履歴発火の旅路と龍
履歴発火の旅路と龍
更新日: 2024/03/30 19:30異世界ファンタジー
本編
彼はひとり、光さえ無い原を歩いていた。彼ははぐれたのである。正道から。今となっては、もはや自分が前に向かって歩いているのか後退しているのかすら、分からなかった。そして、彼にはおびただしい数の幽霊たちがまとわりついて離れなかった。そしてそれらは絶え間なく、なんの根拠もない呪詛(じゅそ)を吐き続けていた。
「正しい道に戻れ、手遅れになるぞ」
「誰もお前のことなんか求めてやしない」
「なんになるという、それが」
「選ばれた者にしか幸いは来ない」
「お前に何ができる。正しい道さえ歩めないお前が」
幽霊たちは揃(そろ)って汚い笑い声を響かせた。彼はなおも歩いた。
何処へ?
分からない。それでも彼は歩くことを止められないでいた。惰性? そうかもしれない。彼は今や、自分の姿さえ、忘れていた。幾度も幽霊の声に誘われ、引き返そうとした。しかし、正道に戻ることの恐ろしさを、彼はよく知っていた。誰にでもできることが、いつでも彼にはできなかった。それを耐え抜き耐え抜き、自分の矮小(わいしょう)を見ながら生きてゆく覚悟は、無かった。つまり彼は意気地なしだった。
ふいに目の前がぼんやりと明るくなった。
「おお。こんな所にいたのか。探したぞ。我が友よ」
神々しい声だった。しかし、彼は自分こそが声の言う「友」だとは到底、思えなかった。
「何か、お間違いじゃございませんか」
しばらく出していなかった声は無様に枯れていた。
「間違い? なんの。そんな訳はない。私の声が聞こえるだろう。お前に語りかけているのだ。まずはその目隠しを取れ」
突然、視野に世界が戻った。目の前に、鈍(にび)色(いろ)に光る鱗(うろこ)を持った大きな龍がいた。
「夢だ。夢」
「出たぞキレイゴトの化身」
「嗚呼、みっともない。何の苦労も知らないで」
幽霊たちは一層、饒舌(じょうぜつ)になった。
「ううむ。よくもまあ、そんなに引き連れていて自我を失わないでいてくれた。ありがとう。友よ」
龍が耳を劈(つんざ)く程の咆哮(ほうこう)をあげると、幽霊たちは悲鳴さえ上げず、掻き消えた。
「さあ、友よ。これでお前を闇へ留めておくものはなくなった。さあ、共に征こう」
「何処へでございますか」
「お前を求める世界へだ」
「私を、求める、世界?」
彼には信じられなかった。そんなものが存在している筈はない。ん? 幽霊はもはやいない。とすればこれは誰の意見だ?
「そうか。毒されてるのだな。無理はない。あれだけの数に苛(さいな)まれてはな。よいか、よく聞け。世界は確かにお前を求めている。何故といって、お前は此処に存在しているではないか。お前の中に今なお宿る呪詛を排出して聞け。お前は、偉大な存在なのだ」
「しかし、私には何もできません。他の人にできることが、私にはできないのです」
龍は翡翠(ひすい)色の目で彼を見つめていた。
「何か、勘違いしているな? お前に何ができるか、何ができないのか。それは次の段階での話だ。私がお前を友と認めたのは、お前がお前として存在していたからだ。あらゆる者にとって最大の功績。それは存在を保つことだ」
考え込む彼に龍はなおも続けた。
「よろしい、友よ。そんなに己が信じられぬというなら、振り返るのだ。さあ」
龍が咆哮する。反射的に後ろを振り返る。広い原に細い道。その道が所々で大きな火柱をあげていた。
「なんです、あれは」
「お前の歩んだ道。履歴だ。全ての履歴は今、発火し、真にお前のものとなろうとしている。そして、そこを歩んだ勇敢な者の姿を見よ」
突如、目の前に巨大な鏡が出現した。そこに映る姿。それは彼の知る自身の姿ではなかった。背中に龍と同じ程、大きな羽が生えていた。極彩色(ごくさいしき)のそれは陽光を浴びる角度によってオパアルのように色を変えた。
「もはやお前を繋ぎとめるものはない。さあ、偉大な友よ。共にお前を求める世界へと征こう」
彼は龍とともに天高く舞い上がった。
遠くからそれを眺める者があった。彼は導かれるようにしてそちらへと歩き始めた。
0「正しい道に戻れ、手遅れになるぞ」
「誰もお前のことなんか求めてやしない」
「なんになるという、それが」
「選ばれた者にしか幸いは来ない」
「お前に何ができる。正しい道さえ歩めないお前が」
幽霊たちは揃(そろ)って汚い笑い声を響かせた。彼はなおも歩いた。
何処へ?
