モーゲンソー・プラン3945

作家: 蒸気宇宙船
作家(かな): じょうきうちゅうせん

モーゲンソー・プラン3945

更新日: 2023/06/02 21:46
SF

本編


 モーゲンソー・プラン(概要)

 1.ドイツの非武装化
 ドイツ降伏後、連合国は可能な限りにおいてドイツの非武装化を完遂しなければならない。これは、ドイツ国防軍、並びにドイツ国民から武器を取り上げることである。すべての兵器・軍備の撤去・破壊を含めて軍需産業は完全に破壊されるべきである。また、その他軍事力の基礎となる主要産業も破壊されなければならない。

 2.ドイツ分割
 ポーランドは東プロイセンをソ連と分割し、シュレジエン南部を得る。 フランスはザール、並びにそこと隣接するライン川とモーゼル川を境界とする範囲を得る。 ルール地方と隣接する工業地帯を含む部分には、国際管理地が設立される。 ドイツの残る部分は、南ドイツ(バイエルン州・ヴュルテンベルク州・バーデン州)・北ドイツ(プロイセン州・ザクセン州・テューリンゲン州・他)に分割される。 オーストリアは、1938年の併合以前の国境内に復活し、南ドイツと関税同盟を締結する。

 3.ルール地方の処遇
 ルールとその周辺の工業地帯(ラインラント・キール運河、並びにキール運河以北)は、ドイツの工業力の中心地であり、先の戦争の元凶である。この地域は、現存する産業(商工業)を排除するのみならず、将来にわたって産業地帯となることが不可能なよう、弱体化・連合国による管理が必要である。 具体的には以下を参照

・戦争終了後6カ月以内に戦争によって破壊されなかった全ての工場・設備は完全に解体・移送され、あるいは破壊されなければならない。この地域の産業の破壊は次の三段階からなる

1. この地域に入る部隊は、動かせない設備はすべて破壊する。
2. 施設・設備の移送は、連合国各国が原状回復と賠償の一環として行う。
3.一定期間(例えば6カ月間)で移送できない施設・設備は、完全に破壊されるかスクラップにされて連合国に輸送される。   

・この地域の全住民は、今後永久にこの地が産業地帯とはならないことを理解すべきである。従って、この地域に住む特別な技術を持つ人間・技能訓練を受けた人間、並びにその家族は、この地域から恒久的に追放され、可能な限り各地に分散されなければならない。
・この地域は、連合国が設立する新たな国際機関に統治される国際管理地となるべきである。この地域の統治にあたり、統治機関は上記の目的を進めるべく設計された政策に従わなくてはならない。

  4.原状回復及び賠償   
 賠償金は、分割支払い等の形で請求されるべきではない。原状回復と賠償は、以下のようにドイツの資源・領土の移転によって行われるべきである。

・ドイツによって占領された地域でドイツ人により滅失した財産を原状回復させる。  
・ドイツの一定の領土、及びその他に所在する産業資源に対する私有権を、侵略された国家や国際機関の下に移転させる。   
・ドイツ国外では、ドイツ人に強制労働させる。   
・国外にあるドイツの資産は、どのような形のものであれ、全て没収する。

(補足) 本プランの概要に関しては、ドイツのみならず全ての枢軸国、並びに、枢軸国寄りの中立国――イタリア・オーストリア・ハンガリー・ブルガリア・ルーマニア・フィンランド・スペイン・ポルトガル・チェコ・スロバキア・アルバニア・モンテネグロ・セルビア・クロアチア・マケドニア・ギリシャ・アルゼンチン・イラン・イラク・フィリピン・ビルマ・タイ・ベトナム・満州、並びに日本(朝鮮半島・台湾・クリル列島・南サハリン・小笠原諸島・奄美群島・琉球列島を除く)――に対して適用される。

