朽木九区の由来

作家: 朽木桜斎
作家(かな): くちき おうさい

斑曲輪(ぶちくるわ)の由来

更新日: 2024/01/08 21:57
ホラー

本編


 今は昔のことでございます。

 |武蔵国《むさしのくに》の|西方《さいほう》に、|打鞍《うちくら》という村がありました。

 この村の北には大きな|峰々《みねみね》が肩をそびやかしており、その|一角《いっかく》に、|人首山《しとかべやま》と呼ばれるところがあったのです。

 この山には、|鬼熊童子《おにくまどうじ》という妖怪が住むといわれ、幼い子どもばかりをさらっては、食い殺してしまうと、伝えられていました。

 ですから打鞍の親たちは、決してわが子をひとりきりでは外に出そうとしなかったのです。

 子どもたちが遊ぶときなどは、必ず大人が近くに立って、鬼熊童子に連れ去られないようにと、見守ることにしていたのでした。

   *

 人首山の|麓《ふもと》には、この村で一番の|庄屋《しょうや》さんの|屋敷《やしき》が建っていました。

 この屋敷ときたら、後ろの人首山を隠してしまわんばかりの大きさで、しかもその周りを囲む真っ白な|漆喰《しっくい》を|塗《ぬ》りたくった|塀《へい》ときたら、まるでお城を守る『|曲輪《くるわ》』と呼ばれる|城壁《じょうへき》のように見えたので、村の|衆《しゅう》はここを『|曲輪屋敷《くるわやしき》』などと呼んでいたのです。

 庄屋さんにはお|縁《えん》という、|歳《とし》の|頃《ころ》十六ばかりの、それは美しい|一人娘《ひとりむすめ》がございました。

 お縁は色が白く、|艶《つや》のある長い髪をして、ユリの花を思わせる|端麗《たんれい》な顔立ちをしていたものですから、『|縁姫《えんひめ》様』だとか、『曲輪のお|嬢《じょう》さん』などと呼ばれ、|器量《きりょう》もたいへん良いものですから、村人たちにとても|好《す》かれていたのです。

   *

 初夏の|涼《すず》しい|夕暮《ゆうぐ》れのことでございます。

 お縁は父親である庄屋さんからおつかいを頼まれ、南の|奥原村《おくはらむら》へ行った帰りに、内鞍村の入り口の、|一面《いちめん》に田んぼが広がる|畦道《あぜみち》を、|足早《あしばや》に歩いていました。

「急がないと、夜になってしまう」

 そんなことを、お縁は考えていたのです。

 鬼熊童子の言い伝えのことも、もちろんありますが、何よりも彼女は、早く帰らないと家の者たちが心配するだろうという、純粋な気持ちからそう思っていたのでした。

 集落が遠くに見える、|四《よ》つ|角《かど》にさしかかったときです。

 右手に|生《は》える|一本松《いっぽんまつ》の下に、一人の男の子がなにやらうずくまって、人首山のほうを|眺《なが》めています。

(こんな|時分《じぶん》に、子どもがひとりきりで、いったいどうしたのだろう?)

 お縁は不思議に思いながらも、その子のところに|歩《あゆ》み|寄《よ》って、声をかけました。

「坊や、こんな時分に、ひとりぼっちでどうしたんだい? こんなところにいたら、人首山の鬼熊童子に、さらわれてしまいますよ?」

 すると今度は、その子が反対に、お縁の顔を不思議そうに見つめたのです。
 彼はくりっとした目をぱちぱちさせながら、こう言いました。

「おねえさんこそ、こんなところをひとりぼっちで歩いてたら、さらわれちゃうんじゃないの? その、鬼熊童子に」

 |年端《としは》もいかないのに、ずいぶん大人びたことを言うものだと、お縁はいぶかりました。

 ふと、下のほうへ目をやると、男の子の左足から、赤い|滴《しずく》が|垂《た》れています。

「……それは、血じゃないかい? たいへん、|怪我《けが》をしているのね」

「ああ、これ? 遊んでいたら、ちょっとね」

「ちょっとではありませんよ。どれ、見せてごらんなさい」

「ええ? いいよ、平気だから」

「平気なものですか。ほら、わたしに任せて」

「うーん……」

 お縁は|懐《ふところ》に入れていたきれいな布で、男の子の血を|拭《ふ》き取り、足を軽く|縛《しば》って|止血《しけつ》をしてあげました。

「ほら、これで大丈夫よ。さあ、こんなところへいないで、わたしが送ってあげるから、家に帰りましょう」

「ありがとう、おねえさん。でも、いいんだ。さっき南は奥原の、|槐翁《かいおう》から聞いてきたことを、これから東は|石神《いしがみ》の、|厨子王丸《ずしおうまる》に伝えにいかなきゃならないからね」

