新生メモランダム

作家: 柴
作家(かな):

新生メモランダム

更新日: 2023/11/03 08:33
異世界ファンタジー

本編



目を開くとまずは、無骨な木組みの天井が見えた。
ぼんやりと天井に向けて手を伸ばすと、日常的に鍛えていることがうかがえる太い腕が視界に入る。
その手には、くたびれた革製の手帳が握られていた。
体を起こすと、それに合わせて硬い木製のベッドが軋んで大きな音を立てた。

…まずはこの状況を整理したい。
素朴だがある程度整頓された部屋の中を見渡してみたものの、鏡や時計の類は見当たらなかった。代わりに、壁にかけてある両手剣が目に入る。鞘にしまわれ、ちょうど手に取りやすいような高さでフックによって固定されていた。
ゆっくり目を閉じて、自分が何者なのかを辿るように思い出す。
「…ローグ、俺は冒険者ローグだ」
断片的に思い出されるローグとしての記憶。けして寝呆けているわけではなく、いつも「こう」なのだから仕方がない。大事に握りしめたままだった手帳をぱらぱらと数ページめくり、過去の自分を回想する。
ここはなんのこともないただのローグの自宅で、昨日もいつも通り冒険者ギルドの軽い依頼をこなし、酒場で少し飲んでから床に就いたところまでをうすぼんやりと思い出した。
鏡なんて高級品は最初から持っていない。どうしても自分の顔がどんなものか見たいなら、家の裏手にある共同井戸で水を汲み、その水鏡で確認するのがいちばん手っ取り早そうだ。

遠くで鐘の音が七回鳴った。普段だったらもっと早く起きて、この時間まで朝の鍛錬をこなしていることを、聞こえてからやっと思い出した。
「明日には…忘れずにできそうだな…」
ひとまず今日の鍛錬は見送ることにして、空腹を感じた俺は、目を閉じて昨日の酒場までの道のりを思い出す。
「よし、朝食も出してくれるとこみたいだし、道に迷うこともなさそうだ。…行ってみるか」
ひとことずつ、確かめるように独り言をつぶやきながら、ローグは立ち上がる。
 
「じゃあ、しばらくの間、体と記憶をお借りするよ。ローグさん」
こうして、ローグであってローグでない俺は、体にしみ込んだ動作で必要最低限の荷物と剣を取り、軽い足取りで家を出た。
胸ポケットには革の手帳を忘れずに入れて。
 

「あら、ローグさん!おはよう、今日はちょっと遅かったね」
「少し寝坊しちゃってね。いつものを頼むよ」
「はーい!」
 昨日ももちろん、毎日のように足を運んでいるらしい食堂兼酒場【麦色の風亭】に入ると、さっそく猫獣人の少女が明るく声をかけてきた。

彼女の名前はなんだったろうか…―ふむ、「リコリス」か。
反射的に応答してしまった後から「いつもの」の内容を思い出す。
―ベーコンエッグと黒パンとミルク。スプラウトのサラダ。そしてスープ。
俺は胸ポケットの手帳を取り出すと、目覚めてから徐々に思い出しつつある「ローグ」の情報を続きのページに書き留め始める。

ローグ・ザイン。35歳。Cランク冒険者でジョブは剣士。己の冒険者としての才能に限界を感じ、5年前に首都からこのアロスの町に移住。討伐や採取の依頼を受けて慎ましく生活している。所持スキルは「斬り払いLv.3」「パリィLv.2」「気配察知Lv.2」「毒耐性Lv.1」…。

と頭に浮かぶままに書き連ねていると、目の前に食事の乗ったプレートが差し出された。
「お待ちどうさま!なーに書いているのっ?」
先ほどのリコリスという名の店員であった。注文した「いつもの」朝食を持ってきてくれたらしい。
「これは命よりも大切な企業秘密が書いてあるんだ。だからリコリスにも見せられないな」
「キギョー?でも、その割には、初めて見る手帳だねぇ」
「まぁまぁ。食事ありがとう、いただくよ。ほら、女将さんに呼ばれてるぞ」
「あっはーい!ただいま!」
それなりに賑わっている店内の座席の隙間を縫って、リコリスは厨房まで戻っていった。
「せっかくだから、冷めないうちにいただくか」
手帳を閉じて食事に手を付け始める。ローグにとっては「いつもの」でも、実は『俺』にとっては久々の手料理。素朴ながら真心のこもった味に、ひとしきり舌鼓を打った。
 

