小作人のンカパさん
小作人のンカパさん
更新日: 2023/06/02 21:46SF
本編
「ねえ、ひいひいお祖母ちゃん、6万種類の言語しか理解できないのはズズ連邦出身者にとっては大恥なんだよ」
ズズ連邦出身のンカパさんは『プロジェクト』言語班に所属している玄孫(やしゃご)の言語学教授からそう言われました。
ズズ連邦という統治生産流通機構(国家・企業・コミューン等)のヒトたちは、平均して6万70種類、そして最低でも6万5種類の言語を自由自在に理解することができます。
ところが、この統治生産流通機構出身のンカパさんは、ちょうど6万種類の言語しか理解できないのでした。
「6万種類の言語しか理解できない」ということはズズ連邦のヒトたちにとり、これほど恥ずかしいことはありません。
しかし、コケモモ農園で働く小作人のンカパさんは、その「6万種類の言語しか理解できない」側のヒトです。
6万5種類どころか、600万種類もの言語を理解できる『プロジェクト』言語班統括にして言語学教授のンカパさんの玄孫は、そのことを非常に恥じているのでした。
そこで玄孫さんは、農園の小作人をいったん休業して60年の間ンカパさんを学校に通わせて、少しでも多くの言語を学ばせたい、少なくともあと5種類の言語を覚えてほしい、と考えたのでした。
「だからね、ひいひいお祖母ちゃん、これから60年の間だけでいいから学校に通って、せめてあと5種類の言語だけでも覚えてもらいたいんだ」
ある時、言語班の班員一同が一斉に休暇を貰い、それぞれの親族の許へと帰省したわけですが、その例にもれずンカパさんの玄孫も帰省して、久しぶりにひいひいお祖母ちゃんの顔を見に来たのでした。
そして玄孫さんはひいひいお祖母ちゃんであるンカパさんの顔を見るなり、このようなことを話したのです。
「な、何言ってんのよ!?藪から棒に…。玄孫ちゃんは大学教授の地位に就いて言語の研究に明け暮れているけど、それと同様に私はコケモモの栽培に明け暮れている。他の統治生産流通機構のヒトたちは、せいぜい1000種類から2000種類の言語しか理解できないって聞いているよ。だからね、私だって6万種類の言語しか理解できなくったって日常生活には差し支えがないと思っているわけ。自分はコケモモの栽培が出来さえすればそれで満足なのよ。学校に通うなんてお断り!!」
ンカパさんは早口でそう言いました。
いくら可愛い玄孫ちゃんの言うことでも、ンカパさんは学校に通うよりもコケモモ農園の小作人として生活する方が性に合っている、学校に通学してこれ以上多くの言語を覚えるなんて真っ平ごめんと思うのでした。
ところで、ンカパさんの働く集落のはずれにある東西5㎞・南北3㎞の広大なコケモモ農園は、かつては400~500階建ての高層マンションやオフィスの建ち並ぶ一大都市でした。
1000年前、この地で暮らすヒトビトは、他の集落の労働者・生産者が作り上げた製品・食料・エネルギーを略奪同然に買い叩く一方で「ゆで卵を割るのは上からがよいか?それとも下からがよいか?」という愚にもつかぬ論争を、さも「宇宙の真理を探究する」みたいな顔をして大仰なテーマとして喧々諤々の論争を続けていました。
そして滑稽にも、この地の市民たちは自分たちが暴力団やマフィア同然の行為(=労働力をタダ同然に買い叩き、エネルギーを浪費し、生産者を搾取すること)を行っているのを全く顧みることなく、「ぼくたちはしぜんをあいし、みんなのしあわせをねがってるスマート(賢明)ですばらしいしみんです」「わたしたちのとしのまわりで、たべものをつくったりビルのこうじげんばではたらいたりしてるヒトたちは、らんぼうであたまがわるくてじぶんのことしかかんがえないチンピラのようなヒトたちだとおもいます」などと、カン違いしていたのです。
けれども、そうしてエネルギーを浪費し、労働者を搾取しながら享楽的な生活を謳歌していた「市民」たちに、大厄災が襲い掛かります。
1000年前、『プロジェクト』にて情報産業・通信システム構築、そして広報を一手に引き受けるテレグラフ・ネットが使役するナマケモノの中に、突如として1匹のミュータントが出現したのです。
そのミュータントは他のナマケモノを焚きつけて「我らはテレグラフ・ネットの奴隷ではない!」「テレグラフ・ネットは我ら無しには存在しえない。よって我らは発電施設・情報通信施設にてサボタージュを決行し、我らが機械ではなく意思を持った“ヒト”であることを証明する!」と宣言し、一斉に職場放棄を敢行しました。
