枕営業

作家: 井野ウエ
作家(かな):

枕営業

更新日: 2023/06/02 21:46
ライトノベル

本編


 美木ありすは枕営業をしている。

 枕営業で掴んだ仕事は多くあり、それによって美木はアイドル界でもトップクラスの人気となった。シングルを出す度にミリオンヒット、握手会では四時間待ちは当たり前。芸人やモデルからは毎日のように口説かれている。美木はそのたびに思う。

 私は汚れた人間なのに。と。

 美木がアイドルデビューした18歳のとき、北海道から上京したてで右も左もわからなかった。そんな頃に東京の横着なグループに捕まってしまった。男女入り乱れたそのグループは、ほとんどが未成年で構成されていた。そして毎日のようにクラブを貸し切り飲酒をし、どんちゃん騒ぎをした。そのお金はグループの一部が覚せい剤を売って得た金だ。

 美木のストッパーは覚せい剤にあった。それだけは絶対にしてはいけないものだと思っていた。だからグループの男に勧められても断固として拒否をしていた。だがお酒にかんしては違う。未成年でも飲んでる人なんてたくさんいるじゃないか。大学生なんてだいたい飲酒してる。だから私だっていいじゃないか。ちょくちょく入ってきた芸能界の仕事だって楽しいものじゃない。発散しなきゃ。そうして毎日のように大量のアルコールを摂取していた。

 美木は地頭がいい。アイドルとして軌道に乗り始めるとそのグループとの縁をスパっと切った。成功するにはこの人達は足かせにしかならない。今までの過去とはお別れしてこの世界で大成功するんだ! 美木の成功することへの野心はとても強かった。

 だが、そんな美木を地獄へ突き落とす男が現れた。それが行田プロデューサだ。行田はテレビ界の革命児と言われる人物で、バラエティから音楽番組まで数多くの人気番組を輩出している。その男との出会いが美木の人生を大きく狂わせることとなる。

「美木さん、ちょっといいかな?」

 行田が指揮をとる音楽番組の収録後、美木は呼び止められた。

「はい! なんですか?」
「これ」

 そう言って行田が視線を落とした手の中には、美木が未成年で飲酒をしていたときの写真があった。美木の顔は真っ青になる。

「な、あ、どうしてですか……」
「どうして持ってるかってこと? まぁそんなことはいいじゃないですか。今日の夜、ホテルで待っていますよ」

 美木はホテル名と部屋番号が書かれた紙を渡される。

 どうしよう。今あれがバレたら私のアイドル人生は一巻の終わりだ。だからと言って好きでもない男と寝るのか。それで防げたとしてこれからもずっとそうして行田さんに従うことになる。

 いきすぎた葛藤はよからぬ答えを生む。美木はホテルへ向かった。

 部屋へ入るとそこにはバスローブ姿の行田が座っていた。美木の覚悟はできている。

「美木さんは可愛らしいし、歌も上手で踊りもいける。これからもっともっと売れていくと思います。というか、売れたいですよね?」
「はい」
「じゃあ僕の言うことは聞いてください。昼に見せた写真の他にも決定的な飲酒写真が何枚もあります。クラブで男と肩を組んでる写真もたくさん持っています。僕は別にそのくらいいい思うけど、ファンは悲しいでしょうね」
「私は芸能界の上へいきたいんです。リークするのはやめてもらえますか。なんでもします」

 美木は唇を噛みしめる。

「じゃあ、枕営業しましょうか。僕はこの写真をバラすなんてことはしないし、仕事も優先的に美木さんへ振りますよ。美木さんを一流アイドルにしてあげます」
「ありがとうございます」

 行田は立ち上がり、かばんから大きめのそば殻枕を取った。それを美木に手渡す。

「これを一日一つは売ってきてください。もちろん身バレはだめ。がっつりと変装してくださいね」
「ん? え?」

 美木は言っていることが理解できない。

「いや、だから枕営業です。僕実家が枕屋なんですよ。でも最近売上が|芳《かんば》しく無くて。親も困ってるから、美木さんはうちの枕を訪問販売で売ってきてください」

 行田は続けてこう言った。

「美木さんの汚い過去は、全部掃除してあげますよ」
「は、はあ。てっきり身体を売るのかと……」
「ああ違う違う。まあそういうことを誘ってくる人もいるだろうから気をつけてくださいね。とにかく明日から早速枕を売ってきてください。芸能の仕事はばんばん入れてあげますから」



