ゴキブリパエリアとメイド嬢 ~古典落語『鰻の幇間』翻案~
ゴキブリパエリアとメイド嬢 ~古典落語『鰻の幇間』翻案~
更新日: 2023/06/02 21:46ラブコメ
本編
「メイドカフェの店員」という職業は、お気楽そうに見えて結構大変なものです。
まず、お客さんには必ずいい顔をしなくちゃならない。来店するお客さんがシャチホコみたいな貌で、その上ものすごく肥っていて体臭もキツかったとしても、店員さんは嫌な顔ひとつせずに「お帰りなさいませ、ご主人さま♡」と言っておもてなしをしなくてはなりません。まあ、メイドカフェの店員に限らず、およそ接客業に就いているのならば「この客が気に入らないからサービスしません」なんて言って、客の選り好みをしていたら成り立たないものですが。
このお話の主人公・壱花捌華(いちか・はちか)さんは、高校を卒業してすぐに福岡市の親不孝通りにあるメイドカフェ『Roh-Nin』という舖で働きだし、今はもう六年目の古株です。かつての高校の同級生の中には教員免許を取得して、母校で地理を教えている、っていう人もいます。
一方、ちんちくりんで童顔の捌華さんは、『Roh-Nin』なんていう縁起の悪い店名のメイドカフェで、そこそこ人気のあるメイドとして、舖に屯するヲタク連中から今日もアニメやゲームやコミックの話を聴かされ、あるいはオムライスにケチャップで絵や文字を書いて、お客さんに「ハイ、ご主人さま。『Roh-Nin特製スペシャル明太オムライスです♡』などと言って、愛嬌を振りまいています。
さて、そんな捌華さんも、一週間に二回は休日を採らなければ働き過ぎて身体を壊してしまいます。今日は火曜日で、お舖も定休日。捌華さんは「折角の休日に自分のアパートに引きこもるのもナンだから」というわけで、天神の繁華街へと繰り出しました。
「うう…寒い。今日はホント冷えるわ…。こんな日にストーブに当たらず外出するあたしも随分と酔狂だけど、さすが九州一の繁華街・天神には平日でもヒマ人が街に繰り出しているわね…。さて、今日は何処へ遊びに行こうか?折角の休日に、古巣の親不孝通りで遊ぶ、っていうのもナンだしね。にしても、最近の呼称の『親富孝通り』っていうのはどうも馴染めない。あたしは誰に何と言われようと、頑なに『親不孝通り』っていう名前を使いたいわ。大体『親“富”孝』って何なのよ?自然に付いた名前なら、それを強引に捻じ曲げるなんて、大宇宙の摂理に反しているようなものじゃない。あたしが福岡市長に当選したって、こんな要望が出ても絶対に却下するわ」捌華さんは、独り言をつぶやく癖があります。今日も今日とて、彼女はブツクサと独り言をつぶやきながら、天神の繁華街を当ても無くぶらりぶらりと歩きまわっています。「さ~て、お腹も空いたし、何か食べたいわね…。バブル時代の女子大生には『アッシー・メッシー・ミツグくん』とかいう取り巻きの男の子がいて、ご飯を奢ってくれていた、なんていうけど、今は不況の時代だからね。お腹がすいたらご飯をタダで奢ってくれる奇特な男の子なんて、今時いやしないわ。あたしの周りにだってアニメのDVDにお金を使っても、女の子にご飯を奢ってくれるキモヲタなんていないし…。いや、カモ、じゃなくてお客さん、でもなくて『ご主人さま』をそんな風に言っちゃいけないか」
そんなことをブツクサつぶやきながら、捌華さんは天神を通り過ぎ、中洲も素通りして、キャナルシティ博多の斜向かいに建つ祗園ビルへと向かいます。戦後すぐに建ったこの雑居ビルの中に、『Roh-Nin』で一緒に働いている後輩の蔦家さんが、一室を間借りして住んでいます。捌華さんは、後輩の蔦家さんにご飯を奢ってもらおう、という肚だったのです。ところが…。
ピンポ~ン。捌華さんが入り口のチャイムを鳴らしますが、インターホン越しに聴いた声は、まだ甲高い、中学生くらいの男の子の声でした。
