紫の瞳の魔女

作家: ジップの本棚
作家(かな): じっぷのほんだな

待ち合わせは運命の出会い

更新日: 2024/08/18 12:35
現代ファンタジー

本編


 今考えると、それは奇妙な出会いだった。
 確かに人付き合いのよい方ではない。それだけに人との出会いは多くはないだろう。
 けれど、出会いは数ではない。価値あるのは、その中身なのだから……。

 寒い冬の夜。
 道を行く人の数もまばらになっている。
 バーのカウンター席に座っていた彼女は、ちらりと腕時計を見た。

 予定の時間は、とっくに過ぎているが約束の相手はいまだ来ていない。
 携帯電話から何度かメッセージを送ってみたが、返信もないし既読もされていない。
 ここへ来る途中で何かあったのだろうか? 単にすっぽかされたのか?
 おそらく事実は後者だろうが、彼女は、もう三時間以上もこの店で待ち続けている。
 相手を信じたいのか、それともすっぽかされた事実を認めたくないのか。あるいはその両方なのか。
 私は、いまだに来ない相手を待ち続けていた。

 私がイギリスに来て3ヶ月になる。
 中々、友人もできないなか、デートに誘われたのはつい最近だった。
 それほど話したこともない相手だったし、好みの顔立ちというわけではなかったが、長く孤独の時間が続くと人恋しくなるものだ。
 私は、二つ返事で誘いを受けてしまった。

 待ち合わせ場所にしたホテルのラウンジに来るまでは、浮かれた気分でいた。
 ところが今ではその逆。信じられないくらい最悪の気分になっていた。

「何か飲まれますか?」と、空になったグラスに気がついたバーテンダーが声をかけてきた。
 空のグラスのままカウンター席に座っていても、格好がつかないし、なんとなく気まずい。
 未冬は、もう一杯注文することにした。
「同じものでよろしいですか?」と、バーテンが言う。
 私は、別のカクテルを頼むことで気分を変えようとした。
 ところがメニューをみても、カクテルの種類に疎い私には、どんな味かも思い浮かばない。
 そこでバーテンダーに訊いてみることにした。

「あの、何かお勧めみたいなものはないでしょうか? くどくないものがいいんですけど」

 バーテンは、
「それなら、バイオレットフィズなどはいかがでしょう。さっぱりした味わいで香りもよろしいですよ」
 バーテンダーはそう教えてくれた。
 私が勧めれたたカクテルに決めると、バーテンダーは、にこりと笑顔を見せた後、カクテル作りに取り掛かった。

 出来上がりを待っている間、店内を見渡してみる。
 大勢の客。仲間同士で会話を楽しむ者。恋人同士で語らう者。深刻な表情で話し合う者と様々だ。
 ふと、自分が他の客から見てどう見えているのかと思った。
 同じフロアにいる筈なのに、自分だけが違う空間にいる気がしてくる。
 まるで世界が自分だけを置き去りにしてどこかへ行ってしまったようだ。

 そんな事を思いながら店の入口にふと目をやると、ちょうど誰かが入ってきた。
 私は一瞬、自分が待っている相手ではと期待したが、入ってきたのは、見知らぬ客だった。

 期待した自分が嫌になり、待ち人は、もう来る事はないだろうな、と思う。
 そんな事を考えながら、私はなんとなく、先程の女性客を見てみる。

 整った顔立ちにヘルシーショートにしたプラチナブロンドの髪。着ているのはメンズスーツにネクタイ姿だったから、一瞬男性かとも思ったが、それも似合っているように思える。
 ちょっと古い言い方をするなら男装の麗人と言ったところだろうか?

