天上の傍聞き

作家: Kyoshi Tokitsu
作家(かな):

天上の傍聞き

更新日: 2023/06/02 21:46
その他

本編


 一面の澄み渡った景色であった。
「おかえり」
「ああ、ただいま」
「今度は少し長かったね」
「そういえばそうだ。確か七十年くらいだったか」
「疲れたろう」
「まあね。でも、これも慣れたものだよ」
「随分ながく廻っているものね。君も私も」
「そうだ。もうどれくらいになるかな」
「さあ。忘れてしまったよ」
「私も」

 二人の目の前にさほど大きくない一輪の蓮が咲いた。純白の花弁に所々、薄墨で刷いたように幽かな帯が見てとれた。蕊からは淡く弱々しい香りが確かに漏れ出し、二人の鼻腔に触れた。

「良いじゃないか」
「だろう? 自信作だからね」
「これだけの花だ。今回も苦労したとみえるね」
「いや、それほどのことじゃないよ。ただ、ひとりでにこんな風に咲いたんだ」
「そうかい? いや、それにしても立派だよ」
「ありがとう」

音の無い、雲のような時間がながれていた。

「少し休んだら、また行ってくるよ」
「少ししか休まないの? 君も、もの好きだね」
「そうかな」
「そうとも」

「次の鉢に目星はついてるの?」
「まあ、ね」
「やっぱり良い造形のだろう? 近頃じゃ綺麗なものがいくつもあるからね。君は凝り性だから。そうだろう?」
「いや、形はどんなのでも構わないさ」
「じゃあ、一体どんな鉢にするの?」
「実は今、持ってるんだ」
「なんだ。そんなら、ひとつ見せてくれよ」
「うん。これなんだけどね……」
「ん? それかい?」
「そう」
「なんだか、ありきたりな鉢じゃないかい?」
「ありきたりじゃ、いけないかい?」
「いけなかないけどさ、君ならもっと良いのを選べるだろうに、本当にそれにするのかい?」
「そうさ。もう決めたんだ」
「君が良いなら別に構わないけども、なんだかもったいない気もしないでもないな」
「本当のところ、私はそれほど鉢には興味がないんだよ。そこにどんな花が咲くのか、それがどんな形なのか、どんな香りなのか。それに興味があるんだよ。
 とは言ってみたもののね。実は私はどこかこの鉢を気に入っているんだ」
「どこかって、どんなところが?」
「いや、それはやっぱり言葉にはならないけれどもね……」
「さっきも言ったけれど、他に良い鉢ならいくらでもあるし、肥料だって……」
「いや。いいんだ。誰がなんと言ったって私はこれが好きなんだから」
「きっと苦労するよ? それでもいいのかい」
「うん。私はこれが好きなんだ。別に優れていなくたって、不自由だろうとも、なんだか私はこれが気に入ったんだから。もしかしたら、誰にも解ってもらえないかもしれないけれど。いいんだ。私だけが知っていれば」
「……やっぱり、君は少し変わってるよ」
「そうかな」
「そうとも。でも、私だって君のことは言えないかもしれないけど。
 私もね、そんな君のことがどういうわけか好きでたまらないんだから」
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