-shinsei-
view.2 三上 遥菜
更新日: 2024/04/25 19:30現代ドラマ
本編
大学の構内は見渡す限りの人でごった返していた。
新歓のこの時期と学祭の二大期間は、某テーマパークもかくやという様相で学校全体がとびきり人で賑わう。
この季節も三度目ともなれば私も慣れたもので、手当たり次第にサークル勧誘をかける在校生と、それにいちいち捕まって足を止める新入生の隙間を縫うようにスルスルと歩を進め、目的のブースにたどり着く。
「おつかれ。あれ、ぴょんすけしかいないの?」
「遥菜さんおつっす。ソノ達みーんなビラ配り行っちゃって、俺だけ留守番です」
「たしかに、ブースは暇だからね」
「そんなもんなんすね。俺去年、いちばん最初にブース行って、なちゅさんから話聞きましたけど」
「ぴょんは元々演劇好きだったでしょ?そういう元から比較的前向きな人しかブースになんかわざわざ来ないの。ていうか、しょっぱな菜月だったんだ…」
「…流石に、いったい何を話してるんだこの人ってなりましたよね」
「よくそこで折れなかったよ。|震星《しんせい》を選んでくれてありがとう、ぴょんすけ」
「いやまぁ、その後の新歓飲みでうめっちさんと話せたのが大きかったですわ」
「あーそれは幸運だわ。ところで、ぴょんもビラ配り行ってきていいよ?私ここいるから」
「いやー、人混みダルくて」
「何言ってんの。あんたももう二男なんだから、こういうとこでがっつり働かないと。もう優しくとかしないからね」
「夏合宿ぐらいからとっくにもう厳しかったじゃないですか。遥菜さんこそビラ配りに…あぁでも、三バ…三女さんには立ち仕事厳しいか」
「おい。今、三婆って言おうとしたでしょ?」
「はてなんのことだか」
「あーあ!ぴょんすけも去年の今頃は初々しくて可愛かったのに!変わっちまったよおまえは」
「先輩方のご指導のおかげですくすく育ちました」
「―あのう、三婆ってどういう意味ですか?」
「「!?」」
その新入生はいつの間にか私たちのいるブース前に立っていた。
二人ともちゃんと前を見ていなかったとはいえ、どうして今の今まで彼に気づかなかったのだろう。
周りの風景をかき集めて、そこを人間の形をした鋳型でくり抜いたような、ある瞬間からそこにぽっかりと出現したような唐突さで彼はそこにいた。
不思議な青年だった。背はすらっと高く、目鼻立ちもすっきりとしていてまず間違いなくイケメンの部類に入るだろう。なのになぜか、目の前に立っているのにひどく印象が薄い。
とっさに桜の精だ、と思った。ある日、風に吹かれてそのままどこかへ飛んでいってしまいそう。とても綺麗だったという感想だけを人に与えて、後で思い返そうとすると思った以上に記憶があやふやで、全容をほとんど把握出来ていなかったことに気づくような。
「…?あの、ここって『|劇団震星《げきだんしんせい》』のブースでいいんですよね?」
驚いて返事のできないままでいた私たちに、その新入生は少しだけ申し訳なさそうに質問を重ねた。
「…あっ!震星にご興味がおありで!?ようこそ!」
隣の後輩よりも先に息を吹き返した私は、新歓モードに頭を切替える。
「私は文学三年の|三上遥菜《みかみはるな》、あなたのお名前は?よかったらこっちの名簿にも書いてもらっていいかな?ぴょんすけ、ペン出して!」
「…は、はい!どうぞ!これ使ってね」
「あ、はい。ありがとうございます。経済一年の|楠 新《くすのきあらた》って言います…ぴょんすけ?」
「あぁ、俺は社学二年の|宇佐涼介《うさりょうすけ》。ウサでうさぎっぽいから、ぴょんとかぴょんすけとか呼ばれてる」
「楠君は、演劇に興味があってきてくれたの?経験はある?」
「いや、せいぜい文化祭の寸劇くらいです。でも友達に、劇団震星に一緒に入ろうって誘われてて。西門までは一緒にいたんですけどはぐれちゃって、矢口って奴なんですけどもう来ました?」
