おてみやげ

作家: 柴
作家(かな):

おてみやげ

更新日: 2023/09/02 20:30
ホラー

本編


初対面の男性を家にあげるなんて不用心ですか?

ご心配ありがとうございます、でも××さんとは会うのは今日が初めてですけど、以前からDMでのやりとりはしてましたし。
今回は私の体験についての取材なんですから、とにかく家に来てもらった方が早いかと思って。
…でもまだ少し時間があるので、それまでは私の話を聞いてもらえますか?
あ、その前に玄関の鍵だけもう一度見てきますね。ちょっと失礼します。
(間)
ちゃんと閉まってました。お待たせしました。

ええとじゃあ、どこから話しましょうか。私の地元の話なんですけど、私はすごく小さくて辺鄙な村で育ったんです。無人駅で降りて、家までさらに車で15分以上かかるような。

田舎特有の慣習って言うんですかね?そういうのがありまして。夜に家の鍵をかけてはいけないんです。
昔は鍵をかけない家なんてどこもざらにあったそうですよね。でも、「鍵をかけるな」ってわざわざ子供に言い聞かせるのも珍しいんじゃないですか。しかも地域ぐるみで。

そもそも夜は、大人も子供も絶対に家の外に出ちゃいけなかったんです。だから泥棒とかそういう防犯意識も育たなかったというか。東京に出てからですよ。鍵かけるようになったのなんて。

今?今も村では変わらずじゃないんですかね。あぁ、でも、どうなんだろ。鍵を開けとく必要ももう、なくなったのかもしれないし。

そう、なんで鍵をかけちゃいけなかったかっていうと、『なれびと様』がいらっしゃった時の為なんです。

『なれびと様』は決まって日が落ちた後に家を訪ねてきます。いつの間にか玄関に立ってるんです。鍵をかけてると『なれびと様』が中に入れず怒ってしまいます。だから、鍵は開け放しておかないと。
あぁ、知らない人を家にあげるのに躊躇がない理由は、これのせいかもしれませんね。

『なれびと様』がいらしたら家の中に招いて、おもてなししてさしあげないといけません。
いらっしゃる頻度としては、数年から十数年に一度くらいでしょうか。でも、年に二、三度いらしたっていう家の話も聞きましたよ。

『なれびと様』がいらしたら、まず匂いで分かります。すごく生臭いんです。数日間は家から匂いが取れません。
あと、天気雨の降った日は『なれびと様』が降りてくる前兆だって言われてました。学校もいつもより早く帰されましたし、祖父母や両親もピリピリしてました。

『なれびと様』の相手をするのは大人たちの役目です。家の子供たちは別の部屋に隠されます。『なれびと様』は子供が大好きだから、見つかると手土産として持って帰ってしまうんだそうです。

大人たちは、息を潜め隠れている子供たちの存在を悟らせないために、そして純粋な恐怖心から、『なれびと様』を料理や楽器の演奏、唄などで必死におもてなしをします。
私も大人になった時のためって言われて、お琴や三味線を習わされました。それが今の仕事に繋がってるので、ちょっと皮肉なんですけどね。

決して粗相をして怒らせたり、機嫌を損ねたりしてはいけません。大人も子供も関係なく、手土産として連れていかれてしまいます。

『なれびと様』はひとしきりもてなされたあと、家の仏間に敷かれた布団で床につきます。一度仏間へご案内したあとは、大人ですら部屋を覗くことは許されません。今度は家人に代わって御先祖様が、『なれびと様』をおもてなししているのだとも聞かされました。

恐怖と緊張に満ちた一夜が明け、翌朝の日の出とともに『なれびと様』は家から姿を消しています。朝焼けの光が仏間に差し込んでから、ようやく家中が一安心できます。

つつがなく『なれびと様』をやり過ごしたら、その家は次のおもてなしの時までお金に困らないと言います。さっき言った、年に二、三度も『なれびと様』が訪ねてきたって家は、地元でも有名な大地主の所なんです。

……『なれびと様』がはじめてうちにいらしたのは、私が小学校低学年の時でした。
両親と祖父母、弟と私の六人で、いつも通り夕食を食べていると玄関から、

「きたぞう」

と妙にくぐもった、間伸びのした声が響いたんです。

大人たちはすぐさま血相を変えました。
父は、「おれとじいちゃんがお出迎えに行ってできるだけ時間を稼ぐ。その間に、ばあちゃんは子供たちを部屋へ連れてそのまま二人を見張っててくれ。母さんは料理をありったけ用意するんだ」と言い残すと、祖父と一緒に急いで玄関へ向かいました。
母も食卓に既に並んだ料理の他に、何かお出しできるものがないかと慌てて台所に戻っていきます。
私と弟は、大人たちの恐怖心が伝播して、しばらく固まったままでいましたが、リウマチで手足が不自由な祖母が手を引いてくれて、祖父母の寝室まで連れられました。

