さいしゅうばす
さいしゅうばす
更新日: 2023/06/02 21:46現代ドラマ
本編
きょうももぐみのマーくんにコクられた。けどわたしはそっぽをむいた。ばあばみたいなこしがおれまがったこぼくのかげからトモちゃんがわたしとマーくんをみていた。マーくんはトモちゃんをふってわたしにのりかえたもんだからムキになって「ミキはおれとケッコンしたいんだろ」といった。だからわたしからふってやった。そしたらトモちゃんがクマみたいにわたしにおそいかかってきた。
とおやませんせいにしかられた。
3がつ、9か、かようび、 うえだみき
その日のかえり際もわたしは真っ暗になった園庭にポツと残された年長部屋のござのうえにぺたんとおしりをついてじゆうちょうに日記を書いていた。
じつはわたし、読書家の姉のカンナに教わってもう漢字もいっぱい書けるんだけれどここで漢字の先走りはせんせいのウケが良くない。
これで九十点(つねに百点を取るのも角が立つ)だ。
東京の大学の文芸部をでた新米の夏目美里せんせいは首をかしげそれから笑った。ほかのせんせいは目を通しもしないで日記をつっかえしてニタニタほめる。けどその笑みはあきらかに美里せんせいの笑みとは違う種類の笑みだ。
わたしをちゃんと見てくれた美里せんせいは二月いっぱいで園をやめた。
かわりにすっごく美人の遠山先生がやってきたけれど。
ほかのせんせいや園長せんせいにあからさまに虐められていた美里せんせいを通してわたしがこの園で学んだことは鬼ごっこで他者と距離を図って協調を身につけるとか椅子取りゲームで空気を読んでビッコの子に席を譲るとかじゃなかった。
「園児は園児らしく、子どもは愁い(姉に教わったことばのなかで一番好き)をみせず朗らかを振舞う」
それと、
「自分の身は自分で守る」
姉の抽斗の一番下に隠してあった秘密ノートに書いてあった(こっそりと盗み見てしまった)とおり、
『人生はかごめかごめ』
「いつもお世話になっています。ミキの姉です… はあ、えっ、あはい、分かりました。母にはちゃんと伝えておきますのでいつも遅くまで申しわけありません、しつれいします」
姉の声だ。わたしは日記をいそいでしまって真っ暗な外へ駆(か)けだした。
わたしは真っ暗な園庭の真ん中で、以前トモちゃんに教わった呪いの儀式を行っていた。
次狼浄寺の巫女のトモちゃんによれば呪いにはいい呪いとわるい呪いがある。だけど基本的に呪いは一種類。問題は呪いの外側の世界にあるそうだ。
「呪いと祈りは違うの? 」
とトモちゃんに訊くと、
「基本は自らの力ではどうにもならないモノに対して強くのぞむ。その儀式ね」
難しいコトはわからないからトモちゃんの説明は無視した。
わたしの呪いで姉の目や耳や顔が治ればいい。それだけ。
わたしは真っ黒な闇のカーペットになった園の湿った土に円陣を描いていた。
姉が保育士におじぎをして振り返ってこちらに歩いてくる。
わたしは大好きな姉に向かって走って胸にとびついた。
姉は顔を見られまいと避けたがわたしは姉にほっぺをすりすりさせた。
「っもう、ミキったら」
「ミキ、お姉ちゃん大好きー 」
カンナの顔は半分潰れていた。
左半分が火傷でケロイドになっている。左耳も潰れて左目はなく眼窩は黒い渦だ。
最近になって義眼を入れたがまだ馴染まず、いつもころころとあっちやこっちをみている。
その昔、姉を産んだ男に金属バットで殴られ赤くなった鉄で焼かれたそうだ。
わたしは干上がった井戸のように渇いた姉の手を握ってバス停まで歩いた。
「お姉ちゃん聞いて今日ね、マーくんがね、ミキのことすきだって、だからね結婚の約束をしたの、でもすぐにまたフッてやったけどー」
「へーそうなんだー、でもねミキ、今日、トモコちゃんとケンカしたでしょ。駄目だよそんなことしちゃ、お母さんに言わないから、今度からケンカはしないでね」
「だってぇ、トモちゃんがさきにぶってきたんだもん! 」
縁がしおかぜでさびた[ 高浜駅前 ]と書かれたバス停は闇に塗られ、ジジッと鳴る電柱の蛍光灯に羽虫が嬲られていた。
見あげると、フッと蛍光灯がきえた。
黒を黒で塗りこめたような闇のなか、わたしと姉は立っていた。
ポツ、わたしのズックの先に、雨粒が落ちてきた。ふたりとも傘はなかった。わたしは黙ってズックで地面の湿った泥をこねた。
姉の手はカサカサしていた。皺だらけだ。