その結果、『プロジェクト』の存続そのものが危機的状況となり、『プロジェクト』に参加していた全ての国家・企業・コミューンが大混乱に陥ったのです。
全ての『プロジェクト』参加統治生産流通機構の莫大な国債・株券・コミューン対労働通票、そして未公開有価情報etc.が紙くずやジャンク化され、あるいは実際に運営を行っていた自治体や中小企業、もしくはサブコミューンが、ことごとく清算事業団化してしまったのです。
そしてその影響は、当然のことながらこの都市にも波及しました。
それまで「市民」たちからバカにされ、「肉体労働を行う卑しい連中」とみなされてきたゴミ収集業者が、電気工事業者が、し尿処理業者が、上下水道管理業者が、輸送業者が、エネルギー関連業者が、建設土木工事業者が、スクラップ再生業者が、金属加工業者が、そして被覆縫製業従業員や食品工場従業員・倉庫の検品作業員など、ありとあらゆる労働者たちが「ナマケモノに続け!」とばかりにストライキを敢行し、サボタージュ(sabotage=破壊的な労働運動)を行い、結果として「都市」は完全に荒廃してしまいました。
この地に棲んでいた「市民」たちは全財産を失った挙句に首をくくるか、もしくは都市を棄てて慌てて逃げ出すか、あるいは労働者たちから締め上げられた挙句に命を失うか、はたまた労働者たちに同調してサボタージュを一緒に行うかしました。
かくして、「市民」たちが美しい都と自画自賛していた搾取と浪費と自然破壊の象徴としての「都市」は、ミュータントの登場から59年後に完全に滅びたのです。
ナマケモノから発生した1匹のミュータントは『プロジェクト危機』から10年も経たずに死亡したものの、その爪痕は大きなものでした。
『プロジェクト』最高評議会は、ミュータントの死後になんとか計画の立て直しに成功したのですが、この教訓を踏まえて全ての自治体や中小企業・サブコミューンに対して情報通信網が遮断された事態を想定してのアマチュア無線技士・電信技士の育成と常駐を指示しました。
一方、「都市」の跡地は広大なコケモモ農園として転用されて、現在に至っているのです。
「都市」が、市民からコケにされてきた土木建設作業員たちによって跡形もなく解体され、美しいコケモモ農園として転用されようとしていた頃、ンカパさんはまだ胎児の状態でした。
しかし、その胎児だった時より、ンカパさんは「都市」の住民がどれだけ思い上がりも甚だしく、労働者・生産者の作り出した製品を略奪同然に買い叩いては消費していたことを、計算機の『けーちゃん』から聞いていました。
故に、ンカパさんは「労働力を略奪し、生産物を食い潰すしか能がない“市民”にだけは絶対になりたくない」と、自身が胎児だった頃から思っていました。
そしてンカパさんは出生した時点より、コケモモ農園の小作人として生きることを決心したのです。
お話が脱線しましたが、ともあれ、ンカパさんは被養育期間を修了してから700年以上も水耕栽培のコケモモ農園の小作人として働いてきました。
そして毎日ンカパさんは、コケモモの種を播き、発芽したら生育の悪い芽を摘み、液肥を流し込み、藻や水草が湧いたらそれを除去し、脇芽を摘み、花が咲いたら超小型ドローンを操縦してめしべに花粉を授粉させ、実を結んだらそれを摘果し、缶詰工場に納品できるものを選別し、納品できるコケモモをフォークリフトでトラックに積み込み、摘果し終えて枯れたコケモモの木を撤去するという作業を行ってきたのです。
ンカパさんは、これからも何十年・何百年も、そうして生活するつもりでいました。
しかし、ンカパさんの玄孫から唐突に「学校に通ってもっと言語を習得してもらいたい」と懇願され、ンカパさんは困惑しています。
ンカパさんの働くコケモモ農園の小作人の間では、コケモモを摘果するフリをして、ハサミを持って所在なさげにブラブラ歩き回り、その間中考え事をするヒトも、間々います。
特に、悩み事を抱えていたり、仕事をしたくないと思ったりしているヒトたちなど、コケモモを入れる籠を提げてウロウロするばかりで、作業時間中に只の1個のコケモモを摘果しないこともあるのです。
農園の小作人の間では、この行為は「お散歩」と呼ばれています。
そしてそんな「お散歩」を行ったとしても、給料だけはキッチリ支払われるのです。
(そうは言ってもねぇ…。私がたったの6万種類の言語しか理解できないからって、玄孫ちゃんには関係ないじゃないの。まさか「600万種類の言語を理解できる言語学教授の自分のひいひいお祖母ちゃんが、たったの6万種類の言語しか理解できないなんて、自分にも恥が及ぶ」なんて思っているのかしら…?)
