まめなるもの。

まめなるもの。

更新日: 2023/06/02 21:46
SF

本編


 なあ、大豆。僕の話を聞いてくれないか。
 いや、ただの植物の種に話しかけたって返事がないことくらい知っている。
 あいにく僕は物心ついたころから研究三昧でね。悲しいけれど黙って僕の話を聞いてくれるのが大豆である君しかいないというのもある。今更になってもっと他の研究員と話をしておけば良かったと思っても後の祭りという訳だ。
 それでもやっぱり、この選択は間違いではなかったと思いたい。もっと後になって、あの時話しておけば良かったなんて後悔はしたくないからね。


 最初は確か、遠藤教授が僕の研究室にやってきて「たまには他の植物も育ててみると新たな発見があるかもしれないよ」なんてそら豆の種を置いていったときだった。
 ああ、君は知らないだろうから説明すると、僕はこの施設で植物の研究をしている。専門は君。そう、大豆だ。
 大豆は良いぞ。最高だ。まだ青い実は枝豆として、茶色くなるまで熟成した豆は煮ても焼いても発酵させても良い上に栄養価も高く美味いときた。毎日納豆、油揚げの味噌汁、醤油をかけた冷や奴でも飽きることは……ああ、話が逸れたな。ええと、そうだ。遠藤教授がそら豆の種を持ってきたんだ。
 時期的に大豆の収穫が終わった頃でね。まあ、決して暇ではないのだが、新しい発見があるかもしれないというのは一理ある。

 僕はしぶしぶ大豆用の鉢をひとつ空け、そら豆の種を植えた。
 遠藤教授が置いていった資料のひとつを参考に見よう見まねで世話をしてみたが、やはり植える時期からずれている植物というのは中々骨が折れるものだ。気を抜いたらすぐに萎れてしまう。それでもこまめな世話が功を奏したようで、やがて種から芽が出て葉が茂り、大きな花が咲いた。順調だったよ。
 鞘さやがとんでもなく大きかったことを除いてね。
 童話に出てくるような……ああ、君は童話はまだ知らないか、ええと僕と同じくらいの大きさと言えばわかるかな。とにかく大きな鞘の中からぽろりと出てきたのは、そら豆に顔と手足が生えたような奇妙な生き物だった。
 生物学的には女性と分類されるだろう。鞘の割には小柄で、僕の半分くらいの大きさだった。このときは本当に焦ったなぁ。
 慌てて遠藤教授に連絡を取ろうとしてハタと気づいたんだ。遠藤教授が置いていったそら豆の資料が二冊あるということに。
 確認すれば、一冊目には種から実を付けるまで。もうひとつは鞘からそら豆が産まれてからについて書かれていた。
 受け取った直後はあまり乗り気ではなかったから、パラパラとしか見ていなかったんだ。これは完全に僕の落ち度だった。
 よく読み込んでいれば、このそら豆は通常のそら豆ではないことくらい直ぐに理解できていただろうに。
 
