Hearty pledge 〜出会いと別れ、そして…… 〜

作家: 蒼河颯人
作家(かな): そうがはやと

Hearty pledge 〜出会いと別れ、そして…… 〜

更新日: 2023/06/02 21:46
歴史、時代、伝奇

本編


 ある日の昼頃、物音がした。
 目を覚まして身を起こしてみると、一人の女が佇んでいた。
 
 長い黒髪を背に流し、輪郭の柔らかな瓜実顔に真白な頬、赤い唇は桜桃のようにふっくらとしている。
 大層美しい女だった。
 一体どこから入って来たのだろうという疑問よりも、女の容姿に目が張り付いていた。
 何故か、彼女から目を離すことが出来ない。
 
 そんな私を見ると、女はふわりと微笑んだ。
 
「わたくし、あなたに逢いに参りました」
 
 初見だ。会ったこともない。
 不思議な女だ。私が失念しているだけだろうか?
 記憶の中を探っていると、目の前の身体が突然よろけた。
 そして、そのまま前方に向かって倒れてくる。
 床に接触する寸前で私はその身体を抱き止めた。
 羽根のように、軽い身体だ。
 長い黒髪が頬に掛かってくる。
 
「……大丈夫か?」
 
「すみません。めまいがしたもので……」
 
 腕の中の女と目があった。
 虹色水晶のような煌めきが見つめ返してくる。
 胸の心臓がドクンと飛び跳ねた。
 吸い込まれてしまいそうなその瞳に釘付けとなる。
 女は私の背に腕を絡め、縋り付いてきた。
 すべすべとした柔らかな肌の感触に、脈が早鐘のように打ち始める。
 私は何故か彼女に抗うことが出来なかった。
 
 数刻経った頃、女は静かに私から身を離すと気崩れた着物を直し、どこか名残惜しそうに目を伏せた。
 
「あなたに逢えて嬉しゅうございました。朝は雲となり、夕方には雨となった時、また此処に参ります。必ずあなたに逢いに行きます。それまであなた、待っていて下さいますか?」
 
 私は静かに肯いた。
 不思議と首を横に振ることが出来なかった。
 
 ※ ※ ※
 
 目が覚めると、そこは自分の部屋の中だった。
 自分以外、誰もいない。
 夢……?
 不思議と、腕と唇に柔らかい感触が残っていた。
 背中に縋り付かれた腕と指の感触もある。
 あれは、本当に夢だったのだろうか?
 
 翌朝、山に紫がかった雲がかかったのを見た。
 しかし、夕方になっても雨は降らなかった。
 
 明日はどうだろうか。
 
 その翌朝、やはり山に雲がかかるのを見かけるが、夕方になっても晴れたままだった。
 
 それから私は何日も待ち続けた。
 朝、山に紫がかった雲がかかるのは見えても、夕方に雨の降らない日が続いた。
 日が昇っては落ち、日が昇っては落ち、数日が過ぎて行く。
 自分は女にだまされたのではなかろうかと思い出した。
 
 ※ ※ ※
 
 何日経ったのか分からなくなった、ある日のこと。
 朝、山に極めて美しい雲のかかっているのが見えた。
 紫がかってはいるのだが、明らかにいつもとは違う雲だ。
 陽が傾きかけた頃、静寂の中涼やかな音が聞こえてきた。
 
 ぽたりぽたりと葉を揺らす雫。
 まるで、全てを赦し赦される様な優しい響きだ。
 母なる海から蒸気となって舞い上がり、雲となった後地上へと舞い戻った残響。
 空から零れ落ちて来るのは、玲瓏たる鏡の様に透徹した宝玉のようで、虹入水晶の様に煌めいていた。
 
 ぼんやりと景色を眺めていると、どこか温かい湿気に身体を包み込まれた。
 あの日の感触が静かに蘇る。
 
 ああ、彼女は戻って来たのだな、私の側に。
 周囲の空気が微笑んでいるように感じた。
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