キャロル・オブ・ザ・ラッパー

作家: 祝 冴八
作家(かな):

キャロル・オブ・ザ・ラッパー

更新日: 2023/06/02 21:46
現代ファンタジー

本編


 時は十二月二十五日。
 街は、三週間ほど前から既にクリスマスカラーで着飾っている。今日は朝から雪だった。積もった氷の結晶は、人工のモミの木に乗ったライトによって淡く光っていた。

 そんな華やかに彩られた街からはずっと離れたところにある、人気のない小さな公園。僕はそこで、ブランコに乗って黄昏れていた。

 自分の口から放たれる白い煙に、夢を見る。今日一日、クリスマスに一緒にいてくれる友達は僕には居ない。彼女なんて、なおさらいない。新しい学校になじめず、臆病な性格の少年は、この聖なる日を一人きりで過ごす予定なのだ。世間ではこのような人間を「クリぼっち」と呼ぶらしい。ああ、なんて虚しいのだろう。
 しかし、どうして薄暗い空から、こんなにも美しくてふわふわした白いものが落ちて来るのだろう。人と話せなくても、この幻想的な景色を見ていることで、僕は満足できるかもしれない。
 ぼうっと空を眺めていたその時だった。突然、世界を覆い尽くす灰色の雲に、大きな穴が空き、青い空が顔を出した。まるで何かから避けるように雲が動いたのだ。
 そして、穴の中心から、流れ星が流れた。ゆっくりと描かれる光の放物線は、まるで魔法のように美しかった。それはどんどんと落ちていき、どんどんと大きくなり、そう、まるでこっちに落ちてくるような……え?

「親方! 空から女の子が!」

 落ちてくる、と僕の中で認識されたソレは、可愛らしい少女の形をしていた。僕は何も考えずに、ブランコから飛び降りた。

 少女の背中に、雪のように、白く、輝く、美しい……大きな翼が生えているのが見えた。なんて神々しい姿なのだろう。つい見惚れてしまっていた僕をよそに、ソレは頭上を越えた。

 ぼすっ!

 間抜けな音がしたのは、自分のすぐ後ろ。偶然にもそこだけ、もっそりと積もった雪からだった。東京ドーム一個分の大きさだ――というのは嘘で、僕の身長と同じくらいの大きさだった。
 しかし、そんな事はどうでもいい。空から女の子、いや天使が落ちて来たのだ。それも、僕の元に。感情が困惑と歓喜の間で揺れていたところで、先ほどの雪の山がもぞもぞっと動いて、金髪の女の子の頭がひょっこり出てきた。

「マジ最悪ー! なんなのよもーう!」

 ……おっと何だこいつ。今のセリフだけで、すごくチャラそうってことはわかった。

「落ちるのが速すぎたら羽根が燃えるなんて聞いてないわ! 人工衛星じゃないんだから!」

 二つ結びにされた金色の艶のある髪が、少女が動くたびに煌めいた。バサッと音を立てて、次に雪の中から出てきたのは大きな翼だった。しかしそれは先っぽから半分まで焼けて縮れてしまっており、痛々しい有様だった。
 彼女は雪の中から脱出しようともがき始めたが、どうやら四肢が深く突き刺さってしまい出るのに苦戦している様子だった。

