あね

作家: おのえ桜子
作家(かな):

あね

更新日: 2023/06/02 21:46
その他

本編


 父の言葉で嫌いだったのが「洋子(ようこ)が一番」という、何かにつけて姉を褒めるものだった。確かに姉は才色兼備、聡明鋭敏、その上性格が私と違って穏やかでおしとやかだったから、人から愛されないわけがなかった。「天は二物を与えず」と言うが、姉には当てはまらなかった。子供のくせにあれこれ大人にかしずいて、やれ肩を叩きましょう、お庭のお花に水を遣りましょうと、ちょこちょこと動き回っては、恵愛を受けていた。母が風邪をひいて寝込んでいた時などは、「私がお粥を作って差し上げます」と言って、まだ背の届かない台所に立って、健気に粥を作ったらしい。大したヤツだ。親戚が集まると、未だに姉の話で始まり姉の話で終わるような次第だ。

 祖母の喜寿のお祝いに親戚一同が集まったことがあった。いとこだのまたいとこだのが大勢我が家にやって来た。その中の一番下の子が、お下げ髪の先に小さい赤いリボンを付けていた。それがたいそう自慢だったらしく、宴を始めた大人たちの間をぴょこぴょこ飛び跳ねて、リボンを見せて廻っていた。ところが、姉の白くて大きいサテン製の髪飾りを見た途端、この世の終わりのように泣き出し、「あれが欲しい、あれが欲しい」と、駄々をこね始めた。今や赤いリボンは居場所をなくして萎れてしまっていた。大人たちの手に追えなくなっていた時、姉はその子に近づき、目の高さで自分の髪飾りを外し、髪に挿してやったのだ。父がことあるごとにこのお気に入りの話をするのを、私は見てきた。その話のどこがいいのかちっとも解らなかった。ところが父に言わせると、人に言われてする親切は誰でもする。親に躾をされていれば、出来て当然のこと。姉の場合は、そう躾けた記憶もなく、生まれつきの感性を持って優しく大らかに人に接することができたらしいのだ。あっぱれ、あっぱれ、と言っては、晩酌のお銚子の本数がいつもより増える。「恋は盲目」というが、子供自慢もここまで行くとあほらしくなる。

 あまり欠点はないと思っているが、私の唯一の、そして決定的な欠点は、やきもち焼きだということだ。確かに姉の完璧な性格と容姿は褒め称えられる価値のあるものだが、そうかと言って、父が四六時中、自分の娘は姉一人のように姉だけを褒めちぎるのには嫌気がさす。姉の話が出る時は、大抵私の、姉とは比べようのない醜い容姿と、世間のどこにでもある性格と、改良の余地のない親不孝ぶりが引き合いに出された。同じ親から生まれたとは思えない、と言っている父の横から、叔母が、先日文(あや)ちゃんの同級生が「お前、本まに洋子の妹なんか? 信じられん」と言っているのを聞いたと、追い打ちをかけてくる。親戚総出でここまで言われると、本当に自分はこの両親の子ではないのかもしれないと思い始めたぐらいだ。

 例の髪飾りの話が最高に耳障りなので、いっそのこと姉のこの美談も姉のことも、丸々封印してしまおうと画策した。父に言わせれば、無い知恵を絞って考えたのが、こき下ろしにはこき下ろしで応酬すると決めた。しかし、わざわざこの話をしたのでは目論見を簡単に暴かれてしまうと思い、いつもと変わらぬ朝の食卓で、これまた何かしら話の枝分かれのようにうまく話をすり替えた。

「あの髪飾りな、お姉ちゃんは確かにいい子ぶってるけど、それはそれでずる賢いわ。上手なお芝居みたいやった」

 味噌汁の豆腐を箸でぐずぐずにしながらそう言うと、父はすぐさま居直って真正面から私になぜか笑いかけた。その笑い顔は、叱られる時のものより不気味だった。話は長かったが、要旨としては、できのいい姉のことを妬んでそんな口のきき方をするように躾けてはいない、ということだった。豆腐はさらにぐずぐずになってしまった。そのような劣勢を予期していなかったので、悲しくなる前に父の親バカぶりに呆れる他なかった。その後食卓ではしばらく、私への悪口雑言が続いた。私はあの話のどこが美談なのか、今でもさっぱり解らない。

 しかし今女児の母親になってみると、父が頑なに姉を才媛扱いした気持ちが多少はわかる。特にこの子が十二歳で亡くなると知っていれば、一生のうちに受けるはずの愛情や賛辞をこの十二年間に凝縮させて与えるに違いない。父が自慢話をしている場面を思い出す度に「この子はもうすぐ死ぬんやで」と言っているところを想像する。人生で起こる様々な、首を傾げたくなる事柄全てには、それが起こる何らかの理由があるのだ。しかし人は普通、その理由が現れるまで理不尽さと闘わなければならない時がある。