『は~い、どなたですか?』
「あら、何時もの蔦家さんの声じゃないわ。蔦家さん、あたしを出し抜いて男を作って…しかもまだ中学生くらいの男の子の声だわ。あのコ、中学生男子と不純異性交遊をやっていたのね。全くもってうらやま…じゃない。もしよろしくやっていたら、あたしが警察にしょっ引いてやらないと、この男の子の人生が…」
『何をブツクサ言っているんですか?お姉ちゃんなら今日、かかりつけの精神科医院に行っているよ。僕は留守番に呼ばれただけ。ここで冬休みの宿題でもして行け、ってお姉ちゃんが言っていたけど、部屋の中を見られたくないから誰も入れるな、だって。それじゃあ、切るよ』
ガチャ。「蔦家さんの弟くん」は、一方的にインターホンを切ってしまいました。
蔦家さんに昼ごはんを奢ってもらおう、という肚だった捌華さんは、ガッカリします。蔦家さんが精神科医院に行っていて留守で、弟くんがその留守番、ってことは、年端も行かない弟くんに昼ごはんを奢ってもらったら、後で蔦家さんに何と言われるか判ったものではありません。
捌華さんは、途方にくれながら祗園ビルを後にしました。
「う~ん…。お昼に美味しいシーフードレストランで、パエリアでもご馳走になろうと思っていたけど、肝腎のお金を出してくれる人が留守だなんて…。あたしだって、自腹でご飯が食べられたらそれに越したことはないけど、最近『カピタン翼』のブルーレイBOXを衝動買い、と言うか、大人買いしてしまったのよね。あ~、もうちょっと我慢して待っておけば、Amazonかヤフオクで安く手に入ったのに…。欲しいものがあったら、有無を言わずに衝動買いをしてしまうのが、あたしの悪い癖なんだけど、分かっちゃいるけど止められないのよ。今は給料日まで、たったの2000円で10日間を過ごさなくちゃならない…」
お金が無いなら無いで、お米だけを炊いて梅干を載せてお湯をぶっかけて食べればいいものなのに、捌華さんは頑なに「昼ごはんを奢ってもらおう。出来ればシーフードがいい」などとムシのいいことを考えています。
仕方がないので、捌華さんはキャナルシティ博多の中をぶらぶらと歩きます。
「この商業施設の中をぶらついていたら、誰か男の子がナンパしてくるかもしれない。そうなったらしめたものだわ。その男の子に昼ごはんを奢ってもらえば、食費が一回分浮く。あ、でも声をかけるのが、お腹が出ていて髪の毛の薄いオッサンだったらちょっとイヤだな…」
そんなことを思いながら、捌華さんはお腹がすいているのを我慢して、キャナルシティ博多をぶらつきます。
「あ、先生!お久しぶりです!!」
突然、捌華さんは背後から、誰かに声をかけられました。振り返ってみると、大学生くらいのスラッと背の高い、すごいイケメンの男の子がいます。
「え?先生って、あたしのこと?」
「何を言っているんですか?先生、今年高校を卒業した生徒の顔を、もう忘れてしまったなんて…」
捌華さんは、その男の子に見覚えがあるような無いような…と考えます。
(えーと、誰だったかしら…?もしかしたら、そっくりな学校の先生とカン違いしているのかも…)
ともあれ捌華さんは、そのイケメンが誰だったかを思い出そうとしましたが、一向に思い出せません。が、この時に捌華さんはひらめきました。
(そうだ!この男の子に食事を奢ってもらおう!上手くいけば、何処かのシーフードレストランで、パエリアにタダでありつけるかもしれない)
捌華さんは、そんなムシのいいことを考えます。
「あ…ああ、お久しぶりね…。貴方、元気にしてた?」
「ええ、高校を卒業してもう一年近く経ちますが、病気も怪我もなく元気にやっています。まあバイトだとかサークル活動だとかで、講義をサボることが度々出てきたのですけどね」
「そ、そうなの…。でも、講義もちゃんと出なくちゃダメじゃないの」