「ごちそさん。うまかったよ、女将さん」
リコリスは他のテーブルの片付けに忙しそうだったので、支払がてらカウンターまで皿を持っていく。調理場のピークを越えて落ち着いた様子の女将が受け取ってくれた。
「お粗末さま。昨日と同じメニューなのに、今日はいちだんと美味そうに食ってたじゃないか」
「見られてたか…女将さんの作る朝飯は、二日酔いによく効くからな」
「はっは!その酒もうちで飲んだ分なんだからローグさんは上客様様だよ!」
そう言ってドワーフ族の女将さんは豊かな髭を撫でながら上機嫌に笑った。
「今日もギルドの依頼を受けるのかい?」
「そうだな、今日くらいは休もうか…いや、やはり受けることにしよう。でも簡単な採取くらいにしておこうかな」
「それがいい。うちの酒が残ってたせいで怪我でもされちゃ寝覚めが悪いからね。ローグさんが来ないと店の売上も落ちるし」
「そんなことないだろ。俺なんかいなくても、いつもこの店は繁盛してるじゃないか」
「この町で3人しかいないCランク冒険者様の御用達ってことで店に箔がついてるのさ。それも、人当たりが良くて頼りがいのあるローグさんの通う店ってことでね」
「世辞がうまいんだから。また夜に来るよ」
「あいよ!気を付けて行ってらっしゃい!」
支払を終えて店を出ると、ギルドまでの道を思い出しながら俺は歩みを進める。
「―うん、どうやら今回は穏やかに過ごせそうだな」
 

ローグの移住したアロスの町は、ダンジョンも付近になく強い魔物も少ないため、非常に平和である。そのため冒険者の仕事は簡単な採取や力仕事の助っ人などが主で、たまに低ランクの魔物の討伐依頼が出される程度だ。
首都の冒険者ギルドでは芽が出ずCランクで形見の狭い思いをしていたローグも、この町ではトップクラスの人材として頼りにされている。
だが、ローグが人々から慕われているのは冒険者としての実力からだけではなく、その実直でまじめな性格も大きいと、『俺』は呼び起こされる記憶や出会う人々の反応から見当を付けていた。

「ローグさん!!!お待ちしてました!!」
冒険者ギルドに入った途端に熱烈に迎えてくれたのは、ギルドの受付でハーフエルフのクイン嬢だ。
「クインさん!?どうしたんですか、思ってたよりやけにテンション高いですけど」
「Cランク冒険者のローグさんにぜひお願いしたい案件がちょうど舞い込みまして!こちらから使いを出そうかとすら思っていたところだったんです!」
嫌な予感がした。『俺』が『ローグ』でいるうちは、当たり障りのなく簡単な依頼を数個受けて日銭を稼ぎ、『次』まで平穏にやり過ごす魂胆だったのに。
「どうやらアシッドバイパーが森に出たらしいんです!!Cランクモンスターの!!」
ローグの記憶を辿る。アシッドバイパー、1~3mの大蛇のモンスター。特筆すべきは毒の代わりに口から強酸を吐き出し、冒険者の体を装備ごと溶かしてしまうこと。せっかく所持している「毒耐性」のスキルも、酸の前では意味をなさない。
ただ、ローグは首都時代に何度か依頼を受けて討伐した経験があった。…あの時はパーティメンバーと一緒だったが。だが、冒険者のランクとは「同ランクのモンスターであれば個人でも問題なく討伐できること」が目安である。おそらく問題はないであろう。普段の『ローグ』であれば。

「え、ええと、マチルダやオーネスはどうしたんだ?パーティでならDランクのメンバーだけでもなんとかなりそうだし」
往生際悪く他のCランク冒険者や代案を提示してみる。というのも、『俺』はまだ『ローグ』の体に完全にはなじんでいない。「気配察知」というそれっぽいスキルを持っているにもかかわらず、先ほどの食堂でリコリスの接近に気付けなかったことからも顕著だ。
だから少なくとも『俺』が『ローグ』の間は、危険を伴う依頼は一切受けるつもりが無かったのだ。
「マチルダさんは魔法薬の材料探しで数日前から遠方に出かけてますし、オーネスさんは装備が溶かされるのが嫌だって。Dランク冒険者たちも彼とほぼほぼ同じ理由で、できればローグさんにお願いしたいとのことです」
「あー…オーネスのジョブは重戦士、だったか。アシッドバイパーは通称『鎧泣かせ』だしな…」
「目撃情報から推測されるってだけで、まだアシッドバイパーと決まったわけじゃないんです。森を捜索して頂いて、それらしきモンスターがいるかどうか、確認してくださるだけでも報酬はお出しします!お願いできませんか?」
「うーん…」

正直なところ、『俺』は危ない橋は渡らない主義だ。でも、『ローグ』はそんなこともないらしい。というか、体も心もうずうずしているのを感じる。これが町の皆を守りたいという正義感なのか、冒険者としての性なのかはわからないが、『俺』もローグとして湧き上がるその気持ちを好ましく感じていた。
 

「―そうして、今に至ると」
結局クイン嬢からの依頼を受けた俺は、森の奥まで捜索の幅を広げていた。ここまでは怪しい気配や、ランクの低いモンスターとの遭遇もない。
いや、静かすぎる。
普段ならこんな奥地なら低ランクモンスターであるホーンラビットの一羽や二羽、クロウラーの一匹や二匹くらい見かけてもいいはずだ、と『ローグ』の持つ知識が俺に警報を鳴らす。
普段いるはずのモンスターや野生動物が見当たらないということは、それはそれで十分不自然な兆候であった。