「やだ、ちょっと出れないじゃない! なによこれー! これが人間のやること、な……」

 ふと、彼女と目が合った。瞬間、快晴の青空のような透き通った瞳に吸い込まれそうになった。天使のように美しく、そして僕の恋心も加速し……

「ちょっと! 何見てんのよ、ウッザ! 早く助けなさいよ!」

 前言撤回。こいつは性格が悪そうだ。

 しかし翼の生えた少女が雪に埋もれているというオブジェがあるのも見苦しい気もする。とりあえず、彼女を雪から引っ張り出すことにした。

     *

「誰だか知らないけど、助かったわ」

 翼はボロボロだったが、少女の身体には傷ひとつない。彼女が立つと、頭が僕の顎くらいの高さになったのがわかる。

「いえ……ええと、大丈夫でしたか」
「大丈夫な訳ないじゃない。見てよこれ! 翼燃えちゃってんのよ! これじゃ飛べないのよ!」

 それは僕に言われても困る。彼女は何故だか焦った表情をしているように見えた。

「あ……あなたは天使なのですか?」

 ついそんな事を訊いてしまった。すると、少女は突然ニィっと笑って、腕を前で組んで胸を張った。

「ふふっ! よくぞ訊いてくれたわね! そう! 私はピリスト神話の天使の一人、ウリルよ!」

 ピ……ピリスト……は分かるけど、神話には無縁なんだけどなあ。ウリルって誰だ。とりあえず強そう。

「そうなんですか……ウリル、さんは、どうしてさっき落ちてきてたのですか」

 こんなにストレートに訊いてよかったのかと、喋った後で不安になってしまった。クソ、これは陰キャの性質……抗えないのが悔やまれる。

「そうそう! 今日はピリストの生誕祭でしょ? だから、聖歌を歌いにきたの! 本当は、聖地まで飛んで行く筈だったんだけど、これじゃあね……」

 眉毛をハの字にして、焼けてボロボロになった翼を少し動かした。

「それは災難でしたね……」
「あ、敬語やめて。私堅いの嫌いなのよ」

 このガサツっぽいの、本当に天使なのかな……まあ、僕が知ってるのは人間の作った勝手なイメージなんだろうし、正否は言えないか……

「ええと、じゃあウリル。聖地ってどこなのかな? 場所によっては、連れて行ってあげられるかもしれないよ」
「あら、それは助かるわ。うんとねぇ……あっ、とりあえずこれは持ってきてるのよ。念のために天界で配られてね」

 そう言うと、彼女は履いていたスカートのポケットから何かを取り出した。手のひらサイズの長方形で、緑色の――

「駅でピッってするやつ‼︎」
「ええ、超便利よこれ」

 ウリルは胸を張って誇らしげに笑った。
 人間の物使ってるのか天使って。今日一番すっごいびっくりした。

「で……目的地は?」
「東響(とうきょう)国際展示場よ」

 …………。

「コミケかよ! たしかに聖地だけど!」

 しかもごく一部の人間の。

「いちいちうるさいわね。で、どうなのよ。こっから遠いのか近いのかくらい教えなさいよ」

 この天使、礼儀を知らないな。これは今後天使と敬うのではなく、鳥人間って呼び親しまれた方がいいかもしれないな。

「まあ、近くはないけど、ソレがあるなら行けないことはないかな……」
「マジ⁉︎ ちょっとやるじゃんあんたガキのくせに!」
「君も十分ガキだよ」

 はじめ思っていたのと違うが、今年のクリスマスは一人ではないみたいだ。

     *

「ああああ、マジ最悪。何で電車ってあんな混み混みで空気汚いのよ〜羽根ずっと畳んでて肩凝ったわぁ」

 ゲッソリした顔でヨロヨロと歩くウリルの姿は、まるで通勤疲れのおっさんのようだ。
 不幸にも今日はクリスマスだ。今日あの展示場に向かおうとすれば、予定のある人だかりにもみくちゃにされることは避けられない事実だった。
 天使は僕を追いかけるように歩いて、律義に改札を抜けていた。
 とぼとぼと二人で歩道を歩いていた時、突然彼女が叫び出した。

「――ああっ!? あれに見えるは我が聖地‼︎」
「どうしたどうした」

 目をかっぴらいた彼女が指差す方向には、知る人ぞ知る巨大な逆三角形の屋根があった。

「おお、天にまします我らの父よ!」

 さきほどの活力のない姿はどこへやら、いつのまにか彼女は背筋が伸びてフレッシュな顔立ちで聖地を見上げていた。
 ……と思えば、次にはその身体が眩しく発光しはじめたではないか。

「願わくはみなを崇めさせたまえ!」

 そう言うと、光は強さを増し、彼女の背中の縮れた羽根が……少女の腕の長さの三倍はあるであろう、真っ白ま大きな翼へと変化を遂げた。
 一体何が起こっているんだ。

「――さあ! あんた、飛ぶわよ!」

 彼女はこちらに振り向いた。
 一瞬、何を言われたのかわからなかった。ただ、そのあと逆三角形を真っ直ぐ見つめる青空色の瞳に、意識を吸い取られていた。

 次の瞬間、自分の身体が宙に浮いた感覚を覚えた。

 その反動で僕は我に返り、周囲がザワザワしているのに気が付いた。そして、自分はウリルに小脇に抱えられていることも分かった。

「ウリル、いっきまーす!」
「待って! 何するのかわからないけどまだ心のじゅん……!」

 やっと声が出せたと思ったら、彼女が猛スピードで走り始めた。空気抵抗で顔が歪む。一瞬舌を噛んだ。痛い。

 耳元で、バサッと音が鳴った。雪のように白く輝く翼が、力強く動くのを見た。コンクリートの道路がどんどんと遠ざかる。僕らの飛行を目撃したであろう、赤いジャージを着たおじさんがぽかんと口を開けていたのを僕は発見し、フフッと笑ってしまった。