捌華さんは、パエリアにありつきたいがために、もっともらしく「先生」らしいことを言います。
「まあ、そりゃそうですね。学生の本分は学業。僕も『単位さえ取れればいい』なんて思わずに、学業を優先します!」
「その心意気やよし!ところで、もうお昼も少し過ぎているけど、何処かに食べに行かない?」
「ああ、そうですね。僕もお腹がすいていることですし…。そうだ!僕、スゴイ穴場のシーフードレストランを知っているんですよ。冷泉町にある『タヴェルナ』っていう舖なんですけど、その舖のパエリアがもう絶品との噂です。よろしければ、そこでお食事にしませんか?」
捌華さんは、心の中でガッツポーズを執りました。
(ラッキー!今日は運がいいわ。パエリアが食べたい時に、穴場のシーフードレストランを紹介してくれるなんて…。あとはこのコを徹底的におだてておけば、お金も出してくれて、あたしの方はタダでパエリアにありつけるわ。なあに、あたしだって伊達や酔狂でメイドカフェの店員をやってはいない。人をおだて上げることなんて、その道のプロにかかればお茶の子さいさいの朝飯前よ)
捌華さんは、呆れるほど図々しいことを考えます。
ともあれ、二人は冷泉町に所在するシーフードレストラン『タヴェルナ』というおかしな店名の舖へと足を運びました。
「さあ着きました。ここ雑居ビルの2階が、僕のおススメの舖『タヴェルナ』です」
「レストランなのに『タベルナ』なんてヘンな名前ね…。まあいいわ。美味しけりゃヘンテコな店名なんて気にしないわ。でもこのビルって、随分とボロっちいわね。壁はひび割れているわ、窓ガラスにはガムテープが貼ってあるわ、照明器具にはクモの巣がかかっているわ…。まるで60年くらい前に竣功してこの方、一度もメンテナンスをしていないみたい。でもまあ、ボロっちいビルの小汚い店舖のメニューが、存外美味しいってことは珍しくないけどね」
捌華さんと、連れ合いになった男の子は早速雑居ビルの薄暗く、小汚い店舗に足を運び入れます。
「いらっしゃいませ~」
パートとして働いていると思しき、50代くらいのものすごく太ったおばちゃんが、愛想よく挨拶をします。
「うわあ…。こんな小汚いレストラン、今まで見たこともない…。こりゃ場末の公衆トイレを改築したとしか思えないような代物じゃない」
捌華さんは呆れてしまいます。
「まあ先生、確かに小汚いレストランですが、ここのパエリアがこの世のものとは思えないほどの絶品だって、僕の友達が話していたのです。ソイツ、本当に熱に浮かされたかのように、この舖を絶賛していましたからね。それじゃあ席に着きましょう!」
というわけで、捌華さんは1階の入り口とレジ付近の「コート預かり所」のクローゼットに男女兼用のコートを収納し、男の子と一緒にギシギシ音を立て
る階段を昇り、窓際の席に腰を落ち着けました。窓際の席へと続く通路を歩いている最中に、カブトムシほどもある大きなゴキブリを目にしてしまい、捌華さんはますます不安になってきます。
「それじゃ、店員さん、パエリアを二人前お願いします」
捌華さんと男の子は、二人揃ってパエリアを注文しました。そして待つこと1時間。
「…う~ん…遅いわね…。パエリアを二人前作るのって、こんなにも時間がかかるのかしら?」
「まあまあ先生、厨房の人も手間暇をかけてパエリアを作っているのですよ。気長に待ちましょうや」
「そ、そうね…」
「お待たせしました!」
1時間半も経過して、ようやくパエリア二人前が届きました。
「ああ~もうすっかりお腹がペコペコよ!さあ、待ちに待ったパエリア!貴方も美味しくいただきましょう!!」
「そうですね!では、いただきます!!」
捌華さんと男の子は、「待ってました!」とばかりにツヤツヤでサフラン色のライスをスプーンで掬って――
