付喪神様の声
付喪神様の声
更新日: 2023/06/02 21:46現代ファンタジー
本編
真っ暗な世界の中、少し遠くの方で声が聞こえた。
「……い。おーい。あんた起きんでええんかい?いつもこのくらいの時間にはもう起きてたやろうに。」
ぼんやりとした状態でその訛りのある口調で聞き覚えのある声に応えるように、もぞもぞと布団の中でまだ重だるい身体を起こした。
「今、何時……?」
ガサゴソとベッド横の定位置にあるはずのスマホを手探りで探して、コツンと手に触れたものを掴み形状を確認し、それがスマホだと分かると慣れた手つきで電源ボタンを押して音声ガイドで時刻の確認をする。
『ただ今の時刻、午前七時十三分。』
「…え、嘘!!もうそんな時間!?目覚ましさん何で起こしてくれなかったの?!」
飛び起きるように慌ててベッドから出て支度をする。
けれど話し掛けた相手からの返事が無い事に違和感を覚えてベッドの方へ戻り、目覚まし時計を手探りで探してアラームのオンオフのスイッチを弄ったりして様子をみるけれど何の反応も無い。
いつもなら何かしらの反応は必ず返ってくるのに。
そんな目覚まし時計の様子から状況を察せずにいた私を見かねたようにまた別の誰かの声が聞こえた。
「その子、夜中くらいから動いてないよ。」
天井から降ってくるようなその声を聞いて思い当たった事が一つ。
「─あれ、もしかして電池切れてた!?」
確かに最近会話が成り立たない事が増えていた気もするし、どこか声も小さくてそれに呼応するようにアラームも鳴らない時があった事を思い出した。
ショックを隠し切れないまま、今からだと時間も無いし仕方が無いので帰ってから新しい電池に入れ替えようと思い、寝室を出ようとふらふら扉へ向かった。
ガタガタと音を立てて目測を見誤ったようにドアノブに触れる。そうやって開けるだけでも手間取るのはいつもの事で、なんとか開けた扉を抜け、リビングに行くといつも通り「おはよう。」と声を掛けた。
「おはよう。」
「おはよー。」
「おはー。」
色んな声が重なって朝の挨拶を返してくれるのを聞くのがこの家で毎朝の日課のようなものになっていた。
壁に手をつきながら洗面所に向かおうとすると、子供の悪戯のような高めの声で話し掛けられる。
「寝坊?遅刻?」
「まだ遅刻じゃない!……たぶん!!」
寝坊したことでいつも以上に急がなければいけない事に慌てながらも声を掛けられたのなら返事をする。
それがこの家のモノ達と暮らすうえでのマイルールだった。
返事をしなくても勝手に彼らだけで会話をしているのだろうけれど、少しずつ会話に加わってきたことでこの家に自分以外の存在がしっかりと感じられて、もう今じゃ彼らは家族のように自分にとても近い存在に思える。
─とは言え、初めてこんな風に声が聞こえるようになったのはいつだったか。もう物心ついた時には聞こえていた気がする。
自然とこの彼らのような声は聞こえていたからそれが普通だと思っていて、そうで無いと気付いたのが少し遅かったから、いつから聴こえているのかなんてよく覚えていない。
その頃は今みたいにお互い会話として成り立つようなものは無く、子供が大人の会話を足元の方で見上げながらだんまりと聞いているような感じで自分から割って入って会話をするような事をせず、ただ勝手に会話を盗み聞いているような状態でしかなかった。
少しずつ会話に混ざるようになったのはその声の正体を理解してから。
正体が分かるまでは声が何処から聞こえるかなんて分かって無くて、普通に誰かが喋っているんだと思っていたし、物から声がするだなんて考えもしなかったから大人の会話に首を突っ込まないようにしていたその頃は、聞こえてくる会話に混じるなんてことをしようとも思わなかった。
声が聞こえるならそこには誰かがいる。
それが当たり前だと思っていたから、声がする方には人が居るからぶつからないようにと思って過ごす程度で、そんなに騒がしく聞こえている訳でも無かったから本当に誰かが喋っているんだという認識で大して気にしていなかった。