「……え?」

 どうっ――と、|一陣《いちじん》の|突風《とっぷう》が|吹《ふ》きました。

「きゃあっ!」

 お縁は思わず、着物のすそで顔を隠しました。

「あれ――」

 風がおさまって、ゆっくり手をどけると、あの男の子の姿は、どこにも見当たりません。

―― うふふ、おねえさん。このお礼は、必ずしてあげるからね? ――

 どこからか、その声は聞こえました。

 お縁が空を見上げると、東の石神村のほうへ、風の|渦《うず》が飛んでいくのが見えたのです。

「まさか、あの子が……鬼熊童子……」

 お縁は背筋が寒くなって、逃げるように家へと走ったのです。

   *

 ところでこの村には、お縁の家よりはずっと落ちますが、大きな|米問屋《こめどんや》が店をかまえていて、そこの|若旦那《わかだんな》ときたら、のらくら者で、ずるがしこくて、おまけに|好色《こうしょく》で、村の者たちからは、|陰口《かげぐち》を|叩《たた》かれてばかりいたのです。

 この日もろくに|家業《かぎょう》の手伝いもせず、座敷にねそべって|扇子《せんす》をぶらぶらさせながら、何か面白いことはないかなどと|思案《しさく》をしていたのです。

「……ああ、お縁さん……美しいですよねえ……ぜひ、わたしの|嫁御《よめご》に……そうすれば、お庄屋さんの家だって、わたしのもの……」

 こんなふうに、|下衆《げす》きわまりないことを、あれこれと考えていたのです。

「若旦那さま、よろしいでしょうか?」

 |女中頭《じょちゅうがしら》のお|兼《かね》が、とことことした歩みで若旦那のほうへやってきました。

「なんだい、お兼さん?」

「|盗賊《とうぞく》の|一味《いちみ》が、|近隣《きんりん》の|村々《むらむら》を|荒《あら》しまわっているらしいので、じゅうぶんに気をつけなさいと、|大旦那《おおだんな》さまが申しておりました」

「ほう、盗賊ですか……なんとも、ぶっそうですねえ……わかりました。そう、親父どのに、伝えてくださいな」

「へえ」

 お兼は|踵《きびす》を返して、またとことこと|戻《もど》っていきました。

「……盗賊、盗賊か……なるほど、これだ……」

 若旦那はパシンと、扇子で手を打ちました。

「これ、|五郎兵衛《ごろべえ》はおるかい?」

「若旦那、なんぞご用ですかい?」

 座敷からの|呼《よ》び|声《ごえ》に、熊のような大男がぬっと現れました。

 この男は|米蔵《こめぐら》を取りしきっている五郎兵衛という者で、若旦那とは意気が合い、何かにつけて|悪《わる》だくみを|練《ね》りあっているのでした。

「これ、ちょっとこっちへ」

「――?」

「ちょっと、耳をお貸し」

「はあ……」

 若旦那は何やら、五郎兵衛に耳打ちをしました。

「……なるほど、わかしやした。すぐに準備いたしやす」

 五郎兵衛は何ともいやらしい顔をして、その場を去っていきました。

 おそろしいことにこの若旦那は、|巷《ちまた》を騒がせている盗賊一味の名を借りて、庄屋さんの屋敷を|襲撃《しゅうげき》し、あろうことかお縁をかどわかしてしまおうともくろんだのです。

 五郎兵衛には今夜さっそく|事《こと》に|及《およ》びたいからと、その用意を|促《うなが》したのです。

「うふふ、お縁さん。もうすぐ、わたしのものですよ?」

 こうして若旦那の計画は、|着々《ちゃくちゃく》と進んでいったのです。

   *

「お縁の姫様以外は全員、|始末《しまつ》していい。何もかも|噂《うわさ》の盗賊一味の|せい《・・》になるんだからな」

 その日の|夜更《よふ》け、くだんの曲輪屋敷の前には、若旦那、そして五郎兵衛を|筆頭《ひっとう》ととする米問屋の手下たちが三十名ばかり、うじゃうじゃと集まっていました。