顔がめちゃくちゃになってから姉は学校にいかなくなったそうだ。
それから早朝から魚市場で働くようになった。学校が終わるまで市場で働いて丘のうえの図書館に行って本を読みわたしを迎えにくる。テスト日だけ学校に通っている。
塩で痛み老いてカサカサになった姉の手の溝を伝ってわたしの手に、春の温かな雨水でできた玉が一条、転がってくるのを感じた。
「私はミキの本当のお姉ちゃんじゃない」
闇のなか、突然わたしはそれを聞いた。
「じゃあ、カンナお姉ちゃんはいったいだれ? 」
「ミキのお姉ちゃんだよ、でも」
わたしひとりじゃ持ちあげられないほど重い間があった。
「カンナのお母さんとミキのお母さんはちがうひと」
「カンナのお母さんとミキのお母さんはちがうひと? 」
わたしは繰り返していた。
「そうカンナのお母さんとミキのお母さんはちがうひと」またカンナは繰り返した。
「カンナのお母さんとミキのお母さんはちがうひと」わたしは自動的に繰り返した。
重く硬く濃密な沈黙がひとすじ横たわった。
「カンナはミキの家族なの? 」
「もちろん家族だよ」
「… じゃあミキはだれの子なの? 」
「お母さんとお父さんの子。けどカンナはミキのお母さんのお腹からはうまれなかった」
また、一しきり、沈黙があった。
「へえ、ミキ分からなくなっちゃったなあ」
わたしはすでにそれを知っていたし判っていた。カンナの顔をめちゃめちゃにした男の記憶はない。けど、けど、ただ他にことばがみつからなかった。
「お姉ちゃんは、もう少ししたら東京へ行くの。だからミキとはバイバイ」
「なにしにいくの?」
「勉強をしに東京の学校にいく」
それがカンナの嘘だということもわたしは知っていた。
小六のカンナにはほかの嘘が思い浮かばなかったに違いない。
姉なりの精一杯の優しさと姉自身を慰める偽善だ。きっと姉はわたしを傷つけぬようにまた姉自身を慰めるように。
「わたしは嘘を重かさねるだろう。優しさと偽善で包まれた嘘はまるで和紙に染みこんでゆく墨汁のようにカンナとミキを修復不能にしてしまう。それが家族」
姉の秘密ノートに書いてあった。
「ミキもね来年一年生になるんだよ勉強してたくさん友達つくるんだあっほら見てみてバスきたよカンナ今日さむいねあめ冷たいねバスのなか温かいかなあはやくのろうね」
わたしはまくし立てた。なにかをいわないと涙が溢れそうだったから。
到着するワンマンバスの表示板は『朝日ヶ丘団地車庫行』となっていていて赤く光っていた。最終バスだ。
最終バスにのり込こむと、なかはがらんとしていた。
最後尾の席に、オーバーコートを羽織った初老の男がうつむいてすわっていた。
雨のなか最終バスは走りだした。
わたしと姉はならんですわった。
「ぬれちゃったねー。ミキ寒くない? 」
わたしは姉の手を固く握っていた。
「ミキ大丈夫」
姉の手を固く握ったままわたしは目をまっすぐ闇に溶ける窓ガラスに向けた。
わたしは悲鳴をあげそうになった。
窓ガラスにトモのいっていたあの番いの狼が映っていたのだ。それからなんと狼とわたしは目が合った。
「カンナが東京いったら、ミキはカンナのこと忘れて」
「なんで! 」
闇に同化したくろい窓を見つめわたしの肉体はなにかが漲って、爪を犬の牙のように立て姉の手首を噛んだ。
姉の血をわたしの爪に染み込ませわたしの血肉を姉に染み込ませ、その行為を、闇の窓に座っていた対の狼に見せつけるように。
「カンナは東京にいったらひとりで生きていくの、だからもうミキともミキの母さんとももう会わない」
「カンナもう、おうちにかえってこない? 」
「そう、もうおうちに帰ってこない」
「なんで! 」
「会いたくないの」
どうもうがのり移った目でわたしは姉を睨めた。
「好きよ、とっても。でもね、ミキの母さんが、もうミキと会うなって」
「ミキはカンナのこと、大好きなのになぁ」
「ミキがおねえさんになったら分かると思う」
わたしの体内からなにかが抜けていった。
最終バスは夜の海岸線を通っているらしく潮の音が耳に入ってきた。カンナなんで泣いているの? 東京いかなきゃいいのに。お姉ちゃん。なかないでえ。
「ミキ、カンナにおまじないしてあげる」
固くにぎりしめていた手をはなしバスの濡れた木の床にズックで対の狼を、右手で大きな狼を左手で小さな円を描く。
右手が雄の狼で左手が雌の狼だ。今度はそれを逆手にしてやる。