よくよく見ると、ライスは「べチャッ」としていて色も「サフラン」というよりも「しなびた沢庵」に似ていました。おまけに中の具もムール貝やイカやエビではなく、アサリと豚の挽き肉、それに長ネギのみじん切りという代物です。これでは場末の大衆食堂の焼き飯と変わりません。
「な、何これ!?色も悪ければライスもみずっぽくて、おまけにパエリアというよりも焼き飯の具のような中身じゃないの!」
捌華さんは素っ頓狂な声を出します。
「まあまあ、そんな文句を言わずに…。お舖の方だって、一所懸命にパエリアを作ってくれたんですよ?」
「そ、そうね…。じゃあ、お腹もペコペコだし、ちゃっちゃっと食べちゃいましょう!」
そんなわけで、二人はパエリアをご馳走になりました。けれども、捌華さんは口の中の粘っこいライスと、やたらに塩辛い味付けが気になって、とても美味しく味わうどころではありませんでした。
30分後。
「ごちそうさま!ふぃ~…食った、食った…」
捌華さんは(せっかく奢ってもらうんだから、満足したフリをしてこのコにお金を出してもらおう)などと考えて、不味くてとても食えたものではないパエリアをさも「美味しくいただいた」みたいな態度を男の子に見せつけました。
「先生、ちょっとトイレに行ってきます。すぐに戻ってきますから。ここのトイレ、1階にあるんですよね…」
男の子がそう言って下の階に降りていきます。
ところが、待てども暮らせども男の子は戻ってきません。
「…もう30分も経つのに、あのコ、戻ってこないわね…。もしかして、便秘気味でウンウン唸っているとか…。いやいや、きっと『先生にご迷惑をかけるわけにはいかないから』って思って、お勘定を済ませて出て行ったのよ。あのイケメンの男の子といきなりお別れ、ってなってしまうのもナンだけど、まあ、客商売なんて一期一会だからね。さてと、お勘定もあのコが払ってくれたことだし、あたしも帰りますか!」
「あの…お客さん、ちょっと」
店員のおばちゃんが、捌華さんに声を掛けます。
「何?お会計ならちゃんと払ったわよ。連れの男の子がね」
「いえ、あの方ならお手洗いの後に出て行かれましたが…」
「えっ?えっ?出て行ったって!?」
「ええ、自分は高校時代にあの先生にお世話になった生徒だから、お勘定は先生が払ってくれる、と言われまして…」
「えっ!?あ、あいつ、ハナッからあたしをカモにして、タダ飯にありつこうって魂胆だったのね!!」
かわいさ余って憎さ百倍。捌華さんは自分自身が「タダ飯にありつこう」としていたことなど棚に上げて、怒り心頭に達しました。けれど八つ当たりする対象は、今ここにはいません。そこで捌華さんは、このお舖とメニューのパエリアにケチをつけまくります。
「お舖に入った時点で思っていたけど、この『タベルナ』って店名、まるでお客さんを追い返しているような名前じゃないの!大体ね、本気で飲食店で儲けようって肚ならもっと縁起が良くってゲンを担いだ名前を付けるってモンが常識でしょ!?それから、店内の不潔なことったらないわ!通路でカブトムシほどもあるゴキブリを見かけて、あたし、もうギョッとしたわよ!この舖の常連客って、沖縄から貨物に紛れて密航してきたゴキブリの一種じゃないの!?あとパエリア!スプーンで掬ってみたらライスが粘っこいわ、口に入れるとやたらに塩っ辛いわ、もう気持ち悪いったらありゃしない!こんな料理でおカネを取ろうなんて、一体どういう神経をしてるのよ!?」
「おっしゃることは解りますが、ひとまずお会計の税込み4400円のお支払いをお願いします」
「えっ!?そんなに取るの!?これじゃボッタクリもいいところじゃない。分かりましたわよ!払えばいいんでしょ、払えば。今さっき、今日着てきた男女兼用のコートの襟の中に、まさかの時に備えていた虎の子の5000円札を縫い込んでいたことを思い出したわ。それで…」
「そのコートでしたら連れのお客さんが着て帰られました」
