塔とクオリア
塔とクオリア
更新日: 2023/06/09 05:25SF
本編
「それで、この塔に関して、君のクオリアはどうだと言うのかね」
先生はそう言いながら、丁寧に一歩ずつ塔の階段を登る。私もまた、先生の歩調に合わせながら、ゆっくりと歩を進めていた。
「つまり、近未来的なんです。鋭利(えいり)でやけに陽の光を反射するメカニカルペンシルのような」
「ふうん。高いかね」
「ええ。随分と」
「ふむ」
「いったいこれは何のメタファーなんでしょう」
「分からんよ。なにも私にだけ分からないわけじゃない。誰にも分からない。君のクオリアだからね」
先生から明確な解答が得られないことは分かりきっていた。しかし、それでも私は尋(たず)ねずにはいられなかった。この塔が私のどんな内面を投射したものであるか、第三者からの断定を求めずにはいられなかったのである。長年、この塔の研究に携わった先生ならばあるいは、と一縷(いちる)の望みを込めて尋ねてはみたものの、果たして先生の言葉は私の予期したとおりであった。
「では、先生のクオリアは……先生には塔がどんな具合に見えているのですか」
「うむ。例えるなら、そう、バベルの塔さ」
「と、言うと……」
「砂ぼこりにまみれた煉瓦(れんが)の塔。頂上は見えない。いくら登っても決して頂上に辿り着くことはない。もう私はなん百回、なん千回と登っているが、一度だって頂上からの景色を目にしていない。いつでも道半ばで下りることになるのさ。共に登った者は皆、きちんと頂上に行き着くのに、ね。そんなとき、私は乾いた石段から太陽を睨みつけてやるのさ」
先生の顔に疲労の色はなく、笑みすら浮かべていた。
「それで、そのメタファーとはなんです?」
「うむ。研究への情熱とそれから、そう。畏(おそ)れだよ」
「……畏れ、とは?」
「探求する真理への畏怖(いふ)さ。私の研究に限らず、人が真理を探し求めるとき、必ずそこには畏怖がある。己にとっての唯一無二の真理とはある種の救済さ。だから人はそこへ到ろうとする。真理に触れたとき、人は一切の苦悩から解放される。そこまでの道程は全てが繋がった、導かれたものであると確信してね。真理とは即ち、神だ。だからこそ私にとって塔のクオリアはバベルなんだよ。恐れを忘れず研究するために、ね」
私は足を止め、塔の頂上を見据(みす)えた。遥かな先端は太陽光を針のごとくに反射し、私の眼を刺した。先生も私と同じように視線を向けたものの、その眼は私には思いもよらない程、遠くを見つめているようであった。先生のクオリアを見てみたかった。この無機質な塔が先生には真理探究のメタファーとして映っているかと思うと羨(うらや)ましくてならなかった。
「少し休憩しようか」
そう言うと先生は滑らかな階段を二三度手で払ってから腰を下ろした。しばらく、先生は口を閉ざしたまま、空を眺めていた。私はじっと、塔のクオリアについて考えていた。そして、はたと気がついた。
「ところで先生」
「なんだね」
「先生はどうしてご自身の塔のクオリアを断言することができたのですか。やはり、それも研究の成果、ということでしょうか」
「それあ、君。デタラメさ」
「え……」
私は面喰(めんくら)った。
「デタラメって、それは一体……」
「驚くことはないだろう。私はただ、私の目に映る塔を見て、そう思っただけさ」
「しかし、先生はあんなにはっきり私に解説なさったじゃありませんか。あれにはなんの裏付けも無い、ということですか」
「ああ、無いよ。私がそう思っただけのこと。そもそも見る者によって姿形を変えるこの塔について、そこから見出した仮の解答にどうやって裏付けを与えればよいのかね」
「しかし……それでは先生の仰(おっしゃ)ったことは真実ではないかもしれない、と?」
「そうさ」
「……こう言っては失礼ですが、それでは、その、先生の研究とは……」
「勘違いしてはいかんよ。私が研究しているのはあくまでもこの塔の構造さ。何故、見る者によって全く異なった様相を見せるのか、観測者の加齢や思考習慣の変化によって塔の姿も変化するのか、私はそれを研究しているに過ぎない。だから、塔のクオリアが観測者に何を示しているのか、そんなことは分からない
さっき私はこの塔が私にとって探求と畏怖の象徴だと言ったね。そしてそれは真実でないかもしれない。しかし、それがなんだと言うんだね。これは学術的な研究ではない。思考だ。個人の思考や感覚に対して、真実にいったいどれ程の価値があると言うのかね。仮に私の塔のクオリアに対して絶対的な真実があったとする。それが衰退や崩壊の象徴だとして、どうして私がそれを信じなければならないのだね?