分からない。それでも彼は歩くことを止められないでいた。惰性? そうかもしれない。彼は今や、自分の姿さえ、忘れていた。幾度も幽霊の声に誘われ、引き返そうとした。しかし、正道に戻ることの恐ろしさを、彼はよく知っていた。誰にでもできることが、いつでも彼にはできなかった。それを耐え抜き耐え抜き、自分の矮小(わいしょう)を見ながら生きてゆく覚悟は、無かった。つまり彼は意気地なしだった。
ふいに目の前がぼんやりと明るくなった。
「おお。こんな所にいたのか。探したぞ。我が友よ」
神々しい声だった。しかし、彼は自分こそが声の言う「友」だとは到底、思えなかった。
「何か、お間違いじゃございませんか」
しばらく出していなかった声は無様に枯れていた。
「間違い? なんの。そんな訳はない。私の声が聞こえるだろう。お前に語りかけているのだ。まずはその目隠しを取れ」
突然、視野に世界が戻った。目の前に、鈍(にび)色(いろ)に光る鱗(うろこ)を持った大きな龍がいた。
「夢だ。夢」
「出たぞキレイゴトの化身」
「嗚呼、みっともない。何の苦労も知らないで」
幽霊たちは一層、饒舌(じょうぜつ)になった。
「ううむ。よくもまあ、そんなに引き連れていて自我を失わないでいてくれた。ありがとう。友よ」
龍が耳を劈(つんざ)く程の咆哮(ほうこう)をあげると、幽霊たちは悲鳴さえ上げず、掻き消えた。
「さあ、友よ。これでお前を闇へ留めておくものはなくなった。さあ、共に征こう」
「何処へでございますか」
「お前を求める世界へだ」
「私を、求める、世界?」
彼には信じられなかった。そんなものが存在している筈はない。ん? 幽霊はもはやいない。とすればこれは誰の意見だ?
「そうか。毒されてるのだな。無理はない。あれだけの数に苛(さいな)まれてはな。よいか、よく聞け。世界は確かにお前を求めている。何故といって、お前は此処に存在しているではないか。お前の中に今なお宿る呪詛を排出して聞け。お前は、偉大な存在なのだ」
「しかし、私には何もできません。他の人にできることが、私にはできないのです」
龍は翡翠(ひすい)色の目で彼を見つめていた。
「何か、勘違いしているな? お前に何ができるか、何ができないのか。それは次の段階での話だ。私がお前を友と認めたのは、お前がお前として存在していたからだ。あらゆる者にとって最大の功績。それは存在を保つことだ」
考え込む彼に龍はなおも続けた。
「よろしい、友よ。そんなに己が信じられぬというなら、振り返るのだ。さあ」
龍が咆哮する。反射的に後ろを振り返る。広い原に細い道。その道が所々で大きな火柱をあげていた。
「なんです、あれは」
「お前の歩んだ道。履歴だ。全ての履歴は今、発火し、真にお前のものとなろうとしている。そして、そこを歩んだ勇敢な者の姿を見よ」
突如、目の前に巨大な鏡が出現した。そこに映る姿。それは彼の知る自身の姿ではなかった。背中に龍と同じ程、大きな羽が生えていた。極彩色(ごくさいしき)のそれは陽光を浴びる角度によってオパアルのように色を変えた。
「もはやお前を繋ぎとめるものはない。さあ、偉大な友よ。共にお前を求める世界へと征こう」
彼は龍とともに天高く舞い上がった。
遠くからそれを眺める者があった。彼は導かれるようにしてそちらへと歩き始めた。