にょぜがもん
にょぜがもん
更新日: 2023/07/07 19:15エッセイ、ノンフィクション
本編
私はこれから書き散らす。何故と言って私はこれを伝えなければならないから。ただ一人、君に向けて。私の述べることの一切は物質的に存在していないダレカから聞いたことである。ダレカとは、誰であろうか。それは私にもはっきりと分からない。ヒトを肯定する善意、個人を取るに足らない、矮小なものと定義し、苦悩の牢獄に幽閉せんとする悪意、それに対する憎悪を化石燃料として燃え上がる私の情動。およそこんなものたちがそのダレカであろうとは思う。ともかく、今、私は君に伝えなければならないのだ。ただひと言。
生きよ、と。
君は生きねばならないのだ。生まれてしまった以上はね。きっとこの言葉は君にとって忌々しい呪いのように聞こえるかもしれない。君の嘆きが聞こえるようである。
苦悩に満ちた世を生きよとは! それが苦しいのだ。私は今に発狂せんばかりの高粘質な疲弊と徒労、自己否定に苛まれているのだ。
分かる、とは言わない。世に満ちた悪意に傷つけられた上にも傷つけられた君に、どうして私が容易な共感を与えられようか。しかし、私ははっきりと聞いた。私の友である君、善き者としてあろうと今日まで生きた君よ! 終わらせてはいけない。君を蹂躙した悪意に君自身が呑まれて消えてしまうなんて。そんなこと、私は看過したくない。生きる上でどうして我々はこんなにも苦悩を強いられるのだろうね。しかし、私は聞いたよ。苦悩とは生きる上での必須条件ではない。幸福、肯定、称賛。君が自身には無縁だと思うような祝福は、実は君のためにあるのだ。君は祝福されるべきなのだ。そしてそれを拒む必要はないのだ、と。そう生きたいものだね。
悪意は君に絶えず囁きかけるかもしれない。努力を続けなければ市民権は得られない。乗り越える強さを持った人間しか立派とは言えない。やってくる苦悩に打ち勝ち、何かを成せ。いいかい、これは全部真実ではない。悪意が、君を歪んだ社会という牢獄に閉じ込めておき苦悩に満ちた世界を維持するための嘘だ。悪意はとにかく君を祝福から遠ざけようとする。祝福とはごく一部の優れた人間にしか与えられてはいけないと、その価値観に人間を押し込める。違う。断じて違う。祝福への道は万人に等しく用意されているものだ。重要なのは君がそれを受け取れるか、ということなんだ。自分はそれに相応しくない、と君が思うなら、それは君が悪意に毒されているからだ。悪意は万人に与えられた祝福を一部の人間にしか与えようとはしない。悪意に従順な、苦悩を乗り越えた立派な人というパイライトの勲章を掲げた者にしか。そのような悪意のしもべは他人にその苦悩を幾百倍にも拡大して見せつける。そしてそれを誇っている。在りもしなかった筈の苦悩という名の麻薬にラリって苦悩のないものを見下す。そうして自尊心を満たしているんだ。その者の言葉をこそ、否定せよ。その祝福は私のものだと憎悪と怒りの情動で奪い返すのだ! 難しいことではない。君はただ、自身を肯定するだけでいい。
己の悪意に対する怒りのために、書き散らし過ぎたようである。少し愉快な話でもしてみよう。もし君が、私と同じように悪意に対する憎悪と友への慈愛に満たされたなら、どうだろうか。いつかそれを誰かに伝えてみないか? 文章、小説、絵、詩歌、音楽。どんな方法でもいい。君の情動のままに創られたそれはきっと悪意に対する刃となり、友を守る盾になるだろう。何より、私自身、そんな創作が見てみたい。創作に生きるとはいいものだよ。私はすっかりそれに憑りつかれて、社会から脱獄してしまった。そのために立派な社会人という勲章を蹴り飛ばしてまで、こうして君に書き散らしているのだ。作品としての優劣なんて二の次でいいじゃないか。君が表現したくてたまらないものがあるなら、どうかこっそり、私に教えてくれないか。一緒に悪意に反抗し、幸福を守ろうじゃないか。その時までどうか無事で。じゃ、また。ごきげんよう。
0生きよ、と。
君は生きねばならないのだ。生まれてしまった以上はね。きっとこの言葉は君にとって忌々しい呪いのように聞こえるかもしれない。君の嘆きが聞こえるようである。
苦悩に満ちた世を生きよとは! それが苦しいのだ。私は今に発狂せんばかりの高粘質な疲弊と徒労、自己否定に苛まれているのだ。
分かる、とは言わない。世に満ちた悪意に傷つけられた上にも傷つけられた君に、どうして私が容易な共感を与えられようか。しかし、私ははっきりと聞いた。私の友である君、善き者としてあろうと今日まで生きた君よ! 終わらせてはいけない。君を蹂躙した悪意に君自身が呑まれて消えてしまうなんて。そんなこと、私は看過したくない。生きる上でどうして我々はこんなにも苦悩を強いられるのだろうね。しかし、私は聞いたよ。苦悩とは生きる上での必須条件ではない。幸福、肯定、称賛。君が自身には無縁だと思うような祝福は、実は君のためにあるのだ。君は祝福されるべきなのだ。そしてそれを拒む必要はないのだ、と。そう生きたいものだね。
悪意は君に絶えず囁きかけるかもしれない。努力を続けなければ市民権は得られない。乗り越える強さを持った人間しか立派とは言えない。やってくる苦悩に打ち勝ち、何かを成せ。いいかい、これは全部真実ではない。悪意が、君を歪んだ社会という牢獄に閉じ込めておき苦悩に満ちた世界を維持するための嘘だ。悪意はとにかく君を祝福から遠ざけようとする。祝福とはごく一部の優れた人間にしか与えられてはいけないと、その価値観に人間を押し込める。違う。断じて違う。祝福への道は万人に等しく用意されているものだ。重要なのは君がそれを受け取れるか、ということなんだ。自分はそれに相応しくない、と君が思うなら、それは君が悪意に毒されているからだ。悪意は万人に与えられた祝福を一部の人間にしか与えようとはしない。悪意に従順な、苦悩を乗り越えた立派な人というパイライトの勲章を掲げた者にしか。そのような悪意のしもべは他人にその苦悩を幾百倍にも拡大して見せつける。そしてそれを誇っている。在りもしなかった筈の苦悩という名の麻薬にラリって苦悩のないものを見下す。そうして自尊心を満たしているんだ。その者の言葉をこそ、否定せよ。その祝福は私のものだと憎悪と怒りの情動で奪い返すのだ! 難しいことではない。君はただ、自身を肯定するだけでいい。
己の悪意に対する怒りのために、書き散らし過ぎたようである。少し愉快な話でもしてみよう。もし君が、私と同じように悪意に対する憎悪と友への慈愛に満たされたなら、どうだろうか。いつかそれを誰かに伝えてみないか? 文章、小説、絵、詩歌、音楽。どんな方法でもいい。君の情動のままに創られたそれはきっと悪意に対する刃となり、友を守る盾になるだろう。何より、私自身、そんな創作が見てみたい。創作に生きるとはいいものだよ。私はすっかりそれに憑りつかれて、社会から脱獄してしまった。そのために立派な社会人という勲章を蹴り飛ばしてまで、こうして君に書き散らしているのだ。作品としての優劣なんて二の次でいいじゃないか。君が表現したくてたまらないものがあるなら、どうかこっそり、私に教えてくれないか。一緒に悪意に反抗し、幸福を守ろうじゃないか。その時までどうか無事で。じゃ、また。ごきげんよう。