この場合、大切なのは絶対的、客観的真実ではない。己が何を感じ、何を信じるかということだよ。間違っていたって構わない。塔は塔として在るだけ。私は私として在るだけさ。誰かの唱える真実とかけ離れていたとして、己の感性を否定することはない。塔のクオリアは千差万別、己以外の者に解る筈もないのだからね」
私は判然としないまま、しばらくただ考えていた。先生の横顔は眼光鋭く、しかし、慈悲を湛(たた)えていた。
「いやはや、研究者らしからぬことを言った気がするよ。喋りすぎたな」
先生は照れくさそうに頭を掻(か)き、膝を叩いて立ち上がった。
「さ、登ろうか。君の頂上まではもう少しかい」
「ええ」
「では、行こう」
「それで君、塔のクオリアはなんだね」
「いえ……まだ分かりません」
「そんなことはないよ。君は気づいている筈だ。真偽はどうでもいい。君の信じるものが投影されているのがこの塔だ。言ってごらん。塔に、君は何を見る?」
「……。……憧憬(しょうけい)です」
「ふむ」
「いかに離れていようとも、塔は常に陽に、月光に輝いています。塔は私の忘れ得ぬ標(しるべ)。決して逃れることのできない大いなる作業への憧憬です」
「そうか」
先生はそれ以上、何も言わなかった。
頂上から見下ろすと、街が西日に赤く染まっていた。
「君」
先生は私の方を見ず、呼びかけた。
「君が迷ったとき、不安に取り殺されそうになったとき、塔を見なさい。塔はいつでもここにある。塔は君の欲するものを常に知っているのだからね。
君、塔を忘れてはいけないよ」
そう言うと先生はまたもや恥ずかしそうに頭を掻きながら塔を下り始めた。
遅れて私は先生の背を、追った。
0先生はそう言いながら、丁寧に一歩ずつ塔の階段を登る。私もまた、先生の歩調に合わせながら、ゆっくりと歩を進めていた。
「つまり、近未来的なんです。鋭利(えいり)でやけに陽の光を反射するメカニカルペンシルのような」
「ふうん。高いかね」
「ええ。随分と」
「ふむ」
「いったいこれは何のメタファーなんでしょう」
「分からんよ。なにも私にだけ分からないわけじゃない。誰にも分からない。君のクオリアだからね」
先生から明確な解答が得られないことは分かりきっていた。しかし、それでも私は尋(たず)ねずにはいられなかった。この塔が私のどんな内面を投射したものであるか、第三者からの断定を求めずにはいられなかったのである。長年、この塔の研究に携わった先生ならばあるいは、と一縷(いちる)の望みを込めて尋ねてはみたものの、果たして先生の言葉は私の予期したとおりであった。
「では、先生のクオリアは……先生には塔がどんな具合に見えているのですか」
「うむ。例えるなら、そう、バベルの塔さ」
「と、言うと……」
「砂ぼこりにまみれた煉瓦(れんが)の塔。頂上は見えない。いくら登っても決して頂上に辿り着くことはない。もう私はなん百回、なん千回と登っているが、一度だって頂上からの景色を目にしていない。いつでも道半ばで下りることになるのさ。共に登った者は皆、きちんと頂上に行き着くのに、ね。そんなとき、私は乾いた石段から太陽を睨みつけてやるのさ」
先生の顔に疲労の色はなく、笑みすら浮かべていた。
「それで、そのメタファーとはなんです?」
「うむ。研究への情熱とそれから、そう。畏(おそ)れだよ」
「……畏れ、とは?」
「探求する真理への畏怖(いふ)さ。私の研究に限らず、人が真理を探し求めるとき、必ずそこには畏怖がある。己にとっての唯一無二の真理とはある種の救済さ。だから人はそこへ到ろうとする。真理に触れたとき、人は一切の苦悩から解放される。そこまでの道程は全てが繋がった、導かれたものであると確信してね。真理とは即ち、神だ。だからこそ私にとって塔のクオリアはバベルなんだよ。恐れを忘れず研究するために、ね」