「大丈夫、大丈夫だから。何があっても今晩はこの部屋から出ちゃなんねぇよ。ばあちゃんも、一緒にいるからな」

と言って祖母が私と弟を震える手で抱きしめます。
『なれびと様』がいらしている夜は決して声を出してはならぬと日頃から厳しく教えられていましたから、居間から聞こえてくる父の三味線の音や祖父の唄を耳にしながら、私も弟もただただ恐怖のあまり口をつぐんで祖母にしがみつくことしか出来ませんでした。

…いつの間にか疲れて眠っていたようで、気づくと私と弟は祖母の布団に寝かされていました。
部屋には祖母の他に、祖父の姿もありました。背を向けて二人で話し込んでいます。きっとおもてなしが終わり、『なれびと様』を仏間にお通しして戻ってきたのでしょう。
「おばあちゃん…?」と声をかけました。

これが、いけませんでした。

『なれびと様』が家にいる間は、子供は一切の声を出してはいけないのに。

祖父が瞬時に振り向き、恐ろしい顔で私の口を手で房ぎましたが、時すでに遅しでした。
遠くの襖が勢いよく開いた音がしたかと思うと、ばたばたと廊下をこちらに向かって走ってくる足音。
祖父は咄嗟に祖母と私と、まだ寝ている弟にすっぽりと掛け布団を被せました。

近づく足音はやがて、祖父母の部屋の前でぴたりと止まりました。

祖父が恐る恐る声をかけます。

「い、いかがされましたでしょうか?」

「そこに、むすめっこが、おるかのう」

「…いえ、この部屋には私と老いた妻以外はおりません」

「ほうかのう、ういこえが、きこえたきがしたんじゃが」

「外の鈴虫の音かもしれません」

「ほうかほうか、ところで、そのすずむしとやらは、みやげにもってかえってもよいかのう」

「……っ、いえ、どうか、どうかそれだけはご勘弁をくださいませ…!」

「ふぅむ、では、またこんどにするかのう」

同じ掛け布団にくるまる祖母が、隣で小さく呻きました。

「……仏間まで、もう一度、ご案内いたします」

布団の外で祖父が部屋を出ていき、襖を閉める音がします。
私をかき抱いて啜り泣く祖母の声を聞きながら、私はそのまま朝を迎えました。

翌朝、両親と祖父母はまるで何事も無かったかのように振る舞いました。
弟が「ねぇ、昨日の…」と切り出した瞬間に、母が「しっ」と鋭く口止めをしたので、そこから私も弟も何も言えなくなってしまいました。

でもずっと、あの晩の「こんどにする」という言葉の意味が、私の頭から離れることはありませんでした。

それから十年足らずが経ち、元々裕福な家ではあったと思うんですけど、さらに家の羽振りが良くなったようで、私は大学進学とともに上京させてもらいました。
というか、半ば追い出されるように上京させられたんです。
「こちらから会いに行くから、もうこの家には戻ってくるな」と見送りの際に父に言われました。

その数日後です。実家が全焼しました。
今思えば、予感めいたものが父にはあったんだと思います。
父と祖父、そして寝たきりになっていた祖母が亡くなりました。母と弟は無事でした。

母から「葬式はこちらだけでやるから来るな」と電話越しに伝えられました。

そして、「手土産をさがしてるから」とも。

それが数年前の話になります。

(突然のドアチャイムの音)

……出ないで。気にしないでください。鍵はちゃんと閉めてるから、入って来れないんで。しばらくしたら居なくなります。取材とはいえモニターを見るのも…私はあんまりお勧めしません。
実家の全焼の数日後から、毎晩訪ねてくるようになったんです。たぶん、手土産をとりに。

たぶん、「こんどのみやげにする」はずの私がいなかったから、怒ってしまったんだと思うんです。
もう既に怒ってるんだとしたら、おもてなしする意味も、鍵を開けとく理由もありませんし。

引っ越してみたり、友人の家や、ホテルを転々としたこともあったんですけど、それでもニ、三日も経つと追ってくるんです。

部屋、綺麗にしてるのに、玄関入口で臭いって思いませんでした?一瞬、顔をしかめられてましたもんね。

嫌な匂いもとれませんし、何より毎晩こんなじゃあ恋人もできっこないですしね。他人を家にあげたのも、実はこれが初めてなんですよ。

今日は、泊まっていってくださいね。
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