でもそれは自宅で、一人で留守番をしている時にも聞こえていた。
親がどうしても急用で出掛けなければいけなくなって、普段私を預けている人にもすぐには連絡が取れないし、私一人を置いていくのは心配だと言われたけれど、物の位置は殆ど把握しているし必要以上に動かないから大丈夫とどうにか親を納得させて初めて一人での留守番をする事になった時にようやく発覚した事実だった。
今まで家族の誰かがちょっと声色を変えて話していたり、テレビの中から聞こえるものだと思っていたから、誰も居ないはずの家から声が聞こえるという現象がいかに怖いものか……。
そんな声の正体がよく分かっていない時にそれらはとても怖いものにも思えていた。
だから次第にそれが物から聞こえるんだって分かった時、色んなことが腑に落ちた気がした。
家族以外の声だと分かる声がしていたり、聞いた事のない方言のようなものだったり、夜中でもひそひそと聞こえていて、気のせいだと思ってみたりテレビから聞こえるにしては説明がつかない程の違和感ばかりだった。
だって家の中だけじゃなくて、外でもどこかの建物内でも聞こえてくることがあったのだから。
何か変だと思ってからは親にも言えずにいて、その聞こえる声が何なのか一人で探るしか出来ずにいた。
誰も居ないはずの場所から聞こえると気付いた時は怖かったけど、自分に害が無いことは分かっていたし今までと変わらず会話を聞いているだけだったから不思議とその怖さは無くなっていった。
正体を探っていく内にそれらはどうやら物から聞こえるのだと気が付いた。
特に古いものである、人に使いこまれて年季の入ったものらしい物達から声が聞こえることが多かった。
そう気付いたのは祖父母の家が関係していた。
私がおじいちゃん、おばあちゃん子だったのもあって、よく祖父母の家に遊びに行っていた。
親がどうしても家を留守にしなければいけない時にも行くことがあったし、用事が無くても遊びに行っていた。私の事情を知ってもなお、他の子と変わらず優しく接してくれる温かいおばあちゃん達が大好きだった。
そんな風に祖父母の家に行く度、色んな所からお喋りしている声が自宅以上に聞こえてきていたから、その会話を聞いているだけで充分楽しかった。難しい事は分からなかったけど、知らない事を知れるのと、周りの大人とは違う喋り方とかを聞いているのが面白かった。
大人達はそんな私の様子をどう見ていたのか、そんな事を知る由は無かったけれど、たまにおばあちゃんが声を掛けてくれてお茶に誘ってくれた。
ある時、聞こえてくる声の正体が知りたくておばあちゃんに嫌がられないかとか不安に思いながらも話してみようと思った。
いつものように縁側でお茶しながら他愛のない話をして、私のいつもの家とかでの様子を聞いてくるおばあちゃんによく色んなものの声が聞こえるという話をしたら、おばあちゃんは茶化すでも無く、子供の自分でも分かるように優しく話してくれた。
「それはきっと付喪神様だねぇ。」
「つく、もがみさま?」
「あぁ、付喪神様だよ。色んなものには神様が宿っているとも言うんだけれどねぇ、物を大事にしいているとね、付喪神様という神様がその物に憑くと言われているんだよ。だからその神様が話しかけてくれているんだねぇ、きっと。」
「じゃあ、おばあちゃん達が大切にしているものたちばかりだから、この家のものはお喋り沢山してるんだ。」
「ふふふ、そうだと良いねぇ。」
そう言って優しく頭を撫でてくれるその手が好きだった。
「もし付喪神様とお話出来たら、貴方ももう少し過ごしやすくなるかもしれないねぇ。」
そう小さな声で言ったおばあちゃんの言葉の意味をその時は理解できなかったけれど、付喪神様とお話出来れば良いことがあると捉えた私はそれから付喪神様と会話できるように自分から話し掛けたり色々した。