私は足を止め、塔の頂上を見据(みす)えた。遥かな先端は太陽光を針のごとくに反射し、私の眼を刺した。先生も私と同じように視線を向けたものの、その眼は私には思いもよらない程、遠くを見つめているようであった。先生のクオリアを見てみたかった。この無機質な塔が先生には真理探究のメタファーとして映っているかと思うと羨(うらや)ましくてならなかった。
「少し休憩しようか」
そう言うと先生は滑らかな階段を二三度手で払ってから腰を下ろした。しばらく、先生は口を閉ざしたまま、空を眺めていた。私はじっと、塔のクオリアについて考えていた。そして、はたと気がついた。
「ところで先生」
「なんだね」
「先生はどうしてご自身の塔のクオリアを断言することができたのですか。やはり、それも研究の成果、ということでしょうか」
「それあ、君。デタラメさ」
「え……」
私は面喰(めんくら)った。
「デタラメって、それは一体……」
「驚くことはないだろう。私はただ、私の目に映る塔を見て、そう思っただけさ」
「しかし、先生はあんなにはっきり私に解説なさったじゃありませんか。あれにはなんの裏付けも無い、ということですか」
「ああ、無いよ。私がそう思っただけのこと。そもそも見る者によって姿形を変えるこの塔について、そこから見出した仮の解答にどうやって裏付けを与えればよいのかね」
「しかし……それでは先生の仰(おっしゃ)ったことは真実ではないかもしれない、と?」
「そうさ」
「……こう言っては失礼ですが、それでは、その、先生の研究とは……」
「勘違いしてはいかんよ。私が研究しているのはあくまでもこの塔の構造さ。何故、見る者によって全く異なった様相を見せるのか、観測者の加齢や思考習慣の変化によって塔の姿も変化するのか、私はそれを研究しているに過ぎない。だから、塔のクオリアが観測者に何を示しているのか、そんなことは分からない
さっき私はこの塔が私にとって探求と畏怖の象徴だと言ったね。そしてそれは真実でないかもしれない。しかし、それがなんだと言うんだね。これは学術的な研究ではない。思考だ。個人の思考や感覚に対して、真実にいったいどれ程の価値があると言うのかね。仮に私の塔のクオリアに対して絶対的な真実があったとする。それが衰退や崩壊の象徴だとして、どうして私がそれを信じなければならないのだね?
この場合、大切なのは絶対的、客観的真実ではない。己が何を感じ、何を信じるかということだよ。間違っていたって構わない。塔は塔として在るだけ。私は私として在るだけさ。誰かの唱える真実とかけ離れていたとして、己の感性を否定することはない。塔のクオリアは千差万別、己以外の者に解る筈もないのだからね」
私は判然としないまま、しばらくただ考えていた。先生の横顔は眼光鋭く、しかし、慈悲を湛(たた)えていた。
「いやはや、研究者らしからぬことを言った気がするよ。喋りすぎたな」
先生は照れくさそうに頭を掻(か)き、膝を叩いて立ち上がった。
「さ、登ろうか。君の頂上まではもう少しかい」
「ええ」
「では、行こう」
「それで君、塔のクオリアはなんだね」
「いえ……まだ分かりません」
「そんなことはないよ。君は気づいている筈だ。真偽はどうでもいい。君の信じるものが投影されているのがこの塔だ。言ってごらん。塔に、君は何を見る?」
「……。……憧憬(しょうけい)です」
「ふむ」
「いかに離れていようとも、塔は常に陽に、月光に輝いています。塔は私の忘れ得ぬ標(しるべ)。決して逃れることのできない大いなる作業への憧憬です」
「そうか」
先生はそれ以上、何も言わなかった。
頂上から見下ろすと、街が西日に赤く染まっていた。
「君」
先生は私の方を見ず、呼びかけた。
「君が迷ったとき、不安に取り殺されそうになったとき、塔を見なさい。塔はいつでもここにある。塔は君の欲するものを常に知っているのだからね。
君、塔を忘れてはいけないよ」
そう言うと先生はまたもや恥ずかしそうに頭を掻きながら塔を下り始めた。
遅れて私は先生の背を、追った。
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