橋を焼く

作家: 青月クロエ
作家(かな): セイゲツクロエ

橋を焼く

更新日: 2023/06/02 21:46
現代ドラマ

本編


【side:兄】

 微妙に度の合わないレンズとアクリル板越しに映った頬はまた膨らんだ気がした。
 まばらに生えた髭に覆われた顎もたるんでるし、スーツの袖が悲鳴を上げてる。

「また太った」
「うわ、だっせぇ眼鏡」

 同時に発した第一声は互いへの憎まれ口。
 ぶつかり合っても消えることなく伝わり、膨らんだ頬がはっきりと引き攣る。
 やれやれ。すぐに顔に出るとこも相変わらずか。手が出なくなった分だけ成長したというか、歳食ったというか。

「ここじゃコンタクトは禁止でさ。眼鏡もブランドものやデザインものなんかは使っちゃいけないんだよ」
「で、わざわざだっせぇの作ったってわけ」
「収監に間に合うよう作ったからさ、いまいち見えづらいんだよな」
「自業自得なんじゃねぇの」

 ハッ!という苦笑とも嘲笑とも取れない笑い声は透明な仕切りを越え、俺の元まで届きそうだ。

「自業自得、ね」

 金属パイプ椅子に軽く背中を預け、脚を組んで薄く笑う。

「馬鹿なことした、とは思ってる」
「あったりまえだ。ヤク中野郎の弟なんて外聞悪いにも程があるし、今回は暴行の現行犯……、カンベンしてくれっての。……つっても、いい加減もう慣れた。二回も三回も捕まっちゃあ『あぁ、またやったか』としか思わんし、珍しい話でもない」

 外国映画の俳優さながら大袈裟に奴は両手を広げ、肩を竦めた。
 広げた両手の大きさは太いネックを握るのにふさわしく、十本の指先の皮膚は分厚い。度が合わない眼鏡でも、なんなら裸眼でだってよくわかってしまう。

「でも今回ばかりはちっとねぇ。『またやった』じゃすまないぜ」
「言われなくても……」
「言われなくてもじゃねぇよ」

 奴の声のトーンが下がる。
 あと一音半下がったらマジギレ確定、かな。

「社長はカンカンだ。もう庇いきれねぇってよ」
「今度こそ俺は契約解除か。てことは」
「今度こそ無期限活動停止……、実質、解散だ!か・い・さ・ん!!」

 ほぼ予想通り。ただ、なんで社長やマネージャーとかじゃくて、こいつが伝えに来たんだろう。
 身内の口から言わせた方が事態をより重く受け止めると願ってか??なんかそんな気がするけど、正直俺よりこいつの方がダメージ受けた顔してる。そりゃそうか。|飯のタネ《バンド》が解散すりゃ失業同然だもんな。俺と違って一人じゃ食うに困っちまうから。

「失業者にして悪かったよ。そこはちゃんと反省して」
「そうだけどそうじゃねぇ!!」

 あ、遂にキレた。奴は座りながら地団太を踏む。アクリル板が間になきゃ胸倉掴まれてたかもしれない。立会する刑務官に緊張が走った。
 俺なんかよりガラ悪い見てくれだし、警戒されるわな。若い頃は見た目通り喧嘩っ早かったし。でも所詮はファッションヤンキー。タカが知れてる。
 自慢じゃないが俺の方が一旦キレると無制限に暴れ回ったもんだ。その性分が原因でこうしてぶちこまれちまったけど。

「あ、だいじょうぶすよ。すぐ落ち着くと思うんで」

 言った端から、奴は立会人に「取り乱してすんません」と小さく頭を下げていた。ほらな。

 才能がないって可哀想で惨めだと思う。俺みたいに、俺でなきゃ生み出せないってモノが特別さがないんだ、奴には。
 才能がないからしたくもないのに人を敬って人の顔色窺って。
 俺ならあんなみっともなくぺこぺこ頭下げたりしない。

『お前の代わりなんていくらでもいる。俺の代わりは誰もいない。違うか??』
『お前が音楽で飯が食えるのは俺の才能に乗っかってついてきたからだろ??』

 俺に逆らった時。殴りかかった時。聞きたくもない説教を垂れた時。
 ここぞと奴にとっての呪いの言葉を吐きつけてやった
 ギターを始めたのだって俺に憧れたから。バンドだって俺が誘ってやったんだ。

 頭上でジジジ……、電子音に似た音がして、カン、カンッと何かがぶつかる──、羽虫が蛍光灯へ飛び込んでいく音だ。

 いつだって虫けらは強い光に吸い寄せられ、無遠慮に近づいていく。才能のない奴らも同じ。
 己じゃ強い光を放つこと、光を保ち続けること、更に強く輝くことができやしないから、俺に近づくことで光にあやかろうとする。奴なんて筆頭じゃないか。


