終末絵図(彩花の場合)

作家: Kyoshi Tokitsu
作家(かな):

更新日: 2024/07/02 19:33
SF

本編


 窓ガラスは割れてこそいないものの、ひびだらけで、スプレー缶で悪趣味な落書きがなされていた。私は恐怖すら感じながらもコンビニに近づいた。中に人のいる気配は、無い。自動ドアの前に立つ。
「開くかな」
手をかけ、スライドさせると、ごとごとと音をたてながら、ドアは開いた。中に入り、スマートフォンのライトを起動した。商品棚は倒され、通路はほぼ無くなっていた。
「なんだよ、これ」
内部も至る所、落書きまみれだった。
 倒れた商品棚を足場にして内部を歩いていると、総菜コーナーに行き当たった。スパゲッティサラダを手に取ると、小さな|黴《かび》が生えていた。レジの前には袋に入ったフライドチキンが落ちていた。拾ってみると、消費期限の欄は終末が発表された日だった。
「この日から、世界が変わった」
当たり前の事実が今更、実感を伴って湧き上がってきた。
私は、あることを直感し、レジの方へ歩き、ライトを向けた。果たしてレジスターは無残に変形していた。カウンターの中へ回って見ると、紙幣はいち枚も残されておらず、煙草の散乱する床に小銭が散らばっていた。
「これが、人間」
さっきまでの高揚感はすっかり消えて、人類に対する果てしない落胆だけが残った。肩を落とし、コンビニを出ようとした私は入り口の方を見て凍った。向こうに誰か立ってる。|咄嗟《とっさ》にスマートフォンのライトを消す。多分、無駄だった。入り口の自動ドアに入った亀裂のために、はっきりとは見えないが、その人物はこっちを向いている。私も、その人物も、しばらく動かなかった。その人物の影が雑誌コーナーの方へ動き、そこで腰を下ろした。
「どうしよう」
私は少しためらって、決めた。今しかない。サッと出ればいいだけだ。
 自動ドアに手をかける。開けて、出る!
「おい、あんた」
無視して歩けばいいものを、私はつい、立ち止まって振り向いてしまった。おじいさんだった。
「あんた、何しとる?」
「え?」
「ここで何しとった?」
おじいさんは何故だか、少し怒っていた。
「いや、違うんです。コレ、やったの私じゃなくて。私はただ、散歩の途中で通りがかっただけで……」
謎の|釈明《しゃくめい》をしてしまった。
「ん? あんた、女の子か?」
おじいさんは立ちあがり、近寄ってきた。
「一応……」
「ひとりか?」
「……はい」
「こんな所にいちゃいかんぞ。危ない。見て分かるだろう? ここには悪い|輩《やから》がたくさん寄り付く。それに、こんな時に、なんで散歩なんぞしとった?」
「ええと、世界がどうなってるのか、見ておきたくて……」
おじいさんは目を丸くして私を見ていた。
「妙な人だな」
そう言っておじいさんは少し、笑った。
「さ、お嬢さんは早くおかえりなさい。なんなら車で送ってあげよう。そうしなさい。今、家から車を――」
「いえ、大丈夫です。家、近いので直ぐ帰れます。それより、おじいさんは何してたんですか」
「そんなことより、早くお帰りなさい」
「私、世界が終末を前に、どうなってるか知りたくて散歩に出たんです。だから、教えてください」
「本当に妙な人だ」
おじいさんは観念したように、再び腰を下ろした。私も、少し離れた所に腰を下ろした。
「最近な、眠れんのだよ。七十年以上も生きたのに、まだ未練があるらしい。この世界にな。しかし、それ以上に|不憫《ふびん》でならん。お嬢さんのように年若い人たちの未来がなくなることが。この店を見なさい。世界の終わりが発表されたその日、強盗にやられた。近所の悪ガキの仕業だったそうだ。若い人が未来をなくし、やけを起こして馬鹿なことをする。このままでは世界が終わる前に人間がどうにかなってしまう。だからな。悪ガキのたまり場になっとるここで、今日こそガツンと言ってやろうと思って来たんだ。世界が終わるとしても、人間の尊厳を捨てるな、とな。しかし、今日に限って悪ガキはおらず、お嬢さんを見つけたんだ。お嬢さんも、悲観して馬鹿なことをしちゃいかんよ」
私も、悪ガキには違いなかった。
「馬鹿なことは、まだそこまでしてないつもりですけど。おじいさん、どうすればいいんでしょう。私たちは」
「そうさなあ」
おじいさんは空を見上げた。もう、すっかり雲は晴れていた。
「人としての誇りを捨てず、大切な人を大切にする、ということだろうか」
「それは、難しいことなのかもしれません」
私は荒らされたコンビニを振り返ってそう呟いた。
「そう。確かに難しいことだろう。人類の心根は悪だと言う者も多い。しかし、世の中にたったひとりでも、世界が終わるその時まで善の心を持ち続けていたなら、人類に対して、私は絶望せずに済む。終わりが近づいた世界とは、|醜《みにく》く、荒廃したもののように思えるが、そこに一輪でも|綺麗《きれい》な花を咲かせたい。私はその日まで、この考えを貫き通して生きるつもりだ。もはや意地だな。ここまで来ると」
そう言って笑うおじいさんの顔は、学校一のイケメンと言われる清水君より、ずっとカッコよかった。いたんだ。世界の終末を美しく彩れる人類が! 私は夜の町に繰り出して良かったと心の底から思った。
「おじいさん。ありがとうございます。私、感動しました。私も咲かせます。花を」
おじいさんは照れくさそうに目線を落とした。
「さ、お嬢さんはそろそろ帰りなさい。家は近いのか?」
「はい、えーと、ここからすぐです」
「そうか。気をつけてな」
「はい。それじゃあ」
私はコンビニを後にした。少しためらってから、海岸の方へ。おじいさん、ごめん。海見たら、ちゃんと帰る。