 牛太郎は不倫をしている。

 そんなことを知る由もなく、お茶の間は牛太郎のフリップネタで大爆笑している。今やゴールデンタイムの司会までしている超人気お笑い芸人だ。牛太郎の人気をそこまで押し上げたのは、紛れもなく行田プロデューサの尽力である。

 牛太郎が運命の女性と出会ったのは、今から二年ほど前、少しずつ深夜のバラエティ番組に呼ばれ始めた頃だった。ライブ終わりに出待ちが数人いて、その中の一人が絶世の美女であった。

「あの、牛太郎さん、わたし大ファンなんです」
「ありがとう、サインだけでいい? 写真は?」
「え! いいんですか! やったあ!」

 腕を組んでくる女性。柔らかい胸が牛太郎の腕に密着する。下心が芽生えないと言うのは嘘であった。

「この後時間ある? よかったらご飯でもいかない?」

 牛太郎は既婚者であり不倫への厳しい目も重々承知している。しかし欲望を抑えきれるほどの道徳心は持ち合わせていなかった。

 事が終わりベッドで横たわる二人。女性が耳元で囁く。

「これからも会ってくれますか?」
「もちろん」

 こうして牛太郎は週に二度ほど女性と夜を過ごすようになった。元々泊まり仕事もあったので、妻にはそれほど怪しまれなかった。

 芸人として順調に売れてきたあるとき、夜八時からのバラエティの司会の話が舞い込んできた。指揮を取るのは敏腕プロデューサで知られる行田だ。

 行田は打ち合わせで牛太郎と二人になった際、落ち着いたトーンで話し始めた。

「今回の番組は日曜の八時ということで、家族みんなで笑顔になれるようなものをつくりたいんです」
「はい。任せてください!」
「でもそうなると、こういった過去は邪魔なんですよね」

 そう言って行田は牛太郎の不倫を決定づけるいくつもの写真を机の上にばら撒いた。牛太郎の顔は一瞬でこわばる。

「な、なんでそれを……」
「まあまあ。もちろんどこにも言いませんよ。僕にとってもマイナスにしかなりませんから」
「お願いです! クリーンなイメージでやらしてもらってるんです! それがバレたらどうなってしうのか……」
「だからバラしませんって。僕は牛太郎さんを買っている。これからも僕のいろんな番組に出てほしいと思っています。牛太郎さんの汚い過去は、全部掃除してあげますよ」
「よかった……」
「ただ、条件が一つあります。まあ、話は今晩ホテルでしましょう」

 牛太郎は覚悟を決めた。この業界にはそういう人も多いと聞く。自身にそういう気持ちはないが、芸能活動のためなら致し方ないことだ。

 枕営業ではなく枕を営業するのだと知るのは、ホテルの部屋へ入ってからのことである。



 藤山まさるは覚せい剤の常習犯である。

 今やドラマに映画に引っ張りだこの藤山は、日々の忙しさからくるストレスをそれによって紛らわしている。

 藤山が覚せい剤と出会ったのは、地元の先輩から勧められたのがきっかけだった。もともとやんちゃな性格だったので、悪事への興味心は持ち合わせていた。始めは摂取している自分がイケているという麻痺した感情から使用していたが、段々と摂取せずにはいられない体になっていった。

 薬物依存症になってから半年が経つ頃、先輩が捕まった。先輩は決して口をわることはなかったが、藤山にとっては大事な供給源を失うこととなった。必死で売ってくれるルートを探していると、ある未成年のグループから相応の値段で入手することができた。それからは俳優業で得た金でグループから大量に買い占め摂取し続ける日々だった。不思議なことに、頭がクラクラしているときに限って演技を褒められるのだ。良い感じに力が抜けているのだろうか。藤山の仕事はどんどんと増えていった。

