目 / 第2話 : 繋がれた女(前編)、
目 / 第2話 : 繋がれた女(前編)、
更新日: 2023/06/02 21:46異世界ファンタジー
本編
目 / 第2話 : 繋がれた女(前編)、
脚本、蒼ヰ瀬名
声、○○○○
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大晦の夜であった。雪がしんしんと降っている。ふたつの影が焼けて朽ちた納屋に入ってきた。納屋の奥の暗がりで火がパチパチと爆ぜている。空から降る粉雪が黒く焼けた柱に触れてそっと消える。枝が割れる軽い音がして納屋の奥にいる男のしる粉をすする手がとまった。焚き火の明かりが闇に当たると揺れるふたつの影は輪郭をつくり始めた。ひとつはまるい、もうひとつはひょろながである。ふたつの影は烏帽子を被っている。
「検非違使さまが、いったいなんのご用で?」と納屋の男。
「北白川からやってきた」とひょろなが。外に繋がれている馬がなにかに怯えるように嘶いた。
「衛門の督さまからのお使いかなにかで?」と納屋の男。ひょろながは唇に人差し指を押し当てる。黙る納屋の男。「お主が片腕のアカシバかな」と小太りが囲炉裏に腰をおろす。鍋のしる粉から白い湯気がたっている。小太りの二本の刀が居心地悪そうにカチャカチャと音を立てる。小太りは鍋のしる粉をすすって白い息を吐く。それから顎で納屋の男の、存在しない片方の腕をさして、にやりと笑った。
「いえ、この東の国でいうアカシバ、というのは西の国では私の所有物でございます。しかし同時に私の妻でもあります。つまり、私の所有物であり妻でもあるその、「モノ」、はいま勝手口で、漬物を切っておりますが」と納屋の男はいって奥の暗がりを一瞥する。勝手口といっても焼けた納屋の裏は崖のたもとで、一面蔦で覆われている。蔦で焼け残った崖のその暗がりは、奇妙なことに、宮大工が普請したような立派な鉄の格子が備えつけられていた。
ひょろながは、納屋の男がさし示す鉄の格子がある勝手口へと目を向けた。だが、焚き火の明かりは奥まで届かず、よく見えない。小太りが座る囲炉裏からも、鉄の格子の奥は、塗りこめたような、闇であった。検非違使と思われるふたりは互いに顔を見合わせた。
「ほら挨拶をしなさい」納屋の男が格子戸を開けると崖に空いた穴から繋がれた女が現れた。
それはひょろながにとって生まれて見たこともない恐ろしいものだった。
同時に小太りにとっては生まれて見たこともない美しいものであった。
土間に立つひょろながの目に見えたものとは、首と両足が鎖で繋がれ、片腕を切り落とされたひとりの女の姿であった。首と両足が繋がれた片腕のない女は、焚き火の明かりのほうへ、藪を進む大蜥蜴のように緩慢に這ってくる。眼窩は黒く陥没していてその窪みから赤黒い液体が糸を引いている。ひょろながは腰を抜かしそうになる。よくみると赤黒い液体に見えたのは血の塊で、眼窩から飛びでる糸は繊維の束、その繊維には目玉がぶらさがっている。肺に穴が空いているのか胸の辺りからびゅうびゅうと奇妙な音が。人間の女というより、罠に掛かって飢えてやせ衰えた三つ足の獣のようである。ひょろながは即座に刀を構える。しかしその刀はカタカタと音を立てている。鞘から見える刃の部分だけが不気味な光を放っている。随分と血を吸ったいい刀だな、納屋の男は思った。
囲炉裏で胡坐をかいていた小太りのその目に映ったものはというと、首と両足が鎖で繋がれ、鉄の格子に体を靠れかけているひとりの美しい女の姿であった。床まで垂れる繋がれた女の髪はまるで墨汁を染み込ませたように黒く、奥の闇と同化している。奇妙なことに女の体臭が小太りの鼻まで届いた。それに気づいて目を向けると女の襦袢ははだけ、床まで垂れる黒髪と透き通るような白い肌が濡れている。風呂にでも入ったのだろうか。小太りは汗ばむ。女の妖艶さに息を飲む。女の吐息がまた小太りの頬にかかる。女と目が合った。己の現の世界では到底叶わぬ美しい女が、目の前で首輪と鎖でその体の自由を奪われている。小太りの膨らんだ股にしる粉がぼとぼとこぼれた。帝がこの女を見染めたら、全軍をあげて欲しがるに違いない。これは決してだれにも口外できぬが、今の皇后さまより、美しい。
「検非違使さまがた、この女は明日、新年の大市で私が売る商品なのでございます」といって納屋の男は検非違使と思われるふたりに二枚の書類を見せた。獣の皮を鞣した二枚の書類の右上には、東の国の入国許可証である衛門の督の、つまり検非違使の直属の上司の朱印が押されてあった。ひょろながが一枚目の書類を見る。それは西国の皇帝の名義によって正式に発行された奴隷証明書であった。小太りが二枚目の書類を見る。これもなんと西国の婚姻書であった。奴隷と平民が婚姻関係を結ぶのは西国でも異例中の異例である。通常は奴隷の身分を解放し、身分を与えたその後に婚姻関係を結ぶ。しかしこの場合、さらに複雑で国外者と奴隷商品との婚姻である。この納屋の男、一体どのような手続きを踏んだのか…。不思議なことにこの婚姻証明書には西国の宰相の朱印までが押されてあった。
「ええ、この女は西国の果てで奴隷として売られておったんです。ですが私は、」
とひょろながに、己が着る麻の装束を見せ、
「見ての通り東の国の者。こちらの米一俵があちらの胡椒ひとつまみ。それにしても、この女。紛れもなく西国の奴隷女のなかで、一等の品でした」
といって繋がれた女の足の裏をつかみあげで見せた。繋がれた女の土踏まずには、体をくねらせた蜥蜴が壁に張りついたような、西の国の特有の文字の焼印があった。「S」と発音されるその印(いん)は西国の奴隷市場での「最上位」の印(しるし)である。
「この女の体重と同量の金が取引額。競りじゃあ手がでません。(含みわらい)ですがね、」
と納屋の男、検非違使と思われるふたりに卑猥な顔を見せ、繋がれた女の、血塗られた唇をぺろりと舐めた。
女は、納屋の男の顔に唾を吐いた。
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Written by Sena Aoi