朽木九区の由来
蛮頭寺(ばんとうじ)の由来
更新日: 2024/01/08 21:51ホラー
本編
今は昔のことでございます。
|武蔵国《むさしのくに》の|西方《さいほう》に、山で囲まれた広い盆地があって、その|一角《いっかく》に、小さな農村がございました。
この村の|高台《たかだい》には、|万宝寺《ばんぽうじ》という古いお寺が建っていて、山の|中腹《ちゅうふく》から、いつも村人たちの様子を見守っておりました。
初夏のある|夜更《よふ》けのことでございます。
|和尚《おしょう》さんがいつものように、|燭台《しょくだい》に|灯《あかり》をともして、お|経《きょう》を|唱《とな》えておりました。
すると、誰かお堂の戸を|叩《たた》く者があります。
「こんな夜中に、いま|時分《じぶん》」
和尚さんが|障子《しょうじ》を開けると、そこには年の頃|三十《さんじゅう》ばかりの、|剃髪《ていはつ》して黒い|衣《ころも》をまとった若い|入道《にゅうどう》が、その|麗《うるわ》しい顔にやさしい|眼差《まなざ》しで立っているではありませんか。
|驚《おどろ》いた和尚さんは、すぐにその若い入道を中に|招《まね》き入れ、お茶などふまって、ことのあらましを彼にたずねました。
なんでもその入道は、どうしても知りたいことがあって、ずいぶん長いこと、旅を続けているというのです。
「いったい何を、おたずねでしょうか?」
和尚さんがいぶかってそう聞くと、若い入道は次のように|口走《くちばし》ったのでございます。
「……地を|這《は》う姿は|地虫《じむし》であり、天を目指すは鳥のごとく、ほえる様子は|獣《けもの》のよう、とはこれいかに……」
和尚さんは気味が悪くなって、口をつむいでしまいました。
すると|蝋燭《ろうそく》の|炎《ほのお》が、風もないのにフッと、消え失せたのでございます――
*
明くる朝、村の|名主《なぬし》どのが井戸の水をくんでいると、若い衆の何人かが、転げるようにそちらへやってきます。
「こんな朝早くから、何事じゃな」
名主どのがたずねると、|今朝《けさ》がた万宝寺へ参ったところ、なんと和尚さんの|骸《むくろ》がお堂に転がっていて、その首から上は、すっぱり切り落とされているというではありませんか。
「これはただ事ではない」
すぐさま名主どのは、村の衆を集め、万宝寺へと走りました。
すると確かに、開かれた障子の中をのぞけば、そこには首のない和尚さんの痛ましい|屍骸《しがい》と、おびただしい血が飛び散っていたのでございます。
「これはきっと、魔物の|仕業《しわざ》に違いない」
一同はお寺の中も周りもくまなく探しましたが、和尚さんの首から上は、ついに見つかりませんでした。
村人たちはこの恐ろしい仕打ちに恐怖し、いつまでもおののいたのです。
*
名主どのはすぐに、京の都から名のある|高僧《こうそう》に足を運んでもらい、その恐ろしい魔物を取り除こうとしました。
「ご安心ください。必ずやその化物を、退治してご覧にいれましょう」
その夜、高僧が万宝寺のお堂で|読経《どきょう》をしていると、あの若い入道が確かにまた現れ、くだんの|問答《もんどう》をしかけてきたのです。
「……地を這う姿は地虫であり、天を目指すは鳥のごとく、ほえる様子は獣のよう、とはこれいかに……」
高僧はすっかり、答えに詰まってしまいました。
「それは……」
果たして蝋燭の火はふっと、消え失せたのでございます――
*
それから何人もの、覚えのある|僧侶《そうりょ》たちが、万宝寺を訪れましたが、みな一様に、首のない骸と変わり果てたのです。
このようにして、このお寺に寄りつく者はすっかりいなくなり、万宝寺は荒れ果てる一方でした。
*
それから半年ばかりも|経《た》った頃でございます。
ひとりの|修行僧《しゅぎょうそう》が、旅の途中で|杖《つえ》を休めたいと、名主どのの家にやってきました。
名主どのはその僧に|膳《ぜん》などをふるまいながら、この村を襲った出来事について、彼に語りました。