初めは自分達に話し掛けられていると思っていなかったのか、付喪神様たちと会話をすることは無かった。勿論、私には分からないような難しい話もあって話し掛けられない事も多々あった。
それでもめげる事は無く話し掛けていた。
そうして次第に私という存在を受け入れてくれた「付喪神様」達と今のように会話が出来るようになった。
そんな「付喪神様」と呼んでいるモノ達の声は私の生活の中でもとても重要で、命綱くらいの存在になっていった。
ちょっとした段差だったり、距離感を間違えて壁にぶつかりそうな時とかに声を掛けてくれたり、今日みたいに起きなきゃいけない時間に起きていなかったら声を掛けてくれたりする。本当に有り難い存在だ。
こんな便利な世の中だというのにスマホのアラームを使わないのも、目覚まし時計が音だけじゃなくてちゃんと人のように「おはよう、起きた?」とか「今何時だけど間に合う?」とか声を掛けてくれるからアラームよりも起きやすい。
夜も寝る前にアラームでセットしている時間を確認するかのようにしてくれて寝坊しないように気に掛けてくれる。
でも、今日みたいに電池切れだと寝ているかのように反応してくれなくて時々こうして困ったことになる。
数年使っているだけじゃ、他の子達みたいにお喋りじゃないのかもしれない。
まだ会話できるだけ良いのかもしれないけれど、自分が普段と変わらず大切にしているだけじゃまだまだ足りないのだろうかと少し気にしてしまう。毎日会話は欠かしていないし、何が足りないのか、どうすれば電池が無くても目覚まし時計さんの付喪神様としての会話がもっと成り立つようになるのかが分からないままでいる。
そもそも電池が無いと目覚まし時計が動かないのと同じで付喪神様も話さなくなるのだというのが未だに不思議でならない。どういう理由でそうなっているんだろうか。
「せめて電池が切れそうになったら言ってもらうようにできないかな……。」
ポツリと独り言をこぼしたところで今日のこの時間が足りない現実は変えようが無いから、また帰ってから色々話してみるしかないだろう。
仕方が無いし、今は遅刻しない様に家を出る準備をしなきゃ。
そう思った瞬間また声が正面から聞こえてきた。
「ちょっと、そのまま来るとぶつかっちゃうじゃない。」
そう誰かから言われて考え事をしながら歩いていた私はぴたりと立ち止まる。
「…ごめん。」
「痛いのは勘弁よ。」
「分かってるー。」
洗面所の扉は開けっ放しにしているものの、他の場所は扉を閉めていることが多い。それも生活する上でどちらの方が自分にとって便利か体感した上でのことで、他の人はもしかしたら違うかもしれない。私の場合、壁伝いで歩くのに便利という事と、たまにこうしてぶつかりそうになっていても声を掛けてもらえることで場所の把握も出来るから基本的に扉は閉めているのだ。
リビングから壁伝いに行くとトイレの扉がある。だから、さっき声を掛けてきたのはトイレの扉につけているお花の壁飾りのはず。
声を掛けられなければそのまま扉にぶつかって私も痛い思いをするところだった。
やっぱり家の中とは言え、考え事をしながら歩くのは危険だなと実感したものの多分やめる事はないだろう。
そうして洗面所に着くと顔を洗って歯磨いて、その行動だけでも時間が掛かって仕方が無い。
今日は寝坊してしまったぶん、朝ご飯は用意して食べる時間を作れないし、いつものコンビニでパンを買って向こうで食べるか。もうちょっと時間があったならおにぎりでも作ったけれど、多分そんな時間ももう無いな。
こういう時に限ってパンとかのストックが無いんだもんな……。
そんな事を考えながら洗面所横の脱衣所に昨日の内に用意していた服に着替えて、リビングに戻る。リビングの玄関側の扉付近の定位置に置いてある荷物の入ったリュックを手に取る。
既に持ち物は全部入れてあるから忘れ物は無いはず。