「……ねぇ」
「は??」
「兄貴は全然わかってねぇ……」
「何が??」
「俺が怒ってんのはなぁ……」

 これでもかと殺気を込めた眼差しを、生意気にと思いつつ受け止めてやった──、が。奴は続きを語ることなく無言で席を立ち、俺に背中を向けた。






 
【side:弟】

アクリル板越し、久しぶりに顔を合わせた《《ヤツ》》のらしくなさすぎる姿。
 五分刈りの頭もくたびれた囚人服も安っぽい銀縁眼鏡も全然らしくない。らしくないのに。
 短すぎる髪はスッキリと整った顔を露にさせ、神経質そうな二重の目を囲う、銀の枠組みは繊細さと冷淡さを引き立ててる。痩せた身体を包む囚人服もやけに様になっているのが余計にオレをいたたまれなくさせた。なに似合っちゃってんだよ。
 オマエは清潔なシャツと細身のパンツ、ちょっとお高いスニーカーやブーツが一番似合うんだよ。いくら大抵の服装が似合ったとしても、オマエらしくない恰好まで似合ってんじゃねぇよ。

 だから、憎まれ口で誤魔化した。同じタイミングでヤツが言い放った俺への憎まれ口に他意は含まれてないだろう。人の気持ちなんて一切頓着しない──、否、人への無関心はこの際どうでもいい。時代の流れに無関心すぎるのが問題なんだよ。
『才能があれば、売れてさえいれば何しても許される』時代は終わってんだよ。デビューした二十年前、オマエが最初に捕まった十八年前、二回目に捕まった十年前とは全然違うんだよ。

『アーティストの感性は一般人のそれとは違う。普通じゃないから破天荒でも仕方ない』はもう許されない。今はアンタみたいなのにだって清廉潔白、品行方正を求められるんだよ。才能と人気があるからこそ真人間でいなきゃいけないんだよ。なんでわかんないんだよ。ガキの頃からオレよりずっと賢かったくせに。生まれながら人を惹きつける力があるくせに。

 歌が上手いヤツ、センスのあるヤツなんてごまんといるさ。だけどステージに上がった瞬間、その場に集まった全員の目を一瞬にして奪うヤツなんて早々いない。
 単純に見てくれが良ければといい話じゃない。確かにアンタも外見自体悪くはないが、アンタよりも顔もスタイルもよくて背も高いのなんて沢山いる。でも、人をステージで魅せる力がなきゃ、どんなイケメンだって照明の光で霞んじまう。
 アンタはピンスポットのみの低くて狭いステージ、落書きだらけのクソ汚ねぇハコだって、何万人も動員できるアリーナでだって常に熱狂の渦を作り出してきた。バンドを始めた十代の頃から変わることなくずっと。逆立ちしたってオレには無理。せいぜいオレにできることはアンタの後ろで、アンタの輝きを曇らせないよう最大限助力する。『お前みたいにいくらでも代わりの利く奴の助けなんて、別に』って一蹴されんのが目に見えるから口に出しゃしないけどな。

 オレがアンタにムカついてんのはな、バンドを解散に追い込んだからじゃあない。
 あぁ、ムカついてないっつったら嘘か、それもまぁかなりムカついてるよ。
 でもな、アンタに一番ムカついてんのはテメェの才能をテメェ自身で潰す馬鹿さ加減なんだよ!少しは守る努力しろよ!クソがよ!!

 アクリル板の向こう側、澄ました顔の薄笑いがあんまりにもムカついてムカついて、我を忘れて地団太を踏む。

 なに笑ってんだよ。笑いごとじゃねぇよ。なにさりげなくオレのフォローなんかしちゃってんだよ。そんなんしてくれなくていいよ。

 情けない声で口にした「すんません」はオレ自身のためか、ヤツのためか。たぶん両方かもしれない。
 ヤツの薄笑いは変わらない。オレへの呪いを吐くときに必ず浮かべる嫌な笑みに腹立ちよりいっそ憐れみが擡げてくる。

 アンタ、気づいてないだろ。
 オレに向けてるその笑顔はな、そっくりそのまま世間が今のアンタに向けてるモノなんだぜ??気づけよ、バカヤロウ。バカヤロウ、バカヤロウ、バカヤロウ。
 そんな目で見られてんじゃねえよ。

 怒り任せに危うく本音をぶつけそうになり、口を噤む。
 ぶつけたところで一ミリだって伝わらないんだ。口に出す必要なんて皆無。

 行き場のない怒りを存分に込め、ダサい眼鏡の奥の褪めきった目をこれでもかと睨みつける。予想通り『なんだこいつ』ときょとんとされたが知ったことか。

 別れの挨拶を告げる気もすっかり失せ、黙って面会室を後にする。

 アンタなんか誰が待っててやるか。
 甘ったれんなよ、バァカ。
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