さようなら、鯵さん

作家: aoisena
作家(かな):

さようなら、鯵さん

更新日: 2023/06/02 21:46
現代ドラマ

本編


 双児の次郎と三太の、その日の帰りも、いつも通りのはずだった。

 それは学校のいつもの帰路と言うのは近道のことだった。近道をせずに帰れば最近できたばかりの、次郎と三太が通う学校を取り囲むようにできた都市型複合商業施設である巨大ショッピングモールのエントランスを通らなくてもよかったのだったが。

 ショッピングモールができる前は、昔ながらの西北南大宮神宮商店街がそこにあり、今は廃れてしまった西北南大宮神宮商店街には、店主が、油揚げをするするさせているすがたががたがたいう女将さんと和気藹々で二人並んでいつもそこにあった。双児の次郎と三太は、それを日がな一日眺めているのが殊のほか好きだった。

 巨大ショッピングモールに収まらなかったが開発地区にいまだに残る豆腐の佐藤商店や、加藤玩具銃砲店、すぐきき耳を立てる二俣蜜口商店の大八なども今は、みな潰れてしまっている。

 近道をしないと、ショッピングモールのエントランスとショッピングモールの敷地外にあるシャッター街と変わり果ててしまった西北南大宮神宮商店街をぐるりと巡って帰らねばならなかったのだった。

 その上、たまに豆腐屋の門にお化けを見るので、ふたりは出来れば西大宮通りを通りたくはなかったのも一つの理由だった。

 まず、ショッピングモールの手前のコの字型に入る前の、第三セクターが買い上げた後にショッピングモールに開発し損ねた、ネズミの額ほどの空き地があって、そこから穴掘りで壁の向こうへ行けるのだった。

 そこの土は、不思議なことに、草を引っこ抜くと大根がポロポロ抜けるように土がほじれ取れた。

 だから主に土ほじりに関しては、得手としていた三太は前を、先へ先へとほじってどんどんと先へ入って行くのだった。

 穴の先に魔除けの髑髏があって、一旦どかし、両手を合わせて、それをまた同じ場所に置いてから、次郎が大根の形にして固めた土を埋めていくのだった。

 壁を抜けると、とある大学の相撲部の稽古場だった。

 テッポウを三十回ほど、子供稽古を三十番ほどつけてもらい、チャンコを頂いて相撲部の練習場と部室を抜ける。

 変な土管に住んでいるおじさんがいた。名前は鯵沢豪、アジさんは銀幕俳優、鯵北一風堂の、三号に産ませた隠し子で、コンビニの夜勤をクビになってもう三十五年。いわゆるホームレスだった。

 鯵さんはアルプス地方のヨーデルが上手だった。

「こんなのは社会にでて、なんのお役にも立たんよ、無駄なことばかり覚えよったんよ俺は」

 とヨーデル、「哀れな農民」や「スロヴェニア農民の踊り」、「狩りができないなんて」を立て続けに次郎と三太の前で歌ってみせた。裏声が素晴らしかった。

 鯵さんは、世の中には怒ってばかりの人間や悲しんでばかりの人間がたくさんいる。みんな大人になってもちっとも大きくなってない。特になにに対して自分でも分からずに腹を立てている奴が、大勢いる。

 次郎と三太は首を傾げた。

 ぼくらはそんな色々なことに腹を立てたり、悲しんだりしないよ、すぐに忘れてしまうもの。鯵さんは黙ってうなづき、次郎と三太の頭を優しく撫でた。

 あくる日、鯵さんは次郎と三太につれられ街の見物を。といっても日がな一日複合商業施設の赤いベンチに坐っているだけだったが。次郎が三度、トイレに行き、三太が持ってきた小遣いでピザを買って三人で分け合って食べた。

 その日は、とても美味しい一日だった。

 鯵さんとの別れの日がやってきた。おれは明日死ぬかもしれぬ。だから明日死んでからこいよ。もうおれはダメだ。

 そんな鯵さんを驚かそうと次郎と三太は前日の晩に、相撲部で貰った折り寿司をぶらさげていったが、鯵さんは死んでいた。通報したのは鯵さんと共に空き缶を集める人だった。

 鯵さんがかつて遺書として書いたと豪語していた大量の小説はどこにもなかった。

「読ませてやるよ、その前に国語を習え、音楽を習って、アルプスのヨーデル歌えるようになったって、ちったあ文才がなきゃ、俺の小説が読めねぇんだぞ」

 次郎は、鯵さんの顔をあまり良く思い出せなかった。服はいつもの緑がボロになったチノパンに、うえはリーバイスの拾っただろう薄汚れたワークシャツ、靴は黒で黄色のストライプの入ったニューバランス、それだけはよく覚えていた。三太は鯵さんの服装はよく覚えていなかった。だがアゴは長く、無精髭を生やしてはいたが妙に揃えていたこと、二重だが一枚刃のカミソリのような一重が重なっていた二重まぶた。頬は痩けこけ、笑うと妙に福をもたらすような耳が印象的だった。

 さようなら、鯵さん。
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