花火は 降り注ぐ雨

花火は 降り注ぐ雨

更新日: 2023/06/02 21:46
現代ドラマ

本編




花火



子供の頃、打ち上げ花火が嫌いだった。
火薬が弾けて空を揺らす大きな音が、
拳銃の発砲音に似ていて怖かったのだ。
連続して打ち上がる花火の音から、
銃撃戦を想像していた。

地元で開かれる年一度の花火大会。
小学校を卒業するまで毎年布団に潜って、
その銃撃戦が終わるのをじっと待っていた。

この目ではじめて打ち上げ花火を見たのは、
高校2年の夏だった。

その日は、塾の夏期講習があった。
真面目な講義も程々に講師が教卓に寄りかかり、どうでもいい雑談をしはじめる。

いつもこうだ。

彼はそうやって受講生からの人気を得ようとしていた。

配られたプリントの裏に意味の無い落書きをしながらその雑談を聞く。
もうすぐ夏休みが終わるが、課題はもう終わってるよな?と問いかける。
終わった人と終わってない人で、挙がる手の数は五分五分だった。
この中で旅行に行った人はいるかという質問には、
「家族で温泉に」「友達と海水浴に」「部活の合宿」と返って来ていた。
恋人はできたか、という問いには後ろの席に座っている何人かがくすくすと笑う声がした。

今夜の花火大会にいく予定の人はいるか。
何人手を挙げるかは、見なかった。

講師は締めくくる。

勉強ももちろん大事ではあるが、若いうちはやりたい事をやっておけ。
大人になって後悔しないように。
熱中症には十分気をつけろ、と。

(間)

空調のきいた教室を後にし、外の暑さとのギャップに打ちのめされながらとぼとぼ自宅に向かう。
仰向けで野垂れ死んでいる蝉を3匹程目にした。

帰路の途中に、小さなお寺が建っている。
そのお寺の境内(けいだい)を通ると近道になるので、いつもの様に足を踏み入れた。
問題ないはずなのだが、通る度に何となく悪いことをしてる気分になるので
少しだけ足早に通り抜ける。
地元自治体の役員が協力して定期的に清掃しているらしく、
小さいなりにお寺らしい荘厳(そうごん)さがあった。

其のお寺の境内(けいだい)を囲うように植えられている木々には、
無数の蝉が縋り付き、こちらの思考を鈍らせるほどのノイズを発している。

一体何匹いるんだと足を止めて、目に付いた木の幹を注視してみたが、
蝉の姿を見つけることはできなかった。
ほかの音が耳に入ってこない程うるさいのに。

探すのが馬鹿らしくなり、
諦めてまた歩き出す。
太ももと額に、たらりと汗が流れる感覚がした。

(間)

夏休みも、もうすぐ終わりだ。

どこへも行っていない。
課題はとっくにおわっていた。
旅行は行かなかった。
行きたいと言ったことも無い。
恋人はおろか友達と呼べる人すら。
後悔しない生き方とは。
理想は一体どこにあるのか。

とにかく暑かった。
うまくいかなかった。

日本の気温は、人間の平均体温と同じくらいにまで上昇しているようだ。

神社を抜ければあとは道なりにまっすぐ歩く。
もう空は夕日に焦がされていて、影が差す場所を探して歩いた。


帰宅したあとも、頭の中の蝉はうるさかった。

(間)

夕方を過ぎ、夜になろうかと言う時に。

ふと、花火を見に行こうと思い立った。
「花火大会に行ってくる」という走り書きのメモを勉強机の上に残して部屋を出る。
少し胸が高鳴った。

階段をそっと降りる。
リビングには、下品なバラエティ番組を見て笑い合い幸せそうに晩酌する両親がいた。
気付かれぬようさっと通り過ぎ、家の裏口のドアを音を立てず開け、抜け出した。

花火大会の会場は自転車で数十分の場所にある。
夏の夜の道を自転車で走った。
通り過ぎた風は、ぬるくて、べたべたまとわりつくようで気持ち悪かったが、
振り切るように、押しのけるように前へ進んだ。

(間)

会場の近くまできた。
駐車場の一部が区切られて無理やり駐輪場にされており、大量の自転車が乱雑に停めてある。
倒れている自転車を数台起こして、空いたスペースに自分の自転車をとめた。

会場に近づくほどに辺りは明るくなり、屋台通りが現れた。
人混みに紛れて歩くと、日常にない汚さや眩しさ、そして酔いがやってきた。
夏の熱気が息苦しかった。

何を言ってるのか分からない放送が、
どこかに設置されているであろうスピーカーから流れてくる。

足を止めた。

なぜ自分はこんなところに来てしまったんだろうか。
夏の暑さに頭がやられてしまった。

学校の同級生たちとすれ違った気がして、
慌てて下を向く、胸がざわつく。

少し強引に人混みをかき分けて、
やっとの事で屋台通りを抜け出した。

その時、

空気が 一瞬低く唸った。
びくっと身体が強ばる。
おお、と周囲から小さく歓声があがる。

空を見た。

花火だ。

次の瞬間に
ドン、と大きな音と共に
空で火薬が弾けた。

これが花火。
夏の音が消えた。

円になった無数の黄色い光が
ぴかっと光り、散らばって、
だらり、だらりと空に垂れては消えていく。

「綺麗だね。」
と背後で誰かの声がした。
「帰りたい。」
と、どこがでちいさい子の泣き叫ぶ声がした。

それから次々と音を立てて
火薬が弾けては、ぱらぱら散っていく。

いままで過ごしてきた夏を思った。
不満はない。
いや、強がってたんだ。諦めていた。

息つく間もなく打ち上げられた色とりどりの光が、
消えていく。
ドンドン、ドンドン、と鼓膜だけでなく
脳も揺らされているようだ。

花火が、夏を終わらせようとしてる。

弾けた火薬の一瞬の光達が、
辺りに巻き上がる灰色の煙を照らしていた。

色とりどりの花火が弾けては消えていく。
弾けては消えていく。
煙を残して、消えていく。


綺麗な花火だとは思えなかった。
だけど、目を離すことはできなかった。


地上に近い所で無数の小さい花火が弾けたかと思えば、
さらに上で、そのさらに上で大きな花火が広がった。

バリエーション豊かに打ち上げられ消えていく。

相当数の花火が音を立てて弾けて消えた。
もうすぐ終わる。

おそらく最後の花火が空へ打ちあがった。
一番大きな音と共に弾けて、広がった。
視界で捉えられる夜空を覆いつくさんばかりの光の雨が、
こちらに降りかかるようにしてゆっくりといなくなった。


終わった。
寂しいような、すっきりとしたような、不思議な気持ちだった。


(間)

「おかえり。珍しいね、花火大会なんて。」
帰ってきたのに気づいた母親が、ばたばたと玄関で出迎えてきた。
なんとなくホッとした表情を浮かべている。
手には走り書きのメモが握られていた。
リビングをちらっと覗くと、父と目が合った。
メモは残したが、黙って夜に外出したのだ。
怒られても無理はないと思っていたが「おかえり」と小さく言われるだけだった。

「花火、どうだった?」母に聞かれる。

「悪くなかった」と私は答えた。
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