極夜通信
極夜通信
更新日: 2023/06/02 21:46現代ファンタジー
本編
その通信は唐突に、膨大なランダムをかい潜り、ひとつの必然として君へ届いたのであった。
――えるか? 聞こえるか? 何処の誰とも分からない君、聞こえるかい。こちらS基地調査Bチームのサエキ。この通信が誰かに、いや、君に届くとよいのだけれど。僕は今、吐く息すら瞬時に凍てつく基地の外、大氷原の真ん中、氷点下二十八度に震えながら立っている。今、僕の内にある情動の炸裂を君に伝えたいから。
もうすぐ、極夜が明ける。繰り返す。極夜が明ける! 僕を発狂させんばかりに苦しめ続けた闇がようやく終わるのだ。長かった。本当に、長かった。それあ、もちろん極夜の間にも僕は多くの感動を得た。固体化したような寒空から僕を一直線に貫く星々の新鮮な、貴重な光明。全ての命、その灯を圧倒的なまでに蹂躙せんとする猛吹雪、その中で懸命に命を守るペンギンの群れ。マーメイドの尾びれのような、セイレーンの歌声を可視化したカーテンのようなオーロラ。僕はそれを見ながらどれだけの時間、己を忘却していただろう。この地には世界のエルピスが確かにあった。忌々しい程に続いた極夜の間中、僕には、幸せがあった。
でも、今はそんなことすらどうでもいい。そんな稀有な幸いはもうすぐ、人が太陽を目にするという原始的であたりまえな、巨大な、幸福に塗り潰されるんだ。僕はそれが堪らなく嬉しい。だから、僕は今、君に向けてこの通信を試みているんだ。喜びの共有、じゃない。つまり、僕は、僕がいかにして今日を迎えたか、ということを君に伝えたいんだ。数日以前の僕と同じように、極夜のただ中にいるであろう君に。そう。極夜は誰にでも訪れるものだから、何処にだってあるものだから。そして、その苦しみを、たぶん、僕も知っているから。
極夜を征くために必要なのは、ただ、生き延びることだ。努力、挑戦、成長、忍従、逃避、肯定、否定、価値、意味、そんなことは考えなくていい。大切なのはどんな手を使ってでも君が君として生き延びることだ。何故といって、極夜は必ず明けるから。もし不要な色々の考えに君が支配されたなら、君はたちまち猛吹雪のホワイトアウトに吞まれてしまう。中には己で切り開かなければ夜明けは訪れないという人がいるかもしれない。でも、闇に閉ざされた世界に生きている君にとって、その考えは命取りだ。僕が言おう。それは嘘だと。夜明けは切り開いて得るものじゃない。ただ、明けるのを待つんだ。もしその中で君に少しのゆとりがあるなら、周りに目を向けてみて欲しい。美しいものは幾らでもあるから。
もうすぐ夜が明ける。これまで幾度となく聞いてきたはずの流氷の鳴き声がとても愛おしい。地平が明るくなってきた。さあ、朝がくる。なんて――いんだ。嗚呼、君にも――を見せたいなあ。でも、心配はいらないね。だって君の――も、もうすぐ――から。
さあ、極夜が! ――た極夜が――! ――!
通信終了。
0――えるか? 聞こえるか? 何処の誰とも分からない君、聞こえるかい。こちらS基地調査Bチームのサエキ。この通信が誰かに、いや、君に届くとよいのだけれど。僕は今、吐く息すら瞬時に凍てつく基地の外、大氷原の真ん中、氷点下二十八度に震えながら立っている。今、僕の内にある情動の炸裂を君に伝えたいから。
もうすぐ、極夜が明ける。繰り返す。極夜が明ける! 僕を発狂させんばかりに苦しめ続けた闇がようやく終わるのだ。長かった。本当に、長かった。それあ、もちろん極夜の間にも僕は多くの感動を得た。固体化したような寒空から僕を一直線に貫く星々の新鮮な、貴重な光明。全ての命、その灯を圧倒的なまでに蹂躙せんとする猛吹雪、その中で懸命に命を守るペンギンの群れ。マーメイドの尾びれのような、セイレーンの歌声を可視化したカーテンのようなオーロラ。僕はそれを見ながらどれだけの時間、己を忘却していただろう。この地には世界のエルピスが確かにあった。忌々しい程に続いた極夜の間中、僕には、幸せがあった。
でも、今はそんなことすらどうでもいい。そんな稀有な幸いはもうすぐ、人が太陽を目にするという原始的であたりまえな、巨大な、幸福に塗り潰されるんだ。僕はそれが堪らなく嬉しい。だから、僕は今、君に向けてこの通信を試みているんだ。喜びの共有、じゃない。つまり、僕は、僕がいかにして今日を迎えたか、ということを君に伝えたいんだ。数日以前の僕と同じように、極夜のただ中にいるであろう君に。そう。極夜は誰にでも訪れるものだから、何処にだってあるものだから。そして、その苦しみを、たぶん、僕も知っているから。
極夜を征くために必要なのは、ただ、生き延びることだ。努力、挑戦、成長、忍従、逃避、肯定、否定、価値、意味、そんなことは考えなくていい。大切なのはどんな手を使ってでも君が君として生き延びることだ。何故といって、極夜は必ず明けるから。もし不要な色々の考えに君が支配されたなら、君はたちまち猛吹雪のホワイトアウトに吞まれてしまう。中には己で切り開かなければ夜明けは訪れないという人がいるかもしれない。でも、闇に閉ざされた世界に生きている君にとって、その考えは命取りだ。僕が言おう。それは嘘だと。夜明けは切り開いて得るものじゃない。ただ、明けるのを待つんだ。もしその中で君に少しのゆとりがあるなら、周りに目を向けてみて欲しい。美しいものは幾らでもあるから。
もうすぐ夜が明ける。これまで幾度となく聞いてきたはずの流氷の鳴き声がとても愛おしい。地平が明るくなってきた。さあ、朝がくる。なんて――いんだ。嗚呼、君にも――を見せたいなあ。でも、心配はいらないね。だって君の――も、もうすぐ――から。
さあ、極夜が! ――た極夜が――! ――!
通信終了。