※この作品はフィクションです。親不孝通りに赴かれましても『Roh-Nin』なんていう縁起の悪い店名のメイドカフェはございません。
0まず、お客さんには必ずいい顔をしなくちゃならない。来店するお客さんがシャチホコみたいな貌で、その上ものすごく肥っていて体臭もキツかったとしても、店員さんは嫌な顔ひとつせずに「お帰りなさいませ、ご主人さま♡」と言っておもてなしをしなくてはなりません。まあ、メイドカフェの店員に限らず、およそ接客業に就いているのならば「この客が気に入らないからサービスしません」なんて言って、客の選り好みをしていたら成り立たないものですが。
このお話の主人公・壱花捌華(いちか・はちか)さんは、高校を卒業してすぐに福岡市の親不孝通りにあるメイドカフェ『Roh-Nin』という舖で働きだし、今はもう六年目の古株です。かつての高校の同級生の中には教員免許を取得して、母校で地理を教えている、っていう人もいます。
一方、ちんちくりんで童顔の捌華さんは、『Roh-Nin』なんていう縁起の悪い店名のメイドカフェで、そこそこ人気のあるメイドとして、舖に屯するヲタク連中から今日もアニメやゲームやコミックの話を聴かされ、あるいはオムライスにケチャップで絵や文字を書いて、お客さんに「ハイ、ご主人さま。『Roh-Nin特製スペシャル明太オムライスです♡』などと言って、愛嬌を振りまいています。
さて、そんな捌華さんも、一週間に二回は休日を採らなければ働き過ぎて身体を壊してしまいます。今日は火曜日で、お舖も定休日。捌華さんは「折角の休日に自分のアパートに引きこもるのもナンだから」というわけで、天神の繁華街へと繰り出しました。
「うう…寒い。今日はホント冷えるわ…。こんな日にストーブに当たらず外出するあたしも随分と酔狂だけど、さすが九州一の繁華街・天神には平日でもヒマ人が街に繰り出しているわね…。さて、今日は何処へ遊びに行こうか?折角の休日に、古巣の親不孝通りで遊ぶ、っていうのもナンだしね。にしても、最近の呼称の『親富孝通り』っていうのはどうも馴染めない。あたしは誰に何と言われようと、頑なに『親不孝通り』っていう名前を使いたいわ。大体『親“富”孝』って何なのよ?自然に付いた名前なら、それを強引に捻じ曲げるなんて、大宇宙の摂理に反しているようなものじゃない。あたしが福岡市長に当選したって、こんな要望が出ても絶対に却下するわ」捌華さんは、独り言をつぶやく癖があります。今日も今日とて、彼女はブツクサと独り言をつぶやきながら、天神の繁華街を当ても無くぶらりぶらりと歩きまわっています。「さ~て、お腹も空いたし、何か食べたいわね…。バブル時代の女子大生には『アッシー・メッシー・ミツグくん』とかいう取り巻きの男の子がいて、ご飯を奢ってくれていた、なんていうけど、今は不況の時代だからね。お腹がすいたらご飯をタダで奢ってくれる奇特な男の子なんて、今時いやしないわ。あたしの周りにだってアニメのDVDにお金を使っても、女の子にご飯を奢ってくれるキモヲタなんていないし…。いや、カモ、じゃなくてお客さん、でもなくて『ご主人さま』をそんな風に言っちゃいけないか」
そんなことをブツクサつぶやきながら、捌華さんは天神を通り過ぎ、中洲も素通りして、キャナルシティ博多の斜向かいに建つ祗園ビルへと向かいます。戦後すぐに建ったこの雑居ビルの中に、『Roh-Nin』で一緒に働いている後輩の蔦家さんが、一室を間借りして住んでいます。捌華さんは、後輩の蔦家さんにご飯を奢ってもらおう、という肚だったのです。ところが…。
ピンポ~ン。捌華さんが入り口のチャイムを鳴らしますが、インターホン越しに聴いた声は、まだ甲高い、中学生くらいの男の子の声でした。
『は~い、どなたですか?』