昨日聞いた天気予報では晴れだと言っていたから傘は持っていなくても大丈夫だと思う。
本当は天気が良い日に洗濯しておきたかったけど、今はそんな事を言っていられる余裕なんて無い。
遅刻せずに済むのと、遅刻してまで洗濯するのだったら遅刻しない方を選ぶのは仕方が無いだろう。
とりあえず必要な物は入っているな、ともう一度確認をしてリュックのファスナーを締めた。
そうこうしている内に家を出る時間になってしまったようで玄関から私の相棒が声を掛けてきた。
「もういつも家出てる時間だけど準備は出来たー?」
「待って!もうちょっと!!」
最後の仕上げというように髪を梳いていた。遅刻しそうでも間に合いそうな時間なんだったら身だしなみくらいはしっかりしておきたいから。
ただでさえ自分の身なりは把握しづらいのだから整えられる範囲は整えておきたい。
でもそれすらも許してくれないとでも言うように相棒は急かしてくる。
「ちょっと、ってどのくらい?」
「ちょっとはちょっとー!!」
バタバタと荷物を持って廊下を走る。一直線上なら特に物も置いていないから危ないものも無いし、たまにこうして走ってしまう。その度に怒られるけど。
そのまま慌てて玄関で靴を履いてたらまた声を掛けられる。
「何回も言ってるけどまっすぐとはいえ廊下は走ったら危ないし、そんな急いで靴履いたら靴が傷むよ。」
「仕方ないじゃん、時間無いんだから。」
言い訳をしながらもこれ以上遅れないようにと靴を履く。
「忘れ物は無い?」
まるで母親のように確認をしてくる声もいつものこと。
「多分っ!!」
「それじゃあ、行こうか。」
「うん、今日もよろしくね。相棒。」
目が見えない自分には必要不可欠な相棒の白杖。外で人の声に紛れていてもはっきり声が聞こえるくらいには愛用歴も長い。
誰よりも信頼していて、誰よりも自分の世界を預けられる存在。
─なんて、ちょっと大げさかな?
「いってきまーす!」
今日もそんな相棒と一緒に家よりも沢山の声で溢れた世界へと出掛けるのだ。
0「……い。おーい。あんた起きんでええんかい?いつもこのくらいの時間にはもう起きてたやろうに。」
ぼんやりとした状態でその訛りのある口調で聞き覚えのある声に応えるように、もぞもぞと布団の中でまだ重だるい身体を起こした。
「今、何時……?」
ガサゴソとベッド横の定位置にあるはずのスマホを手探りで探して、コツンと手に触れたものを掴み形状を確認し、それがスマホだと分かると慣れた手つきで電源ボタンを押して音声ガイドで時刻の確認をする。
『ただ今の時刻、午前七時十三分。』
「…え、嘘!!もうそんな時間!?目覚ましさん何で起こしてくれなかったの?!」
飛び起きるように慌ててベッドから出て支度をする。
けれど話し掛けた相手からの返事が無い事に違和感を覚えてベッドの方へ戻り、目覚まし時計を手探りで探してアラームのオンオフのスイッチを弄ったりして様子をみるけれど何の反応も無い。
いつもなら何かしらの反応は必ず返ってくるのに。
そんな目覚まし時計の様子から状況を察せずにいた私を見かねたようにまた別の誰かの声が聞こえた。
「その子、夜中くらいから動いてないよ。」
天井から降ってくるようなその声を聞いて思い当たった事が一つ。
「─あれ、もしかして電池切れてた!?」
確かに最近会話が成り立たない事が増えていた気もするし、どこか声も小さくてそれに呼応するようにアラームも鳴らない時があった事を思い出した。
ショックを隠し切れないまま、今からだと時間も無いし仕方が無いので帰ってから新しい電池に入れ替えようと思い、寝室を出ようとふらふら扉へ向かった。
ガタガタと音を立てて目測を見誤ったようにドアノブに触れる。そうやって開けるだけでも手間取るのはいつもの事で、なんとか開けた扉を抜け、リビングに行くといつも通り「おはよう。」と声を掛けた。
「おはよう。」
「おはよー。」
「おはー。」
色んな声が重なって朝の挨拶を返してくれるのを聞くのがこの家で毎朝の日課のようなものになっていた。