「それは、なんと……よし、わたしが、退治してさしあげよう」
名主どのは必死に止めましたが、その修行僧は意に|介《かい》さず、夜の万宝寺へと向かったのでございます。
*
修行僧がお堂で経を読んでいると、あの若い入道がどこからともなくやってきて、くだんの問答をしかけてきました。
「……地を這う姿は地虫であり、天を目指すは鳥のごとく、ほえる様子は獣のよう、とはこれいかに……」
修行僧はにっこり笑って、こう答えました。
「這い続ければこそ|龍《りゅう》にもなり、飛び続ければこそ|鳳凰《ほうおう》にもなり、ほえ続ければこそ|麒麟《きりん》にもなる。これでどうかな?」
すると入道は、うめき声を上げて、苦しみだしました。
|見目麗《みめうるわ》しい顔が泥のように|崩《くず》れたかと思うと、岩の|塊《かたまり》ほどもある大きな鬼の首へと、変じたではありませんか。
鬼の首は、その|裂《さ》けた口を開いて、修行僧に|襲《おそ》いかかってきました。
彼はその|一撃《いちげき》を|難《なん》なくよけると、腕を大きく開いて鬼の首の両耳を後ろから引っつかみ、お堂の|床《ゆか》に叩きつけて、たちどころにその息の根を止めてしまいました。
*
翌朝、万宝寺へ到着した名主どのはじめ村の衆が驚いたのも無理はありません。
お堂の床に食いこんだ化物の大首の上で、あの修行僧がいびきを上げながら、|寝入《ねい》っているではありませんか。
起き上がった彼からことのあらましを聞いた名主どのたちは、ぜひにと、その修行僧に万宝寺の新しい住職に就いてもらうよう、申し出ました。
彼は快く引き受け、鬼の首を手厚く供養して、荒れ果てた寺を建て直し、かくしてこの村には、平和が戻ったのです。
あの恐ろしい化物はなぜ、人間に問答をしかけようなどと思ったのでしょうか。
それだけは誰にも、わかりませんでした。
ただ、この万宝寺が建っていた村一帯は、いつしか|蛮頭寺《ばんとうじ》という地名で呼ばれるようになった、ということでございます。
0|武蔵国《むさしのくに》の|西方《さいほう》に、山で囲まれた広い盆地があって、その|一角《いっかく》に、小さな農村がございました。
この村の|高台《たかだい》には、|万宝寺《ばんぽうじ》という古いお寺が建っていて、山の|中腹《ちゅうふく》から、いつも村人たちの様子を見守っておりました。
初夏のある|夜更《よふ》けのことでございます。
|和尚《おしょう》さんがいつものように、|燭台《しょくだい》に|灯《あかり》をともして、お|経《きょう》を|唱《とな》えておりました。
すると、誰かお堂の戸を|叩《たた》く者があります。
「こんな夜中に、いま|時分《じぶん》」
和尚さんが|障子《しょうじ》を開けると、そこには年の頃|三十《さんじゅう》ばかりの、|剃髪《ていはつ》して黒い|衣《ころも》をまとった若い|入道《にゅうどう》が、その|麗《うるわ》しい顔にやさしい|眼差《まなざ》しで立っているではありませんか。
|驚《おどろ》いた和尚さんは、すぐにその若い入道を中に|招《まね》き入れ、お茶などふまって、ことのあらましを彼にたずねました。
なんでもその入道は、どうしても知りたいことがあって、ずいぶん長いこと、旅を続けているというのです。
「いったい何を、おたずねでしょうか?」
和尚さんがいぶかってそう聞くと、若い入道は次のように|口走《くちばし》ったのでございます。
「……地を|這《は》う姿は|地虫《じむし》であり、天を目指すは鳥のごとく、ほえる様子は|獣《けもの》のよう、とはこれいかに……」
和尚さんは気味が悪くなって、口をつむいでしまいました。
すると|蝋燭《ろうそく》の|炎《ほのお》が、風もないのにフッと、消え失せたのでございます――
*
明くる朝、村の|名主《なぬし》どのが井戸の水をくんでいると、若い衆の何人かが、転げるようにそちらへやってきます。
「こんな朝早くから、何事じゃな」