「あら、何時もの蔦家さんの声じゃないわ。蔦家さん、あたしを出し抜いて男を作って…しかもまだ中学生くらいの男の子の声だわ。あのコ、中学生男子と不純異性交遊をやっていたのね。全くもってうらやま…じゃない。もしよろしくやっていたら、あたしが警察にしょっ引いてやらないと、この男の子の人生が…」
『何をブツクサ言っているんですか?お姉ちゃんなら今日、かかりつけの精神科医院に行っているよ。僕は留守番に呼ばれただけ。ここで冬休みの宿題でもして行け、ってお姉ちゃんが言っていたけど、部屋の中を見られたくないから誰も入れるな、だって。それじゃあ、切るよ』
ガチャ。「蔦家さんの弟くん」は、一方的にインターホンを切ってしまいました。
蔦家さんに昼ごはんを奢ってもらおう、という肚だった捌華さんは、ガッカリします。蔦家さんが精神科医院に行っていて留守で、弟くんがその留守番、ってことは、年端も行かない弟くんに昼ごはんを奢ってもらったら、後で蔦家さんに何と言われるか判ったものではありません。
捌華さんは、途方にくれながら祗園ビルを後にしました。
「う~ん…。お昼に美味しいシーフードレストランで、パエリアでもご馳走になろうと思っていたけど、肝腎のお金を出してくれる人が留守だなんて…。あたしだって、自腹でご飯が食べられたらそれに越したことはないけど、最近『カピタン翼』のブルーレイBOXを衝動買い、と言うか、大人買いしてしまったのよね。あ~、もうちょっと我慢して待っておけば、Amazonかヤフオクで安く手に入ったのに…。欲しいものがあったら、有無を言わずに衝動買いをしてしまうのが、あたしの悪い癖なんだけど、分かっちゃいるけど止められないのよ。今は給料日まで、たったの2000円で10日間を過ごさなくちゃならない…」
お金が無いなら無いで、お米だけを炊いて梅干を載せてお湯をぶっかけて食べればいいものなのに、捌華さんは頑なに「昼ごはんを奢ってもらおう。出来ればシーフードがいい」などとムシのいいことを考えています。
仕方がないので、捌華さんはキャナルシティ博多の中をぶらぶらと歩きます。
「この商業施設の中をぶらついていたら、誰か男の子がナンパしてくるかもしれない。そうなったらしめたものだわ。その男の子に昼ごはんを奢ってもらえば、食費が一回分浮く。あ、でも声をかけるのが、お腹が出ていて髪の毛の薄いオッサンだったらちょっとイヤだな…」
そんなことを思いながら、捌華さんはお腹がすいているのを我慢して、キャナルシティ博多をぶらつきます。
「あ、先生!お久しぶりです!!」
突然、捌華さんは背後から、誰かに声をかけられました。振り返ってみると、大学生くらいのスラッと背の高い、すごいイケメンの男の子がいます。
「え?先生って、あたしのこと?」
「何を言っているんですか?先生、今年高校を卒業した生徒の顔を、もう忘れてしまったなんて…」
捌華さんは、その男の子に見覚えがあるような無いような…と考えます。
(えーと、誰だったかしら…?もしかしたら、そっくりな学校の先生とカン違いしているのかも…)
ともあれ捌華さんは、そのイケメンが誰だったかを思い出そうとしましたが、一向に思い出せません。が、この時に捌華さんはひらめきました。
(そうだ!この男の子に食事を奢ってもらおう!上手くいけば、何処かのシーフードレストランで、パエリアにタダでありつけるかもしれない)
捌華さんは、そんなムシのいいことを考えます。
「あ…ああ、お久しぶりね…。貴方、元気にしてた?」
「ええ、高校を卒業してもう一年近く経ちますが、病気も怪我もなく元気にやっています。まあバイトだとかサークル活動だとかで、講義をサボることが度々出てきたのですけどね」
「そ、そうなの…。でも、講義もちゃんと出なくちゃダメじゃないの」
捌華さんは、パエリアにありつきたいがために、もっともらしく「先生」らしいことを言います。
