鳥居の先になにが見える? ~五十四・血の雨に傘はいらない~

作家: 稲荷玄八
作家(かな): いなりげんぱち

鳥居の先になにが見える? ~五十四・血の雨に傘はいらない~

更新日: 2023/06/02 21:46
SF

本編



 核の炎に包まれて数十年が経った現在。生き残った人々の間には明確な貧富の差が生じていた。
 地表と海は汚染されているため人間の主な生息域は空に作られた浮遊都市である。
 空気は清浄で、緑豊か。
 衛生管理がしっかりしているため、水も汚染されず、食料もバランスの取れたものが配給と至れり尽せりの場所だが、もちろんここに全人類が住めるわけではない。いわゆる上流階級のみである。他の人間は浮遊都市近辺の、汚染された地表と浮遊都市につながるシャフトの中で暮らしてる。
 そこは正しくゴミ溜めといっていい。浮遊都市に住まう人間が落とす残飯や廃棄物を糧に、汚染されていると分かっている水を飲む。非常に過酷な環境で生きながらえているが、核の影響か衛生環境のせいか病気の蔓延が驚く程早く、ほとんどの人間が何らかの病にかかっている。それでもそこを離れないのは「残飯だろうと食料があるだけまし」というただそれだけの理由だ。

 そんなゴミ溜めで育った少年が、自分の上に傘のように広がる浮遊都市を見上げる。

「あそこに行けば、お腹いっぱいご飯が食べられるのかな」

 誰も彼もが目を濁らせ、他人から奪うことしか考えていないような劣悪な環境で、彼は一人、目を輝かせている。
 果たしてゴミ溜めから浮遊都市に移り住むことができるのか。答えはイエスだ、前例がある。この場所に似つかわしくない知識と教養を持った人間が上の連中に気にいいられて召抱えられたのだ。

「僕が頑張って妹を支えないと」

 少年の両親は既にこの世にいない。自らも幼いが、さらに幼い妹を残して死んでしまった。そのことを少年は悲しんでいない。寧ろ、自分ひとりが生きるのですら大変なこの場所でなんてお荷物を置いていきやがったんだと憤慨するほどだった。けれど残された妹の、無垢な笑顔を見てその考えは消え去った。この妹を守るために生まれてきたんだと確信したのだ。
 それからの少年は懸命に生きた。自分には知識も教養もない。ならばこのゴミ溜めから這い上がるためにはなにか一芸に特化しなくてはならない。少年は考えに考え抜いて、両親の遺産たる『車』を使い、傘を飛び出してガラクタの収集を始めた。使えるかどうかは関係ない。直せそうなら直して、壊れていたらばらして部品として使えるよう整備した。

「君か、探し屋と修理屋を兼業しているというのは」

 仕事を始めて5年。少年は青年へと成長し、彼の目の前には念願だった人物が現れた。ボロ切れといっても過言ではない服に身を包んだ青年とは違い、細部に至るまで手の込んだ作りの服を着ている。同じ人類とさえ思えない男性の登場に念願だったはずなのに戸惑った青年は言葉をなくす。

「君の噂は聞いている。上でも評判なくらいだ」

 心臓がはねた。狙ってやっていたこととは言え、評価されているかどうかは未知数だった。それが今ようやく実を結ぶ。
 しかし、だ。

「噂通り、下の人間にはもったいないくらいの美貌だな、妹は」

 男性は青年を見ていない。青年の後ろで、すすまみれになって働く妹をまっすぐ見ている。

「上からのお達しだ、連れて行く」
「ちょ……まっ!」

 青年の言葉も、妹の拒否も関係なく『命令口調』で乱暴に妹を引っ張る男性。青年は必死に抵抗したが、下の人間でもそこまでしないというくらいの暴行を受け、あえなく妹は連れて行かれた。妹の泣き叫ぶ声が聞こえる。しかし、青年は腕を伸ばしてその手を掴むことすらできない。
 青年は未だ、少年だった。たった一人の妹すら守れない、無力な子供だった。

 それから、何日か過ぎた頃。無気力に過ごしていた青年のもとに、更なる凶報が届く。
 そんなまさか、嘘であってくれ、どうかお願いします!
 青年は願いながら走った、上からの廃棄物が降ってくる場所へ。
 人だかりの中央に、見知った人物が横たわっている。
 青年は力なく崩れ落ち、その人物に這い寄った。
 あんなに綺麗だった顔は見るも無残な状態で、体中にあざがある。
 何をどうしたらここまでになるという程の、暴行の痕。
 そして、使い終わった玩具を捨てるようにゴミ溜めへ落とした。
 最愛の妹はもう、しゃべることはない。

 青年はこの時初めて、上への憧れを捨てた。あそこに行けば天国のようで、毎日が楽しく過ごせる。妹もそんな場所へ行けたんだ、きっと幸せに暮らしているさと、呑気に考えていた自分を呪った。
 あそこは、地獄だ。
 あそこにいるのは、悪魔だ。
 なら、僕に出来ることは。

 それから数年後。
 浮遊都市を支えていたシャフトが折られ、上の人間は壊滅的被害を受けた。
 事故の調査をしてみると、地中深くに穿たれたシャフトを何者かが折った痕跡が見つかったが、その先一切わからなかった。それもそのはず、傘の下の人間が、落ちてきた浮遊都市内に侵入し、略奪を始めたからである。こうなると上の人間も対応せざるを得なく、人類はここまできてなお、戦争から抜け出せないでいた。

「……俺も、今行くから。オヤジとおふくろと待っていてくれ」


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