「――到着!」

 空の旅は一瞬にして終わった。これだけ破天荒な彼女だが、この時抱えていた僕のことはゆっくり降ろしてくれる。

「あの、ここってもしかして展示場の屋根の上……」
「さあ、歌うわよ!」

 もはや彼女の耳には何も届かないようだ。ぱんっと彼女が両手を叩くと、手元でキラキラとした光のエフェクトと同時にダイナミックマイクが出現した。更に、どこからともなくビートを刻んだノリのいいbgmがこの空間に流れ始める。

 そして、ウリルは何のためらいもなく、マイクを握り締め、大きく息を吸った――

「――HEY,People聴いてるかい? 円盤買うのに一途な愛 せやかて今宵は生誕祭! 千年に一度の天使のラッパー 税金貢いで萌えて見ない? Yeah!」

 これは……!?

「天使の……ラップ!?」
「遂に姿を現したか、ウリルよ」

 左から突然声がした。振り向くと、なんとイタリア系の顔立ちをした女性が立っていた。さらには、彼女もウリルのような美しい翼を持っていた。世界は知らない事だらけだ。

「だ、誰!?」
「私はガル。ピリスト神のもう一人の使いだ。この世界が終わる前に、彼女が世話になった御礼として、そなたにひとつ教えておこうと思ってな」

 彼女は腕を組み、高い背丈で僕を見下ろす。
 さらりと言ったけど、世界が終わるって何だ⁉︎

「Yo! 私はウリル 天空から舞い降りる 愛注ぐ気高きAngel さあ聖地で歌おう みんなで歌おう この聖なる キャロルラップ」

「ウリルは、一億万年に一度、世界を再生するためにここへ送られる天使なんだ」

 ガルは凛々しく、落ち着いた声で僕に教えてくれた。

「せ、世界を再生……?」
「そう、全世界にビックなインパクトを起こし、破壊し、再び創造するのだ」
「な、何故そんな事を⁉︎」
「彼女によって新たな世界が生み出される。そなたも生まれ変わるのだ」

 そんな……そんな事って……!
 何故だか、僕の中でふつふつと何かが湧いてくる――

「――いやだ」

 僕は息を吸い込んだ。

「嫌だ! まだ僕は夏コミに行った事がないんだ! 神絵師さんのポストカードが欲しいんだ! ウリル! その歌をやめてくれ!」

 僕は無我夢中で彼女に駆け寄った。が、彼女から謎の風が発生し、僕の体は後ろへ飛ばされてしまった。

「無駄だ。ウリルはもう、神と対等の力を放出している。近く事さえ不可能だ」
「そ、そんな……」

 ウリル……。

「我が才能あるライム、スズのリズムに乗って吹き荒らし、ファースト地球の木々を焼き、セカンド命はチリとなり、悪魔も今頃定時で直帰、私の職名破壊の天使」

 ウリルを取り巻く風は次第に強くなり、さらに地震が起こった。空を見上げると、隕石が雨のように落ちてきていた。

 夢なのではないかと何度思っただろうか。いや、夢であってほしいとおもったが、頰を抓っても痛みが伝わる。ウリルはそんな僕をよそにずっと歌っている。

 遂に僕が足を付いていた屋根も崩れ始めた。僕はそれと共に、抗う間もなく落下していく。

 しばらく視界内に神々しく輝く二つの光を捉えていたが、いつの間にか目の前が真っ白になった。僕はゆっくりと意識を失いはじめた。

 かすかに、少女の歌が聴こえる。

「あと三十いや二十秒、最後が来るまで我は歌う、神は死なんで天使も死なん、楽しい明日を創るアーメン、本作品に出てきた団体・人物名は全てフィクションです」
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