諮問
諮問
更新日: 2023/06/02 21:46その他
本編
それではこれより諮問を始めます。
問:貴方は修了見込みですか。中途退学ですか。
答:修了見込みです。
問:今期の研究期間はどのくらいでしたか。
答:七十三年です。
問:存分に学べましたか。
答:はい。多くのことを学びました。
問:何を専攻しましたか。
答:エリキシルの生成を専攻しました。
問:ということは「大いなる作業」に関わったわけですね。
答:はい。私は学習期間の全てを「大いなる作業」に費やしました。
問:生成には成功しましたか。
答:いいえ。全て失敗しました。
問:では、結晶の生成は。
答:試みたものの失敗しました。
問:それでは貴方は何も得ていないということですか。
答:いいえ。多くの副産物を得ました。
問:副産物はエリキシルではありませんね。
答:はい。
問:それに価値があるのでしょうか。
答:主観的な価値があります。
問:では、客観的、絶対的な価値は無いということですか。
答:ありません。私にとっての主観的な価値があるだけです。
問:果たしてそれに何の意味があるのでしょう。
答:他者に言葉という媒体で説明できるような、そんな希薄な意味などありません。ただ、私の行為を通して私の精神が受け取った一切が「大いなる作業」とその副産物の意味なのです。
問:それではやはり、貴方の「大いなる作業」が失敗だったと認めるわけですね。
答:はい。他者に提示できるような生成物が無いという意味での失敗は認めます。
問:貴方は落第するかもしれませんよ。それでも失敗を認めるのですか。
答:はい。絶対的な価値をもつエリキシルが生成できなかった以上、失敗に違いありません。しかし、私は確かに「大いなる作業」を試みました。そしてそれは紛れもなく私が学んだという証左です。結果、落第しても構いません。
問:わかりました。では、その副産物についてお尋ねします。一つ、具体例を示してください。
答:賢人たるための必要条件です。
問:詳しく説明してください。
答:賢人たるには、弱者でなければなりません。本当の意味での弱さを知らずして賢人にはなれません。
問:それでは、貴方の言う、弱さを知った賢人とは何ですか。
答:苦しみを知り、痛みを知った上でそれを優しさに変換して乱反射させようと試みる者のことです。
問:何故、そのような弱者が賢人と言えるのですか。
答:奉仕の心を持っているからです。多くの人は自身の受けた苦痛を全反射させようとします。そしてそれが正しいことだと思い込み、世界をそのような構造に仕立て上げてしまいます。事実、既に世界はそのように観測されています。そんな中でさえ、優しさの乱反射を図るのはまさに「大いなる作業」です。そのような困難を成そうとする者がどうして賢人でないと言えるでしょう。
問:なるほど。では、貴方はその賢人なのですね。
答:いいえ。そうではありません。
問:何故ですか。貴方は「大いなる作業」に携わったのでしょう。
答:賢人とは例外なく、無自覚であるものです。私は僅かながら賢人たる自負があります。真の賢人ではありません。
問:エリキシルも未完成、その過程で生成された副産物である賢人たるための条件も満たせず、ということでよろしいですか。
答:はい。
問:貴方は研究期間を無駄にしたのではありませんか。
答:いいえ。私の研究は全て必然の連続でありました。断じて無駄ではありませんでした。苦痛を是とする世界で奉仕の乱反射を試みました。それだけで充分です。私は確かに学んだのです。その事実だけは決して変わりません。
「わかりました。以上で諮問は終了します。合否については別室で発表しますので、それまでお待ちください」
「はい」
「最後にもう一つ質問します」
「何でしょうか」
「貴方のその胸ポケットにある小瓶はなんですか。何か赤い液体が入っているようですが」
「いえ、その……これはなんでもありません。副産物から抽出した雫を集めただけのものでして。とてもお見せするようなものではありません」
「……わかりました。合否の発表まで別室でお待ちください」
私は指示されたドアを開け、別室へと入った。中は暗闇で何も見えない。音も無く、背後で扉の閉まる気配がした。少し間を置いて目に刺さる程の照明が私を包んだ。壇上の私に向けて、惜しみない、割れんばかりの拍手がいつまでも、いつまでも響いていた。
右の者。今期の七十余年をエリキシルの生成に費やし、見事にそれを完成させた。また、「大いなる作業」を通して賢者へと至ったことにも疑念の余地は無い。以上のことから右の者を賢者と認める。