「まあ、そりゃそうですね。学生の本分は学業。僕も『単位さえ取れればいい』なんて思わずに、学業を優先します!」
「その心意気やよし!ところで、もうお昼も少し過ぎているけど、何処かに食べに行かない?」
「ああ、そうですね。僕もお腹がすいていることですし…。そうだ!僕、スゴイ穴場のシーフードレストランを知っているんですよ。冷泉町にある『タヴェルナ』っていう舖なんですけど、その舖のパエリアがもう絶品との噂です。よろしければ、そこでお食事にしませんか?」
捌華さんは、心の中でガッツポーズを執りました。
(ラッキー!今日は運がいいわ。パエリアが食べたい時に、穴場のシーフードレストランを紹介してくれるなんて…。あとはこのコを徹底的におだてておけば、お金も出してくれて、あたしの方はタダでパエリアにありつけるわ。なあに、あたしだって伊達や酔狂でメイドカフェの店員をやってはいない。人をおだて上げることなんて、その道のプロにかかればお茶の子さいさいの朝飯前よ)
捌華さんは、呆れるほど図々しいことを考えます。
ともあれ、二人は冷泉町に所在するシーフードレストラン『タヴェルナ』というおかしな店名の舖へと足を運びました。
「さあ着きました。ここ雑居ビルの2階が、僕のおススメの舖『タヴェルナ』です」
「レストランなのに『タベルナ』なんてヘンな名前ね…。まあいいわ。美味しけりゃヘンテコな店名なんて気にしないわ。でもこのビルって、随分とボロっちいわね。壁はひび割れているわ、窓ガラスにはガムテープが貼ってあるわ、照明器具にはクモの巣がかかっているわ…。まるで60年くらい前に竣功してこの方、一度もメンテナンスをしていないみたい。でもまあ、ボロっちいビルの小汚い店舖のメニューが、存外美味しいってことは珍しくないけどね」
捌華さんと、連れ合いになった男の子は早速雑居ビルの薄暗く、小汚い店舗に足を運び入れます。
「いらっしゃいませ~」
パートとして働いていると思しき、50代くらいのものすごく太ったおばちゃんが、愛想よく挨拶をします。
「うわあ…。こんな小汚いレストラン、今まで見たこともない…。こりゃ場末の公衆トイレを改築したとしか思えないような代物じゃない」
捌華さんは呆れてしまいます。
「まあ先生、確かに小汚いレストランですが、ここのパエリアがこの世のものとは思えないほどの絶品だって、僕の友達が話していたのです。ソイツ、本当に熱に浮かされたかのように、この舖を絶賛していましたからね。それじゃあ席に着きましょう!」
というわけで、捌華さんは1階の入り口とレジ付近の「コート預かり所」のクローゼットに男女兼用のコートを収納し、男の子と一緒にギシギシ音を立て
る階段を昇り、窓際の席に腰を落ち着けました。窓際の席へと続く通路を歩いている最中に、カブトムシほどもある大きなゴキブリを目にしてしまい、捌華さんはますます不安になってきます。
「それじゃ、店員さん、パエリアを二人前お願いします」
捌華さんと男の子は、二人揃ってパエリアを注文しました。そして待つこと1時間。
「…う~ん…遅いわね…。パエリアを二人前作るのって、こんなにも時間がかかるのかしら?」
「まあまあ先生、厨房の人も手間暇をかけてパエリアを作っているのですよ。気長に待ちましょうや」
「そ、そうね…」
「お待たせしました!」
1時間半も経過して、ようやくパエリア二人前が届きました。
「ああ~もうすっかりお腹がペコペコよ!さあ、待ちに待ったパエリア!貴方も美味しくいただきましょう!!」
「そうですね!では、いただきます!!」
捌華さんと男の子は、「待ってました!」とばかりにツヤツヤでサフラン色のライスをスプーンで掬って――
よくよく見ると、ライスは「べチャッ」としていて色も「サフラン」というよりも「しなびた沢庵」に似ていました。おまけに中の具もムール貝やイカやエビではなく、アサリと豚の挽き肉、それに長ネギのみじん切りという代物です。これでは場末の大衆食堂の焼き飯と変わりません。
