アンナのぬいぐるみ

作家: 蒼河颯人
作家(かな): そうがはやと

アンナのぬいぐるみ

更新日: 2023/06/02 21:46
詩、童話

本編


 アンナは五歳の女の子。
 彼女は、首元に赤いリボンをつけた茶色いくまのぬいぐるみをいつも抱えている。
 真っ黒なつぶらな瞳を持つそのぬいぐるみは、ふわふわした毛並みが最高の手触りで、頬ずりするととっても幸せな気持ちになれるのだ。
 彼女はそのぬいぐるみが大好き。
 
 誕生日に両親からそのぬいぐるみをプレゼントされて以来、肌身離さず常に一緒だ。
 ご飯を食べる時には自分のとなりに座らせ、夜はベッドで一緒に寝ている。
 彼女はそのぬいぐるみに「マイケル」と名付けた。
 
 そんなある日、「マイケル」が突然姿を消してしまった。
 珍しく部屋でお留守番をさせている間に、彼はいなくなってしまったのだ。
 
「あたしのマイケル! どこ!? ああ、一緒に連れて行けば良かったんだわ!!」
 
 アンナは血相を変えて家中探し回ったが、どこを探しても見つからない。両親の手をかりても、赤いリボンすらなかった。
 大粒の涙を流してわんわんと大泣きする娘に、両親はまた買ってあげるからとなだめようとしたが、
 
「マイケルじゃなきゃ嫌!!」
 
 と彼女は駄々をこね、聞く耳をもたない状態だ。彼女の両親は困り果ててしまった。
 
「マイケル」がいない夜は寂しい。
 となりがぽっかりと穴が空いた感じだ。
 彼は一体どこへ行ってしまったのだろうか。
 泣きつかれたアンナはベッドに入ると、自然と夢の中へと入り込んでしまった。
 
 ◇◆◇◆◇
 
 ふわふわと、真っ白な雲のようなものが漂っている中を、アンナは一人とぼとぼ歩いていた。
  
「ここはどこ……?」
 
 周りを見渡しても、誰もいない。
 ただ、綿あめのようなものが漂っているだけだ。
 お家に帰らなければと思うのだが、今自分のいる場所が一体どこなのか分からない。
 心細く感じ、足がすくみそうになった彼女に、誰かが声をかけてきた。それは両親やベビーシッターの声とも違う、低くて穏やかな声だった。
 
「これはこれは可愛らしいお嬢さん。こんなところまで一体どうしたのですか?」
 
 彼女が声のする方に顔を向けると、犬のぬいぐるみが立っていた。どうやら声の主は彼のようだ。視線はアンナと同じくらいである。真っ白な身体に茶色い模様がぼかしたように入っていて、耳がぴんとまっすぐに立っている。足が短く、コーギーのようだ。彼はゆっくりと足を動かし、アンナの元へのそのそと近付くと、ぺろりと赤い舌を出して微笑んだ。
 
「あなた、ぬいぐるみだよね。話せるの?」
「話せますよ。私達ぬいぐるみはみんな話せます。でも、声が上手く届かないだけです。特に大きな人間には。どうやらお嬢さんには届いているようですね」
 
 彼の言う大きな人間と言うのは、ひょっとして大人のことだろうか?
 
「ふぅん。そうなんだ。あのね、あたし、大切なお友達を探しているの。いつも一緒だったのに、はぐれちゃったの。そう言うあなたはだあれ?」
 
 アンナが不思議な顔をして彼の顔を覗き込んでいると、そのぬいぐるみは首をぶるると横にふり、しゃがんでおすわりのポーズをとった。 
 
「……これは失礼いたしました。私はケビンと言います。どんなお友達をお探しですか?」
「名前は『マイケル』と言うの。首元に赤いリボンをつけた、ふわふわの茶色いくまのぬいぐるみなの」
「マイケルですか……それはきっと、彼のことではないでしょうか?」 
 
 ケビンが前足を向けた方向に視線を向けると、真っ白だった視野が少しずつあけて来て、茶色い毛玉のようなものが見えてきた。首元に赤いものが巻いてある。それを見たアンナは表情を太陽のように明るくし、そこに向かって一直線に駆け出していった。
 