ンカパさんは「お散歩」の最中にそう思います。
ボコッ
いきなり目の前の地面に穴が開き、コケモモ農園の小作人の監督をするアオゾラ鉱業機械集団出身のヒトが顔を覗かせました。
アオゾラ鉱業機械集団出身の監督は、掘削肢を振り回しながらキイキイ声で怒鳴ります。
「おい!お前、最近コケモモも摘まずにウロウロしてばかりいるって、監視カメラの映像で判っているんだぞ!!真面目に仕事をしろや!!!」
「はあ…。スミマセン。あ、でも監視カメラなんて、この農園にあったのかなぁ?」
ンカパさんは、監督に対して素直に謝ります。
「授粉用ドローンが監視カメラをも兼用している。そんなことも知らずに仕事をしていたのか?」
「ああ、そうでしたね…」
「キッチリ仕事をしろよ!じゃ、俺は事務所に戻る」
そう言うと、監督は一旦穴から出て身体の向きを変え、再度地面に潜りました。
監督のビロードのような毛並みを眺めながら、ンカパさんは思います。
(そうだな…。私の採ったC級品のコケモモを買ってくれるトークトークさんにも相談してみようかな…?)
翌日。
「こんにちは!トークトークさん!」
「こんにちは。ンカパさん。何時ものように、コケモモを買いにきたよ」
ンカパさんは、コケモモを買いに来たトークトークさんの顔を見るや、話しかけようとします。
「ねぇ、トークトークさん、50年前から3日に一度の割合で私のコケモモを買ってくれる誼で訊きたいけど、貴方は何種類の言語を理解できるのかしら?」
「な、何よ!?藪から棒に…。私は100種類の言語しか理解できないけど」
「そうよね。ズズ連邦出身者が6万種類の言語しか理解できないのは大恥なんて言われているけど、世の中にはたった100種類の言語しか理解できないヒトだっているのよね…」
そう言うと、ンカパさんは軽便鉄道の駅のベンチに腰かけて、トークトークさんに売る予定だったコケモモを一つだけ摘んで口に入れました。
そしてトークトークさんに、自分の玄孫がひいひいお祖母ちゃん(=ンカパさん)を学校に通わせて、もっと多くの言語を学ばせようと騒いでいる、というお話を語りました。
お話をしている最中、トークトークさんも、擬似家族であるスチーム工業集団出身の自己再生産機械が何故か自分の経営する修理工房を売却して学校に通わせようとしている、自分はそんな気が無いのにどうしてあのヒトはそう頑なに言い張るのか?と、嘆きました。
そこでンカパさんはトークトークさんに、「あのヒトの思考回路がもう寿命を迎える寸前なんじゃないの?」といったお話をしました。
「はぁ…。トークトークさんの愚痴を聞いてあげたけど、結局自分自身の問題については、あのヒトから有効な解決策を貰えなかったなぁ…」
ンカパさんは、コケモモを売った帰り道でつぶやきました。
と、その時…。
ゴッ!
