SATAN -サタン- 〜モモカと悪魔〜 

作家: 大崎あむ
作家(かな): おおさきあむ

#0・プロローグ

更新日: 2024/10/02 11:26
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本編


 信じられるだろうか──。
 
 魔王軍を裏切り、人間の少女と平和に暮らす悪魔が居るなんてことを。
 きっとそいつは、双方から蔑《さげす》まされている、どうしようも無いロクデナシだ。

 殺されるのが怖くて逃げて来たなんて、とても他人に言えないだろう……。
 けれど、どんなに腰抜けでも、彼女と一緒に暮らせるならそれでいい。

 俺の価値観は、もうヒトである──。

「グーちゃん!!」

 突然、元気いっぱいの声が響くと同時に、背後《うしろ》が柔らかな温もりに包まれる。
 一人の少女が、このぼやけた背中に抱きついた。

 古びたアパートの一室。

 俺はベランダから、目前《もくぜん》に広がる広野を眺めていた。
 緑に包まれた一筋《ひとすじ》の水流。
 辺《あた》りの自然を恵《めぐ》ませる小さな川が、心地良い水の音を奏《かな》でて流れている。

 透き通った水面は、薄黄色《うすきいろ》の陽光に照らされ、キラキラと反射し輝きを放つ。
 ベランダの柵《さく》に腕《うで》を置いて寄りかかり、時を忘れ、その美しい光景をずっと眺めていた。

 そして、彼女もベランダにやって来たのだ。
 俺の“大切な名前”を呼んでくれながら。

 肌を撫《な》でる心地よい風にあたりながら、彼女と2人で唯《ただ》目の前の平和を噛み締める。
 隣に立つ少女の横顔は、無邪気で、なのに何処《どこ》か落ち着いていて、まるで世界を一周してきたかのような“悟《さと》り”を不思議と感じさせる。

「素敵だよね、この景色」

 彼女は俺の方を向き、優しく微笑みながら語りかけてくれる。

 素敵だ。
 この景色も、彼女の笑顔も。
 
 ようやく手に入れたモノ。
 だから絶対に失ってはいけない。

 そして俺も、彼女に微笑み返す。
 昼下がりの木漏れ日の中、この平和な景色を二人でずっと眺める。
 
 今日から俺たちは、ここで暮らす───。

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 ✳︎


 夏が過《す》ぎ、穏やかな風が吹く10月の季節──。
 
 煌《きら》びやかに夏の輝きを放っていた新緑も、紅《あか》や黄色といった『秋の色』に姿を変え始めていた。

 目的地への道中、そんな季節の移り変わりを感じながら、俺はのんびりと“この田舎《いなか》の歩道”を歩む。
 そして目的地の前に着くと、その先にはまだ踏《ふ》み入らず、高く聳《そび》える白い建物を見上げ、暫《しばら》くの間考え事をしていた。

 俺の目の前には、病院がある──。
 この田舎《いなか》街には数少ない貴重な総合病室院だ。
 その入り口の前に、俺は呆然《ぼうぜん》と佇《たたず》んでいるのだ。
 
 そうして気がつけば、唯《ただ》風に吹かれて“少し前の思い出”や“この先の未来”の事を頭に浮かべたりして、無限大の妄想に耽《ふけ》ていた。

 15分……。
 30分と時が流れていく──。
 
 病院を行き来する人間たちが、俺の顔を伺《うかが》うようにして通り過ぎて行く。
 まるで不審者を見るかのように。
 
 しかし、そんな事を気にする余裕が無いほど、俺の心は高揚《こうよう》感で満ち溢れているのだ。
 
 今日は彼女に会える。
 いつもの時間まであと2分。
 もう行くか……。いや早いか?

 何時《いつ》から俺の頭の中は、彼女の事でいっぱいだった──。
 そうこう考えているうちに、俺の足は自然に動いて入り口の自動ドアを潜《くぐ》っていた。

 目的地《へや》は2階だ──。
 トントンと階段を駆《か》ける音が、俺の胸の高鳴りを上げ続ける。

 階段を上がった先に見える『ロビー』を抜け、蛍光灯の電気が消えた少し薄暗い廊下を突き進む。

 その最奥にある、孤立した病室。
 前に着くと、コンコンとドアをノックした。

「はーい!」

 すると、ドアの向こうから可愛らしい返事が返ってきた。

「モモカさん、俺です」
「グーちゃん!?」

 ガラッ。
 病室のドアを開けると、“華奢《きゃしゃ》”という程、小柄な少女がベッドに腰を掛けていた。

 少女は袖《そで》にピンク色のリボンの付いた『白いパジャマ』を着ており、まだ少し幼さを感じさせる容姿をしている。
 膝《ひざ》まで布団が被さっており、その小さな両手には、小綺麗で少し大きめな本を抱えている……。
 どうやら、読書中だったようだ。