壁に手をつきながら洗面所に向かおうとすると、子供の悪戯のような高めの声で話し掛けられる。
「寝坊?遅刻?」
「まだ遅刻じゃない!……たぶん!!」
寝坊したことでいつも以上に急がなければいけない事に慌てながらも声を掛けられたのなら返事をする。
それがこの家のモノ達と暮らすうえでのマイルールだった。
返事をしなくても勝手に彼らだけで会話をしているのだろうけれど、少しずつ会話に加わってきたことでこの家に自分以外の存在がしっかりと感じられて、もう今じゃ彼らは家族のように自分にとても近い存在に思える。
─とは言え、初めてこんな風に声が聞こえるようになったのはいつだったか。もう物心ついた時には聞こえていた気がする。
自然とこの彼らのような声は聞こえていたからそれが普通だと思っていて、そうで無いと気付いたのが少し遅かったから、いつから聴こえているのかなんてよく覚えていない。
その頃は今みたいにお互い会話として成り立つようなものは無く、子供が大人の会話を足元の方で見上げながらだんまりと聞いているような感じで自分から割って入って会話をするような事をせず、ただ勝手に会話を盗み聞いているような状態でしかなかった。
少しずつ会話に混ざるようになったのはその声の正体を理解してから。
正体が分かるまでは声が何処から聞こえるかなんて分かって無くて、普通に誰かが喋っているんだと思っていたし、物から声がするだなんて考えもしなかったから大人の会話に首を突っ込まないようにしていたその頃は、聞こえてくる会話に混じるなんてことをしようとも思わなかった。
声が聞こえるならそこには誰かがいる。
それが当たり前だと思っていたから、声がする方には人が居るからぶつからないようにと思って過ごす程度で、そんなに騒がしく聞こえている訳でも無かったから本当に誰かが喋っているんだという認識で大して気にしていなかった。
でもそれは自宅で、一人で留守番をしている時にも聞こえていた。
親がどうしても急用で出掛けなければいけなくなって、普段私を預けている人にもすぐには連絡が取れないし、私一人を置いていくのは心配だと言われたけれど、物の位置は殆ど把握しているし必要以上に動かないから大丈夫とどうにか親を納得させて初めて一人での留守番をする事になった時にようやく発覚した事実だった。
今まで家族の誰かがちょっと声色を変えて話していたり、テレビの中から聞こえるものだと思っていたから、誰も居ないはずの家から声が聞こえるという現象がいかに怖いものか……。
そんな声の正体がよく分かっていない時にそれらはとても怖いものにも思えていた。
だから次第にそれが物から聞こえるんだって分かった時、色んなことが腑に落ちた気がした。
家族以外の声だと分かる声がしていたり、聞いた事のない方言のようなものだったり、夜中でもひそひそと聞こえていて、気のせいだと思ってみたりテレビから聞こえるにしては説明がつかない程の違和感ばかりだった。
だって家の中だけじゃなくて、外でもどこかの建物内でも聞こえてくることがあったのだから。
何か変だと思ってからは親にも言えずにいて、その聞こえる声が何なのか一人で探るしか出来ずにいた。
誰も居ないはずの場所から聞こえると気付いた時は怖かったけど、自分に害が無いことは分かっていたし今までと変わらず会話を聞いているだけだったから不思議とその怖さは無くなっていった。
正体を探っていく内にそれらはどうやら物から聞こえるのだと気が付いた。
特に古いものである、人に使いこまれて年季の入ったものらしい物達から声が聞こえることが多かった。
そう気付いたのは祖父母の家が関係していた。
私がおじいちゃん、おばあちゃん子だったのもあって、よく祖父母の家に遊びに行っていた。
親がどうしても家を留守にしなければいけない時にも行くことがあったし、用事が無くても遊びに行っていた。私の事情を知ってもなお、他の子と変わらず優しく接してくれる温かいおばあちゃん達が大好きだった。