突然、ンカパさんは何者かに頭(計算機の「けーちゃん」)を殴打されて、気を失って地面に倒れました。
…ふと気が付くと、ンカパさんは病院のベッドに横たわっていて、玄孫さんが心配そうに顔を覗き込んでいます。
「良かった…。ひいひいお祖母ちゃん、気が付いたんだね」
「私、どうしていたのかしら?薄暗いじめじめした処にいた記憶はあるけど…」
「ひいひいお祖母ちゃんの飼っている『けーちゃん』を、自分の頭に載せてみたけど、『けーちゃん』、あの後神聖ホッジュ帝国出身のトラベルライターに連れ回されて、セカイ中を観て回ったんだって。そして『けーちゃん』の考えることには『セカイがこんなにも広いなんて知らなかった。学校に通えばさらに広いセカイを知ることになるから学校に行きたい』だって」
「そ、そうなの…?胎児の頃から可愛がっている『けーちゃん』がそう思うのなら…」
「じゃあひいひいお祖母ちゃん、学校に入学してくれるんだね!?もう既に聖ンバンバ学園っていう所の入学手続きも済ませたし…」
「そうなんだ…。じゃあ仕方がない。学校に行くわ」
というわけで、ンカパさんは聖ンバンバ学園に通うこととなりました。
実を言うと、あの時バットで「けーちゃん」を殴打してンカパさんの気を失わせたのは、ンカパさんの玄孫だったのです。
玄孫さんは「けーちゃん」を気嚢生物である神聖ホッジュ帝国出身のトラベルライターの体内に移植して、セカイを回らせたのです。
しかし、巨大な気嚢生物であるそのヒトの体内に寄生しても「けーちゃん」にも気嚢生物にも何ら影響はありません。
「けーちゃん」は只、「薄暗いじめじめした処」にいた記憶しかないのです。
けれども玄孫さんは、ンカパさんを学校に行く気にさせることには成功しました。
「あ!ンカパさん、久しぶり~」
トークトークさんが、久しぶりに会うンカパさんに手を振ります。
「トークトークさんも久しぶりね」
ンカパさんとトークトークさんは、軽便鉄道の駅のベンチに腰かけてお話をします。
「…ふうん…。トークトークさんも、擬似家族さんが寿命を迎えたから、新しい擬似家族と学校の気の置けない仲間を作るんだ…」
「そう!私、聖ンバンバ学園っていう学校に通うことにしたの」
「そりゃ奇遇ね!私もそこに通うことになったのよ。じゃあ私と貴方が一緒に机を並べて学ぶことになるのね!」
ともあれ、コケモモ農園を60年間も休職して学校に通うのでトークトークさんにコケモモを売ることがなくなったのですが、継続して一緒になれるのでンカパさんもトークトークさんも喜び合います。
そして入学考試当日…。
この日、ンカパさんとトークトークさんの他には、4匹の入学希望者が来ていました。
筆記試験が終わってンカパさんは面接を受けるべく、学園の唯一の先生であるヒノ先生のいるドアをノックします。
そして先生がドアを開けて挨拶します。
「ニイハオ」
0ズズ連邦出身のンカパさんは『プロジェクト』言語班に所属している玄孫(やしゃご)の言語学教授からそう言われました。
ズズ連邦という統治生産流通機構(国家・企業・コミューン等)のヒトたちは、平均して6万70種類、そして最低でも6万5種類の言語を自由自在に理解することができます。
ところが、この統治生産流通機構出身のンカパさんは、ちょうど6万種類の言語しか理解できないのでした。
「6万種類の言語しか理解できない」ということはズズ連邦のヒトたちにとり、これほど恥ずかしいことはありません。
しかし、コケモモ農園で働く小作人のンカパさんは、その「6万種類の言語しか理解できない」側のヒトです。
6万5種類どころか、600万種類もの言語を理解できる『プロジェクト』言語班統括にして言語学教授のンカパさんの玄孫は、そのことを非常に恥じているのでした。
そこで玄孫さんは、農園の小作人をいったん休業して60年の間ンカパさんを学校に通わせて、少しでも多くの言語を学ばせたい、少なくともあと5種類の言語を覚えてほしい、と考えたのでした。
「だからね、ひいひいお祖母ちゃん、これから60年の間だけでいいから学校に通って、せめてあと5種類の言語だけでも覚えてもらいたいんだ」
ある時、言語班の班員一同が一斉に休暇を貰い、それぞれの親族の許へと帰省したわけですが、その例にもれずンカパさんの玄孫も帰省して、久しぶりにひいひいお祖母ちゃんの顔を見に来たのでした。
