祈る者
祈る者
更新日: 2024/04/01 19:33現代ファンタジー
本編
とある戦場の片隅、人々から見放された小さな街の一角で聖女が祈りを捧げていた。聞こえるのは砲弾や機関銃の音、そして爆撃機の唸(うな)りばかりだった。軍人がひとり、通りかかった。
「おい、何をしている」
「祈っております」
「なんのために」
「貴方のために」
軍人は面白くなかった。何が祈りだ。それでなんとかなるならばこの戦場をどうにかしてみせろ。そう、腹で毒づきながら軍人は軽蔑の視線を向けた。
「貴様の祈りに、何ができる」
「祈る行為に意味があるのです。それが何に結びつくか、何をもたらすか、私には語れませぬ」
軍人の怒りが、軽蔑が、憎しみが互いに干渉しあい、激情のうねりとなった。
軍人は周囲を見回し、人のいないことを確かめると、聖女に銃口を向けた。
「偽善者め、ふざけるな。俺はお前のような、なんの力もない者が理想を語る姿が大嫌いなのだ。消えろ」
「それは、貴方に向けられた言葉なのですよ」
軍人の銃から乾いた音が上がり、銃弾が聖女の胸を貫いた。言葉もなく、彼女は絶命した。
軍人は戦争が終わると故郷に戻り、家族と熱い抱擁(ほうよう)を交わした。
かつて聖女と呼ばれた音楽家があった。彼の創作を聞くものはいなかった。それでも彼は創作を止めなかった。ある日、友人が訪ねてきた。
「やあ。いつもいつも精が出るね。しかし、誰も聞かない。ねえ、君の音楽ってのはなんなの」
「祈りさ」
「分からんね。僕には。食いかねているじゃないか。少しは生産性に目を向けたまえよ。売れるよう、努力してみたらどうだい」
「これが俺のすべきことなんだ。売れるかどうかなど、どうでもよい。いつかの人のために、あるいは神のために、俺は音楽を作り続けるのだ」
友人は噴き出した。
「笑わせるなよ。君は音楽家より、芸人の方が向いているよ。ああ、なんて馬鹿馬鹿しい」
音楽家は表情を変えることなく友人を見据えた。
「止せよ。それは君に向けられている言葉だ」
音楽家はその生涯において、“売れる”ことはなかった。
ある男が死に場所を求めて田舎町へとやってきた。ふと目についた喫茶店で最後の珈琲を飲むことにした。
「いらっしゃいませ」
その店主はかつての音楽家だった。珈琲を飲んだ男は長い息をついた。訳もなく、涙が零(こぼ)れた。
「お客様、これを」
店主はハンカチを差し出した。涙はとめどなく溢(あふ)れてきた。
「すみません、その、なんでもないんです。本当に、すみません」
「いえ。お気になさらず。きっと、珈琲の所為(せい)でしょう」
「え?」
「誰かのために、祈るようにして珈琲を淹れておりますから」
そう言った店主は冗談めかし、笑って見せた。自然、男からも笑みが生まれた。
「ありがとうございます。こんな場所があってよかった、そして、ここに来ることができて、幸せでした。どうかこれからも――」
「お客様。それはお客様に向けられた言葉なのですよ」
男が自死を決行したかどうかは、分からない。
0「おい、何をしている」
「祈っております」
「なんのために」
「貴方のために」
軍人は面白くなかった。何が祈りだ。それでなんとかなるならばこの戦場をどうにかしてみせろ。そう、腹で毒づきながら軍人は軽蔑の視線を向けた。
「貴様の祈りに、何ができる」
「祈る行為に意味があるのです。それが何に結びつくか、何をもたらすか、私には語れませぬ」
軍人の怒りが、軽蔑が、憎しみが互いに干渉しあい、激情のうねりとなった。
軍人は周囲を見回し、人のいないことを確かめると、聖女に銃口を向けた。
「偽善者め、ふざけるな。俺はお前のような、なんの力もない者が理想を語る姿が大嫌いなのだ。消えろ」
「それは、貴方に向けられた言葉なのですよ」
軍人の銃から乾いた音が上がり、銃弾が聖女の胸を貫いた。言葉もなく、彼女は絶命した。
軍人は戦争が終わると故郷に戻り、家族と熱い抱擁(ほうよう)を交わした。
かつて聖女と呼ばれた音楽家があった。彼の創作を聞くものはいなかった。それでも彼は創作を止めなかった。ある日、友人が訪ねてきた。
「やあ。いつもいつも精が出るね。しかし、誰も聞かない。ねえ、君の音楽ってのはなんなの」
「祈りさ」
「分からんね。僕には。食いかねているじゃないか。少しは生産性に目を向けたまえよ。売れるよう、努力してみたらどうだい」
「これが俺のすべきことなんだ。売れるかどうかなど、どうでもよい。いつかの人のために、あるいは神のために、俺は音楽を作り続けるのだ」
友人は噴き出した。
「笑わせるなよ。君は音楽家より、芸人の方が向いているよ。ああ、なんて馬鹿馬鹿しい」
音楽家は表情を変えることなく友人を見据えた。
「止せよ。それは君に向けられている言葉だ」
音楽家はその生涯において、“売れる”ことはなかった。
ある男が死に場所を求めて田舎町へとやってきた。ふと目についた喫茶店で最後の珈琲を飲むことにした。
「いらっしゃいませ」
その店主はかつての音楽家だった。珈琲を飲んだ男は長い息をついた。訳もなく、涙が零(こぼ)れた。
「お客様、これを」
店主はハンカチを差し出した。涙はとめどなく溢(あふ)れてきた。
「すみません、その、なんでもないんです。本当に、すみません」
「いえ。お気になさらず。きっと、珈琲の所為(せい)でしょう」
「え?」
「誰かのために、祈るようにして珈琲を淹れておりますから」
そう言った店主は冗談めかし、笑って見せた。自然、男からも笑みが生まれた。
「ありがとうございます。こんな場所があってよかった、そして、ここに来ることができて、幸せでした。どうかこれからも――」
「お客様。それはお客様に向けられた言葉なのですよ」
男が自死を決行したかどうかは、分からない。