わたしは何度もくり返した。
バスが停車し初老の男は降りていった。
暖房で結露がたれて、窓ガラスに対峙した、狼の番いが暴れている、そんなように見える。
最終バスは春の雨夜のなかにゆっくりと溶けていった。
0とおやませんせいにしかられた。
3がつ、9か、かようび、 うえだみき
その日のかえり際もわたしは真っ暗になった園庭にポツと残された年長部屋のござのうえにぺたんとおしりをついてじゆうちょうに日記を書いていた。
じつはわたし、読書家の姉のカンナに教わってもう漢字もいっぱい書けるんだけれどここで漢字の先走りはせんせいのウケが良くない。
これで九十点(つねに百点を取るのも角が立つ)だ。
東京の大学の文芸部をでた新米の夏目美里せんせいは首をかしげそれから笑った。ほかのせんせいは目を通しもしないで日記をつっかえしてニタニタほめる。けどその笑みはあきらかに美里せんせいの笑みとは違う種類の笑みだ。
わたしをちゃんと見てくれた美里せんせいは二月いっぱいで園をやめた。
かわりにすっごく美人の遠山先生がやってきたけれど。
ほかのせんせいや園長せんせいにあからさまに虐められていた美里せんせいを通してわたしがこの園で学んだことは鬼ごっこで他者と距離を図って協調を身につけるとか椅子取りゲームで空気を読んでビッコの子に席を譲るとかじゃなかった。
「園児は園児らしく、子どもは愁い(姉に教わったことばのなかで一番好き)をみせず朗らかを振舞う」
それと、
「自分の身は自分で守る」
姉の抽斗の一番下に隠してあった秘密ノートに書いてあった(こっそりと盗み見てしまった)とおり、
『人生はかごめかごめ』
「いつもお世話になっています。ミキの姉です… はあ、えっ、あはい、分かりました。母にはちゃんと伝えておきますのでいつも遅くまで申しわけありません、しつれいします」
姉の声だ。わたしは日記をいそいでしまって真っ暗な外へ駆(か)けだした。
わたしは真っ暗な園庭の真ん中で、以前トモちゃんに教わった呪いの儀式を行っていた。
次狼浄寺の巫女のトモちゃんによれば呪いにはいい呪いとわるい呪いがある。だけど基本的に呪いは一種類。問題は呪いの外側の世界にあるそうだ。
「呪いと祈りは違うの? 」
とトモちゃんに訊くと、
「基本は自らの力ではどうにもならないモノに対して強くのぞむ。その儀式ね」
難しいコトはわからないからトモちゃんの説明は無視した。
わたしの呪いで姉の目や耳や顔が治ればいい。それだけ。
わたしは真っ黒な闇のカーペットになった園の湿った土に円陣を描いていた。
姉が保育士におじぎをして振り返ってこちらに歩いてくる。
わたしは大好きな姉に向かって走って胸にとびついた。
姉は顔を見られまいと避けたがわたしは姉にほっぺをすりすりさせた。
「っもう、ミキったら」
「ミキ、お姉ちゃん大好きー 」
カンナの顔は半分潰れていた。
左半分が火傷でケロイドになっている。左耳も潰れて左目はなく眼窩は黒い渦だ。
最近になって義眼を入れたがまだ馴染まず、いつもころころとあっちやこっちをみている。
その昔、姉を産んだ男に金属バットで殴られ赤くなった鉄で焼かれたそうだ。
わたしは干上がった井戸のように渇いた姉の手を握ってバス停まで歩いた。
「お姉ちゃん聞いて今日ね、マーくんがね、ミキのことすきだって、だからね結婚の約束をしたの、でもすぐにまたフッてやったけどー」
「へーそうなんだー、でもねミキ、今日、トモコちゃんとケンカしたでしょ。駄目だよそんなことしちゃ、お母さんに言わないから、今度からケンカはしないでね」
「だってぇ、トモちゃんがさきにぶってきたんだもん! 」
縁がしおかぜでさびた[ 高浜駅前 ]と書かれたバス停は闇に塗られ、ジジッと鳴る電柱の蛍光灯に羽虫が嬲られていた。
見あげると、フッと蛍光灯がきえた。
黒を黒で塗りこめたような闇のなか、わたしと姉は立っていた。
ポツ、わたしのズックの先に、雨粒が落ちてきた。ふたりとも傘はなかった。わたしは黙ってズックで地面の湿った泥をこねた。
姉の手はカサカサしていた。皺だらけだ。
顔がめちゃくちゃになってから姉は学校にいかなくなったそうだ。
それから早朝から魚市場で働くようになった。学校が終わるまで市場で働いて丘のうえの図書館に行って本を読みわたしを迎えにくる。テスト日だけ学校に通っている。