そんな風に祖父母の家に行く度、色んな所からお喋りしている声が自宅以上に聞こえてきていたから、その会話を聞いているだけで充分楽しかった。難しい事は分からなかったけど、知らない事を知れるのと、周りの大人とは違う喋り方とかを聞いているのが面白かった。
大人達はそんな私の様子をどう見ていたのか、そんな事を知る由は無かったけれど、たまにおばあちゃんが声を掛けてくれてお茶に誘ってくれた。
ある時、聞こえてくる声の正体が知りたくておばあちゃんに嫌がられないかとか不安に思いながらも話してみようと思った。
いつものように縁側でお茶しながら他愛のない話をして、私のいつもの家とかでの様子を聞いてくるおばあちゃんによく色んなものの声が聞こえるという話をしたら、おばあちゃんは茶化すでも無く、子供の自分でも分かるように優しく話してくれた。
「それはきっと付喪神様だねぇ。」
「つく、もがみさま?」
「あぁ、付喪神様だよ。色んなものには神様が宿っているとも言うんだけれどねぇ、物を大事にしいているとね、付喪神様という神様がその物に憑くと言われているんだよ。だからその神様が話しかけてくれているんだねぇ、きっと。」
「じゃあ、おばあちゃん達が大切にしているものたちばかりだから、この家のものはお喋り沢山してるんだ。」
「ふふふ、そうだと良いねぇ。」
そう言って優しく頭を撫でてくれるその手が好きだった。
「もし付喪神様とお話出来たら、貴方ももう少し過ごしやすくなるかもしれないねぇ。」
そう小さな声で言ったおばあちゃんの言葉の意味をその時は理解できなかったけれど、付喪神様とお話出来れば良いことがあると捉えた私はそれから付喪神様と会話できるように自分から話し掛けたり色々した。
初めは自分達に話し掛けられていると思っていなかったのか、付喪神様たちと会話をすることは無かった。勿論、私には分からないような難しい話もあって話し掛けられない事も多々あった。
それでもめげる事は無く話し掛けていた。
そうして次第に私という存在を受け入れてくれた「付喪神様」達と今のように会話が出来るようになった。
そんな「付喪神様」と呼んでいるモノ達の声は私の生活の中でもとても重要で、命綱くらいの存在になっていった。
ちょっとした段差だったり、距離感を間違えて壁にぶつかりそうな時とかに声を掛けてくれたり、今日みたいに起きなきゃいけない時間に起きていなかったら声を掛けてくれたりする。本当に有り難い存在だ。
こんな便利な世の中だというのにスマホのアラームを使わないのも、目覚まし時計が音だけじゃなくてちゃんと人のように「おはよう、起きた?」とか「今何時だけど間に合う?」とか声を掛けてくれるからアラームよりも起きやすい。
夜も寝る前にアラームでセットしている時間を確認するかのようにしてくれて寝坊しないように気に掛けてくれる。
でも、今日みたいに電池切れだと寝ているかのように反応してくれなくて時々こうして困ったことになる。
数年使っているだけじゃ、他の子達みたいにお喋りじゃないのかもしれない。
まだ会話できるだけ良いのかもしれないけれど、自分が普段と変わらず大切にしているだけじゃまだまだ足りないのだろうかと少し気にしてしまう。毎日会話は欠かしていないし、何が足りないのか、どうすれば電池が無くても目覚まし時計さんの付喪神様としての会話がもっと成り立つようになるのかが分からないままでいる。
そもそも電池が無いと目覚まし時計が動かないのと同じで付喪神様も話さなくなるのだというのが未だに不思議でならない。どういう理由でそうなっているんだろうか。
「せめて電池が切れそうになったら言ってもらうようにできないかな……。」
ポツリと独り言をこぼしたところで今日のこの時間が足りない現実は変えようが無いから、また帰ってから色々話してみるしかないだろう。