「グーちゃん、また来てくれたの!?」
「えぇ、仕事が早く終わったので。読書の邪魔しちゃいました……?」
「ううん、ぜんぜん!お仕事おつかれさま」

 病室に響き渡る彼女の優しい声色に、俺はいつの間にか“癒し”を感じていた。

「よいしょっと」

 すると彼女は、気を利かせてベッドから降りようとする素振りを見せる。

「モモカさん、俺がそっちに行くんで大丈夫ですよ!」

 俺は彼女にアイコンタクトを取りながら呼びかけた。

「ごめんね……ありがとう」

 すると、彼女はベッドを降りるのを辞めて、もう一度膝まで布団を覆《おお》う。
 彼女をあまり動かせてはならない──。

 白色のこの病室に、今日もまた訪れる。
 ベッドの隣に置かれた木製の小さな“机”の前に、病室の隅に置いてあった“丸椅子”を持ち運ぶ。
 彼女は体勢を整えながら、丸椅子を運ぶ俺を見つ目ていた。

 ベッドの上で身体を回す彼女の姿は、まだ幼く初々しいのに、少し気品を感じさせるのだ。
 そう思うのは、彼女と共に歩んで、彼女の事を知り、理解し、たくさんの成長を見てきたからだろうか……。

 丸椅子を机の前に下ろす。
 すると、屈《かが》みごしに、ふと彼女の瞳が目に入った。
 薄緑《うすみどり》色をしたその瞳は、窓から差し掛かった光に照らされ、キラキラと虹彩を輝かせる。

 その瞳を前に、ただ見惚れていた──。

 丸椅子の前に立ちつくした俺を見て、彼女はゆっくりと頷く。
 それは『どうぞ』と言わんばかりに、俺に着席を誘導する“始まりの合図”。

 彼女の瞳に吸い込まれるように、見つめ合ったまま、我を忘れて腰を下ろす。
 彼女もまたベッドに腰掛けながら、机を囲い向かい合う……。

 いつも通りだ。
 でも、いつまで経っても照れくさい。
 この光景は──。

「グーちゃん、お仕事もあるし、あんまり私のこと気にしなくていいんだよ?」

 彼女は、少し申し訳なさそうな笑みを浮かべ、気遣いのある言葉で語りかける。

「いやぁ、モモカさんに会いたくて来てるんで。寧ろ来たいっていうか……。あぁやっぱ
迷惑だったかなぁ、なんて。あはは……」
「ぜんぜん迷惑じゃないよぉ。私、グーちゃんが来るの本当に嬉しいんだから!!」

 彼女は少し眉間にシワを寄せ、そう答えた。
 そこまで分かりやすく否定してくれると、なんだか照れるなぁ……。

「見て、グーちゃん!昨日ね、東山先生からプレゼントもらっちゃたの。ほら!!」

 彼女はニコニコと笑みを浮かべながら、さっき持っていた本を俺に見せてくれる。

 それは、花の図鑑だった──。

「おっ、花の図鑑じゃないですか!これ、さっき読んでたやつですよね」
「うん。グーちゃん、一緒に見よ!」

 彼女と一緒に過ごせる事。
 それが現在《いま》の俺の至福の時間──。

 だが、こうして人間と仲良くする事は、本来であればご法度なのだ。
 なぜなら、俺たちにとって人間は敵でありエサであり奴隷の対象だから。

 俺は……人間では無い。
 “魔界”から来た。

 が……なぜかその魔界へ帰れなくなった。
 そして“人間の世界”の捕虜となり、この世界で暮らしている……。

 俺は……“悪魔”だ。

 そしてこの少女、名前は『夏目桃花』。

 彼女は持病を抱えており、病院の中で生活をしている。体があまり強くないので、一時退院の時以外は余《あま》り外に出た経験がないという。

 彼女は一見すると普通の人間の少女。
 シルクのように透き通る、艶《つや》やかな黄土色の髪。
 少しカールの掛《か》かったロングボブの髪型は、無邪気な子供らしさを感じさせるが、可愛いらしく、とても似合っている。
 年齢は、この前聞いた時に14歳と話していた。