 3945年5月。南ドイツ連邦共和国の小さな町・ミュンヘン。
 ガタガタとおそろしく揺れる木炭バスの、座り心地の悪い座席に腰を下ろしていたドイツ人のアンネは、ハッと目を覚ました。
(そろそろミュンヘンに到着する時間ね…)
 はるか昔、この木炭バスの走っている道路には「テツドウ」というものが敷かれていたそうである。しかし、アンネはその「テツドウ」というものを見たことがない。同じく「ジョウキキカンシャ」だとか「ロメンデンシャ」というものも、彼女は実物を一切見たことがなかった。20世紀半ばに起きた大戦争で枢軸国側が敗北し、「モーゲンソー・プラン」が実行された結果、この国の工業インフラはことごとく破壊され、40世紀を迎えた今なお立ち直っていない。
 オーストリアとの国境に近いミュンヘンは、大戦前は、かなりの規模の大都市であったという。しかし、アンネの知る「ミュンヘン」は、人口がたったの5万人程度の「単なる田舎町」に過ぎない。
 アンネは、南ドイツ連邦共和国の首都・レーゲンスブルクの、小間物商の店舗に奉公に出ていた。1年間地道に働いたので、有給休暇をもらって彼女は故郷のミュンヘンへと帰郷したのである。
「この間、舖に来た電報で知ったけど、マリカさんも久しぶりにミュンヘンに来るらしいのよね…。あのコはロマ人だから、ひとところには留まらないのだけど…。さて、レベッカさんやゾフィアさんも、元気にしているかしら?」
 アンネは、自分の旧友たちが一堂に会すので、その期待に胸を膨らませる。
 そして木炭を燃料として走るバスは、ミュンヘン中央バスターミナルに到着する。アンネもトランクを抱えて、バスから降りる。ここから歩いて15分の場所に、アンネの実家がある。そして電報のメッセージによると、彼女の家にマリカ・レベッカ・ゾフィアの三人も集って、久方ぶりのお茶会を行うそうである。アンネの父親と母親が、タンポポを原料として作る「代用コーヒー」――本物のコーヒーは、この時代の旧枢軸国側の国民には最早味わえないものとなっている)――で催すお茶会の、ホストファミリーとなる。
 ともあれ、アンネはトランクを片手にテクテクと歩く。この日は快晴で吹き抜ける風も心地よい。
「さあて、久しぶりの我が家。パパやママは、元気にしているかしら?お祖母ちゃんの作るキルシュパイも、本当に美味しかったからな~。あとは代用ショコラを混ぜ込んで焼いたクッキーでもあれば、私だって言うことはないわ。みんなでワイワイと盛り上がるお茶会、楽しみだな~」
 アンネはそう独りごちる。5月の心地よい風を感じて、彼女は重いトランクを手にしながらもそんなことなど意に介さないかの如く足取りも軽やかに家路を急ぐ。

「ただいま!パパ、ママ、お祖母ちゃん!元気にしていたかしら?」
 アンネはわが家に戻るや否や、元気よく声をかける。
「あらおかえり、アンネ。パパとママも元気だよ」彼女の祖母が元気そうに応える。「あ、そうそう!レベッカさんとゾフィアさん、それにマリカさんも、幼馴染みの貴方の到着を、今か今かと待っていたわよ。さあ、お祖母ちゃんにパパとママが、キルシュパイとクッキーを焼いておいたから、みんなでお上がりなさいな」
「久しぶりに、お祖母ちゃんご自慢のパイにありつけるのね…。それに、みんなにも1年ぶりに会うから楽しみだな~」
 アンネは逸る気持ちを抑えながら、南側に面した家の庭へと向かう。

「みんな!久しぶりね!!」
 アンネは、一足先に庭でくつろいで思い出話に興じていた少女たちに、声をかける。
「久しぶりですわ、アンネさん。わたくしも待ちくたびれていましたの」
 ユダヤ人のレベッカが、上品な感じで彼女に会釈をする。
「久しぶり~、アンネちゃん。あたしも元気にしていたよ!」
 ポーランド人のゾフィアが、快活に応える。
「久しぶりだな、アンネ。アタイもあんたに逢いたかったよ」
 ロマ人のマリカが、くだけた感じで挨拶をする。
 アンネ・レベッカ・ゾフィア・マリカの少女四人が、久しぶりの思い出話に花を咲かせている最中、このお茶会のホストファミリーであるアンネの祖母が、ワゴンにキルシュパイや代用ショコラを練りこんだクッキー、それにタンポポを原料とする代用コーヒーを注いだポットを載せて、庭に来た。
「さあ、この家ご自慢のキルシュパイとクッキーが焼きあがったよ。みんなもたんとお上がりなさい。アンネもウチのキルシュパイが、幼い頃から大好きでねえ…。その上に代用ショコラのクッキーも焼いてみたの。まあ、ウチではクッキーを滅多に焼かないから、お祖母ちゃんもあんまり自信がないけど、ともあれ、アンネの友達のみんなにも味わってもらいたいのよ」
「ありがとう、お祖母ちゃん。お祖母ちゃんも元気たっぷりだから、長生きしそうね。それじゃ、みんなでキルシュパイをいただきましょう」
「そうそう、アンネ、貴方が留守にしている最中、先月の15日に、この町にAMHAENG-EOSAが飛来したのよ。突然のことだから、お祖母ちゃんもビックリしたわ」
「へえ…。AMHAEN-EOSAが、この町に来たんだ…」
 AMHAEN-EOSA――飛行機能を持ち、旧枢軸国の外から飛来するこのロボットの名称が、何の略称なのかは誰にも分からない。しかし、球状の形態から人間型の形態にトランスフォームする、胸部に三頭のウマのレリーフが施されたこのロボットは、不定期に旧ドイツ国内・オーストリア・イタリア等の市町村に出向いては、連合国の禁じたテクノロジーの研究物・開発物を捜査し、場合によってはそれらを押収・関係者を処罰する権限を持ち合わせていることは確かである。「彼ら」が禁じなかったテクノロジーは、「木炭自動車」「電報」「鉱石ラジオ」等、ほんのわずかなものでしかない。
 伝説によると1000年前、「ゲンシリョク」という謎のテクノロジーを開発した「ファウスト」なる科学者は、それが判明した途端に関係者や家族もろとも弁解する余地すら与えられずに、AMHAEN-EOSAによって処刑されたという。AMHAEN-EOSAは、それだけの権限を有している。