仕方が無いし、今は遅刻しない様に家を出る準備をしなきゃ。
そう思った瞬間また声が正面から聞こえてきた。
「ちょっと、そのまま来るとぶつかっちゃうじゃない。」
そう誰かから言われて考え事をしながら歩いていた私はぴたりと立ち止まる。
「…ごめん。」
「痛いのは勘弁よ。」
「分かってるー。」
洗面所の扉は開けっ放しにしているものの、他の場所は扉を閉めていることが多い。それも生活する上でどちらの方が自分にとって便利か体感した上でのことで、他の人はもしかしたら違うかもしれない。私の場合、壁伝いで歩くのに便利という事と、たまにこうしてぶつかりそうになっていても声を掛けてもらえることで場所の把握も出来るから基本的に扉は閉めているのだ。
リビングから壁伝いに行くとトイレの扉がある。だから、さっき声を掛けてきたのはトイレの扉につけているお花の壁飾りのはず。
声を掛けられなければそのまま扉にぶつかって私も痛い思いをするところだった。
やっぱり家の中とは言え、考え事をしながら歩くのは危険だなと実感したものの多分やめる事はないだろう。
そうして洗面所に着くと顔を洗って歯磨いて、その行動だけでも時間が掛かって仕方が無い。
今日は寝坊してしまったぶん、朝ご飯は用意して食べる時間を作れないし、いつものコンビニでパンを買って向こうで食べるか。もうちょっと時間があったならおにぎりでも作ったけれど、多分そんな時間ももう無いな。
こういう時に限ってパンとかのストックが無いんだもんな……。
そんな事を考えながら洗面所横の脱衣所に昨日の内に用意していた服に着替えて、リビングに戻る。リビングの玄関側の扉付近の定位置に置いてある荷物の入ったリュックを手に取る。
既に持ち物は全部入れてあるから忘れ物は無いはず。
昨日聞いた天気予報では晴れだと言っていたから傘は持っていなくても大丈夫だと思う。
本当は天気が良い日に洗濯しておきたかったけど、今はそんな事を言っていられる余裕なんて無い。
遅刻せずに済むのと、遅刻してまで洗濯するのだったら遅刻しない方を選ぶのは仕方が無いだろう。
とりあえず必要な物は入っているな、ともう一度確認をしてリュックのファスナーを締めた。
そうこうしている内に家を出る時間になってしまったようで玄関から私の相棒が声を掛けてきた。
「もういつも家出てる時間だけど準備は出来たー?」
「待って!もうちょっと!!」
最後の仕上げというように髪を梳いていた。遅刻しそうでも間に合いそうな時間なんだったら身だしなみくらいはしっかりしておきたいから。
ただでさえ自分の身なりは把握しづらいのだから整えられる範囲は整えておきたい。
でもそれすらも許してくれないとでも言うように相棒は急かしてくる。
「ちょっと、ってどのくらい?」
「ちょっとはちょっとー!!」
バタバタと荷物を持って廊下を走る。一直線上なら特に物も置いていないから危ないものも無いし、たまにこうして走ってしまう。その度に怒られるけど。
そのまま慌てて玄関で靴を履いてたらまた声を掛けられる。
「何回も言ってるけどまっすぐとはいえ廊下は走ったら危ないし、そんな急いで靴履いたら靴が傷むよ。」
「仕方ないじゃん、時間無いんだから。」
言い訳をしながらもこれ以上遅れないようにと靴を履く。
「忘れ物は無い?」
まるで母親のように確認をしてくる声もいつものこと。
「多分っ!!」
「それじゃあ、行こうか。」
「うん、今日もよろしくね。相棒。」
目が見えない自分には必要不可欠な相棒の白杖。外で人の声に紛れていてもはっきり声が聞こえるくらいには愛用歴も長い。
誰よりも信頼していて、誰よりも自分の世界を預けられる存在。
─なんて、ちょっと大げさかな?
「いってきまーす!」
今日もそんな相棒と一緒に家よりも沢山の声で溢れた世界へと出掛けるのだ。
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