たとえ回り道をしても

作家: 海月大和
作家(かな):

たとえ回り道をしても

更新日: 2023/06/02 21:46
現代ドラマ

本編


 絵を描くことが好きだった。物語を読むことも好きだった。自分もこんな話を創りたいと思った。そんな自分が漫画家になりたいと願ったのは自然な成り行きだったのかもしれない。

 小さな頃はその夢を話すと喜ばれたり、褒められたり、励まされたりした。でも中学も後半になると周囲の反応が変わってきた。

 仲の良かった友達も、先生も、母も、祖母も祖父も。現実的じゃないとか、もっとちゃんとした仕事を選べとか、そんなことを言うようになった。

 中学2年の進路希望調査で第一志望に漫画家と書いたら、三者面談で母と先生の両方に怒られた。

 教室で絵を描くことはなくなり、夜、自室で隠れるようにペンを握った。

 今日は進路希望調査を提出する最終日だ。高校2年生になった僕はざわつく教室の中で進路希望調査表に目を落としていた。

 第一志望には『〇〇県立高等学校』と書いた。僕の学力で入れそうな普通科のある進学校だ。

 シャープペンシルを弄びながら、僕は昨日の家族会議のことを思い返した。

 テレビを消したリビングで、テーブルの対面に父と母を置いて僕は漫画家になりたいという強い想いを吐き出した。密かに描いていた30ページの自作漫画も持ち出して、両親に自分の正直な気持ちを伝えた。

 母は怒り、そんなものなれるわけがない、もっと安定した仕事に就きなさいと言った。予想通りの反応に胸がじくじくと傷んだ。

 父は黙って僕と母の言い合いを聞いていたが、ふと沈黙が訪れたときにぼそっとこう言った。

「お前、本気なのか?」

 僕の目を真っ直ぐに見て、もう一度聞く。

「本気で言ってるんだろうな?」

 今までで一番鋭い眼光で射抜かれて、知れず冷や汗が出た。真面目一徹な工場勤めの父のことだ。馬鹿なことを言うなら出ていけと言われそうな迫力があって、ごくりと生唾を飲み込んだ。でもここで日和るわけにはいかないと、僕は覚悟を決めて本気だと応えた。

 父はそうかと言って少し黙ったあと、

「条件がある」

 と腕組みをして切り出した。

「一つ。大学に入学してきちんと卒業すること。2つ。卒業後は一般企業に3年は勤めること。この2つが出来たら後は好きにしろ」

 お前もこれでいいだろと父が母に言うと、渋々といった様子で母は頷いた。僕は思わず机の下でガッツポーズをした。

 本当はすぐにでも漫画家を目指したかったけれど、そのときは自分の夢が誰かに認められたという事実が本当に嬉しかった。大学を出ろ、会社に入れというのは譲れない妥協点であったのだろうし、いざとなった時の保険を持っておけという親心なのだと思う。

 立ち去り際、父が放った

「ちゃんと勉強しろよ。将来役に立つから」

 という言葉が印象に残っている。

 そして二人きりになったとき、母に聞かされた。父は昔、歌手を目指したことがあったらしい。でも祖父と祖母に反対されて断念したのだそうだ。夢を追いたいという気持ちを父が汲んでくれた。そう思うと胸が熱くなった。

 進路希望調査表を手に取る。担任に出しに行こうと席を立つ寸前、ちょっとした悪戯心が芽生えた。それはくだらない反骨心とも言えた。

 シャープペンシルを握り直し、短い単語を書き記す。

 第二志望の欄に『漫画家』と走り書きして、僕は席を立った。
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