「みなさん、ちゃっちゃとやってくださいな。|人気《ひとけ》のない場所とはいえ、誰かに見られでもしたら、あとあとやっかいですからね」

 若旦那は早くお縁を自分の手にと、手下たちに作戦の決行を|急《せ》かしました。

「よし、行くぞ――ん?」

 五郎兵衛は奇妙に思いました。

 いままでまったく気がつきませんでしたが、屋敷の大きな門の前に着物姿の|小柄《こがら》な男の子がまるで|陣取《じんど》るように立って、へらへらと笑っているのです。

「なんだ、ボウズ? そこをどかねえか。さもないとお前なんぞ――」

 五郎兵衛は少年を捕まえようと手を伸ばしましたが、その手はフッと奥のほうへ反《そ》れ、逆にその子のほうから頭をがっつりと|掴《つか》まれたのです。

 ごぎゃっ――

「ひっ――」

 この世のものとは思えないおぞましい音で、五郎兵衛の頭は|砕《くだ》けました。

 若旦那は思わず、のどの|詰《つ》まるような悲鳴を上げたのです。

「うふふ、おじちゃんたち、おいらと遊ぼうよ……」

 男の子の目は、赤く|爛々《らんらん》と光って、口からは『牙』がのぞいています。

「おっ、鬼熊童子だあああああっ!」

「にっ、逃げろおおおおおっ!」

 手下たちはすっかり混乱して、逃げを打とうとしました。

「みなさん、相手はたかだガキひとりです! 鬼だか何だか知りませんが、まとまって向かえば、やっつけられますよ!」

 若旦那は必死で、手下たちを|鼓舞《こぶ》しました。

「くそっ、ひるむな! かかれ、かかれえっ!」

 手下たちはほとんど破れかぶれで、鬼熊童子に向かっていきました。

「ぐぎ――」

「あが――」

「ぎゃ――」

 ある者は首を|捻《ひね》られ、ある者は投げとばされ、またある者からは背中から小さな『|拳《こぶし》』が、ひょこっと顔を出しました。

 それは本当に、子どもがお|手玉《てだま》か何かで、遊んでいるように見えたのです。

 三十名もいた手下たちは、こうしてあっという間に、|躯《むくろ》の山に変わってしまいました。

「くすくす、バカなおじちゃんたち……人首山の鬼熊童子に、勝てるとでも思ったの?」

 鬼熊童子は血まみれになった口もとを、ペロリと|舐《な》めました。

「ひっ、ひいいいいいっ!」

 ひとりだけ残された若旦那は、落ちていた『|槍《やり》』を拾って、鬼熊童子のほうに投げました。

「ほい」

 鬼熊童子はそれをやすやすと受けとめたのです。

「返すよ」

 『槍』は若旦那の口の中に|刺《さ》さって、頭の後ろへ抜けていきました。

「はーあ、つまんないの。でも、おねえさん、『約束』は果たしたからね? くく、くくくっ……」

 どうっ――

 一陣の風が吹いて、鬼熊童子は人首山へと帰っていきました。

  *

 明くる朝、ひとりの|女中《じょちゅう》の|絶叫《ぜっきょう》で、|家人《かじん》たちは、叩き起こされました。

 米問屋の若旦那をはじめとする、|男衆《おとこしゅう》の|遺骸《いがい》――

 そして、真っ白な曲輪に点々とついた、おびただしい血――

 それはまるで、『|斑《ぶち》』のような模様にも見えました。

「ああ、なんとおそろしい……これはきっと、人首山の鬼熊童子のしわざに、違いない……」

 村人たちはこの屋敷を、『|斑曲輪屋敷《ぶちくるわやしき》』と呼びなおして、いつまでもおそれ、おののいたのです。

 お縁はといえば、「鬼熊童子に|見初《みそ》められた娘」と、ありもしないことを噂され、やがて家を去り、残された庄屋さんの屋敷も、すっかり|没落《ぼつらく》してしまったのです。

 そしていつしか、この打鞍の土地は、『|斑曲輪《ぶちくるわ》』という名前に変わったのでした。

 いまでもお縁の血を引く者には、鬼熊童子がそばについて、しっかりと守っているそうです――
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