名主どのがたずねると、|今朝《けさ》がた万宝寺へ参ったところ、なんと和尚さんの|骸《むくろ》がお堂に転がっていて、その首から上は、すっぱり切り落とされているというではありませんか。
「これはただ事ではない」
すぐさま名主どのは、村の衆を集め、万宝寺へと走りました。
すると確かに、開かれた障子の中をのぞけば、そこには首のない和尚さんの痛ましい|屍骸《しがい》と、おびただしい血が飛び散っていたのでございます。
「これはきっと、魔物の|仕業《しわざ》に違いない」
一同はお寺の中も周りもくまなく探しましたが、和尚さんの首から上は、ついに見つかりませんでした。
村人たちはこの恐ろしい仕打ちに恐怖し、いつまでもおののいたのです。
*
名主どのはすぐに、京の都から名のある|高僧《こうそう》に足を運んでもらい、その恐ろしい魔物を取り除こうとしました。
「ご安心ください。必ずやその化物を、退治してご覧にいれましょう」
その夜、高僧が万宝寺のお堂で|読経《どきょう》をしていると、あの若い入道が確かにまた現れ、くだんの|問答《もんどう》をしかけてきたのです。
「……地を這う姿は地虫であり、天を目指すは鳥のごとく、ほえる様子は獣のよう、とはこれいかに……」
高僧はすっかり、答えに詰まってしまいました。
「それは……」
果たして蝋燭の火はふっと、消え失せたのでございます――
*
それから何人もの、覚えのある|僧侶《そうりょ》たちが、万宝寺を訪れましたが、みな一様に、首のない骸と変わり果てたのです。
このようにして、このお寺に寄りつく者はすっかりいなくなり、万宝寺は荒れ果てる一方でした。
*
それから半年ばかりも|経《た》った頃でございます。
ひとりの|修行僧《しゅぎょうそう》が、旅の途中で|杖《つえ》を休めたいと、名主どのの家にやってきました。
名主どのはその僧に|膳《ぜん》などをふるまいながら、この村を襲った出来事について、彼に語りました。
「それは、なんと……よし、わたしが、退治してさしあげよう」
名主どのは必死に止めましたが、その修行僧は意に|介《かい》さず、夜の万宝寺へと向かったのでございます。
*
修行僧がお堂で経を読んでいると、あの若い入道がどこからともなくやってきて、くだんの問答をしかけてきました。
「……地を這う姿は地虫であり、天を目指すは鳥のごとく、ほえる様子は獣のよう、とはこれいかに……」
修行僧はにっこり笑って、こう答えました。
「這い続ければこそ|龍《りゅう》にもなり、飛び続ければこそ|鳳凰《ほうおう》にもなり、ほえ続ければこそ|麒麟《きりん》にもなる。これでどうかな?」
すると入道は、うめき声を上げて、苦しみだしました。
|見目麗《みめうるわ》しい顔が泥のように|崩《くず》れたかと思うと、岩の|塊《かたまり》ほどもある大きな鬼の首へと、変じたではありませんか。
鬼の首は、その|裂《さ》けた口を開いて、修行僧に|襲《おそ》いかかってきました。
彼はその|一撃《いちげき》を|難《なん》なくよけると、腕を大きく開いて鬼の首の両耳を後ろから引っつかみ、お堂の|床《ゆか》に叩きつけて、たちどころにその息の根を止めてしまいました。
*
翌朝、万宝寺へ到着した名主どのはじめ村の衆が驚いたのも無理はありません。
お堂の床に食いこんだ化物の大首の上で、あの修行僧がいびきを上げながら、|寝入《ねい》っているではありませんか。
起き上がった彼からことのあらましを聞いた名主どのたちは、ぜひにと、その修行僧に万宝寺の新しい住職に就いてもらうよう、申し出ました。
彼は快く引き受け、鬼の首を手厚く供養して、荒れ果てた寺を建て直し、かくしてこの村には、平和が戻ったのです。
あの恐ろしい化物はなぜ、人間に問答をしかけようなどと思ったのでしょうか。
それだけは誰にも、わかりませんでした。
ただ、この万宝寺が建っていた村一帯は、いつしか|蛮頭寺《ばんとうじ》という地名で呼ばれるようになった、ということでございます。