Theophrastus von Hohenheim
0問:貴方は修了見込みですか。中途退学ですか。
答:修了見込みです。
問:今期の研究期間はどのくらいでしたか。
答:七十三年です。
問:存分に学べましたか。
答:はい。多くのことを学びました。
問:何を専攻しましたか。
答:エリキシルの生成を専攻しました。
問:ということは「大いなる作業」に関わったわけですね。
答:はい。私は学習期間の全てを「大いなる作業」に費やしました。
問:生成には成功しましたか。
答:いいえ。全て失敗しました。
問:では、結晶の生成は。
答:試みたものの失敗しました。
問:それでは貴方は何も得ていないということですか。
答:いいえ。多くの副産物を得ました。
問:副産物はエリキシルではありませんね。
答:はい。
問:それに価値があるのでしょうか。
答:主観的な価値があります。
問:では、客観的、絶対的な価値は無いということですか。
答:ありません。私にとっての主観的な価値があるだけです。
問:果たしてそれに何の意味があるのでしょう。
答:他者に言葉という媒体で説明できるような、そんな希薄な意味などありません。ただ、私の行為を通して私の精神が受け取った一切が「大いなる作業」とその副産物の意味なのです。
問:それではやはり、貴方の「大いなる作業」が失敗だったと認めるわけですね。
答:はい。他者に提示できるような生成物が無いという意味での失敗は認めます。
問:貴方は落第するかもしれませんよ。それでも失敗を認めるのですか。
答:はい。絶対的な価値をもつエリキシルが生成できなかった以上、失敗に違いありません。しかし、私は確かに「大いなる作業」を試みました。そしてそれは紛れもなく私が学んだという証左です。結果、落第しても構いません。
問:わかりました。では、その副産物についてお尋ねします。一つ、具体例を示してください。
答:賢人たるための必要条件です。
問:詳しく説明してください。
答:賢人たるには、弱者でなければなりません。本当の意味での弱さを知らずして賢人にはなれません。
問:それでは、貴方の言う、弱さを知った賢人とは何ですか。
答:苦しみを知り、痛みを知った上でそれを優しさに変換して乱反射させようと試みる者のことです。
問:何故、そのような弱者が賢人と言えるのですか。
答:奉仕の心を持っているからです。多くの人は自身の受けた苦痛を全反射させようとします。そしてそれが正しいことだと思い込み、世界をそのような構造に仕立て上げてしまいます。事実、既に世界はそのように観測されています。そんな中でさえ、優しさの乱反射を図るのはまさに「大いなる作業」です。そのような困難を成そうとする者がどうして賢人でないと言えるでしょう。
問:なるほど。では、貴方はその賢人なのですね。
答:いいえ。そうではありません。
問:何故ですか。貴方は「大いなる作業」に携わったのでしょう。
答:賢人とは例外なく、無自覚であるものです。私は僅かながら賢人たる自負があります。真の賢人ではありません。
問:エリキシルも未完成、その過程で生成された副産物である賢人たるための条件も満たせず、ということでよろしいですか。
答:はい。
問:貴方は研究期間を無駄にしたのではありませんか。
答:いいえ。私の研究は全て必然の連続でありました。断じて無駄ではありませんでした。苦痛を是とする世界で奉仕の乱反射を試みました。それだけで充分です。私は確かに学んだのです。その事実だけは決して変わりません。
「わかりました。以上で諮問は終了します。合否については別室で発表しますので、それまでお待ちください」
「はい」
「最後にもう一つ質問します」
「何でしょうか」
「貴方のその胸ポケットにある小瓶はなんですか。何か赤い液体が入っているようですが」
「いえ、その……これはなんでもありません。副産物から抽出した雫を集めただけのものでして。とてもお見せするようなものではありません」
「……わかりました。合否の発表まで別室でお待ちください」
私は指示されたドアを開け、別室へと入った。中は暗闇で何も見えない。音も無く、背後で扉の閉まる気配がした。少し間を置いて目に刺さる程の照明が私を包んだ。壇上の私に向けて、惜しみない、割れんばかりの拍手がいつまでも、いつまでも響いていた。
右の者。今期の七十余年をエリキシルの生成に費やし、見事にそれを完成させた。また、「大いなる作業」を通して賢者へと至ったことにも疑念の余地は無い。以上のことから右の者を賢者と認める。
Theophrastus von Hohenheim