それでも君はかわいい

作家: 青月クロエ
作家(かな): セイゲツクロエ

それでも君はかわいい

更新日: 2023/06/02 21:46
現代ドラマ

本編


 チュン、チュンと、すずめたちが早朝の空を飛び立っていく。
 軽やかな羽ばたきを、眠気を押し殺した赤い目で見届け、大きなあくびをひとつ。朝の風に伸びた無精髭が震え、掌を薄汚れた作業着のズボンにこすりつける。

 勤務先の工場からアパートまで歩いて約五分。日勤ならともかく夜勤明けの疲れを背負い込んだ身体では少し歩くだけでしんどい。
 でも、重い身体を引きずって帰宅さえすれば、あとはひたすら癒しの時間……になる筈。

 階段の段差に何度か躓きつつ、部屋の扉を開ける。今さっきまでの、何をするにも普段の半分以下の緩慢な動きが急に機敏なものへ。防犯意識の賜物?否、万が一飛び出されて逃げられでもしたら……、想像するだにおそろしい。

 ふらふらしながら安全靴を片方脱ぎ捨てると、ころん、ころん、ころーん、小銭サイズの何かが転がってきた。
 それは脱いだばかりの安全靴に当たってバウンドし、中へ入り込んだ。

 靴からそれを摘まみ出す。
 薄茶色のボタン??なんで??

 見覚えがあるような、ないような。
 このボタンに頭を捻っていると、足元でハッハッ、ハッハッと忙しない息遣いと生温かい気配。

「んんー!モモちゃんでしゅかー、ただいまぁ」

 ボタンのことなど一瞬で忘却のかなた。
 垂れた耳としっぽをぴこぴこ揺らし、短い前肢で必死に飛びついてくる小さな愛犬に顔面がだらしなく緩む。

「よーしよし……、って、モモちゃん、ゲージの中にいたんじゃなかったっけ??」

 活きのいい魚みたいにびちびちと腕の中で暴れる愛犬を抱き上げ、ようやく部屋全体に目を向ける。ちゃんとカーテンは閉めて出た覚えなのに、なぜか明るい気が──

 部屋の微妙な明るさへの違和感に窓へ目を向けた途端、疲れは瞬く間に吹っ飛び、代わりに全身から血の気が引いていく。

 窓にある筈の紺色チェックのカーテンが、ない。ないわけじゃないが、引き裂かれ、貧相なボロ布がしょんぼりとレールからぶら下がっていた。

 ベッドから引きずり下ろされた毛布やシーツ。カバーごと噛みちぎられ、散らばる枕とその中身。
 八帖一間全体に細切れにされたカーテンの残骸も含め、膝から崩れ落ちるより他がない。

「あ、思い出した……」

 掌に握りしめたボタンは、カーテンのタッセルの留め具だということを。

「かんべんしてよぉおお、モモちゃぁああん……」

 脱力した隙に腕の中から抜け出た愛犬は全く懲りもせず、むしろ遊べ遊べとばかりにぐちゃぐちゃの部屋の中を駆け回っていた。
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