「さあ、邪魔な老人はこれで失礼して、あとは女の子4人で仲良くワイワイと思い出話に花を咲かせましょう!」
 お祖母さんはそう言い残すとワゴンを押して家の中に戻る。お祖母さんがテーブルに並べてくれた代用コーヒーと代用ショコラのクッキー、それにキルシュパイを見て、他の3人も声を上げる。
「「「美味しそうなキルシュパイ!!!」」」
 というわけで、少女4人のお茶会が始まる。何しろ、仲の良い友達同士が久しぶりに集うお茶会である。しかも天気も上々で吹き抜ける風も心地よい。この日は庭園でお茶会を開催するには、絶好の日和と言えよう。

「…ところで、レベッカさんの先祖は、戦後にどうしてドイツに戻ってきたのかしら?モーゲンソー・プランが実行されて以降は、もうドイツなんて、人間の暮らす場所じゃなくなったようなものなのに…」
 アンネはユダヤ人のレベッカに訊いてみる。
「そりゃあ貴方、わたくしの先祖にとり、このドイツこそが『故郷』だったからに他なりませんわ。わたくしの先祖は代々質屋を営んできたのですけど、ユダヤ人排斥がだんだん激しくなってきた頃に先祖は早々と舗をたたんでアメリカに渡りました。そして終戦直後にドイツに戻ったのです。どんなにドイツ人がわたくしたちユダヤ人を排斥しても、ドイツこそが、わたくしの先祖にとってはかけがえのない『故郷』なのでしたからね」
「ふうん…。私たちの先祖はエゲツナイくらいにユダヤ人やロマ人を排斥していたけれど、それでもこの『ドイツ』という国こそが、レベッカさんの先祖にとっては『守りたい故郷』だったわけね…」
「それじゃ、今度はゾフィアさんに訊きたいけど、貴方、北ドイツのポーランドとの国境付近に行ったことがあるんですってね?」
「そうそう!行ってきた!国境付近の小さな村で、教会の鐘楼に上ってそこから3キロメートル離れた国境線と、その向こうのポーランド側の町並みを望んでみたの。自己修復機能を具えた有刺鉄線の向こうに広がる町並みは、銀色に光っていて何百メートルあるか判らない位高いビルが、何十棟も建ち並んでいたわ。自分の一族も、あのビルの並ぶ国にルーツがあったんだな~、って、感慨深くなっちゃった。でも、あたしの先祖は代々ドイツ領内で貧乏貴族として暮らしてきたから、今さらあんなトコには行きたくないんだけどね」
 そう言うとゾフィアはクスクスと笑う。
「ところで、マリカさん、貴方はドイツ人じゃなくてロマ人だから、ドイツ人には許可されていない『出国審査』の条件を満たしているのに、どうしてこの国に留まり続けているの?」
 アンネは次にマリカに訊ねる。
「そりゃ~アンタ、アタイらロマ人にゃ、AMHAENG-EOSAがエラソーに説いている、『健康で文化的な生活』とやらが、どうしても信じられねーからさ。アタイらは馬車と炊事道具と、それに先祖代々受け継いできたシノギさえありゃいい。アイツら――AMHAENG-EOSA――は、アタイらから勝手に馬車を取り上げて、ドイツ国外で自分たちを基準にした『健康で文化的な生活』を送ることを強制しようとしてるけど、アタイらロマ人からは、自己修復有刺鉄線の向こうにいる連中こそが『健康で文化的な生活の奴隷』にしか見えないね!」
 マリカはニヤニヤとしながら語る。
「…なるほどね…。マリカさんたちロマ人にとっては、AMHAENG-EOSAの国の人たちこそが、『健康で文化的な生活の奴隷』に見える、ってわけね」
「そーゆーこと!」
 マリカはそう応えると、「アッハッハッハ」と豪快に笑う。
「それはそうと、アンネさん、貴方の身の上話も聞いてみたいですわ。何でしたらこの国に生まれてどう思っていますのか、だとか…」
 レベッカが思い出したように言う。
「そうそう、あたしたちにばっかり喋らせて、アンネさんはダンマリを決め込むなんて、不公平だよ!」
 ゾフィアも言う。
「アタイもあんたのお話を聞いてみたいよ!ねえ、アンネ、何でもいいから面白い話を聞かせなよ!」
 マリカも言う。
 三人から同時に詰められたアンネは、しばらく口をつぐんだ後に話す。
「…う~ん…そうね…」
アンネはそう言うと、これまた間をおいて話し出す。
「これは私の聞きかじったことなんだけど、日本語ではdie Volkerkunde(民族学)もdie Volkskunde(民俗学)も、どちらも『ミンツォクガク』って発音していたそうよ。ドイツ語の発音だって似たようなものだけど、思えば――『民族学』、つまり私たちの民族は他の民族とはどう違うかを研究する学問と、『民俗学』、つまり私たちの文化はどんな特徴があるかを研究する学問――を混同し、自分たちドイツ民族が如何に優秀なのかを勝手に文化のレベルで解明しようとした挙句に、この国、いや、この国を含むイタリア・フィンランド・タイ・日本だとかの枢軸国全ての工業インフラが破壊され、もう二度と立ち直れないくらいに国力を落とされたのよ。die Volkerkundeとdie Volkskundeをドイツ人が混同しなかったら、枢軸側はことごとく滅亡しなかったのかもしれない」