「あ、ゴミ捨ててくるの忘れた」
気がついたのは踏切を渡ってからだった。ま、いっか。
 とうとう海の間近にやってきた。堤防の向こうで波の音が聞こえる。私は堤防に手をついて夜の海を眺めた。潮風がまともに吹いてくる。そう、これだ。これが海の匂いだ。遠くの浜辺に火が見えた。|焚火《たきび》? キャンプファイヤー? こんな時間なのに、私以外にも人がいるんだ。再び目の前の海に視線を戻す。打ち寄せる波の音が輪郭をぼやけさせて響いていた。心臓に染み込むような音。波をもっとよく見ようと、私はスロープを降りて浜辺に近寄った。
 ?
 何か光った? まただ! 青い光が波間に見えた。私は思わず砂浜を歩き、波打ち際の近くまで歩いていった。街灯の少ない真っ暗闇の中、波打ち際はやっぱり光っていた。あ!
 波打ち際の近くの水面を、青い光が尾を引いた。光は消えることなく、あちこちの水面を鱗のようにきらめかせていた。|飛沫《しぶき》をあげて打ち寄せる波の間でも、発光していた。
「夜光虫だ!」
知っていた。この光の正体がプランクトンだと。でも、そんな事実がどうでもよくなるくらい、絶えず青白い光を放つ海は美しかった。言葉もなく、私はビニール袋をぶら下げたまま、ランダムに発光する幻想的な波打ち際を見つめていた。
 そのうち、その光が私を包んでいる世界に広がっていくような|恍惚感《こうこつかん》が芽生えた。
“世界は終わる”
という音ではない声を、確かに聞いた。とうとう私もおかしくなった? でも、いいや。夜光虫の空間に漂っていることが心地よかった。
「みたいだね。なんで」
“寿命だ”
寿命と言われれば、どうしようもなかった。
「そ。お疲れ」
“私は|憂《うれ》えている”
「何を」
“人類の未来を”
「もう無いって。そんなの」
“終末を知った人類は壊れゆくだろう”
「確かに。そんなのも知ってる」
“物理的な終末よりも先に人類は壊滅するだろう”
私は少し、腹が立った。
「分かんないじゃん。そんなの」
“多次元宇宙でのサンプルはどれも同じ。悲惨な結末を迎えている。ここも同じだ”
「何言ってるか、さっぱり分かんないけど。この世界はそうならないよ」
“何故、そう言い切れる”
音の無い声が初めて質問した。
「私とあのおじいちゃんだけは、花を咲かせるから。人類なめんな」
声が噴き出したみたいな音をたてた気がした。
“そうか。頼んだぞ”
声はそれっきり聞こえなくなった。
 なんだったんだろう。世界の声、かな。それとも幻聴? どっちでもいいや。やっぱり、世界はこれからどんどんおかしくなっていくんだろうか。そうなっても全然不思議じゃないけど。
 夜光虫の海は必要以上に悲観しようとする頭の働きを抑えてくれた。私は両手で|頬《ほお》を叩いた。やってやる。他の皆がおかしくなったって、私はそうはならない。綺麗に終末を彩って、人類が案外悪くないもんだって世界に教えてやる。
「人類なめんなあああああ!」
私は夜の海に向かって、叫んでやった。
見てろよ、世界。行くぞ、人類。
0