深海嘆息

作家: Kyoshi Tokitsu
作家(かな):

深海嘆息

更新日: 2024/03/30 19:35
その他

本編


 わずかの光さえ届かない海底。幾千年も前に沈んだ大陸があった。傲慢(ごうまん)な王の玉座も、人で賑わった広場も、神との交信のための神殿も、市民の行き交った市場も、温かい家族の食卓も、怠け者の石工の作業場も、千里を隔てた砂漠も、踏み込んだ者の無い神秘の森も、全てが海底で瓦解(がかい)の必然に身を委ねていた。
 かつて王国だった都市の一角、海藻の生い茂る石畳にボオっと何かの影がふたつ、浮かびあがった。その影は周囲との境界をにして、揺らめきながら、どうにか人らしい姿を保っていた。彼ら、いや、彼らだったものは己の姿すら忘却していたのだった。彼らはぼそぼそと、話し始めた。
「なあ。俺たちはどうしてこんな罰を受けているのだろう。此処(ここ)に繋がれてどれくらい経った? 三千年か? 四千年、いや五千年かしら」
「さあ。考えるだけ無駄だろうな。俺たちは永劫、此処に居なければならないのだろうよ。俺たちの罪はそれだけ重いのだ。おい、覚えているか。王国が沈んだ日のことを」
「王国? 懐かしい響きだ。そういえば、俺たちはそんなところにいたんだった。嗚呼。何か思いだしそうだ。その日、何が」
 果てなく遠い海面からドオンと巨大な波の音が響いた。
「天使の軍勢が舞い降りたんだ。神の意思により、俺たちを罰するために。俺たちは神の領域を侵したんだそうだ」
「途方もない話だ。本当か?」
「さあ、分からん。今となっては記憶と妄想の境も曖昧(あいまい)だ。だが、それに頼るしか、俺が俺であり続ける手段はないのだ。あの日、天使は言った。都市を維持し、幸福に生きるという目的を外れて、人間は多くのものを手に入れ過ぎた。例えば善悪の判断、例えば錬金術、例えば発明。文明は栄えたが、人々は不幸になる一方だ、とね」
「思い出してきたぞ。そうだった。俺たちの獲得したものを、俺たちはひとつでさえうまく扱うことができなかったのだ。過ぎた力により、身を滅ぼしたのだ。なあ、しかし。大陸まで沈む程、神は怒っていたのだろうか」
「どうもそうらしい。アダムとイブの子孫たる我々は神の姿を模して創られた。自分の似(に)姿(すがた)が驕(おご)り、醜態(しゅうたい)をさらしていることに、神は我慢ならなかったらしい。俺たちは見せしめなんだ」
「誰への?」
「次の歴史への、さ。歴史はきっと繰り返す。錬金術がこれ以上ない程に発達した世界が、いずれ生まれるだろう。その世界において善悪の判断や発明を人類が正しく扱わねば、きっとまたひとつ、大陸が滅ぶ。大陸が沈んでから、どれだけ経ったのだろう。せめて愚かな我らの住んだ大陸の名前だけでも、警鐘(けいしょう)として人類が覚えていてくれればよい。神の怒りに触れ、深海に繋ぎ留められた、アトランティスの名を」
0