塩で痛み老いてカサカサになった姉の手の溝を伝ってわたしの手に、春の温かな雨水でできた玉が一条、転がってくるのを感じた。
「私はミキの本当のお姉ちゃんじゃない」
闇のなか、突然わたしはそれを聞いた。
「じゃあ、カンナお姉ちゃんはいったいだれ? 」
「ミキのお姉ちゃんだよ、でも」
わたしひとりじゃ持ちあげられないほど重い間があった。
「カンナのお母さんとミキのお母さんはちがうひと」
「カンナのお母さんとミキのお母さんはちがうひと? 」
わたしは繰り返していた。
「そうカンナのお母さんとミキのお母さんはちがうひと」またカンナは繰り返した。
「カンナのお母さんとミキのお母さんはちがうひと」わたしは自動的に繰り返した。
重く硬く濃密な沈黙がひとすじ横たわった。
「カンナはミキの家族なの? 」
「もちろん家族だよ」
「… じゃあミキはだれの子なの? 」
「お母さんとお父さんの子。けどカンナはミキのお母さんのお腹からはうまれなかった」
また、一しきり、沈黙があった。
「へえ、ミキ分からなくなっちゃったなあ」
わたしはすでにそれを知っていたし判っていた。カンナの顔をめちゃめちゃにした男の記憶はない。けど、けど、ただ他にことばがみつからなかった。
「お姉ちゃんは、もう少ししたら東京へ行くの。だからミキとはバイバイ」
「なにしにいくの?」
「勉強をしに東京の学校にいく」
それがカンナの嘘だということもわたしは知っていた。
小六のカンナにはほかの嘘が思い浮かばなかったに違いない。
姉なりの精一杯の優しさと姉自身を慰める偽善だ。きっと姉はわたしを傷つけぬようにまた姉自身を慰めるように。
「わたしは嘘を重かさねるだろう。優しさと偽善で包まれた嘘はまるで和紙に染みこんでゆく墨汁のようにカンナとミキを修復不能にしてしまう。それが家族」
姉の秘密ノートに書いてあった。
「ミキもね来年一年生になるんだよ勉強してたくさん友達つくるんだあっほら見てみてバスきたよカンナ今日さむいねあめ冷たいねバスのなか温かいかなあはやくのろうね」
わたしはまくし立てた。なにかをいわないと涙が溢れそうだったから。
到着するワンマンバスの表示板は『朝日ヶ丘団地車庫行』となっていていて赤く光っていた。最終バスだ。
最終バスにのり込こむと、なかはがらんとしていた。
最後尾の席に、オーバーコートを羽織った初老の男がうつむいてすわっていた。
雨のなか最終バスは走りだした。
わたしと姉はならんですわった。
「ぬれちゃったねー。ミキ寒くない? 」
わたしは姉の手を固く握っていた。
「ミキ大丈夫」
姉の手を固く握ったままわたしは目をまっすぐ闇に溶ける窓ガラスに向けた。
わたしは悲鳴をあげそうになった。
窓ガラスにトモのいっていたあの番いの狼が映っていたのだ。それからなんと狼とわたしは目が合った。
「カンナが東京いったら、ミキはカンナのこと忘れて」
「なんで! 」
闇に同化したくろい窓を見つめわたしの肉体はなにかが漲って、爪を犬の牙のように立て姉の手首を噛んだ。
姉の血をわたしの爪に染み込ませわたしの血肉を姉に染み込ませ、その行為を、闇の窓に座っていた対の狼に見せつけるように。
「カンナは東京にいったらひとりで生きていくの、だからもうミキともミキの母さんとももう会わない」
「カンナもう、おうちにかえってこない? 」
「そう、もうおうちに帰ってこない」
「なんで! 」
「会いたくないの」
どうもうがのり移った目でわたしは姉を睨めた。
「好きよ、とっても。でもね、ミキの母さんが、もうミキと会うなって」
「ミキはカンナのこと、大好きなのになぁ」
「ミキがおねえさんになったら分かると思う」
わたしの体内からなにかが抜けていった。
最終バスは夜の海岸線を通っているらしく潮の音が耳に入ってきた。カンナなんで泣いているの? 東京いかなきゃいいのに。お姉ちゃん。なかないでえ。
「ミキ、カンナにおまじないしてあげる」
固くにぎりしめていた手をはなしバスの濡れた木の床にズックで対の狼を、右手で大きな狼を左手で小さな円を描く。
右手が雄の狼で左手が雌の狼だ。今度はそれを逆手にしてやる。
わたしは何度もくり返した。
バスが停車し初老の男は降りていった。
暖房で結露がたれて、窓ガラスに対峙した、狼の番いが暴れている、そんなように見える。
最終バスは春の雨夜のなかにゆっくりと溶けていった。