「私たちもブース当番になったのついさっきだからな…うん、名簿には名前ないからまだ来てないみたい」
「どっか別の新歓で捕まってるのかもね」
「そうだよ、ここまで来るのも大変だったでしょ?」
「うーん、特には…?俺、人ごみ歩くの、得意なんで」
「すごいね!俺なんて去年ほぼ毎秒捕まってたよ」
「ぴょんは悪目立ちしそうだもんね、わかる」
「遥菜さん!?」
「ところでさ、その友達と二人でうち希望なんだね。うちは演劇初心者も大歓迎だよ!舞台の大道具作るとか裏方の仕事も多いし。私も演者じゃなくて舞監メインだしね」
「舞監?」
「舞台監督。まぁうちだと演出も兼ねてるんだけど」
「へぇ、かっこいいですね」
「そ!それに作品作りはもちろんしっかりやるけど、楽しむのが一番ってのがモットーだからイベントも多いよ」
「それは…楽しそうです。あ、あと、バイトとかしたいんで毎回参加とかはできないんですけど…」
「そこはだいじょうぶ!公演ごとに参加不参加とか、参加の度合いは各自で選べるからそこも融通きくよ。俺も一年の冬公演は参加してなかったから!」
「良かった、そこ一番不安だったんで。じゃあ、とりあえず安心したんで、おれ一度矢口探しに行ってきます」
「もう?一緒にここで待っててもいいのに。もっと話そうよ」
「いえ、俺はもう入るの決めたんで。あいつの方が熱量高いんで、連れてきます」
「そっか、じゃあ待ってるね!あ、四月中は毎週火・金で新歓飲みもやってるから、そこでも話せるよ!新入生はタダ飯だし」
「タダ飯、ありがたいです。ぜひ行きますね。じゃ、またあとで。これ、お返しします」
そう言って彼は律儀にも紙を私に、ペンを宇佐にそれぞれ手渡した。名簿には思いのほか力強い字で『楠 新』という名前が書かれていて、興味深くて少し見入っていると、次に顔を上げた時にはもう彼の姿は見えなくなっていた。
「え、もう行っちゃったの?」
「はい。俺、目で追ってたはずなんですけど、こう…人混みに紛れてバササーって一瞬で見えなくなっちゃいました」
「なんか…不思議な雰囲気の子だったね?」
「たしかに。急に目の前にあらわれたもんだから、思わずフリーズしちゃいましたよ」
「なんだか印象に残らないイケメンというか…あれ…?」
「どしたんすか?」
「なんか、楠君の顔思い出そうとしたら、なぜかぴょんの顔が浮かんできた」
「ははぁ、二人ともイケメンだから仕方ないっすね」
「いや、それはないんだけど」
「酷!?」
「なんか、笑顔?あと所作が似てるのかも」
「そんなんで言ったら、楠くんが用紙返す時の仕草とか遥菜さんにそっくりでしたよ?」
「仕草?」
「いや、最初に渡したじゃないですか名簿用紙。最後返してくれた時、鏡写しとか再放送みたいなホントそのまんまの動きで…あれ…?」
宇佐の声色が若干固くなる。私も、その時の情景を思い出してスっと肝が冷える心地を覚える。
用紙の次に、彼はペンを宇佐に手渡しで返していた。つい今しがた起きたばかりのそのシーンを思い出そうとすると、頭の中で『宇佐が宇佐にペンを返す』映像として浮かび上がってくるのだ。
突然現れて一瞬で消えた、顔の思い出せない男の子。
「…俺、あの子がブースに戻ってきてくれた時、顔わかる自信ないんですけど…」
「…せっかく入る気になってくれてるんだから根性でどうにかしなさい」
宇佐を叱咤しつつ、私自身も正直もう一度彼に会った時にスっとわかる自信がなかった。
名簿に記された名前がなければ、二人して見た白昼夢だったと言われても信じられそうなくらい、現実感のない瞬間だった。
「―でもきっと…、どんな役でも似合う。早く菜月に会わせたいな」
「あー…、どうなるか想像つかないっていうか、どうなっても俺知りませんよ」
呆れ半分の後輩を他所に、私は気が早くも舞台の上に立つあの青年の姿を夢想していた。