そして玄孫さんはひいひいお祖母ちゃんであるンカパさんの顔を見るなり、このようなことを話したのです。
「な、何言ってんのよ!?藪から棒に…。玄孫ちゃんは大学教授の地位に就いて言語の研究に明け暮れているけど、それと同様に私はコケモモの栽培に明け暮れている。他の統治生産流通機構のヒトたちは、せいぜい1000種類から2000種類の言語しか理解できないって聞いているよ。だからね、私だって6万種類の言語しか理解できなくったって日常生活には差し支えがないと思っているわけ。自分はコケモモの栽培が出来さえすればそれで満足なのよ。学校に通うなんてお断り!!」
ンカパさんは早口でそう言いました。
いくら可愛い玄孫ちゃんの言うことでも、ンカパさんは学校に通うよりもコケモモ農園の小作人として生活する方が性に合っている、学校に通学してこれ以上多くの言語を覚えるなんて真っ平ごめんと思うのでした。
ところで、ンカパさんの働く集落のはずれにある東西5㎞・南北3㎞の広大なコケモモ農園は、かつては400~500階建ての高層マンションやオフィスの建ち並ぶ一大都市でした。
1000年前、この地で暮らすヒトビトは、他の集落の労働者・生産者が作り上げた製品・食料・エネルギーを略奪同然に買い叩く一方で「ゆで卵を割るのは上からがよいか?それとも下からがよいか?」という愚にもつかぬ論争を、さも「宇宙の真理を探究する」みたいな顔をして大仰なテーマとして喧々諤々の論争を続けていました。
そして滑稽にも、この地の市民たちは自分たちが暴力団やマフィア同然の行為(=労働力をタダ同然に買い叩き、エネルギーを浪費し、生産者を搾取すること)を行っているのを全く顧みることなく、「ぼくたちはしぜんをあいし、みんなのしあわせをねがってるスマート(賢明)ですばらしいしみんです」「わたしたちのとしのまわりで、たべものをつくったりビルのこうじげんばではたらいたりしてるヒトたちは、らんぼうであたまがわるくてじぶんのことしかかんがえないチンピラのようなヒトたちだとおもいます」などと、カン違いしていたのです。
けれども、そうしてエネルギーを浪費し、労働者を搾取しながら享楽的な生活を謳歌していた「市民」たちに、大厄災が襲い掛かります。
1000年前、『プロジェクト』にて情報産業・通信システム構築、そして広報を一手に引き受けるテレグラフ・ネットが使役するナマケモノの中に、突如として1匹のミュータントが出現したのです。
そのミュータントは他のナマケモノを焚きつけて「我らはテレグラフ・ネットの奴隷ではない!」「テレグラフ・ネットは我ら無しには存在しえない。よって我らは発電施設・情報通信施設にてサボタージュを決行し、我らが機械ではなく意思を持った“ヒト”であることを証明する!」と宣言し、一斉に職場放棄を敢行しました。
その結果、『プロジェクト』の存続そのものが危機的状況となり、『プロジェクト』に参加していた全ての国家・企業・コミューンが大混乱に陥ったのです。
全ての『プロジェクト』参加統治生産流通機構の莫大な国債・株券・コミューン対労働通票、そして未公開有価情報etc.が紙くずやジャンク化され、あるいは実際に運営を行っていた自治体や中小企業、もしくはサブコミューンが、ことごとく清算事業団化してしまったのです。
そしてその影響は、当然のことながらこの都市にも波及しました。
それまで「市民」たちからバカにされ、「肉体労働を行う卑しい連中」とみなされてきたゴミ収集業者が、電気工事業者が、し尿処理業者が、上下水道管理業者が、輸送業者が、エネルギー関連業者が、建設土木工事業者が、スクラップ再生業者が、金属加工業者が、そして被覆縫製業従業員や食品工場従業員・倉庫の検品作業員など、ありとあらゆる労働者たちが「ナマケモノに続け!」とばかりにストライキを敢行し、サボタージュ(sabotage=破壊的な労働運動)を行い、結果として「都市」は完全に荒廃してしまいました。
この地に棲んでいた「市民」たちは全財産を失った挙句に首をくくるか、もしくは都市を棄てて慌てて逃げ出すか、あるいは労働者たちから締め上げられた挙句に命を失うか、はたまた労働者たちに同調してサボタージュを一緒に行うかしました。