 姉は非常に感受性も強い人で、思いもよらないところで、泣いたり怒ったりしたものだった。ある日、私は虫眼鏡が欲しくなった。理科の時間に、凸レンズを使って太陽の光を集め、黒い紙を燃やすという実験をやった。マッチもライターも火打石もないのに、レンズはあの大きな太陽の光をほんの小さな一点に集め、それを見たこともないほどの眩しい宝石のような光に変えた。たちまち、もくもくと白い煙が上がり、黒い紙がパッと赤焦げ、穴が開いた。私は学校の虫眼鏡よりももっと大きいものが欲しくなった。同級生に写真館の子がいて、家にはもっと大きいレンズがある、と自慢していた。私は虫眼鏡ではなくて、大きい虫眼鏡を買ってもらえる家に住んでいることを自慢したくて、帰り道で姉に大きい虫眼鏡を買ってくれとせがんだ。姉は、花の観察をするならいいが、余計なことに使うなら買わないと言い、また、今は小遣いが十分にないので大きいものは買えないと言った。私は、虫眼鏡を持っていくのは明日でないといけないと思った。写真館に見せてやるのだ。写真館はきっと、父親が一日店を閉めなくてはいけないくらい、大事な大きいレンズを持って来るに違いないからだ。

「なぁ、お願いやから、なぁ、お姉ちゃん」と私は姉にすがった。
「しゃーないなぁ。ほな、ちょっとお待ち」

 姉は自分だけ家に帰り、しばらくして戻ってきた。その足で文房具屋へ行き、年寄りが新聞を読む時に使う大きい虫眼鏡を買ってくれた。私は嬉しくて、姉より先に家に戻ると、ありとあらゆる身の周りの黒い物を焦がして回った。地面を這う蟻を見つけては、蟻が焼ける時の鈍い音と共に楽しんだ。ところがすぐに家政婦に見つかって、私の宝は取り上げられてしまった。こんな大きい虫眼鏡は家では見たことがない、一体どうしたのか、と詰問された。挙げ句の果てには、お嬢さん、どこかから盗んで来たのですか、とまで言われた。私が雇い主なら、この家政婦は明日から自宅で朝寝ができるに違いない。虫眼鏡一つでここまでの騒ぎになるとは思っていなかったので、あっけにとられて黙っていると、家政婦は、やっぱり盗んだのですね、と言い出した。そこへちょうど姉が戻って来て、「文ちゃん、なんでほんまのこと言わへんの? 盗んだんやないやろ?」と顔を真っ赤にした。「毎月のお小遣いを貯めていたものがあったから、それで私が買ってやったんです」と、家政婦を睨みつけた。睨みつけたかと思うと次にはわぁっと泣き出した。家政婦は、そんな泣き出すことですか、と虫眼鏡を私に返すと台所へ戻った。こんな私でも姉に悪いことをしたような気がして、返された虫眼鏡の柄を親指できりきりと引っ掻いて立ったままでいた。姉が亡くなるほんの少し前の出来事だ。

 姉が「花の観察をするならいい」と言ったのには理由があった。姉は幼い頃から木や草花に造詣が深く、どんな植物でもまだ小さい葉や芽を見ただけでその名称を言い当てたらしい。花をつけていない木を見て、この木肌は艶があって黒光りしているから、桜かまたはその仲間だろうとか、笹のように細くてしかし短い葉の野菜は、母の好きなししとうの仲間だろうなど、その観察力たるや突出したもので、大人の知識を楽に凌駕するものを姉はしっかり身につけていた。そういうわけで、庭には植物園顔負けの数多くの種類の草木や樹木が植えられていた。中には実の成る木々もあったが、実を付けるまでに何年もかかるものがあった。実を付けるのを待たれ、結局実が成らないうちに枯れ果てたのは、庭の桃の木だけではなかった。父は死ぬまで姉を慈しみ愛した。昨年のある日、もう臨終も近いという日に、父は床から私に向かって「洋子、居たんか」と目を細めた。すぐに違うことに気づき、「ああ、文子(あやこ)やったか」と、庭の枯れた桃の木に目をやった。

 父を看取った後は、友達にも助けられ、私はなんとか葬儀をやり終えた。父は私の手によって葬式を挙げられることが嫌だったに違いない。今この二人はきっと、誰にも邪魔されず、サテンの髪飾りと庭木の話を永遠にしているのであろう。天国で二人がそうやって暮らしているかと思うと、二人の親になった気分になって、気が休まるのである。
(了)
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