その表情は、スポットライトの逆光で見えなかった。
0新歓のこの時期と学祭の二大期間は、某テーマパークもかくやという様相で学校全体がとびきり人で賑わう。
この季節も三度目ともなれば私も慣れたもので、手当たり次第にサークル勧誘をかける在校生と、それにいちいち捕まって足を止める新入生の隙間を縫うようにスルスルと歩を進め、目的のブースにたどり着く。
「おつかれ。あれ、ぴょんすけしかいないの?」
「遥菜さんおつっす。ソノ達みーんなビラ配り行っちゃって、俺だけ留守番です」
「たしかに、ブースは暇だからね」
「そんなもんなんすね。俺去年、いちばん最初にブース行って、なちゅさんから話聞きましたけど」
「ぴょんは元々演劇好きだったでしょ?そういう元から比較的前向きな人しかブースになんかわざわざ来ないの。ていうか、しょっぱな菜月だったんだ…」
「…流石に、いったい何を話してるんだこの人ってなりましたよね」
「よくそこで折れなかったよ。|震星《しんせい》を選んでくれてありがとう、ぴょんすけ」
「いやまぁ、その後の新歓飲みでうめっちさんと話せたのが大きかったですわ」
「あーそれは幸運だわ。ところで、ぴょんもビラ配り行ってきていいよ?私ここいるから」
「いやー、人混みダルくて」
「何言ってんの。あんたももう二男なんだから、こういうとこでがっつり働かないと。もう優しくとかしないからね」
「夏合宿ぐらいからとっくにもう厳しかったじゃないですか。遥菜さんこそビラ配りに…あぁでも、三バ…三女さんには立ち仕事厳しいか」
「おい。今、三婆って言おうとしたでしょ?」
「はてなんのことだか」
「あーあ!ぴょんすけも去年の今頃は初々しくて可愛かったのに!変わっちまったよおまえは」
「先輩方のご指導のおかげですくすく育ちました」
「―あのう、三婆ってどういう意味ですか?」
「「!?」」
その新入生はいつの間にか私たちのいるブース前に立っていた。
二人ともちゃんと前を見ていなかったとはいえ、どうして今の今まで彼に気づかなかったのだろう。
周りの風景をかき集めて、そこを人間の形をした鋳型でくり抜いたような、ある瞬間からそこにぽっかりと出現したような唐突さで彼はそこにいた。
不思議な青年だった。背はすらっと高く、目鼻立ちもすっきりとしていてまず間違いなくイケメンの部類に入るだろう。なのになぜか、目の前に立っているのにひどく印象が薄い。
とっさに桜の精だ、と思った。ある日、風に吹かれてそのままどこかへ飛んでいってしまいそう。とても綺麗だったという感想だけを人に与えて、後で思い返そうとすると思った以上に記憶があやふやで、全容をほとんど把握出来ていなかったことに気づくような。
「…?あの、ここって『|劇団震星《げきだんしんせい》』のブースでいいんですよね?」
驚いて返事のできないままでいた私たちに、その新入生は少しだけ申し訳なさそうに質問を重ねた。
「…あっ!震星にご興味がおありで!?ようこそ!」
隣の後輩よりも先に息を吹き返した私は、新歓モードに頭を切替える。
「私は文学三年の|三上遥菜《みかみはるな》、あなたのお名前は?よかったらこっちの名簿にも書いてもらっていいかな?ぴょんすけ、ペン出して!」
「…は、はい!どうぞ!これ使ってね」
「あ、はい。ありがとうございます。経済一年の|楠 新《くすのきあらた》って言います…ぴょんすけ?」
「あぁ、俺は社学二年の|宇佐涼介《うさりょうすけ》。ウサでうさぎっぽいから、ぴょんとかぴょんすけとか呼ばれてる」
「楠君は、演劇に興味があってきてくれたの?経験はある?」
「いや、せいぜい文化祭の寸劇くらいです。でも友達に、劇団震星に一緒に入ろうって誘われてて。西門までは一緒にいたんですけどはぐれちゃって、矢口って奴なんですけどもう来ました?」
