言葉を否定するに足りなかった。アンドロイドは|中枢《ちゅうすう》回路に定義されていない感情が湧き上がるのを感じていた。
「AND03-T12-SUMIRE」
「へ?」
「私の名称です。一般的にはスミレと呼ばれています」
スミレはトウゴの方を向き、深く頭を下げた。
「貴方のことはなんとお呼びすれば」
「タキザワ・トウゴ。トウゴだ。よろしくな」
「承知しました。トウゴ様ですね。所有者申請が終わった後、改めてご挨拶申し上げます」
「かたいな、お前は」
トウゴは立ちあがり水上バイクに跨った。
「さ、後ろ乗れ。気をつけろよ」
「はい」
スミレは危なげなく水上バイクに乗った。
「俺の腰に手を回して、離すなよ」
「はい」
トウゴは背中にアンドロイドの質量とかすかな温もりを感じた。
「乗ったことあるか? 水上バイクは」
「アンドロイドにそんな状況はまず、あり得ません」
「だろうな。じゃ、スミレが初めてだ。気持ちいいぞ。潮風を突っ切って走るのは。おまけに今は夕暮れだ。最高だな」
「私にはそのような感情は定義されていません」
そう言いながら、スミレは初めて笑みをみせた。
二人を乗せた水上バイクは赤く色合いを変えた空の下を、メタリックな大都市へと一直線に走っていった。