かくして、「市民」たちが美しい都と自画自賛していた搾取と浪費と自然破壊の象徴としての「都市」は、ミュータントの登場から59年後に完全に滅びたのです。
ナマケモノから発生した1匹のミュータントは『プロジェクト危機』から10年も経たずに死亡したものの、その爪痕は大きなものでした。
『プロジェクト』最高評議会は、ミュータントの死後になんとか計画の立て直しに成功したのですが、この教訓を踏まえて全ての自治体や中小企業・サブコミューンに対して情報通信網が遮断された事態を想定してのアマチュア無線技士・電信技士の育成と常駐を指示しました。
一方、「都市」の跡地は広大なコケモモ農園として転用されて、現在に至っているのです。
「都市」が、市民からコケにされてきた土木建設作業員たちによって跡形もなく解体され、美しいコケモモ農園として転用されようとしていた頃、ンカパさんはまだ胎児の状態でした。
しかし、その胎児だった時より、ンカパさんは「都市」の住民がどれだけ思い上がりも甚だしく、労働者・生産者の作り出した製品を略奪同然に買い叩いては消費していたことを、計算機の『けーちゃん』から聞いていました。
故に、ンカパさんは「労働力を略奪し、生産物を食い潰すしか能がない“市民”にだけは絶対になりたくない」と、自身が胎児だった頃から思っていました。
そしてンカパさんは出生した時点より、コケモモ農園の小作人として生きることを決心したのです。
お話が脱線しましたが、ともあれ、ンカパさんは被養育期間を修了してから700年以上も水耕栽培のコケモモ農園の小作人として働いてきました。
そして毎日ンカパさんは、コケモモの種を播き、発芽したら生育の悪い芽を摘み、液肥を流し込み、藻や水草が湧いたらそれを除去し、脇芽を摘み、花が咲いたら超小型ドローンを操縦してめしべに花粉を授粉させ、実を結んだらそれを摘果し、缶詰工場に納品できるものを選別し、納品できるコケモモをフォークリフトでトラックに積み込み、摘果し終えて枯れたコケモモの木を撤去するという作業を行ってきたのです。
ンカパさんは、これからも何十年・何百年も、そうして生活するつもりでいました。
しかし、ンカパさんの玄孫から唐突に「学校に通ってもっと言語を習得してもらいたい」と懇願され、ンカパさんは困惑しています。
ンカパさんの働くコケモモ農園の小作人の間では、コケモモを摘果するフリをして、ハサミを持って所在なさげにブラブラ歩き回り、その間中考え事をするヒトも、間々います。
特に、悩み事を抱えていたり、仕事をしたくないと思ったりしているヒトたちなど、コケモモを入れる籠を提げてウロウロするばかりで、作業時間中に只の1個のコケモモを摘果しないこともあるのです。
農園の小作人の間では、この行為は「お散歩」と呼ばれています。
そしてそんな「お散歩」を行ったとしても、給料だけはキッチリ支払われるのです。
(そうは言ってもねぇ…。私がたったの6万種類の言語しか理解できないからって、玄孫ちゃんには関係ないじゃないの。まさか「600万種類の言語を理解できる言語学教授の自分のひいひいお祖母ちゃんが、たったの6万種類の言語しか理解できないなんて、自分にも恥が及ぶ」なんて思っているのかしら…?)
ンカパさんは「お散歩」の最中にそう思います。
ボコッ
いきなり目の前の地面に穴が開き、コケモモ農園の小作人の監督をするアオゾラ鉱業機械集団出身のヒトが顔を覗かせました。
アオゾラ鉱業機械集団出身の監督は、掘削肢を振り回しながらキイキイ声で怒鳴ります。
「おい!お前、最近コケモモも摘まずにウロウロしてばかりいるって、監視カメラの映像で判っているんだぞ!!真面目に仕事をしろや!!!」
「はあ…。スミマセン。あ、でも監視カメラなんて、この農園にあったのかなぁ?」
ンカパさんは、監督に対して素直に謝ります。
「授粉用ドローンが監視カメラをも兼用している。そんなことも知らずに仕事をしていたのか?」
「ああ、そうでしたね…」
「キッチリ仕事をしろよ!じゃ、俺は事務所に戻る」
そう言うと、監督は一旦穴から出て身体の向きを変え、再度地面に潜りました。
監督のビロードのような毛並みを眺めながら、ンカパさんは思います。
(そうだな…。私の採ったC級品のコケモモを買ってくれるトークトークさんにも相談してみようかな…?)