「マイケル!」
 
 その茶色いぬいぐるみは、彼女の声に反応し、その方向へとゆっくり首を動かした。そして、彼女の姿をその真っ黒いつぶらな瞳に映すと、口をゆっくりと動かしたのだ。
 
「……やあ、アンナ」
 
 熊のぬいぐるみから、爽やかな声が飛び出し、アンナは目を丸くする。頬を上気させ、思わず彼に話しかけた。 
 
「マイケルもしゃべった……!! マイケル、あなたお話し出来たの?」
「そうだよ。いつもの場所では声が届きにくくて上手く話しが出来ないけど、今いるこの国内なら、君たち人間と話せるよ。勿論、大きな人間は無理だけどね」
「そうなんだ。あたし、ずっとマイケルとお話ししたかった! だってあなたったら突然いなくなっちゃうんだもの、とっても心配したわ!」
 
 思いっきり抱きついてくる彼女をその茶色い腕で優しく抱きとめると、マイケルは首をゆっくりと縦に動かした。
  
「ごめんね。君たちがお出かけしている間に、ボクはここ、ぬいぐるみの国に呼び戻されていたんだ。詳しくは話せないけど、ちょっとした用事でね。もう少ししたらアンナのお家に帰ろうと思っていたんだよ。まさか君が先にここまで迎えに来てくれるとは思わなかったけどね」
 
 茶色い丸い耳をぴこぴこと動かしているその声は、とても嬉しそうだった。
 
「いつもボクを大事にしてくれてありがとう。心配しなくても、君を置いて出ていくことはしないよ」
「ほんとう?」
「ほんとうさ。ボクはずっと君と一緒さ。だってボク達友だちじゃないか」
「うれしい!」
 
 マイケルはアンナの額にキスをした。
ふわふわとしたその感触は、泣きたくなるほど柔らかくて、あたたかかった。
 
 ◇◆◇◆◇
 
 アンナの寝室のドアがゆっくりと開くと、二人の男女の顔が部屋の中をそっと伺っていた。開いたドアから差し込まれた光が、ベッドの上で眠る二つの顔を明るく浮かび上がらせている。
 
「おやおや。どうやらぬいぐるみは見付かったようだな。良かった……」
「『マイケル』よ。あなた」
「おおっと、いけない……君の言う通りだね」
「とっても良い笑顔をしているわね……楽しい夢を見ているんだわきっと。しばらくむくれていたけど」
「いつも寂しい思いをさせているからかな。普段大人しいから、彼女が癇癪を出すと思わなくて、驚いたよ」
「ごめんねぇ。アンナ。パパもママもあなたを忘れているわけではないのよ」
 
 彼女の両親は、共働きだ。ベビーシッターを雇い、家事全般と彼らが不在時のアンナの世話を任せている。彼女に関しては特に問題ないのだが、一番良いのはアンナが実の両親と一緒に過ごす時間を出来るだけ多く確保することだ。

 しかし、現実は中々思い通りにはいかなかった。特にアンナの父親は朝早く家を出て、夜遅く帰宅する毎日だ。娘の顔を何日も見られない日も多く、日曜日に仕事が入ることも多い。アンナの母親も父親より幾分かマシだが、似たような状態だ。二人共糧を稼ぎ、日々を過ごすことで精一杯の毎日だ。ついついおろそかになることも多くなる。
 
 そっとアンナの部屋の中に入った二人は、布団からはみ出している小さな腕をそっと布団の中に入れてやった。柔らかい、小さな腕だ。自分達にもこんな時代があったのだと思うと、妙に感慨深くなる。二人はひそひそ話しを始めた。
 
「次の日曜日は久し振りに休みがとれたんだ。家族みんなで動物園に行こうかと思うのだが、どうだい?」
「良いわねぇ。私もその日丁度休みなのよ。朝になったらアンナにも聞いてみましょう。きっと喜ぶわ。勿論、“マイケル”も一緒にね」
「そうだな。アンナにはいつも寂しい思いをさせているから、少しでも罪滅ぼしをと思ってね」
「そして、帰りにはどこかでご飯を食べて帰りましょうか」
「ああ。そうしよう。きっと喜ぶぞ」
「あら? 聞こえちゃったかしら? 明日彼女がどんな顔をするか、楽しみね」
「「おやすみ、アンナ。良い夢を」」
 
 優しく見守る両親の声が聞こえているのか、アンナは満足そうに寝返りをうつと、マイケルを両腕でぎゅうっと抱きしめた。 
 両親が一緒にその頭を優しく撫でると、彼らの愛女は一瞬くすぐったそうな顔をして、むにゃむにゃとつぶやいた。
 静かに寝息をたてているその姿は、正に翼のない天使だった。
 
「アンナ、良かったね。また明日。良い夢を」
 
 彼女の腕の中にいるマイケルがぽそりと言うと、それが聞こえたかのように、アンナの口元にふんわりとした笑顔が浮かび上がった。
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