 女性客は、何かを……誰かを探すように周囲を見渡していた。
 彼女も誰かと待ち合わせなのかな……?
 ぼんやりとそんなことを考えているとバーテンダーの声が聞こえた。
 出来たてのバイオレットフィズがコースターに乗せて差し出される。
 紫色がグラスの下に雲のように広がっていて、なんとも見た目が美しい。

 手にとったグラスを口に近づけるとバーテンダーの言う通り良い香りがする。
 少しの間、香りを楽しんでいると左隣に誰かの気配がした。
 ちらりと横を見ると、席をひとつ空けて、隣にさきほどの女性が座っていた。
 私は何故か緊張してしまう。
 そうしていると彼女は視線に気づき、私に振り向いた。
 彼女の瞳は、バイオレットフィズのような美しい紫色だった。見つめられていると吸い込まれてしまいそうな不思議な感覚になってくる。

 そんな事を思っていると、彼女は私に微笑みかけた。
 きっと、私が顔を見つめすぎてしまったのだ。私は、恥ずかしくなって顔をそむけてしまう。
 ところが相手は予想外な行動をした。

「あなた、日本の人?」

 彼女が突然、日本語で声をかけてきたのだ。
 あまりにも流暢な日本語に私に驚いた。

「実は、私にも日本人の血が入ってるの。母は日本の人なの」

 言われてみれば、目元や細い顎にどこか日本人らしさがある。
 もしかしたら、その美しいプラチナブロンドの髪は染めているだけなのかもしれない。

「君……ばかに見つめてくるけど……私の顔に何かついてる?」

 彼女が小首を傾げて私にそう尋ねてくる。

「あっ……!  ごめんなさい、つい」

 私が慌てて謝ると彼女は笑いながら言った。

「ああ、わかってる。この瞳でしょ? よく不思議がられるの。東ヨーロッパでは、稀にいるみたいだけど」

 彼女は初対面とは思えないほど親しげに私に話しかけてきた。
 その後、日本語で話せたという事も手伝ってか会話が続いた。
 いつの間にか、空いていた席は詰められ、気がつけば隣り合わせになって会話を楽しんでいた。
 人見知りな私も何故か、彼女と話しているのはとても楽しく感じられる。
 それに、彼女のバイオレットの瞳を見つめていると、不思議と話に引き込まれてしまうのだ。
 バイオレットフィズを飲み干したら、もう帰ろうと思っていたのに、今では、そんな事はどうでもよくなっている。

 彼女の名前は、凜夏《りんか》・ランカスター。
 イギリス人で、仕事でこの街に来ていると説明された。
 知り合いとの待ち合わせで、この店に来たのだが約束の時間はとっくに過ぎているという。
 どうやら未冬のように約束をすっぽかされたという事らしい。

「私は、玖月 美冬《くづき みふゆ》と言います」
「みふゆ? どんな字を書くの? 私、漢字も少し知ってるの」

 そう聞いてくる凜夏《りんか》さんに、私は字を教えた。

「美しい冬と書いて、みふゆ……いい名前だね」

 彼女はそう言って私の名前を褒めてくれた。
 人と話す事が苦手な未冬だったが、凜夏との会話は、不思議なほど、よく弾む。
 そして、いつのまにか会ったばかりの彼女と、長く一緒にいたいと思うようになっていた。

「ねえ、他で飲み直さない?」

 ほどよく、時間が経った頃、凜夏がそう提案してきた。
 私が、スマホで時間を確認すると、もうずいぶんと遅い時間になっている。

「私、良い店を知っているの」

 凜夏さんは、そう切り出すと私の手の上に自分の手をそっとのせた。
 とても冷たい手だった。

 私が顔を上げると、バイオレットの瞳がじっと私を見つめている。
 時間も遅かったし、頭では帰るべきだと考えていた。でも、この美しい瞳に見つめられていると、どういうわけか、拒むという気持ちが薄れてしまう。

「約束を、すっぽかされたもの同士で……ね?」

 悪戯っぽく笑いかける凜夏さんに私はぎこちなく頷いてしまった。

「そうですよね。もう少し二人で愚痴るのもいいかも……」

 こういうの、私のスタイルじゃないし、やっぱり断わるべきかも……でも今は彼女と、もう少し長く過ごしたい。
 こんな気持は初めてだった。
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