「私たちもブース当番になったのついさっきだからな…うん、名簿には名前ないからまだ来てないみたい」
「どっか別の新歓で捕まってるのかもね」
「そうだよ、ここまで来るのも大変だったでしょ?」
「うーん、特には…?俺、人ごみ歩くの、得意なんで」
「すごいね!俺なんて去年ほぼ毎秒捕まってたよ」
「ぴょんは悪目立ちしそうだもんね、わかる」
「遥菜さん!?」
「ところでさ、その友達と二人でうち希望なんだね。うちは演劇初心者も大歓迎だよ!舞台の大道具作るとか裏方の仕事も多いし。私も演者じゃなくて舞監メインだしね」
「舞監?」
「舞台監督。まぁうちだと演出も兼ねてるんだけど」
「へぇ、かっこいいですね」
「そ!それに作品作りはもちろんしっかりやるけど、楽しむのが一番ってのがモットーだからイベントも多いよ」
「それは…楽しそうです。あ、あと、バイトとかしたいんで毎回参加とかはできないんですけど…」
「そこはだいじょうぶ!公演ごとに参加不参加とか、参加の度合いは各自で選べるからそこも融通きくよ。俺も一年の冬公演は参加してなかったから!」
「良かった、そこ一番不安だったんで。じゃあ、とりあえず安心したんで、おれ一度矢口探しに行ってきます」
「もう?一緒にここで待っててもいいのに。もっと話そうよ」
「いえ、俺はもう入るの決めたんで。あいつの方が熱量高いんで、連れてきます」
「そっか、じゃあ待ってるね!あ、四月中は毎週火・金で新歓飲みもやってるから、そこでも話せるよ!新入生はタダ飯だし」
「タダ飯、ありがたいです。ぜひ行きますね。じゃ、またあとで。これ、お返しします」
そう言って彼は律儀にも紙を私に、ペンを宇佐にそれぞれ手渡した。名簿には思いのほか力強い字で『楠 新』という名前が書かれていて、興味深くて少し見入っていると、次に顔を上げた時にはもう彼の姿は見えなくなっていた。
「え、もう行っちゃったの?」
「はい。俺、目で追ってたはずなんですけど、こう…人混みに紛れてバササーって一瞬で見えなくなっちゃいました」
「なんか…不思議な雰囲気の子だったね?」
「たしかに。急に目の前にあらわれたもんだから、思わずフリーズしちゃいましたよ」
「なんだか印象に残らないイケメンというか…あれ…?」
「どしたんすか?」
「なんか、楠君の顔思い出そうとしたら、なぜかぴょんの顔が浮かんできた」
「ははぁ、二人ともイケメンだから仕方ないっすね」
「いや、それはないんだけど」
「酷!?」
「なんか、笑顔?あと所作が似てるのかも」
「そんなんで言ったら、楠くんが用紙返す時の仕草とか遥菜さんにそっくりでしたよ?」
「仕草?」
「いや、最初に渡したじゃないですか名簿用紙。最後返してくれた時、鏡写しとか再放送みたいなホントそのまんまの動きで…あれ…?」
宇佐の声色が若干固くなる。私も、その時の情景を思い出してスっと肝が冷える心地を覚える。
用紙の次に、彼はペンを宇佐に手渡しで返していた。つい今しがた起きたばかりのそのシーンを思い出そうとすると、頭の中で『宇佐が宇佐にペンを返す』映像として浮かび上がってくるのだ。
突然現れて一瞬で消えた、顔の思い出せない男の子。
「…俺、あの子がブースに戻ってきてくれた時、顔わかる自信ないんですけど…」
「…せっかく入る気になってくれてるんだから根性でどうにかしなさい」
宇佐を叱咤しつつ、私自身も正直もう一度彼に会った時にスっとわかる自信がなかった。
名簿に記された名前がなければ、二人して見た白昼夢だったと言われても信じられそうなくらい、現実感のない瞬間だった。
「―でもきっと…、どんな役でも似合う。早く菜月に会わせたいな」
「あー…、どうなるか想像つかないっていうか、どうなっても俺知りませんよ」
呆れ半分の後輩を他所に、私は気が早くも舞台の上に立つあの青年の姿を夢想していた。
その表情は、スポットライトの逆光で見えなかった。