 彼女くらいの歳であれば、教養を身につけるために人間の『学校』に通うのが普通らしい。
 ……が彼女は殆《ほとん》ど学校に顔を出していない。
 要するに、彼女は普通の人間とは“違う時間”を過ごしているのだ──。

「あっ!このお花かわいいね!グーちゃん」

 嬉しそうに図鑑を眺めながら、俺に話しかけてくれる──。
 眺めていたのはリンドウという花のページだった。
 
 その花は、小ぶりで可愛らしいシルエットをしているが、海を連想するような、落ち着いた“藍色”をしている。
『可愛い』といっても派手な方ではなくて、静《しずか》でお淑《しと》やかな雰囲気だ。
 こういった花が好きなのか?

「あっ 可愛いですね!“青い花”ってなんか特別感ありませんか」
「うんうん!特別感ある!グーちゃんわかってますねぇ……」

 気がつくと何時《いつ》も、お互いの気持ちが昂《たかぶ》って、会話が弾んでいる。
 今日も彼女とたくさんの事を話す予定だ。

 俺の生活話、最近あった面白いこと 、都市伝説やオカルトの話 、漫画や小説の話 、次読みたい本の話。そして……。

「退院したらグーちゃんと色んなお花、観に行きたいな!」

 退院したらやりたい事ことの話──。

「そうですね……俺も、色々見てみたいです」

 彼女との会話はいつも途絶えない。
 ただこの“退院したらやりたいことの話”に限っては、なるべくしないようにしている。
 だから、今日も話を逸《そ》らす。

「モモカさん、他に好きなお花はありますか」
「え、他に好きなお花?うーん、なにかなー」

 頰に手を当て、じっくり考えている。
 彼女のこういった仕草は本当に愛らしく、とても惹《ひ》かれる。
 文字通り『女の子らしさ』を感じるからだろうか。
 きっと彼女の純粋さが自然と仕草になるのかもしれない。

「あっ、サクラかな!」
「サクラ?」

 それは、知らない花の名前だった。

「うん。そっか、グーちゃんは観たことないんだっけ。これだよ!サクラは木に咲くんだよ」

 彼女はペラペラと図鑑をめくり、開いたページを俺に見せてくれる。

 仄《ほの》かに淡い“ピンク色の花”を咲かせた木枝《こえだ》。
 図鑑に写る、どこか儚《はかな》げなその“花の名”は『サクラ』という。

「あー、綺麗ですね!オレも好きです!」
「でしょ!」

 共感してもらえたのが嬉しかったのか、彼女は朗《ほが》らかな笑みを浮かべて頷《うなず》いてくれる。

「モモカさんは、なんでサクラが好きなんですか?」
「うーん、毎年ココから見えるから……かな」

 彼女は後ろを振り向き、ベッドの奥の“窓”を見つめた。
 窓からは、一階の庭に聳《そび》え立つ一本の“樹木”が見える。

 この木にサクラが咲くのか……。

「毎年の楽しみなの!春になると咲くから、グーちゃんにも見せてあげたいな。凄く綺麗なんだよ!」
「そうなんですね!それじゃ来年の春は一緒にこのサクラをみたいですね!」
「うん!」

 現在《いま》の季節は“秋”。
 気温が下がり、過ごしやすいが少し肌寒さを感じ始める季節。

 俺が彼女と出会ったのは“初夏”だった……。
 だから丁度、このサクラの木が咲いている所は観ることができなかったという事だ。

「ねぇ、グーちゃんと初めてあったのは、5月だったよね」

 彼女は机に腕を置いて、少し低い姿勢から上目遣いで俺の瞳を見つめる。
 俺の瞳に映る彼女の表情は、思い出に浸《ひた》る、楽しさを隠しきれない何処か悪戯《いたずら》な笑顔だった。

 そうだ……。
 もう、だいぶ経つのか。
 彼女に出会ってから……。

「グーちゃん、初めて会った時のこと覚えてる?」

 覚えている──。

「もちろんです、モモカさん」

 あの頃から、だいぶ俺は変わった……。

「えへへ」

 彼女は少し目を細め、柔らかに微笑む。
 出会いというのは、運命の気紛《きまぐ》れだろうか。
 
 将又《はたまた》、二人が望まなくとも、この出会いは必然だったのだろうか──。

 記憶が……蘇る。
 彼女と俺の契約は、突然に始まったのだ。

     


 「 SATAN -サタン- 〜モモカと悪魔〜 」



            【プロローグ・終】

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