時刻tの遺書

作家: Kyoshi Tokitsu
作家(かな):

時刻tの遺書

更新日: 2024/04/23 16:51
現代ドラマ

本編


 私の死ぬのは、ただ在るという大変な苦労の山を見て、ため息を漏らしたためです。決して大きな挫折(ざせつ)を味わっただとか、取り返しのつかない失敗をしただとか、金がないためではありません。
 存在するというだけで、どうして人はこんなにも疲弊(ひへい)してしまうのでしょう。いえ、きっと世間の人々はそうではありますまい。私が世間の規格に合わなかっただけなのでしょう。労働も娯楽も創作も余暇(よか)も。これまでの私が生きてきた時空を構成する基底(きてい)のどれもが、今は億劫(おっくう)です。私は必要最低限未満の労働で生活し、その合間に創作を続けるという馬鹿馬鹿しい暮らしを何年も続けてまいりました。後ろめたさが全くなかったと言えば、嘘になってしまいます。世間の人々が立派に、まっとうに生きているというのに、私は労働の責務から逃れ、勝手なことをしていたのですから、当然と言えば、当然です。しかし、私という人間を弁護してみると、必要最低限未満の労働ということさえ、私にはとてつもない心労(しんろう)だったのです。組織の中で監視されながらお体裁(ていさい)を保ち、それでいて求められる成果を提示し続ける。とてもできません、私には。私は誰かに、正しい行動をするよう、傍(かたわ)らで監視されると、成果を求める眼差しを向けられると、もう、駄目です。頭脳は働かず、冷や汗が出て、己でも己が何をしているのか、分からなくなってしまうのです。残された手段は愛想笑いだけ。なんと惨(みじ)めなことでしょう。
以前、こんな言葉を聞いたことがあります。
 そもそも生きてゆくのに働く必要があるのか。働くことはあくまでも現在の人間社会の機構に己を組み込む術のひとつでしかない。それ以外の生き方も、この国ではできる。常識とされている事柄はあくまでもその人の中に作り上げられた社会の構成員としての前提の上に成り立つものである。苦しいのであれば、その前提を外れよ。
 なるほど、この言葉は、私に新鮮な発見をもたらしました。
 そうだ。働くことと生きることは同義ではなかったのです。社会が社会にとって都合の良いように人間を酷使(こくし)する手段こそ、労働。しかし、それができぬからと言って生きてゆかれぬこともないのです。人から後ろ指を指されるかもしれません。しかし、それは仕方がない。労働の心労と比べれば随分と安上がりの対価です。もしそんな生き方ができたなら、人並み以下のことしかできない私が、自責の念に苛まれることもなく、創作に打ち込めるかもしれない。そんな能天気な光明まで見えました。

 しかし、ふいに訪れた救済の光明は、やはりふいに去ってゆきました。私の心に巣食った悪魔がこう言うのです。
 そうまでして生きたいか。いや、死にたくないか。
 少し、私も言い返しました。
 ああ、そうだ。私は生きるのだ。生きて、良い創作をするのだ。そのためにも、私は死ねない。
 悪魔は甲高(かんだか)い、不快な声で笑いました。
 良い創作とは笑わせる。誰がそれを判断するのだ、誰に向けた創作だ。民衆だろう? お前は労働を捨てて、良い気になっているようだが、やはり生きる目的には民衆が付きまとっているではないか。文豪気取りで創作に打ち込んだって、そんな人間にロクな創作ができるのか? できるわけがない! いいか。民衆は誰もお前の創作なんか見やしない。どうしてか教えてやろう。みんな忙しいのさ。立派な社会の構成員様なんだから。お前と違ってな。お前は社会に順応できない時点でどう考えたって爪弾き者さ。そんな者の書いた作品も、やはりそんな程度、最下層。お前は何処までいっても落第者の烙印(らくいん)を逃れられないってことさ。
 悪魔の言うことは正論でした。結局、私は民衆の中で、社会の中で、評価を求めながら生きるという檻(おり)に捕らわれたままなのです。しかし、なんとか虚勢も張ってみました。
 私ひとりが良いと言い切れる作品を創るのだ。評価など、知ったことではない。
 これは少し滑稽(こっけい)過ぎました。私の脳裏では常にひとりの作家として皆から、社会から認められることを夢みない日はありませんでした。結局、私は労働をしようと創作をしようと、他者からの評価という栄養を得て存在し続けるしかないのです。もはやどちらの道も違わない。うんと努力したって、いや。この前提はおかしい。私は努力などできないのですから。人並みに生きるための精神力は、もうありませんでした。視野(しや)狭窄(きょうさく)。そんなことは解っています。しかし、正しい視野で世界を眺める気にすら、もうなれません。
 生きる、ということがどうしてこんなにも忍耐のいることなのでしょう。社会に生きる皆さんが、社会に生きることのできない友が、少しでも幸せになってくれたらと思います。皆さんの懊悩(おうのう)と苦痛と倦怠(けんたい)と嘆(なげ)きを私は少しずつ、あの世に持ってゆこうと思います。どうか、皆さんは幸せで。私のような者が今後一切、無いことを祈ります。さらば、勇敢(ゆうかん)に生きる人々よ。さらば、私をとうとう殺した社会よ。さらば、私の愛した人類よ。
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