 それから僕は事あるごとに二冊目の資料を片手に彼女を育てていった。一冊目とは違い擦り切れた跡が目立つ本でね。所々に散見される遠藤教授のメモがまた役に立つんだ。
 例えば、いくらそら豆であろうと裸は可哀想だろうと予備の白衣を着せたときのことだ。
 あいにく彼女向きの小さなサイズの服がなくてね。新品の白衣を引っ張り出してきて袖を折って着せたのだが、これが随分とまた似合う。胴体のそら豆部分が隠れたら不思議と一気に人っぽく見えるものらしい。そら豆色の肌も隠れて丁度良いじゃないか、などと思っていたら、明らかに元気がなくなり、しょんぼりしてきてしまった。
 どうしたのかと調べれば、本の片隅に遠藤教授の文字で「服を着せたら光合成ができなくなる」と書いてある。なるほど、栄養不足という訳だ。
 でもいまさら服を脱げなんて口が裂けても言えない。 
 だから食事をあげてみることにした。飲む栄養剤も考えたが、味気ないだろう?
 腕によりをかけて大豆のフルコースを用意したのが懐かしいな。不思議そうな顔をしながらも彼女は完食してくれた。嬉しかったなあ。
 経口摂取に切り替えてしばらく、彼女の肌から緑色が後退してきた。光合成する必要がなくなったからだろう。頭部から髪も伸び始め、皮膚の色が僕に近づくにつれ、彼女はますます人らしくなってきてね。背も伸びてきたようだ。
 僕の言葉をオウム返しにしてくることも増えてきた。僕は彼女に名前を与え、言葉を教えた。彼女がこれから生きていくためのマナーを、植物学の基礎を、論文の読み方、書き方を、この研究施設での生活の仕方を教えた。
 彼女は頭の良い子だった。教えたことをすぐに吸収し、自分の力に変えていく力を持っていた。
 そしてよく笑い、よく話す可愛らしい子だった。
 困ったことといえば、僕の料理を段々嫌がるようになってきたことくらいかな。そら豆の方がおいしいとか言ってね。こればっかりは僕も譲れない。よく喧嘩をしたよ。懐かしいな。
 平和な日々を過ごしながら、頭の片隅では気付いていたんだ。時間の問題だと分かってもいた。しかし唐突すぎて心の準備というのが追いつかなかったな。

 確か彼女が鞘から産まれて一年が経ったころだった。
 急にかしこまって「話がある」と言い出したんだ。聞いてみれば僕の研究室から出て、一人で別の植物の研究に専念したい、というじゃないか。
 僕は狼狽する様を隠そうともせず、みっともなく彼女に縋った。引き留めようとした。
 そんな僕を睨みつけ「私、もっと沢山の事を知りたいんです! 畑野教授がやっているように、もっとそら豆について研究したいんです!」そう宣言した彼女は、もはや僕が知っている小さな保護対象などではなかった。
 同じ位置にある目線、女性らしく艶やかで、それでいて意志の強さがうかがえる表情。そら豆の面影などどこにも見当たらない。長年着こなしている白衣がよく似合う──大きな鞘から出てきた小さな姿とは似ても似つかぬ──立派な女性研究員の姿だったんだ。

 ああ、そうか。もう、そんな頃合いなのかと、愕然としたよ。
 突きつけられた現実を受け止めきれずに、彼女の堅く握りしめられた拳をぽかんと口を開けて眺めたのを覚えている。もう、守ってやらなくとも立派に立って歩ける年頃になっていた。
 踵を返し、彼女が廊下へと続く扉に手をかけた。カチャリという音が僕の鼓膜と脳内を揺さぶった。
 正直に言うならば、その先には行ってほしくない。このまま、この研究室で、互いの思考について熱く語り、時に笑い、共に食卓を囲みたかった。
 しかし同時に、彼女はこんな狭い場所に閉じこもっていてはいけない、と分かってもいた。
 もっと広い場所で。もっと自由に成長するべきなんだ。

 ヒールの音を響かせながら廊下を行く彼女は、もはや振り返りもしない。
 涙目で彼女を見送る私を見かねたのか、誰かが声をかけてきた。遠藤教授だった。僕はたまらず全てを打ち明けた。あの子と出会い、別れるまでを。傍目も気にせず泣きながら話した。
 これが親離れ? いや、子離れだろうか、と。

 全てを話し終わったとき、遠藤教授は笑いながらこう言ったんだ。
「私の子も、ようやく親心というものを知ったようだ」ってね。


 なあ、大豆。
君はこれから誰かに植えられ、芽を出し、おとぎ話に出てくるような大きな鞘をつけることだろう。その時までこの話を覚えていてくれたのなら、どうかあの子の良き相談相手になってくれないか。老婆心と言われればそれまでだが、彼女が僕と同じ境遇に立たされたとき、彼女もまた成長できるように見守っていてほしいんだ。あの二冊の参考書を手渡してくれた遠藤教授のようにね。
 枯れゆく僕の最後のお願いだ。よろしく頼んだよ、新しい僕。
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