「─!おっと。いたか」
さらに歩みを進めると、今度は仕事をしてくれた「気配察知」に引っかかる存在があった。20mほど先だろうか。大きい。もしこれが予想通りアシッドバイパーであるならば、おそらく向こうも既にこちらに気付いているはずだ。
『俺』の持つ知識から言えば、蛇はおしなべてピット器官というセンサーを持ち、動物の体温を感知して赤外線で物を見ることができる。アシッドバイパーの依頼書に書かれていた「気配察知Lv.2~3相当」とはきっとこの機能のことを指すのだろう。

俺は警戒を怠らないまま走って後退し、事前に目星をつけていた比較的開けた場所に相手を誘い出すことにした。
気配察知により、相手もこちらに向かってきていることがわかる。森での移動速度はどうやら向こうの方が上だが、この程度なら狙いの場所までうまく持ちこたえそうだ。
「ハハッ、なんだ!案外、俺らいいコンビかもな、ローグ!」
 

木々がひらけた空間に着いた。進んでくる敵を待ち構える。視界が良好なことで、うねるように進んでくる大蛇の姿が見て取れた。
「予想が当たっちまったか…頼むぜ!」
コブラのような鎌首をもたげて、大蛇の口から何かが飛んでくる。
とっさに剣で払おうとしたが、『ローグ』の本能が俺のしようとした動きを抑えこみ、危なげなく回避の一手を選択する。
「アシッドバイパー…知識としては取り入れたが、そうだよな、強酸じゃあ剣で受けれないよな…」
先ほどまで俺のいた場所は、吐きかけられた酸によって草が溶け、じゅうじゅうと煙が立っていた。

「わかった、『俺』はたいていの場合は肉体派じゃないんだ。ヘタなことしないさ。お前に全て任せるから、この場はなんとかしてくれよ?」
アシッドバイパーは強酸を連射できず、吐き出した直後が最大の隙であると『ローグ』は体で理解していた。『俺』の意思とは無関係に前傾姿勢で大蛇に向かって駆け出すローグ。
敵も鋭い牙をむいて迎え撃つが、Cランク冒険者なりの研鑽を積んでいたローグの敵ではない。
「―斬り払い」
大きく開いた口をそのまま裂くように横一閃に薙ぐ。アシッドバイパーは、コブラのように広げた鋤骨から真っ二つにされ絶命した。ブランクや『俺』という不確定要素はあったものの、ローグの実力は間違いなくランク相当であったというわけだ。
…ところでローグの記憶によると、こいつはかば焼きにすると美味いらしい。
「…俺は嫌だぞ」
ギルドで待つクイン嬢に討伐の成功を報告するため、大蛇の皮の一部だけはぎ取って俺はその場を後にした。
 

俺は心地よい疲労感と充足感、そして若干の酔いを感じつつベッドに倒れこんだ。
あのあと、ギルドに依頼成功の報告と、Dランク以下冒険者たちによる後続チームに指示を出し、実際にアシッドバイパーの討伐が認められると、アロスの町を挙げてのお祭り騒ぎになったのだ。
【麦色の風亭】の女将さんとリコリスも大喜びで、俺のために無料でとっておきの葡萄酒樽を開けてくれた。

「あー…、手帳、書かないと」
酔いは回っていてもこの作業だけは欠かせない。寝落ちする前に今日の体験を文字に残しておかねば。いつも通りのペースならあと数日は『ローグ』でいられるはずだが保証はない。明日はすっかり『別人』になっている可能性も考えられる。
「こんな気持ちいい疲労感、『前回』は無かったなぁ…」

『ローグ』になる前は、日本という国のブラック企業で働く女性会社員の人生を一週間ほど過ごした。その時の『私』は仕事を思い出すのに精いっぱいで、元々の人物以上に上司に怒鳴られる毎日だった。あの子、どうなったろうな…。今頃『私』、いや『俺』のせいで迷惑かかってないといいんだけど…。

彼女の前は、空中都市に居を構える医師の一人娘で、恵まれてはいるが息苦しい生活だった。その前はどこかの炭鉱で働く貧しい少年、さらにその前は旅の楽士であった。
その誰もが数日から一週間、体と記憶を借りさせてもらった自分にとってかけがえのない存在である。…まぁ、向こうにとってはどうだか知らないが。
そのどれもが『俺』であり、『俺』ではない。気づいたら自分はこんな存在だった。『俺』を足らしめるのは、間借りした体験を逐一書き記しているこの革の手帳のみである。『俺』の意識と一緒に様々な人生を渡り歩けるこの手帳だけが、『俺』の唯一の財産であった。
「ここは居心地がいい、明日もよろしく頼めるといいな…ローグさん」
 満足いくまで今日の出来事を書き綴ると、俺は大事に手帳を胸に抱えて、いい気分のまま眠りにつく。この手帳だけは手離してはいけない。

手帳の最初のページには、殴り書きで次のように書いてある。
 
 



 




『昨日の俺が、前の手帳を失くしやがった。
 
私は誰だぼくは誰だ俺は誰だおれはだれだアタシはだれ僕は誰だ私はだれだだれだだれだだれだだれだだれだダレだダレダダレだだれダだれダダレダ………』
 
 
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