 その後も4人はワイワイと他愛もない思い出話に興じる。と、その時…。
「みんな~!今日の午後2時から、南ドイツ政府からの広報があるんだって。何だか重大発表のようなんだけど…」
 アンネのお祖母さんが、鉱石ラジオを抱えて庭に出る。
「「「「え?重大発表?」」」」
 みんなが怪訝な顔をして、互いの顔を見渡す。午後2時まで、あと5分。
 そして5分後。鉱石ラジオからレーゲンスブルク放送局の、雑音交じりの音声が聞こえる。

『こちら南ドイツ連邦共和国政府広報室です。この度、国民の皆様に政府より重大発表がございます。3946年5月31日を以て、モーゲンソー・プランが失効となります。これにより南北ドイツ統一・国際管理地であるルール地方の再開発・ドイツ国鉄の創設による鉄道の再敷設等が実施されます。首都はベルリンに置かれる予定であり…』

 しゃがれた声の、年老いていることが判る男性ラジオアナウンサーが、淡々とした様子でニュースを伝える。
 4人の裡の、否、お祖母さんを含めた誰もが再び顔を見合わせ、そして誰もが歓声を上げる。
「聞いた!?モーゲンソー・プランが、失効になるんだって!」
 アンネが興奮して声を上げる。
「そうだわ!ねえ皆さん、今はノーマンズランドとなっていて、森林が拡がっているルール地方が再開発されたら、『テツドウ』とかいう乗り物で行ってみないこと?」
 レベッカが提案する。
「あ、それはいいね!ルール地方っていう場所、レイラインの魔力がスゴイっていう噂もあるから、行っただけであたしたちもアンネのお祖母ちゃんも、若返っちゃうかも?」
 ゾフィアが賛成する。
「アタイも行ってみたいよ。アタイらロマ人には北と南の国境なんて無いようなモンだけど、ルール地方にゃ行ったことがねーからな!」
 マリカも賛成する。
「ドイツがここまで来るのに、2000年の歳月を要したのね…。私ね、小学生時代に、モーゲンソー・プランが実行されなかったドイツを想像したことがあるの。そのセカイっていうのは、ドイツが東と西に分かれて、ベルリンには壁が造られていて、その壁も1989年に解体されて、東と西に分かれていたドイツが統一される、っていうものなんだけどね」
「フフフ、人間の観測できるセカイはたった一つだけだから、貴方がそんなことを想像しても、そのセカイがどんなところになるのかは、確かめようがないわ。それと、お祖母ちゃんも『テツドウ』とやらを拝んで、ルール地方に行ってみたいから、長生きしなくちゃね」
 アンネのお祖母さんが、笑いながら茶々を入れる。

 ラグナロクにより神々が死に絶え、ユグドラシルが灰燼と化し、この世の全てが海中に没しても、それでも世界は滅びず、人類の歴史は続く。
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