身代わりバンシー
身代わりバンシー
更新日: 2023/06/02 21:46その他
本編
バンシーは嘆く者である。バンシーは泣く者である。バンシーは叫ぶ者である。号哭できぬ君のために、バンシーは嘆くのである。
男が居た。彼には叶えられなかった夢があった。その夢は、平凡な多くの人々と同じような理由で叶えられなかったのであった。才能、体力、精神力、金、時間。およそこんな要素が男に夢みることを諦めさせたのであった。不運なことに、男はそれでも生きていた。さらに不幸なことに、男は生きてゆかねばならなかった。起きて、働き、疲れて、寝て、また起きる。自分自身を生きられぬとしても、生物一個体として生き続けなければならなかった。もはや男にとって夢は夜空の六等星であった。しかし、男はそれを差程悪くも思っていなかった。即ち、彼は平穏で幸せな人生を送っていた。
こんな男のために、バンシーは嘆くのである。叶えられなかった夢への無くした執念。現状に甘んじる自身への後ろめたさ。ただ人生を続ける苦悩。それらを想ってバンシーは嘆くのである。
「――」
女が居た。彼女は愛した男を亡くしたのであった。世間に幾らでもある最もありふれた、最も深い悲しみが彼女を満たした。しかし、彼女は泣かなかった。葬儀が終わっても、男と二人寝ていた寝室に一人過ごしても、朝夕、彼の位牌に手を合わせても、どれだけ彼が死んだ事実を眼前に突き付けられても、彼女は泣かなかった。否、泣けなかった。何故だ? 悲しみのあまりに涙すら出なかったのではない。彼女が男を愛していなかったのでもない。現実を受け入れられなかったのでもない。理由があったとすれば、彼女は諦めていた。何をしようが男が戻ってくることはない、これからは自分独りで生きてゆくしかない、と諦めていたのであった。彼女は成熟し過ぎていた。それゆえ、事実を事実として受け入れ、そして諦めることがいとも簡単にできてしまったのである。しかし、涙が出ずともいくら諦めても、悲しみが消えることはなかった。それは彼女の心に痛みの無い傷として深く、刻まれていた。
バンシーは泣けぬ彼女を想って泣くのである。
「――」
少年が居た。彼は勉強ができなかった。運動も駄目であった。人並みに友人がいた。なん度か恋もした。つまり、彼は特別でない、何処にでも居る少年であった。そして彼は優しく、気が弱かった。友人にからかわれると、ささやかな冗談を返した。よく貧乏くじを引いた。時々、自分がいかに頼りないか、ということで友人たちを笑わせた。彼は優しい道化であった。平凡な日々を平凡な人間として生きるために己の尊厳を無自覚に犠牲にした。彼は微笑みの仮面の下に怒りを、憎悪を押し込め、殺した。
バンシーはそんな彼の、抑圧された激情のままに叫ぶのである。
「――」
バンシーは嘆く者である。バンシーは泣く者である。バンシーは叫ぶ者である。号哭できぬ君のために、バンシーは嘆くのである。
0男が居た。彼には叶えられなかった夢があった。その夢は、平凡な多くの人々と同じような理由で叶えられなかったのであった。才能、体力、精神力、金、時間。およそこんな要素が男に夢みることを諦めさせたのであった。不運なことに、男はそれでも生きていた。さらに不幸なことに、男は生きてゆかねばならなかった。起きて、働き、疲れて、寝て、また起きる。自分自身を生きられぬとしても、生物一個体として生き続けなければならなかった。もはや男にとって夢は夜空の六等星であった。しかし、男はそれを差程悪くも思っていなかった。即ち、彼は平穏で幸せな人生を送っていた。
こんな男のために、バンシーは嘆くのである。叶えられなかった夢への無くした執念。現状に甘んじる自身への後ろめたさ。ただ人生を続ける苦悩。それらを想ってバンシーは嘆くのである。
「――」
女が居た。彼女は愛した男を亡くしたのであった。世間に幾らでもある最もありふれた、最も深い悲しみが彼女を満たした。しかし、彼女は泣かなかった。葬儀が終わっても、男と二人寝ていた寝室に一人過ごしても、朝夕、彼の位牌に手を合わせても、どれだけ彼が死んだ事実を眼前に突き付けられても、彼女は泣かなかった。否、泣けなかった。何故だ? 悲しみのあまりに涙すら出なかったのではない。彼女が男を愛していなかったのでもない。現実を受け入れられなかったのでもない。理由があったとすれば、彼女は諦めていた。何をしようが男が戻ってくることはない、これからは自分独りで生きてゆくしかない、と諦めていたのであった。彼女は成熟し過ぎていた。それゆえ、事実を事実として受け入れ、そして諦めることがいとも簡単にできてしまったのである。しかし、涙が出ずともいくら諦めても、悲しみが消えることはなかった。それは彼女の心に痛みの無い傷として深く、刻まれていた。
バンシーは泣けぬ彼女を想って泣くのである。
「――」
少年が居た。彼は勉強ができなかった。運動も駄目であった。人並みに友人がいた。なん度か恋もした。つまり、彼は特別でない、何処にでも居る少年であった。そして彼は優しく、気が弱かった。友人にからかわれると、ささやかな冗談を返した。よく貧乏くじを引いた。時々、自分がいかに頼りないか、ということで友人たちを笑わせた。彼は優しい道化であった。平凡な日々を平凡な人間として生きるために己の尊厳を無自覚に犠牲にした。彼は微笑みの仮面の下に怒りを、憎悪を押し込め、殺した。
バンシーはそんな彼の、抑圧された激情のままに叫ぶのである。
「――」
バンシーは嘆く者である。バンシーは泣く者である。バンシーは叫ぶ者である。号哭できぬ君のために、バンシーは嘆くのである。