翌日。
「こんにちは!トークトークさん!」
「こんにちは。ンカパさん。何時ものように、コケモモを買いにきたよ」
ンカパさんは、コケモモを買いに来たトークトークさんの顔を見るや、話しかけようとします。
「ねぇ、トークトークさん、50年前から3日に一度の割合で私のコケモモを買ってくれる誼で訊きたいけど、貴方は何種類の言語を理解できるのかしら?」
「な、何よ!?藪から棒に…。私は100種類の言語しか理解できないけど」
「そうよね。ズズ連邦出身者が6万種類の言語しか理解できないのは大恥なんて言われているけど、世の中にはたった100種類の言語しか理解できないヒトだっているのよね…」
そう言うと、ンカパさんは軽便鉄道の駅のベンチに腰かけて、トークトークさんに売る予定だったコケモモを一つだけ摘んで口に入れました。
そしてトークトークさんに、自分の玄孫がひいひいお祖母ちゃん(=ンカパさん)を学校に通わせて、もっと多くの言語を学ばせようと騒いでいる、というお話を語りました。
お話をしている最中、トークトークさんも、擬似家族であるスチーム工業集団出身の自己再生産機械が何故か自分の経営する修理工房を売却して学校に通わせようとしている、自分はそんな気が無いのにどうしてあのヒトはそう頑なに言い張るのか?と、嘆きました。
そこでンカパさんはトークトークさんに、「あのヒトの思考回路がもう寿命を迎える寸前なんじゃないの?」といったお話をしました。
「はぁ…。トークトークさんの愚痴を聞いてあげたけど、結局自分自身の問題については、あのヒトから有効な解決策を貰えなかったなぁ…」
ンカパさんは、コケモモを売った帰り道でつぶやきました。
と、その時…。
ゴッ!
突然、ンカパさんは何者かに頭(計算機の「けーちゃん」)を殴打されて、気を失って地面に倒れました。
…ふと気が付くと、ンカパさんは病院のベッドに横たわっていて、玄孫さんが心配そうに顔を覗き込んでいます。
「良かった…。ひいひいお祖母ちゃん、気が付いたんだね」
「私、どうしていたのかしら?薄暗いじめじめした処にいた記憶はあるけど…」
「ひいひいお祖母ちゃんの飼っている『けーちゃん』を、自分の頭に載せてみたけど、『けーちゃん』、あの後神聖ホッジュ帝国出身のトラベルライターに連れ回されて、セカイ中を観て回ったんだって。そして『けーちゃん』の考えることには『セカイがこんなにも広いなんて知らなかった。学校に通えばさらに広いセカイを知ることになるから学校に行きたい』だって」
「そ、そうなの…?胎児の頃から可愛がっている『けーちゃん』がそう思うのなら…」
「じゃあひいひいお祖母ちゃん、学校に入学してくれるんだね!?もう既に聖ンバンバ学園っていう所の入学手続きも済ませたし…」
「そうなんだ…。じゃあ仕方がない。学校に行くわ」
というわけで、ンカパさんは聖ンバンバ学園に通うこととなりました。
実を言うと、あの時バットで「けーちゃん」を殴打してンカパさんの気を失わせたのは、ンカパさんの玄孫だったのです。
玄孫さんは「けーちゃん」を気嚢生物である神聖ホッジュ帝国出身のトラベルライターの体内に移植して、セカイを回らせたのです。
しかし、巨大な気嚢生物であるそのヒトの体内に寄生しても「けーちゃん」にも気嚢生物にも何ら影響はありません。
「けーちゃん」は只、「薄暗いじめじめした処」にいた記憶しかないのです。
けれども玄孫さんは、ンカパさんを学校に行く気にさせることには成功しました。
「あ!ンカパさん、久しぶり~」
トークトークさんが、久しぶりに会うンカパさんに手を振ります。
「トークトークさんも久しぶりね」
ンカパさんとトークトークさんは、軽便鉄道の駅のベンチに腰かけてお話をします。
「…ふうん…。トークトークさんも、擬似家族さんが寿命を迎えたから、新しい擬似家族と学校の気の置けない仲間を作るんだ…」
「そう!私、聖ンバンバ学園っていう学校に通うことにしたの」
「そりゃ奇遇ね!私もそこに通うことになったのよ。じゃあ私と貴方が一緒に机を並べて学ぶことになるのね!」
ともあれ、コケモモ農園を60年間も休職して学校に通うのでトークトークさんにコケモモを売ることがなくなったのですが、継続して一緒になれるのでンカパさんもトークトークさんも喜び合います。
そして入学考試当日…。
この日、ンカパさんとトークトークさんの他には、4匹の入学希望者が来ていました。
筆記試験が終わってンカパさんは面接を受けるべく、学園の唯一の先生であるヒノ先生のいるドアをノックします。
そして先生がドアを開けて挨拶します。
「ニイハオ」