大杉のはなし
大杉のはなし
更新日: 2023/06/02 21:46現代ドラマ
本編
私は今日、死なねばならぬ。私は死を恐れてはいない。あまりに長く生きすぎたからであろうか。痛みを感じぬからであろうか。それは分からない。私の生きた時代は目まぐるしい変化に満ち、数値としての数百年よりもよほど長かったように思うが、退屈もしなかった。もう少し長くこの世を見ておきたい気がしない訳でもないが、仕方のないことである。
今日この日に私の生が終わると知った日から私は柄(がら)にもないことばかり考える。即ち、私は何を残しただろう、と。私の周囲は常に変化に満ちていたが、私自身はただ、そこに在っただけではないか。私は人々に沢山のものを与えてもらったが、私は彼らに何を与えることができただろう、私はただ、在っただけではないか。私の生は無意味か? いや、意味とはなんぞや。私は何を成した? 何も。成さねばならなかったのか? 何かを。止そう。考えたとて分かろう筈(はず)もない。ただ死を待つだけのこと。これまでと何も変わらぬではないか。何も、変わらぬ……。この期に及んで何も変わらぬとはいかにも私らしい、か。
樹齢四百年の大杉が切り倒されると知って、当日、空き地には近隣住民が詰めかけた。皆一様に大杉との思い出に浸り、別れを惜しみ、心の底に諦めの煤(すす)を焦げ付かせていた。
「晴れましたな」
「ああ、そうですな。良く晴れました」
「随分(ずいぶん)と人が出ましたね」
「それあ、大杉との別れですから。この辺の人なら皆、何かしら大杉との思い出があるものですよ」
「うむ。私もそうです」
「それだけに、皆、残念なのでしょう」
「そうですな。本当に」
また別の人々も語り合っていた。
「なあ、覚えてる? 中学の頃さ、ここで大騒ぎしたよな」
「覚えてるよ。その時さ、お前が大杉の皮、引っぺがしたじゃん」
「そうそう。それで吉田の爺さんに大目玉喰らったよな。あの時の爺さんの怒鳴り声は忘れようったって忘れられねえよ」
「お前のお陰で俺まで怒鳴られたんだぜ。勘弁してくれよな」
「そうだったな」
「あっ! おい。あそこ見てみろよ」
「え、何処?」
「ほら、あの大杉のすぐ近くに立ってるの、吉田の爺さんじゃねえか?」
「げっ」
「寂しいものですね」
「ああ」
「私やおじいさんの人生にはいつだって大杉がありましたからね」
「うむ」
「覚えてますか。私たちが一緒になったばかりの頃、よく二人で大杉の下に座っていろんなお話をしましたね。あの時からおじいさん、口下手で……」
「……あったか。そんなことも」
「ありましたとも。大杉との思い出は尽きませんね」
「ああ。今日で一旦、お別れだ」
「一旦?」
「どうせ俺もそう遠くないうちにあちらへゆくからな」
「もう。縁起でもない」
「……こいつとも、また会える、ということだ」
「ふふっ。解っていますよ」
皆、大杉を愛していた。
午後になって大杉は予定通りに切り倒された。四百年、大杉はただそこに在った。そして人々に愛された。至極当然。ありふれた話。
しかし、嗚呼、君は気がつくだろうか。大杉は、君だよ。
0今日この日に私の生が終わると知った日から私は柄(がら)にもないことばかり考える。即ち、私は何を残しただろう、と。私の周囲は常に変化に満ちていたが、私自身はただ、そこに在っただけではないか。私は人々に沢山のものを与えてもらったが、私は彼らに何を与えることができただろう、私はただ、在っただけではないか。私の生は無意味か? いや、意味とはなんぞや。私は何を成した? 何も。成さねばならなかったのか? 何かを。止そう。考えたとて分かろう筈(はず)もない。ただ死を待つだけのこと。これまでと何も変わらぬではないか。何も、変わらぬ……。この期に及んで何も変わらぬとはいかにも私らしい、か。
樹齢四百年の大杉が切り倒されると知って、当日、空き地には近隣住民が詰めかけた。皆一様に大杉との思い出に浸り、別れを惜しみ、心の底に諦めの煤(すす)を焦げ付かせていた。
「晴れましたな」
「ああ、そうですな。良く晴れました」
「随分(ずいぶん)と人が出ましたね」
「それあ、大杉との別れですから。この辺の人なら皆、何かしら大杉との思い出があるものですよ」
「うむ。私もそうです」
「それだけに、皆、残念なのでしょう」
「そうですな。本当に」
また別の人々も語り合っていた。
「なあ、覚えてる? 中学の頃さ、ここで大騒ぎしたよな」
「覚えてるよ。その時さ、お前が大杉の皮、引っぺがしたじゃん」
「そうそう。それで吉田の爺さんに大目玉喰らったよな。あの時の爺さんの怒鳴り声は忘れようったって忘れられねえよ」
「お前のお陰で俺まで怒鳴られたんだぜ。勘弁してくれよな」
「そうだったな」
「あっ! おい。あそこ見てみろよ」
「え、何処?」
「ほら、あの大杉のすぐ近くに立ってるの、吉田の爺さんじゃねえか?」
「げっ」
「寂しいものですね」
「ああ」
「私やおじいさんの人生にはいつだって大杉がありましたからね」
「うむ」
「覚えてますか。私たちが一緒になったばかりの頃、よく二人で大杉の下に座っていろんなお話をしましたね。あの時からおじいさん、口下手で……」
「……あったか。そんなことも」
「ありましたとも。大杉との思い出は尽きませんね」
「ああ。今日で一旦、お別れだ」
「一旦?」
「どうせ俺もそう遠くないうちにあちらへゆくからな」
「もう。縁起でもない」
「……こいつとも、また会える、ということだ」
「ふふっ。解っていますよ」
皆、大杉を愛していた。
午後になって大杉は予定通りに切り倒された。四百年、大杉はただそこに在った。そして人々に愛された。至極当然。ありふれた話。
しかし、嗚呼、君は気がつくだろうか。大杉は、君だよ。