「な、何これ!?色も悪ければライスもみずっぽくて、おまけにパエリアというよりも焼き飯の具のような中身じゃないの!」
捌華さんは素っ頓狂な声を出します。
「まあまあ、そんな文句を言わずに…。お舖の方だって、一所懸命にパエリアを作ってくれたんですよ?」
「そ、そうね…。じゃあ、お腹もペコペコだし、ちゃっちゃっと食べちゃいましょう!」
そんなわけで、二人はパエリアをご馳走になりました。けれども、捌華さんは口の中の粘っこいライスと、やたらに塩辛い味付けが気になって、とても美味しく味わうどころではありませんでした。
30分後。
「ごちそうさま!ふぃ~…食った、食った…」
捌華さんは(せっかく奢ってもらうんだから、満足したフリをしてこのコにお金を出してもらおう)などと考えて、不味くてとても食えたものではないパエリアをさも「美味しくいただいた」みたいな態度を男の子に見せつけました。
「先生、ちょっとトイレに行ってきます。すぐに戻ってきますから。ここのトイレ、1階にあるんですよね…」
男の子がそう言って下の階に降りていきます。
ところが、待てども暮らせども男の子は戻ってきません。
「…もう30分も経つのに、あのコ、戻ってこないわね…。もしかして、便秘気味でウンウン唸っているとか…。いやいや、きっと『先生にご迷惑をかけるわけにはいかないから』って思って、お勘定を済ませて出て行ったのよ。あのイケメンの男の子といきなりお別れ、ってなってしまうのもナンだけど、まあ、客商売なんて一期一会だからね。さてと、お勘定もあのコが払ってくれたことだし、あたしも帰りますか!」
「あの…お客さん、ちょっと」
店員のおばちゃんが、捌華さんに声を掛けます。
「何?お会計ならちゃんと払ったわよ。連れの男の子がね」
「いえ、あの方ならお手洗いの後に出て行かれましたが…」
「えっ?えっ?出て行ったって!?」
「ええ、自分は高校時代にあの先生にお世話になった生徒だから、お勘定は先生が払ってくれる、と言われまして…」
「えっ!?あ、あいつ、ハナッからあたしをカモにして、タダ飯にありつこうって魂胆だったのね!!」
かわいさ余って憎さ百倍。捌華さんは自分自身が「タダ飯にありつこう」としていたことなど棚に上げて、怒り心頭に達しました。けれど八つ当たりする対象は、今ここにはいません。そこで捌華さんは、このお舖とメニューのパエリアにケチをつけまくります。
「お舖に入った時点で思っていたけど、この『タベルナ』って店名、まるでお客さんを追い返しているような名前じゃないの!大体ね、本気で飲食店で儲けようって肚ならもっと縁起が良くってゲンを担いだ名前を付けるってモンが常識でしょ!?それから、店内の不潔なことったらないわ!通路でカブトムシほどもあるゴキブリを見かけて、あたし、もうギョッとしたわよ!この舖の常連客って、沖縄から貨物に紛れて密航してきたゴキブリの一種じゃないの!?あとパエリア!スプーンで掬ってみたらライスが粘っこいわ、口に入れるとやたらに塩っ辛いわ、もう気持ち悪いったらありゃしない!こんな料理でおカネを取ろうなんて、一体どういう神経をしてるのよ!?」
「おっしゃることは解りますが、ひとまずお会計の税込み4400円のお支払いをお願いします」
「えっ!?そんなに取るの!?これじゃボッタクリもいいところじゃない。分かりましたわよ!払えばいいんでしょ、払えば。今さっき、今日着てきた男女兼用のコートの襟の中に、まさかの時に備えていた虎の子の5000円札を縫い込んでいたことを思い出したわ。それで…」
「そのコートでしたら連れのお客さんが着て帰られました」
※この作品はフィクションです。親不孝通りに赴かれましても『Roh-Nin』なんていう縁起の悪い店名のメイドカフェはございません。