 スケジュールに余白がなくなってきた頃、二時間ドラマの主演のオファーが来た。プロデューサは行田という奴らしい。だが映画の撮影と連続ドラマの撮影で立て込んでいたので断ることにした。

 礼儀として直接断りをいれようと行田のもとへ向かった。

「初めまして。藤山まさると言います」
「わざわざすみませんね。で、ドラマのほうはどうでしょう?」
「それがですね、ちょっと今立て込んでまして、大変申し訳ないんですが……」
「そうなんですか。残念です。あ、そういえばですね。ちょっとこちらの企画書を見ていただきたいのですが」

 そう言って渡された企画書には、自身が覚せい剤を摂取しているときの写真が挟まれていた。藤山は声を荒げる。

「マネジャー! ちょっと出ててくれ!」

 急に怒鳴られ不服そうに部屋から出ていくマネジャー。藤山は声を潜めて行田へ話す。

「どういうことですか」
「ドラマ、出ていただけませんかね」
「出ます。出ますとも。ただ、絶対にこのことは秘密にしておいてください」
「もちろん。藤山さんにはこれから僕の作品に常連として出ていただきたいのでね。藤山さんの汚い過去は全部掃除してさしあげます」

 後に藤山も枕の営業を始めることとなる。



 美木、牛太郎、藤山の三人は、行田の番組を支える人物となった。それはつまりテレビで観ない日はないということだ。当然ギャラも相当貰っているように考えられていた。

 しかし、三人にはギャラは一切払われなかった。タダで番組に呼ばれ仕事をする。もし手を抜こうもんなら過去に起こした悪事がバラされるかもしれないと思うと、真面目にやっていくしかなかった。

 しかし、枕の営業とギャラ無しの仕事で、他の正当なギャラが支払われる仕事ができなくなっていた三人は、だんだんと行田に対する不満が溜まっていった。

 そんなある日のこと、大きく事が動き出す。藤山が事務所移籍で美木のところへ移ったことにより、マネジャーが一緒になり二人が同じ立場にあることが判明したのだ。これはもしやと、行田がつくるバラエティには全て出演している牛太郎にも内密に話を聞くと、これまた行田の言いなりになっていることが判明した。

 そこから三人は反撃に出る。メディア各所に匿名で行田の悪評を告げたのだ。情報源が三人だとバレないようにギャラ未払いのことには触れず、普段の傲慢な態度についての話をした。また実家の枕屋についてもだいぶ世間の知名度が上がっていたので、その枕は材質を偽った悪徳商品だということもリークした。実際に枕の材質は表示よりもいくぶんか悪いものであった。

 行田に関する記事が雑誌に掲載されてから、行田に対する世間の風向きは強いものとなった。そんなあるとき、三人が呼び出された。行田は美木、牛太郎、藤山が裏で繋がっていることを知らないはずである。これは何やら嫌な予感がすると各々怯えた。

「今回三人に集まってもらったのは、最近の僕に関する最低な記事のことについてです」
「ああ、良からぬ記事が出回っているみたいですね」

 牛太郎が率先して返事をする。

「これ、みんながリークしたんですよね?」
「なんの話ですか?」

 藤山が冷静に否定する。

「せっかくみんなの汚い過去を掃除してあげたのに、今度は汚さなきゃいけないですね」

 美木は恐怖で泣いている。

「でもね、僕は約束は守る男だ。僕からみんなの過去をバラしたりはしない。みんなは自らキャリアを汚すことになりますよ」

 そう言って行田は三人を部屋から追い出した。



 後日、芸能界に激震が走る事件が起こった。

 行田の実家の枕が不正な品質表示をしていたとされる疑惑のなか、購入者から集められた大量の枕を実際に調査する運びとなった。調査のため枕を分解すると、その全てから様々な写真が出てきたのだ。

 写真には、今や芸能界になくてはならない存在であるアイドルの未成年飲酒、芸人の不倫、俳優の覚せい剤摂取の瞬間がおさめられていた。

 三人は芸能界から追放され、行田もまともな仕事は来なくなった。悪事をする人は、遅かれ早かれ華やかなこの世界から一掃されるのである。
0